音と言葉 (新潮文庫)

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制作 : 芳賀 檀 
  • 新潮社 (1981年3月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102024010

音と言葉 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • まず本書はクラシック音楽の伝統のなかで書かれたものであることに注意せねばならない。そこには、ドイツ的なもの、バッハやベートーヴェン、ワグナー、ブラームスの音楽があるのである。本著は、そのなかでも一流に属する思索であろう。

  • クラシック音楽を聴く者であればその名を知らぬ人はいないであろうフルトヴェングラー。

    言葉の一つひとつに重みがあった。

  • クラシックとどうしても折り合いがつかん当方では歯など全く立たない本。クラシック愛好家の皆さんがどう読むのか?それを聞かせてもらいたい。よって★評価はいい加減の極みにあるやも。
    唯一の手応えは、指揮者は音楽を通して作曲家と、更には社会と、人間と向き合うんだという命題に真摯に取り組む人達なんだということが垣間見えたことかな。

  • さっぱりわからん。。

  • 資料番号:010645612
    請求記号:760.4フ

  • 非常に難解。

  • 「全体の中に、魔神的なものが存在している」というゲーテの言葉を引いているフルトヴェングラーには、音楽というものの「全体」、音楽における「魔神的なもの」に対する感受性がある。彼の指揮者としての偉大さは、この感受性に発するものなのであろう。

    規則的な楽節法をもたない音楽を批判しているところにも、「全体」ないし「魔神的なもの」に対する、近代的な感性を超えたものを感じる。ルドルフ・オットーが『聖なるもの』の中で、「標題音楽」は「音楽の合理主義である」と言っているが、オットーも同じ感性を共有している。

    フルトヴェングラーによれば、しっかりと楽節づけられた音楽によって立ち上がる知性とは、

    (以下引用)「あらゆる生物の生理的な基底的な要求に対応するものであり、それゆえに前代の音楽の楽節法はひとりただ感銘を明確にするに役立つだけでなく、言わば、またそれは、ただ『知的』な契機であるだけではありません。もっと原本的なあらゆる生物の根底的な要望に応ずるものです。不合理な旋律を持った非楽節的な音楽のほうが、きびしい楽節法をほどこした楽曲よりも、より以前の、より原始的な音楽的思念と感覚の状況に対応する、という今日の直観は、まともに正当を主張することはできません。」(引用おわり、73-74頁)

    ブルックナーについての章では、近代を、複雑怪奇なものが「コンヴェンション」となった時代と呼び(205-206頁)、そして現代を、歴史的思考が「生命の直接さ、その純真さ」を見失わせている時代と示唆する。また、現代の歴史的思考は、私たちを「人生の傍観者」にする、と(208-209頁)。

    ここに、「普遍妥当性とは何か」という問題が浮かんでくる。複雑怪奇なものを「合理性」をもって説明するのが普遍妥当性ということなのか。そうだ、とするのは「科学」の考え方だ。あるいは、「歴史」の中に対象を正確に位置づけ評価することで、普遍妥当性が得られるのであるか。これは単に「客観的である」ということにすぎない。科学的思考も客観的思考も、フルトヴェングラーの言う「全体」をとらえることはないだろう。

    またあるいは、「個性」を乗り越えることが普遍妥当性なのか。フルトヴェングラーは、それだけでは十分ではない、と言う。

    (以下引用)「なぜなら、そのような努力は主としてただ精神の中に遂行されているのであって、芸術の真の源泉である生命の圏には手をふれえないでいるからです。真の『普遍妥当性』はしかしながら、全人間を相手に対決するものです。一面的=精神的努力のもたらす必然の帰結は、生命の圏が十分に芸術家の対話的意志に参与することができないのです。したがって芸術の源泉であり、始源であるものが切断せられてしまいます。」(引用おわり、212頁)

    以上のことは簡単に言えば、合理的・客観的・観念的思考によっては、「真の普遍妥当性」には至ることができないということだ。それは、非合理的で主観的で実体的なものとの対話にしか見いだせない。フルトヴェングラーの表現で言えば、「上と下との間になんの合一しがたい対立もなく、国民的=卑俗なものの中に、神のような自然の高貴な恵みが盛られているところ、至高または崇高なものの中に、芸術家が愛する大地の母胎を、足下に失わないでいるところ」(212-213頁)にのみ、それはある。

    作曲家にとっての作品と、それを再現する演奏家にとっての作品とのギャップについての話(「作品解釈の問題」の章)も面白い。

  •  すべて偉大なものは単純である。科学の時代にあって偉大なものが単純であることは可能か。科学は支配しようとする。芸術をも支配しようとする。陶酔は封印され感動に対する畏敬の念は消滅した。音楽は様式にふさわしく楽譜に忠実になった。単純とは芸術家のための箴言である。生命を探究し生きることを欲しすべてを見通し、突如として一挙に全体をつかむべし。

  • 「ベートーヴェンと私たち」 読了。合一すること、透徹。単純。ニーチェ/悲劇の誕生 も参照する。7/1,2011

  • 918夜

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