罪と罰〈下〉 (新潮文庫)

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制作 : 工藤 精一郎 
  • 新潮社 (1987年6月9日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (601ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010228

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罪と罰〈下〉 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  •  多数の利益のための、犠牲は仕方ないという論理の下、罪を犯したラスコーリニコフ。しかしその後、彼は罪の意識で苦しみ自身が罪を犯しつつも、妹の結婚相手の正体を見抜き、妹の結婚を阻止しようとしたり、母のことを気遣ったり、酒屋で少し話しただけの男の家族に親切にしたりと、家族やそれ以外の人間にも正義心を発揮します。

     なんで、そんなことになったかというと、自分はラスコーリニコフは、人としてのバランスを取ろうとしていたのかな、と思います。

     善と悪の狭間を歩き続けるラスコーリニコフの描写は、読んでいて息が詰まるようです。「何が正しいんだ!」という彼の叫びをずっと聞き続けているかのような、そんな気すらしてきます。

     しかし、だからこそ、ラスト数ページの物語の明るさには驚きました。正直、こんな気分で読み終えられるとは思ってもいなかったのでうれしい誤算。

     ラスコーリニコフの、多数の利益のための流血は仕方ない、という論理は普通の人間には当てはまらないものなのだと思います。頭でどんなにそう思っていても、身体がそれを拒否する、それが人間としての本能であると思います。

     ラスコーリニコフがそうした考えを持った背景には、ナポレオンなど、そうした行動を厭わなかった偉人の存在がありました。特別な才能と力を持った彼等なら、それをしてもかまわない。そしてその真理にたどり着いた自分も英雄なのだ、と。
     
     でも、この本を読み終えてから、そうした英雄たちの思考に思いを巡らすと、自分は普通の人間でよかった、と思えてくるのが不思議です。そして、それはラスコーリニコフも同じだったのではないでしょうか。

     読むのは、やっぱり大変でしたが、先に書いたように読後感は悪くなかったので、何というか、高い山を踏破した、という充実感も覚えた読書でした。

  • 一気に読んだ。事件からはのめり込む一方だった。
    どうこれが終わるのだろう、という気持ちでドキドキしながら読み進めた。
    ラスコーリニコフとスヴィドリガイロフ、二人の生き方、そして顛末を是非しっかり見て欲しい。顛末ではそのシンプルさから何かを考えさせられるだろう。

  • 登場人物を把握してからようやく面白くなってきました。把握するまでが一苦労だった…!(汗)
    とかく、ラスコーリニコフの心理描写、葛藤がすごかった…!
    人間ドラマも、すごい作り込んであって、勉強になります。
    解説を読むと非常に読みやすくなるかもしれない。
    罪:殺人
    罰:流刑
    とすれば簡単な構図ですが、見方によって様々な解釈ができる。
    罪:強い自尊心によって、強い自己卑下にとらわれること。
    罰:こんなにも周りに愛されていることが、何故わからなかったんだろう!と後悔すること。
    長い長い苦労を経て、将来への希望を掴む物語でした。

  • 巨匠ドストエフスキー代表作の工藤精一郎訳バージョン。上下巻で約千ページの大長編。5年前に購入したものの読書ボルテージが上がらなくて寝かせておいた本にようやくトライ。古典だしロシア文学だし、紙面いっぱいにぎっしり埋まった文字にくじけそうになりながらも約2ケ月かけて読了。とにかく”場面によって人物の呼び名が変化する”、”セリフが長い”ことには消化するのに苦労した。だが、豊富なエピソードに盛り込まれる思想や心情には作者の熱意をとても感じた。登場人物も多彩で、お気に入りはかわいく可憐なソーニャとドゥーニャ、そして悪漢好色じじぃのスヴィドゥリガイロフ。
    もう、ありがたく読ませていただきました。まずは人物リストを作ってから読み始めるのがおすすめ。
    次は「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー最長編)でも読んでみるか。。

  • いや〜名作だったな〜。
    しかし辟易したのが数多く登場する人物の名前。全部ロシア名で、しかもよくわからないけど一人の人物が違う名称で呼ばれたりする。例えば主人公の「ラスコーリニコフ」は「ロージャ」とも呼ばれるし「ロジオン・ロマーノヴィチ」と呼ばれたりする(本名と愛称なんだろうか)。読み進めるうちに大体わかってきたけど前の方は誰が誰だかよくわからなかった。
    そこで提案なんだけど、こういう外国文学の翻訳の際には思い切って日本名をつけてはどうだろうか。アニメなんかではよく使う手である。「罪と罰」も例えば主人公は「川口健介」にすれば「健ちゃん」「カワケン」とかと呼び方が変わっても推測するのに難しくないし、物語の理解も深まるだろう(と思われる)。
    どうせ著者が名前に込めたニュアンス的なものは翻訳で読む場合には伝わらないだろうし、問題ないんじゃないだろうか。

  • とりあえず、めちゃくちゃ面白かった。この小説はあらゆる側面があり、濃密な人間の心理や思想や哲学を描いています。人の欲望や善悪、生きていく意味、殺人とはなにか。読み進めていくうちにどんどん自分自身の心理に潜り込んでいき深く物事を考えることができた。
    犯罪小説としてもかなりお面白く、特に主人公ラスコーリニコフとポルフィーリィとの対決場面などはハラハラドキドキして夢中で読み進めた。さらに、罪を犯した人間の再生の物語でもある。
    ヒロインのソーニャとの愛の物語でもあり、ラストは本当に感動的だった。また改めて読み返したい作品。
    まさに名作でした。

  • なんで主人公最後リア充なってるん(・ω・)?

  • 海外文学初心者が読むものではなかったかもしれません。
    が、半ばやけになって読了しました。笑

    国も違えば時代も違う、そして各登場人物の呼び方がたくさんある、ということで、流れを理解するのに一苦労しました。

    楽しくてどんどん読み進めてしまうという感じではなく、「せっかくここまで読んだんだから、ここで辞めてしまったらもったいないぞ…」と思いながら無理矢理最後まで読んだ感じです。笑

    でも、こうなってしまったのもわたしの読書レベルがこの作品を読むレベルにまで達してなかったからかもしれません。
    他にもドストエフスキー作品で気になっているものはありますが、もっとわたしが成長したら読もうと思います。

  • うーん。。。
    この本が「名作」と呼ばれる理由を、
    私の中で見つけることができなかった。
    おそらくこの本の素晴らしさを理解するには、
    当時のロシアや世界の情勢や価値観など、
    ある程度の歴史認識が必要なんだろうと感じた。

    自分の考えと行動に自信を持ちつつ、
    同時に自己嫌悪を覚えつつ、
    そして自己弁護に努めようとする思考回路。

    結局彼は、何を実現するために、
    殺人を犯したのだろう?
    彼の「正義」を実現するため、と感じられれば、
    立場によって異なる「正義」があるので、
    共感できなくても理解しようと努力できるのだが・・・
    はっきり言って彼の「正義」が見えないままだった。
    (一応、彼の理論は理解できるんだけど、
     その理論と老婆殺しがどうもつながらない・・・)

    アイデンティティを模索するように、
    思春期に誰もがやるような自問自答を繰り返す。
    今ではその「独りよがり感」に苦笑してしまうが、
    私も、高校生くらいの時に読めば、
    感じるものはあったのかもしれないなぁ。

    まぁ、彼を主人公とすることで、
    「ただただ残念な薄っぺらい青年」
    を表現することが著者の目的なら、
    その目的は十分に達成しているとは感じた。

  • 難解ながらも先を気にさせる展開はさすがは不朽の名作。
    主人公は利口であるがゆえに独特の思想を持ち、殺人者となる。しかし、合理的な思想だけでは割り切れず、心が主人公を悩ませる。
    常に暗く、絶望的な展開が重なるが、物語の最後に救われる展開、また含みを持たせた終わり方は希望も残している。
    難解なだけに、読了後は色々と考えさせられる。

  • 人間は、相手を愛する事で、相手の意思を尊重し合う事が出来る。周りも神も信じず、孤独にふさぎ込むロージャが、信心深く人を愛そうとするターニャにだけ罪を告白した所が印象深い。

  • 当初、この物語は(もちろん犯人が「私」であるところの)一人称限定視点で書かれていたらしい。推理小説としての側面を持たせるために、形式を変えたのだろう。

    ペテルブルクの描写が細部までこだわり抜かれていて、100歩ほど行ったところで横へ抜ける、などと行った表現に、ラスコーリニコフを応援したくなる気を唆られる。

    ラスコーリニコフという名前には「分離派教徒の」という意味がある。作者が愛情をもってこのキャラクターを作ったのだろう。ソーネチカ(ソーフィヤの親称)にも「知」という意味が込められていて、ドストエフスキーの主張がソーネチカに込められているとして読むのも一興。

  • 2016.9.29
    人間の本性を忘れた理性だけの改革は人間に破滅をもたらす、というあとがきの最後の一文がこの小説の全体を物語っているような気がする。頭でっかちだった自分に、頭だけでは人間は人間として生きていけないということを教えてくれた作品である。人間の頭が追いつかないからか、、はたまた頭の論理と心の論理は違うのかどうかはわからないが、人間は頭に生きるにあらず心に生きるのであり、そして心は矛盾した存在である。因果関係もなく、論理的でなくても、感じるものは感じるし、その感じゆえに存在の確たる根拠たるものである。小説のエピローグで、ラスコーリニコフは理性的な自らの理論の問題点がわからず、しかしそれでいて良心の呵責に苦しめられている、頭では正しいと思いながらも心はずっと傷んでいる、その彼を救ったのはナーシャの愛であった。愛。この無根拠で、それがどこにあるのかもわからず、それが本当に存在しているのかもわからず、しかしゆえにその存在は尊く、人を救うことができるもの、これによって彼もまた救われたというのは、人間の理性の愛に対する敗北である。人間は理性的正義で幸せになるのではなく、良心的愛によってこそ幸福になるのではないだろうか。そして心の論理は、頭の論理とは違うものなのではないだろうか。現代は資本主義、ギブアンドテイクの時代であるが、この物事の捉え方もまた理性的であり論理的である、しかしこの論理もまた人間の心理には適応できないものなのではないだろうか。例えばお金は与えればなくなるものだが、知識は与えてもなくならず、むしろ人に語ることでより自分のものになるという側面もある。この時点ですでに、ギブアンドテイク的な論理は適応できない。こういう、心の論理とでも言えるものを、今後は考えていきたいと思う。また私にとってラスコーリニコフは、今から2年前の私そのものである。母と妹がいて、金がなく、自分の将来と家族の将来を案じ、また自尊心が高く、大義名分に隠れて自己の利益のために悪をなす、もちろんその規模は違えど、私はやはりものすごくこの主人公と自分を重ねて見てしまう。私にとっては思い出すことも辛いあの過去を、小説という形で、ラスコーリニコフという人物を通して、その過去と、その時の自分と向き合わせてくれるこの作品は、私にとってとても重要な作品である。

  • 単なる思想小説、風俗小説かと思っていたら、最後まで読み通すとこれはまぎれもない文学だった。ソーニャの人徳、母の偏愛、男の頭でっかちさ。

  • エピローグで、「三週間後に彼女(母)は死んだ。」というのが突然にあまりに淡々と書いてあるように感じて、苦しくて思わず本を置いて机に伏してしばらく動けなかった。ずっしり心にのっかってた。最後までこの感覚残るのかと思ったらまさかあんなにさっぱりな終わり方になるとは。無理やりでも晴れやかな気持ちにさせてくれて良かった。救われなさすぎたから。
    残りページが少なくなるにつれどう終わるんだろうと気になって仕方なかった。

  • むぐぐ、なるほどー。

    ラスコーリニコフの、大なる正義の前では小なる悪事は赦されるという論理は分かる。
    だって、人を殺しても良い道理、人を殺すしかなかったという道理なんて、探せばいくらでも見つかるのだろうから。
    (こういう辺り、「DEATH NOTE」のLとライトの掛け合いだなー。)

    けれど、老婆を殺害したことによって何も為し得なかった無力感。
    特権的人間ではないと、最初から気付くことの出来なかった無能さ。
    その中にいて、まだ、生にしがみ付く執着と、それを誇りと言ってのける傲慢さが、ラスコーリニコフを結末へと導いたに過ぎない。

    救いをもたらしたのは、ソーニャであり、ドゥーネチカといった女性達である。
    ラスコーリニコフが不在であった場合、彼女たちはその聖性を屈しただろうか?
    面白いテーマである。けれど、彼女たちは決して、自らの行いで何をか為そうとはしなかった人々である。

    カラマーゾフのアリョーシャもそうだが、最終的な救いは神を信じる信仰心によってもらたされるものなのだろうか。
    純粋にその存在を敬い、愛し、赦しを求め続ける心が救われる唯一つなのだろうか。
    そこにラスコーリニコフのような「神が何をしてくれた?」という疑問を挟み込む余地はないのか。
    私は、二つの小説を読んで尚、そこを最終地点とするドストエフスキーに付いて行けていないように思う。

    「頭脳と精神の強固なものが、彼らの上に立つ支配者となる!多くのことを実行する勇気のある者が、彼らの間では正しい人間なのだ。より多くのものを蔑視することのできる者が、彼らの立法者であり、誰よりも実行力のある者が、誰よりも正しいのだ!」

    「苦悩には思想があります。ミコライは正しいのです。いいえ、あなたは逃げませんよ、ロジオン・ロマーヌイチ」

    「八年すぎてもまだやっと三十二だから、まだ生活のやり直しができるといったところで、それが何の慰めになろう!何のために生きるのだ?何を目標におくのだ?何に突き進むのだ?存在するために、生きるのか?」

  • さらっと読み返し。
    上巻はなかなか読み進まなかったのだけど、下巻から楽しくなってきた。vsルージンのシーンが好き。
    ラスコーリニコフの頭でっかちな若者っぷりはやっぱり好きだ。

  • 「このものがたりはこれで終わった。」
    この文で読了したとき、ホッとした。“やっとおわった”と。
    文豪ドストエフスキーの代表作は、読まねばならないものとして長年積読してた。意を決して上巻をなんとか読み終え、下巻を読み始めるまでにまた時間を要した。
    頭がいいんだろうけど、勝手な理論で殺人し、大いに悩み、最終的には自首するラスコーリニコフ。こちらも悩みつづけながら読み続けた。正直、何を得られたのかはわからない。
    ただ、がんばって読んだ。

  • 中盤までは文章が冗長で、かつ難解な部分が多く、読み進めるのに疲れた。しかし下巻からはストーリーが展開し始めて読みごたえがあった。主人公の内面を描くことがストーリーの軸だが、主人公に関わってくる登場人物がそれぞれ個性的で、それぞれの生き方が違うところが深い物語を作っている。翻訳の仕方によって受ける感じが違うかもしれず、正直もっと読みやすい翻訳のものを読めばもっとよかったかもしれない。

  • ストーリーがどうというより、読むのが大変だった。人の名前が覚えられないのと、自分の語彙と訳がうまく合ってくれないので、言いたいことは結局何だ?となってしまうところもあった。
    ただ、ストーリーはなんとなく知っていたが、いざ読み終えるとこういう話なのかと感慨深い。ラスコーリニコフがソーニャに罪を告白するシーンと、警察から出てきてまた戻るシーンが好きだ。
    2016/2/18

  •  罪いを償い殺人者と娼婦はその後、幸せに暮らしたっていわれても撲殺された二人は報われるのか、わからん。結果よりも話の経緯を楽しめたかどうか、それもわからん。

  • どう読むべきか?何かヒントは無いか?
    インターネットで調べながら非常に遅いペースで読み進めていった。

    私にしてはこの作品を読み終わるまで、非常に長い時間を要した。
    1ページを読み終わっても、もう一度読み返してみたり。

    ポルフィーリィとラスコリーニコフの3度の論駁の場面は再読必至かなぁと思う。
    下巻を読んでいる傍から、上巻の最後の二人のやり取りをもう一度読まなくてはという気持ちになる。

    下巻は上巻に比べて、話が進んでいく為読み易い。
    カテゴリー的には純文学に属すると思うのだが、
    読み物として十分に楽しめる作品だった。

  • 前巻終盤から続く 圧巻のやり取りは カラマーゾフの兄弟の大審問官を思い出させます

    亀山郁夫さんの解説本を読んで、もっと深いところを知ろうと思う。こういう読書体験を続けたい

    白痴、悪霊、未成年、二重人格 を読んでから 罪と罰、カラマーゾフの兄弟を再読予定

  • 感想ひとことでまとめられないけどとりあえずラスコーリニコフ最高だった………………。
    彼の一部がスタヴローギンになったりアルカーシャになったりしたのかなと読みながら思ったりした………。

  • 2015.10.18不安と恐怖に駆られ、良心の呵責に耐えきれぬラスコーリニコフは、偶然知り合った娼婦ソーニャの自己犠牲に徹した生き方に打たれ、ついに自らを法の手にゆだねる。ーーロシヤ思想史にインテリゲンチャの出現が特筆された1860年代、急激な価値転換が行われる中での青年層の思想の昏迷を予言し、強烈な人間回復への願望を訴えたヒューマニズムの書として不滅の価値に輝く作品である。(裏表紙より引用)

    解説にある通り、これはいろんな要素を持つ作品であり、推理小説的な要素、社会風俗画的な要素、愛の小説的な要素、そして思想小説的な要素と、実に多くの顔を持つ。しかしその根っこはやはり、ラスコーリニコフの理論と実践、その結果だろう。凡人・非凡人論を掲げ、ルールに服従する保守的なバカな凡人の中で、少数の優秀な、ルールを破壊し新たにルールを作る、故にルールに縛られない、ナポレオン的非凡人がいる。そしてその革命のための罪なら、つまり百の善行のための一の悪行なら許される、という理論を実行し、しかし彼は良心の呵責に苛まれて続ける。彼は凡人だったのだ。これはただ単なる罪人の物語ではなく、若さ故にまだアイデンティティを固め切らず、理想と虚栄と自尊心が高くなっている、そういう若者にも通じる物語ではないか。そういう一つの、青春の危機とも言えるものを描いているのではないか。若い内は何かと、絶対的な、揺るぎないものを求めがちである。社会は、世界は、人間はいかにあるべきか、その答えが見つからないことに、異常なまでの苦しみを覚えることがある。しかしそんなもの、まだ世界を味わいつくしてもいない若者が、頭の中で考えたところで見つかるはずもない。なんとか組み立てた思想も、歪で、執着的で、何か狂ったものになりがちである。普通ならその違和感に気づくが、青年は気がつかない、一つは理論上は、論理的には間違っていないから、もうひとつはそれにしがみつくことが自分のアイデンティティの保障になるからである。自分というものが不安定で、自尊心が高い故に現在の自分を認められない、自信のないそんな若者が、頭でっかちに理論を組み上げた結果が、この物語ではないか。しかしそんな若者に必要だったのはまさに、空気だった。つまり、当たり前に息を吸い、吐いて、生活すること、頭の中の理論に囚われるのでなく、この感じている現実を現実として受け止め生きることである。理想の中に逃げるのでなく、現実を歩くことである。現在の自分を認めようとせず、頭の中に理想と理論を構築することは、アイデンティティの迷いでもあり、そして弱い自分からの逃避でもある。現実を無視したその実行は破滅へと向かうものである。しかしどこかで、その理論に支えられた自分が挫折し、理想の中で生きている自分が死に、現実を受け入れることができるようになり、これが俺なのだと自分をありのままに認めることができれば、そこからまた新たな一歩が始まるのではないか。ラスコーリニコフは、かつての私だった。故にこの作品でまた少し、過去に対する整理というか、なぜあんなことをしてしまったのかという事に対するひとつの解釈ができて、個人的には戒めというか、またひとつ自分を、人間を知れたなと思った。青年期の自我の不安定さからの逃避として組み上げた、人間の本性や自分の現実を棚上げしたひとつの理論の実行が生み出した罪悪と苦悩の物語のように思えた。再び解説にある通り、この作品は"人間の本性を忘れた理性だけによる改革が人間を破滅させることを説いた"ものである。自分を認められない頭でっかち君の、生活から離れた理性による破滅的末路がここにある。真実は、救いは、頭の中ではなく生活の中にある。理想を掲げた社会主義がうまくいかなかったように、人間には人間の本性がある、あるべきようになれない人間の本性がある。そこを無理に無... 続きを読む

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罪と罰〈下〉 (新潮文庫)の作品紹介

不安と恐怖に駆られ、良心の呵責に耐えきれぬラスコーリニコフは、偶然知り合った娼婦ソーニャの自己犠牲に徹した生き方に打たれ、ついに自らを法の手にゆだねる。-ロシヤ思想史にインテリゲンチャの出現が特筆された1860年代、急激な価値転換が行われる中での青年層の思想の昏迷を予言し、強烈な人間回復への願望を訴えたヒューマニズムの書として不滅の価値に輝く作品である。

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