僕の名はアラム (新潮文庫)

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制作 : William Saroyan  柴田 元幸 
  • 新潮社 (2016年3月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102031063

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僕の名はアラム (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 楽しく読んだ。
    ユーモアがあり、力強さがあり、優しさがある。元気になります。
    原文をきちんと読めるわけでは無いが、この作品は訳によって印象は随分変わるんだろうな。サローヤン+柴田元幸が最高に良いということだと思います。

  • サローヤンは久しぶりだ。本書はたぶん初めて読む。
    以前サローヤンを読んだときは、彼がアルメニア系移民だったことなどまったく理解していなかった。今となってはアルメニア(なにしろ行った)移民であることのバックグラウンドも理解できる。
    後書きにある「おじさん」ものという指摘は面白い。両親ほど近くない、他人より近い。日本で言う「寅さん」みたいなふらふらしたおじさんたち。

  • なぜこんなにも子どもの気持ちがわかるのだろう。
    みずみずしく、愛おしい。

  • ダメさを認めろ、という気分になれる話

  • 村上柴田翻訳堂をようやく読み始める。
    第一弾として新訳された作品。作者のことは全く知らなかったけれど、少年アラムの、個性豊かな親戚たちとのショートストーリー集。
    派手な何かが起きたりとか、奇想天外な結末とかそういうのは一切なく、少し変わった人々の生活が描かれるのだけれど、その手つきがとても優しくて読んでいて心が和んだ。良い作品集だと思う。訳者あとがきによれば、作者はそれとは真逆な人生だったようだけれど、だからこそこれが書けたのだというのは説得力があった。

  • 訳者あとがきが分かりやすくてすごくスッキリした。
    「おじさん文学」とでもいうか、
    世の中と致命的にずれている周囲にとっては迷惑なユルいおじさんだけど
    子供にとってはそういう人といる方が楽しそうだ、
    というのがなんとも納得。

    「オジブウェー族、機関車38号」
    は若い男だけど、すごいかっこいい。

  • アメリカの田舎町に住むアルメニア移民の少年、アラムの目を通した日常を綴った短編集。
    どれも味わいと言うか読後感と言うか雰囲気が微妙に異なっているものの、全編を通してほんわかとした空気が流れています。
    読みつつ微笑みを禁じ得ないような本でした。

  • 半分以上は読んだんだけど、段々おなかいっぱいになってきた。

  • 神のつくりたもうた世界
    そこは相対的なものに満ち満ちている
    善だの悪だの、右だの左だの、白だの黒だの・・・
    あなたはそのどちらをも信じよ
    両方ためしもしないでひとりガッテンするな
    周りの意見に流されるな
    行けばすべてがわかる
    行かなければなにもわからない
    本だけ読んでも世界のことなどなにもわかりゃしないのだ
    そんな思想
    そんな古きよきアメリカを伝える物語
    大量生産・大量消費で危ういバランスを取り続けるこの狂った現代じゃ
    とうてい受け入れられないノスタルジー
    だからこそ、その正しさはほとんど絶対的と言ってよい

  • 自分にとって郷愁の固まりの小説である。中高の英語の副読本の一つにサローヤンがあり、しみじみと良き小説として心に残っていた。そして本書は、「村上柴田翻訳堂」のシリーズ第1作であるが、自分は、大学時代、当時まだ無名だった柴田元幸の授業を受けていたからである。

    そして○十年ぶりに改めて読んでみて・・。アルメニア系アメリカ人の少年の心情をみずみずしく描いた連作短編と記憶していたのだけど、実は、風変わりで頑固で偏屈だけど、人生の真実を知っていた大人たちのナイーブなみずみずしさ、哀しさを描いていた小説だったと感じた。

    印象に残った一説(「僕のいとこ、雄弁家ディクラン」)。演説大会で蕩々と世界を論じ拍手喝采を浴びた11歳の少年に語りかける67歳の老人。

    「(おまえの演説の)そういう壮大な、美しい発言は、11歳の子供の口からのみ出てくるに値する。自分が言っていることを本気で信じているものの口からのみ出てくるに値する。・・本から世界を探求する営みを続けるがいい、おまえが努力を怠らず目も持ちこたえるなら、67歳になることにはきっと、その言葉の恐ろしい愚かさがわるはずだ。今夜おまえ自身によってこの上なく無邪気に、かくも純粋なソプラノの調べにのって口にされた言葉の愚かしさが。ある意味でわたしは、この一族の誰よりんもおまえのことを誇りに思う。みんな下がってよろしい。わしは眠りたい。わしは11歳じゃない。67歳なのだ」

  • サローヤンはずいぶん前に「パパ・ユーアクレイジー」を読んだ。
    今回、序文で大分雰囲気が違うと戸惑ったのだけど、本文に入ると同じ印象だった。
    風変わりで温かい。
    今作は奇妙な一族とその周辺の話で、どのキャラクターも悲劇的で喜劇的。
    愛さずにはいられない。
    「三人の泳ぎ手」が最も胸に沁みた。

  • 10年、あるいはそれ以上前でさえ、細々としか読まれていなかったサローヤンがこうしてまた話題になっている、それだけでたまらなく嬉しい。

  • 登場人物たちは皆力強く、ルールから微妙にはみ出しマイペースに生きている。人間を肯定すること。一般的な正当からはずれた人への共感。
    短いセリフから人物の性格を表現するのが上手い。
    長老派協会聖歌隊の歌い手達 の ミス・バライファル など。

  • 叔父さんのほのぼのとしたキャラクターが何ともいえない味わいを醸し出していると思う。とくに、世界大戦の意義に関する演説を聞いたあとの反応が絶妙で面白いと思った。
    著者の実体験というよりも創作だと思われるが、妙に現実感あふれる雰囲気がよいと思う。

  • 村上春樹と柴田元幸が自身が親しんだアメリカ文学の名作を文庫として復刻させる村上柴田翻訳堂シリーズの第一弾。第一弾は両氏それぞれの翻訳であり、柴田元幸が担当したのが、このサローヤンの「僕の名はアラム」となる。

    サローヤンに影響を受けた小島信夫は端的に「小説は悪人を描いてきたが、サローヤンは善人しか描かなかった」との批評を述べている。この批評に端的に表れているように、主人公のアラム少年の目を通じて描かれる大人は全員がチャーミングでどこか童心を捨て去りきれていない人間ばかり。善人がかもしだす不思議なユーモアを楽しめる一冊。

  • 柴田元幸訳。すらすら読める。内容もわかりやすい。アラムという少年が主人公でアラムの視点から物語が進む。
    アラムの親族のおじいさん、おじさんが面白い。世の中をちょっとはみだした人達ってのは面白いし、子どもの頃は特にそれを感じると思う。
    最後の「あざわらう者たちに一言」はこの小説の総括みたいなものかなと思う。また読み返して考えたい…

  • 『僕の名はアラム』には、とにかくヘンテコだがユーモアのあるおじさんがたくさん登場する。おじさんだけに限らず、まわりの大人たちもどこかおかしみをたたえている。『僕の名はアラム』に登場する人々は、ちょっと変わっていて時に困った人だけど、根っからの悪人ではない。アラムは悪人のいない、あるいは悪の存在しない世界を眺めている。

    しかし、訳者あとがきにあるように、サローヤン自身は本作で描かれているような牧歌的な少年時代を送ったわけではない。父親が死んで孤児院に入れられたこともあるという。だからこそ、自分が送りたかった理想的な少年時代を小説作品として描いたという側面もあるのだろう。

    そんなサローヤンのあまり幸福ではないバックグラウンドを思うとき、『僕の名はアラム』に描かれた世界を眺めると、切なささえも感じる。手に入らなかったものを切実に追い求めたサローヤンの姿が浮かび上がるからだ。

    いずれにせよ、サローヤン自身のバックグラウンドを知っていても知らなくても、わたしたちは『僕の名はアラム』を、忘れてしまった子どもの頃の眼を思い出しながら読むことになる。そして同時に、わたしたちから失われてしまったもの、サローヤンのように欲しくても手に入らなかったものを思い出しながら。

    先に述べたように、そこには根っからの悪人のいない牧歌的な世界が描かれている。そしてわたしたちは何度も「いいなあ」と思いながら、その世界を堪能するのだ。切なさをどこか感じながら。

  • 柴田さんの邦訳が軽妙で読みやすい。
    アルメニア人であるアラムやおじさんの目には、せかいが全然違うふうに映っているのかもしれない。そして彼らが社会のルールというか権威的なもの、あるいは英語、にさらされたときの何とも言えない違和感というか生きづらさみたいなものが、ユーモラスでもあり少し哀しくもある。

  •  まずは、「村上柴田翻訳堂」という試みに感謝したい。昨今は本に限らず多くのアート、エンターテイメントへの興味が国内のもの、そして新作ばかりに向けられているという現状にうんざりしている私のような人間からすらば、このような試みは喜び以外なにものでもない。これをきっかけに古今東西の小説が(再)発掘され、文学の歴史がいままでそうであったように異種混交の末に素晴らしい日本の作品や海外の作品が産まれることを切に望んでいる。

     本作は断章形式。それぞれの話は主人公の記憶の断片のようでもあり、本のタイトルから察せられる根深い人間(≠作者)の出自も浮き彫りにする。しかし文体は軽妙でユーモアに満ちたもので、気軽に読むことも出来る。キャラクターは自分の考えと世界のルールの間で齟齬をきたす人ばかり。幼さ/成熟と異邦人/主役を兼ね備えた人間の在り方を優しく捉えた作品なのかもと思っている。断章といえば私にとってはリチャード・ブローディガン、ロラン・バルトだったのだが本作もお気に入りになった。

  • うそう、後にカート・ヴォネガットあたりが連なる「おじさん的」位置だよね。日本だと伊丹十三とかね。

    そしてこの 可笑し/かなしい 感じが魅力なんじゃなかろうかね。

  • 柴田元幸 訳。村上春樹と柴田元幸がセレクトする海外名作小説の村上柴田翻訳堂。アルメニア移民の子=サローヤンの少年期の故郷の町を舞台にした短編小説集。ユーモアの奥に潜む悲しみが移民ならではの感覚がする。

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僕の名はアラム (新潮文庫)の作品紹介

僕の名はアラム、九歳。世界は想像しうるあらゆるたぐいの壮麗さに満ちていた――。アルメニア移民の子として生まれたサローヤンが、故郷の小さな町を舞台に描いた代表作を新訳。貧しくもあたたかな大家族に囲まれ、何もかもが冒険だったあの頃。いとこがどこかからか連れてきた馬。穀潰しのおじさんとの遠出。町にやってきたサーカス……。素朴なユーモアで彩られた愛すべき世界。

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