女の一生 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (397ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102014011

感想・レビュー・書評

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  • 小学生のころ、私は活字中毒だった。

    とにかく、本であればなんでも読みたくて・・・母が借りてきていた、女の一生を読み、見つかって怒られた。

    小学生が読む本じゃないと。

    大学になってから、再度読んで思った。

    小学生が読む本じゃなかった。

    すでに2回読んでいるのだけれど、図書館で目に留まった。年をとってから読んだらまた違うのかな?と。

    で、3回目読むと・・・

    なんとおぼえていたのと結末が違っていたΣ( ̄□ ̄||)

    もっと救いのない、暗い話のイメージだったけれど、そうでもないなーという感想。

    恵まれた環境にいながら、自らどんどん不幸にしたいく女。

    自分で道を切り開くことをまったくしなかった女。

    ささやかな幸せを感じることができなかった女。

    世の中の不幸のほとんどはこうやってできているのかもしれない。

    そして・・・
    確かに、小学生の読む内容ではない。
    でも、小学生の時、この本のエロさにはまったく気づいてなかったなーーー

  • ボーッとしてたら搾取されて一生終わってしまう。

  • この著作を端的に表すなら、独身の人が周りの人からなんで結婚しないの?って聞かれてうざいなと思ったら「結婚したって『女の一生』みたいになるだけだから。」と答えてもいいくらいの、暗い作品。最後のオチだって、一応絶望エンドではないけれども、いい方向に向かうのかこれ…?と疑問に思わざるを得ないような終わり方だ。
    最初の段階で、両親(特に父親)に純粋純潔に育てられて修道院を出たお嬢様、という描写でもう悪い予感しか無いと思ったが事実そのとおりに。
    だが皮肉にも、主人公の状況がひたすら暗いほうに転がっていくに従って話の内容としては面白くなっていくと個人的には思う。この当時では女の人生なんて生まれた家と配偶者次第なんだろうけど、現代であればいくら容姿に恵まれてもちゃんと自分の頭で考えて行動しないと痛い目に遭う、というような結果になっているからか。

  • 何か問題に出会ったとき、泣いたり悲しんだり、頼ったりするのではなく、ちゃんと逃げずに問題に立ち向かわなければダメだ。そうじゃなきゃ、惨めな事態に陥っても、何も解決しっこないのだ。ジャンヌは、夢みがちで、感情の振り幅が広く、純粋な女性だ。母性愛を深く持っていて、美点はある。ジュリアンとくっついてしまって、あいつがどーしょもないのは不運としか言いようがない。でも、子供の育て方はどうにも良くない。スポイルしている。台無しにしてしまっている。一方、ロザリは、最低な主に手込めにされ、妊娠し、あげく追い出されたにも関わらず、人情深く、優しく、賢く、器がでかい。ジャンヌが、屋敷の家具を売ったお金3600フランを息子にそっくり送ろうとしたのを見破り、咎め、でも600フランは送ることを許す場面は、とても大きくて暖かい人間性がわかるような気がする。最後も、法的なあれこれを全て片付けて、孫を抱いて戻ってきてくれる。ロザリのような女性にはなれないけど、友達になりたい。最後の終わりかたは、少し暖かくて、赤ちゃんの温もりを感じれるところがいい。モーパッサンすごい。

  • 名著と言われてるものがこんな昼ドラみたいな話しでいいの?と思った。
    でもやっぱりただのドロドロした恋愛物語なわけじゃない。
    育つ環境も時代も違うけど、現実味があって、どんな女性にも共感できる部分があるのではないだろうか。
    夫にしても子供にしても、盲目にならずに冷静に考えるのが大切だな、と思った。

  • 最初のあたりは、主人公ジャーヌの少女的な表現の連発にちょっと読むのが大変でしたが、
    そこを越えるとわかりやすい描写でするすると読むことができました。

    全体の3/4くらいまでは、主人公ジャーヌに対して気の毒に思いながらも、
    「全てに対して受身だから、どんどん悲惨な状況になっていってしまっている。幸い資産家の娘なのだし、あまりにも最悪なジュリアンには見切りをつけて、次の幸せを探すべきでは?」と、行動を起こさないジャーヌに対しての怒りもありました。

    でもよく考えてみると、この時代、離婚などは有り得ないことで、
    そもそもそれを考えのひとつに入れられるようには教育されていなかったのだろうと気づき、深く考えさせられました。
    誰もが自分で考え、努力すれば道を切り開くことができる世界になれば良いと、心から思いました。

    結末に関して言えば、孫と一緒に生活できるようになり、本当に良かったです…。

  • 風景描写が素晴らしかった
    目の前にその光景が広がるようで、まるで見たことのある景色のように感じる。
    海がみたくなった。
    ジャンヌが夢見心地から現実を知る時が来た時はつらかった。
    結婚するような年までそういったことに全くの無知であることは、恐ろしい事だと思う。

    愛したひとからの裏切り、不信続きの人生だが、孫娘とロザリによってこの先は幸せに生きられるのか。
    叔母の最後の登場がいつか思い出せない。
    でも読み返してまでいつだったかを確認する気もおきない。 いつの間にか一読者である自分さえも叔母を軽んじている不思議

  • 短編を読んで好きになったモーパッサンの長編を初めて読んだ。中には自ら招いたものもあるようだが、次から次へと悲観的な出来事がジャンヌに降りかかる。しかし、この嫌なものの残らない読後感は一体どうしたことだろう。

    ロザリの台詞として書かれた最後の一文が救いなのだという考えもあるのかもしれない。だが、既に歳を重ね、体力も落ちているジャンヌがどうして育てきれるのか。戻ってきたポールが簡単に改心するとも思えない。そして、そのわずかな望みも、ポールが約束通り戻ってくればの話ではないか。どこにそのような保証があるのか。

    時に登場人物の台詞として書かれる言葉にドキリとさせられる。

    「自分たち二人は、けっして魂までは、心の奥底まではたがいにはいりこめないということ、二人は肩を並べて歩いていて、ときにはからみあうおりはあっても、けっして融けあう仲ではないということ、われわれ人間各自の精神的存在は、永久に一生孤独であるということに、彼女ははじめて気がついた。」(p.116)

    「年とってから、若いときの思い出にまた鼻を突っこむほど、恐ろしいことはないからね」(p.265)

    しかし、極めつけはこのジャンヌからロザリに対するこの台詞だろう。

    「だってしょうがないじゃないか、お前。人はそういつもいつも自分の思うようにはできないものだよ。」(p.377)。

    ああしようと思っても実現できないこともあれば、なぜあの時、こうしようと思い至らなかったのかという後悔もある。

    思えば、ロザリが最後に述べた最後の一文は、このジャンヌの台詞への答えとなり得るのかもしれない。

    しかし、最も心に刻まれたのは次の箇所だ。

    「それからまた、自分のまわりのいたるところで、何かしらがすこし変ってきたように思われた。太陽は自分の少女のころより、すこし熱が冷めてきたのにちがいない、空もすこし青みが失せてきた、草もすこし緑が薄らいできたらしい、と思われた。そして、花も、色あせ、匂いも薄れて、もはや昔のようには酔わせなかった。」(p.433)

    何と美しく、何と的確に、時を重ねることについて述べるのか。本作の要約であるようにすら思える。

    美しさという点では、モーパッサンの描く土地の自然についての描写は見事であり、作品の重要な一部を占めているように思う。

    だれかの不幸を冷笑的に描いた作品などでは決してなく、人生と対峙し、命を削って書き上げられた名作。

  • 順風満帆な貴族の娘のジャンヌ。彼女の幸せな少女時代とそこから転落していく人生がひたすら悲惨だった。だからこそ、物語を締めくくる最後のセリフは悲しみを乗り越えていくジャンヌと読者の胸に希望を灯す美しいものだった。

  • 学校卒業からの、夢の人生の始まり、自分の人生の始まり、と思いきや、あっけなく出会い結婚、人生に翻弄される貴族女性の話。

    原初のタイトルは Une vieということ。
    本当にいろいろ起きて、場面によって喜劇であり悲劇。

    主人公の女性の周りにもさまざまな登場人物がいて、その女性はそのうちの一つの生き方、そのような一つの人生についての視点として読めるのかなと思う。
    多分楽しんでいるときもあるけど、割と一貫して悲劇が印象的。女性を翻弄する人間関係とは対照的に、自然や情景の描写は、読者にも少し安らぎを与える。

    解釈によって人生は悲劇になり喜劇になり、重要なのはその人自身の解釈なのではないかと。

  • これ結構あるあるだったのかな…とおもうとガーンとなるが、
    まあこのくらいてんこ盛りじゃなくても、要素要素はいまでも見聞きするか…

    結婚した女の一生に起こる最悪のあるある詰め放題パック300ページどん!!!!

    逆にこれの反対をいけばめちゃくちゃ幸せになれそうとさえ思える

  •  今となっては個々人が独立して自由に生きている印象が強いフランスにも、女性が自分の意志では何も決められない時代があったんだなあと、最初から最後までなかなかの衝撃を受けながら読んだ。一回では物足りなかったので読み終わってすぐ二周目に突入。さすがフランス人、事あるごとに接吻するなあと思って「接吻」というワードを最初から全部数えてみたら77回だった。言うほど多くなかったジャンヌ。
     思春期のほとんどを学校にも行かず家と修道院で過ごし、修道院を出た直後にほとんど何も知らない相手と結婚。最初感じた熱烈な恋に落ちたような感覚は所詮幻想で、度重なる夫の不貞で結婚生活は早々に破綻。一人息子は家族総出で甘やかしすぎたせいで立派なろくでなしに成長。男性や年長者や司祭に言われる「こうすべき」に忠実に従ってきたジャンヌは、大人になっても、自分が何をしたいのか、自分にとっての幸せとはなんであるかがわからない。考える能力もない。唯一自分を必要としてくれた幼い我が子に執着の照準を合わせて付き纏い、その子が成長と共に離れていくと、加速する老いの中でただただ孤独と絶望を深めていく。天真爛漫で快活だった少女がそうして落ちぶれていく過程は、読んでいて辛いけれど、なんら想像に難くはない。母親が隠し遺していた古い手紙を読んだ彼女が家族の過去を知って震撼するシーンがあるけれど、当時は彼女のみならず周囲の女性たちもみな同じような状況だったから、それ以外の生き方があるという可能性に思い至ることすらなかっただろう。
     物語の終盤はジャンヌの情緒不安定さがなかなかのホラーだった。自然の美しさに歓喜したと思えば分かち合う相手がいないと打ちひしがれ、かつての友と昔を懐かしんでいたと思えば過ぎ去った日々への寂しさと悲しさで咽び泣きながら深夜に家中を彷徨い歩く。わたしはこうならないように生きたいなあと読みながらずっと思っていた。
     

  • 3.5/896
    『修道院で教育を受けた清純な貴族の娘ジャンヌは、幸福と希望に胸を踊らせて結婚生活に入る。しかし彼女の一生は、夫の獣性に踏みにじられ、裏切られ、さらに最愛の息子にまで裏切られる悲惨な苦闘の道のりであった。希望と絶望が交錯し、夢が一つずつ破れてゆく女の一生を描き、暗い孤独感と悲観主義の人生観がにじみ出ているフランス・リアリズム文学の傑作である。』(「新潮社」サイトより▽)
    https://www.shinchosha.co.jp/book/201401/

    原書名:『Une vie』
    著者:ギ・ド・モーパッサン (Guy de Maupassant)
    訳者:新庄 嘉章
    出版社 ‏: ‎新潮社
    文庫 ‏: ‎397ページ

    メモ:
    松岡正剛の千夜千冊 558夜

  • 主人公ジャンヌが次々とフラグを踏んでいく様子に昼ドラ的展開を感じた…。文学作品として有名だけどテーマが大衆的なので比較的読みやすいかも。

  • やっとジュリアンいなくなったと思ったら、、ポール、お前もか〜〜〜い。 世間知らずコワイ。

  • 思っていたよりは読みやすかった。
    良妻賢母がよしとされる時代の女性の人生について、非常にリアルに感じることができた。
    「夫に恵まれなかった」という考え方はイスラムの物語でも見かけたことがあるけれど、そんなことを理由に自分の人生を振り回されたくないよね。
    フェミニズムの議論の題材にも使えそう。
    読んでそのまま、ではなく誰かと議論したくなる作品。

  • 思いっきり暗い。人間の欲と利己性の波にさらわれてどん底まで突き落とされる女の一生。大好き。

  • (01)
    ある女性の半生が14章に分けて描かれる。同時にレ・プープルと呼ばれるノルマンディー地方の家の物語(*02)でもあり、一人娘の彼女のために男爵が用意した屋敷がその半生を包み込み、放り出す。
    母、父、夫、子や叔母(*03)といった親族のほかにも、使用人や夫の愛人、友人、司祭、犬や馬といった人物や動物も登場するが、それほど多くはない。視点はいつも女主人公ジャンヌのまわりにあるが、いっとき、彼女のまわりを離れることがある。近隣に住むフールヴィル伯爵は、ジャンヌの夫ジュリヤンと自分の妻が不貞を働いている現場をのぞき、怒りに任せた蛮勇を奮う場面である。第10章のこの場面までの時の流れはややゆったりとしているが、ここから最終章までの4章で一気に20年以上が進んでいく。
    人生は、ほぼ全ての人間が経験しているように、一様に進むわけではない。急速に進むとともに普通は単調な時が過ごされていく。その単調さは、愚鈍な感性や惰性とともにあり、人は滅多な事では驚かなくなる。ジャンヌの愚かな魯鈍もこの終盤の4章に顕著に現れ、人生は皮肉にも停滞し、時は急速に進んでいく。

    (02)
    もちろん家だけではない。家の周囲にはポプラ並木、漁村、海があり、ジャンヌたちによって散歩された風景があり、貴族ではない漁民や農民がそこにはいて、風景と化している。
    ジャンヌには、この家と風景を出なければならない事態が終盤に発生する。そして、わずかな時間だけその家に戻ることが許される。その時、家の諸々の家具や傷が記憶とともに蘇る。家や風景に流れる時間は、その保存状態さえよければ、遅くとどまり、人間のように変化せずに残される。この時間差にジャンヌは襲われるわけであるが、序盤にこの家と風景が輝いてみえたのは、ジャンヌの前途の栄光を幸福を暗示していたわけではない。家や風景は、人間が惨めであっても輝いている。特に風景には、特有の時間があり、近代的な一個の人生のような雑多な記憶に左右されず、使用人や漁民や農民によっても共有され、育まれ、あまり変わらずにいつもそこにある。リアリズムや自然主義が、人生と対位的に風景を用いるのはそのためでもあり、ロマンスが宿るのもそのためである。

    (03)
    使用人ロザリも爽快な存在であり、この小説にいつも風穴を開けてくれるが、このリゾン叔母の奥ゆかしさと存在感の薄さは何を表現しているのであろうか。
    彼女は、今にも家や風景に溶け込んでしまいそうな透明感があり、存在しているようでしていない。幽霊的でもあり、その処女性は、村や貴族の淫女性へ対抗する地点に据えられている。かといって、ロマンの女性でもあったジャンヌに目指される地点になることもない。
    後任の司祭のエキセントリックな振る舞いや呪詛や復讐と潔癖もこの風景にあって異様であるが、リゾン叔母はそこまで活性しておらず、ほぼ死にながら生きているという状態にある。彼女もいずれこの場景からすっと退場してしまうが、その存在や時間の薄さは明滅的でもあり、超近代的あるいは古代的でもある。本作にかすかに現れている彼女の人生にも注視したい。

  • 修道院で学んだ、清純な貴族の娘ジャンヌ。幸せな結婚生活が待ち受けているはずだった……。夫、息子、そして母にも裏切られ、夢が一つずつ敗れていった先にあるものとは。

  • 高校生の時に読んで、ここまで悲惨な人生ってある。。?て絶望的な気持ちになったのを覚えてる。てか主人公世間知らずすぎてだな。。あそこまで子どもに依存しちゃダメ。。夫も子どもも酷いんだけどさ。。でもさ、こういう人って現代にもいっぱいいるんだよなあ。モーパッサンの書く宗教性とか、私には理解しきれないところもあるんだけど、複雑で暗い人間味の部分の表現が、今も共感しやすいんだよね。フランス語でも読んだ最初の小説。

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著者プロフィール

フランス人。1850〜93年。母の友人フローベールにすすめられ文筆に転向。最初の成功作『脂肪の塊』(1880)で一躍新聞小説の寵児となる。短編約三○○、長編数作を書く。長編に『女の一生』(1883)『ベラミ』(1885)。短編小説『幻覚』や『恐怖』は戦慄させるほどの正確さで狂気や恐怖を描写し、この狂気の兆候が1892年発病となり、精神病院でなくなる。

「2004年 『モーパッサン残酷短編集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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