虐げられた人びと (新潮文庫)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (686ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010204

感想・レビュー・書評

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  • ドストエフスキーって
    根源的に人間は善であるという
    圧倒的な倫理観で
    小説書ける人だったんだな。

    何に虐げられた人々なのか…
    やはり、運命に。

    久しぶりに泣いた。
    とても深入りしながら物語を読んだ。

    なんだかな、すごく良かった。
    ハッピーエンドなんだろうな、一応。

  • 1861年 40歳 第17作。

    前半は読むのが辛く、期間を置きながら、途切れ途切れしか読んでいないので、非常に時間がかかった。
    たぶん3カ月ぐらいかかったと思う。

    なぜ辛かったかといえば、単純に、話が面白くなかったからである。

    短編ならまだしも、長編小説で面白くなかったら、一気に読み通すことなどは、とても無理だ。

    ところが第二部の第6章、本書のp250あたりの、登場人物がほぼ出そろい、語り手である主人公とナターシャが、前日訪れてきたワルコフスキー公爵が表面的な態度とは別になにかを企んでいることについて、相互に同意した場面ぐらいから、話はがぜん面白くなる。

    熱に浮かされたような怒涛のスピード感が出てきて、読むのが止まらなくなる。ドストエフスキーの長編に特有のあの魅力が、この物語の後半で、ついに現れた。畳みかけるような事件の連続と独自の語り口。ドストエフスキーは、自分にふさわしいそういうスタイルを、ここでついに発見したようだ。

    残りの400ページあまりは、忙しい合間をぬって、3日で読んでしまった。

  • 虐げられて生きてきた少女ネリーをただただ可哀想に思う。
    自己中心的な青年アリョーシャ、彼に振りまわされる娘ナターシャ、そして彼らを見つめる語り手ワーニャ。
    それぞれがみな悲劇的な人生を送っていて、人物描写にかけてはやはりドストエフスキーは天才だと思い知らされる。

  • 面白かったです。特に最後にナターシャが父親に許される場面がとても好き。ネリーのあまりにも救いのない悲惨な物語と、妻の怒りと、それまでの父と娘の苦しみ…これらから生まれた、必然的で無理のない、人間心理に即した許しだったと思います。
    頑なさがなにを生むというのでしょう? 残酷さばかりが蔓延るこの世界で、どうしてわざわざ人間同士が傷付け合わなければならないのでしょうか? 我々人間は皆それぞれに必ず苦しんでいるというのに。泥と血に塗れ、胸に剣を刺され、折れて思う通りに動かない脚で、それでもどうにか立っているのは、言葉と心を持つ仲間同士が互いに支え合っているからではないのか…。娘を呪い、許しを与えぬまま死なせてしまい、狂人のように街をさ迷い野垂れ死んだネリーの祖父は、どんな理由があろうと間違っていたとしか思いようがありません。許すこと、なんといってもこれが大事なのだと思います。
    …なんだか大袈裟な書き方になってしまって、もしこの無意味に長いレビューを読んだ方がいたなら、馬鹿馬鹿しく思われそうですね。まあ、聞き流してください。いや、本当に、ドストエフスキーの作品は面白いですね。

  • ドストエフスキー版ラブコメと勝手に解釈。
    こんなポップなのも書くんだと意外な一面を見た感じ。
    まぁポップとは言っても後の大作群と比べてだが。

    一見、はたから見ると呆れると言うか、現代で繰り広げられたら
    勝手にやってくれといったナターシャとアリョーシャの恋だが、
    ところがどっこい、これはただの味付けであって悲劇はその奥にある。
    大まかな流れ、作品を支えているのはもちろん二人の恋物語。
    しかしそこには、イフメーネフとワルコフスキー公爵の長年にわたる因縁。
    そしてワーニャが出逢うスミス老人の孫娘ネリーが物語の鍵を握る。

    虐げられた人々とはうまく言ったもので、
    ここでいう虐げられた人々と言うのは
    アリョーシャに振り回されるナターシャでも
    勿論ワルコフスキーにハメられたイフメーネフでもなく、
    母親の遺言をその最期まで貫き通したネリーその人なのではないだろうか。
    この物語の一番の悲劇の象徴なのがネリーなのである。
    決して誰かが救われるとかそういった内容でもなく、
    決して悪は最後は淘汰されるといった内容でもない。
    一人の少女がただ悲劇を背負って生まれ、その悲劇を全うして終わる。
    その中で、ただ踊らされている悲恋と謳われるもう一つの物語。
    ただただ、本当に悲しいお話なのである。
    それでもこの少女の悲劇を以て、救われた何かがあると信じたい。

  • 1861年

    現在と過去の同じ様な悲恋が重なり繋がり、
    悲しい犠牲を伴いながらも解決され、明るい未来へ!

    NOTE記録
    https://note.com/nabechoo/n/n7b3e00fef092?magazine_key=m95e2f346041d

    序盤はちまちまと読み進めて、
    中盤からハマってきてスピード上がる。

    語り手の私、ワーニャ。いろんな人の相談や仲介役で大変そ〜。みんなに好かれ、頼りにされてる。良いやつや〜。(IWGPのマコトを思い出す。そんなキャラだったよーな?)
    一番自分に似てるのはアリョーシャかな。子供っぽい無邪気さ。客観的に見ると問題あるなーと思うわ。でも共感できる気がする。
    ナターシャとカーチャは共にしっかりしてるなー、カーチャなんかまだ10代だったような。まあ全体的に、思ったより若かった気がするが。
    問題のワルコフスキー公爵。強欲で狡猾、金があり権力があり頭も良い、こんな奴勝てる気せん笑 絶対上手く利用されて捨てられる笑 
    その点、ワーニャの旧友マスロボーエフはなんか良いな〜頼れそう。公爵相手に負け気味ではあったが期待できる。
    あとは、ネリーか。悲しみの天使よ。悲劇を救う立役者。出来るなら、イフメーネフの家にネリーがいて、ワーニャとナターシャが一緒になり、時折りマスロボーエフカップルが遊びに来るのが理想。そして、ネリーの呪いがワルコフスキーに効いて没落すれば万々歳か。

    あまり関係ないけど、ちょこっとフリーメーソンやロスチャイルドの名が出てきて、都市伝説好きとしては反応しちゃう。どんな存在だったのか、それぞれ一回ずつしか出てこないから、あまり分からないけど。
    あとパリの変態の話。あの典型的な裸にコートのやつ。この頃からあったんだなーと感慨深い。

  • 名作なので読んでみました。

  • もちろん『罪と罰』には遥か及びませんが、なかなかに引き込まれました。文豪の佳作。

  • 再読である。タイト通りの虐げられた人々が登場する。再読した理由は中身を忘れていたからだが、本書はドストエフスキーの小説に登場する特徴的な人間(すなわち、悪者、かわいそうな子ども、聡明な女性)がだいたい出てきており、この作品あってその後の「罪と罰」とかの高名な小説ができたのだろうなと納得したものである。

  • 面白いが、多作品に比べるとまとまりが今一つに感じる。

    途中の作者の吐露は結局どこに着地させればいいのか。

著者プロフィール

(Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy)1821年モスクワ生まれ。19世紀ロシアを代表する作家。主な長篇に『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『未成年』があり、『白痴』とともに5大小説とされる。ほかに『地下室の手記』『死の家の記録』など。

「2010年 『白痴 3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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