- Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102031063
作品紹介・あらすじ
僕の名はアラム、九歳。世界は想像しうるあらゆるたぐいの壮麗さに満ちていた――。アルメニア移民の子として生まれたサローヤンが、故郷の小さな町を舞台に描いた代表作を新訳。貧しくもあたたかな大家族に囲まれ、何もかもが冒険だったあの頃。いとこがどこかからか連れてきた馬。穀潰しのおじさんとの遠出。町にやってきたサーカス……。素朴なユーモアで彩られた愛すべき世界。
感想・レビュー・書評
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小島信夫?訳の人間喜劇を読んで、とても感動したので、サローヤン2冊め。
少年アラムの目から見たユルい親戚のおじさんたちの話。仕事せずに一日中チターを弾いて歌ってるおじさんと、超お金持ちのインディアンが良かったです。憧れます(笑)短編集ですが、全てが良かったわけではなく、どう受け取ったら良いか分からないものもあったので星は少なめです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この時代に生きたわけでもないし、外国に移民したこともないが、それでも懐かしく切なく胸に迫った。
これ、若い時に読んでたら、面白いとは思っただろうけど、ここまでグッときたかどうか。こういう老人やおじさん、悪ガキが、どんどんいなくなっていっている。そういう人がいた時代には結構うっとうしかったりうんざりしたりしたものだけど、いなくなると何とはなしに寂しいものだ。
日本であれば戦争を経験した人の言葉はやはり重みがあったが、雄弁な孫に対して祖父が言った言葉は実際戦争を経験したからこそ言えるわけで、今のジジババなら、孫が弁論大会の代表に選ばれて過去の戦争には意義があったとする演説をしたなら、誇らしくて大喜びするだろう。
馬を盗んだ子どもに対する大人の取った態度や、本当に耐えがたい悲しみを言葉を超えて共有できる人たちのことは忘れずにいたい。
もちろん切ないだけではなく、笑わずにはいられないユーモアもある。社会悪を告発するような作家ではないが、こんな風にノスタルジーを、愛しさを、ユーモアを描ける作家がどれだけいるだろうかと思う。
挿絵がドン・フリーマン(『コールテンくん』!)なのもとてもいい。当時の様子が本当によくわかる。挿絵がもっと大きくても良かったのにと思う。
こんないい本がこんなにいい訳で安く買えるなんて最高。たくさん買って「いい本だよ」とみんなに配って歩きたい。子どもが読んだら、ユーモアの方を大きく感じるだろう。歳を経るにつれ感じ方が変わるけど、いつ読んでも面白い本だと思う。 -
9歳のアラムはアメリカ生まれのアルメニア人。
少年の物語は、叔父さん/伯父さんとの不思議で可笑しな日常や、素朴な冒険などの話に満ちている。貧しいながらも大家族のあたたかさ…。辛い話しの多い世の中、こんなにも和む小説は稀有だな、、と思った。
最後の"あざ笑う者たちに一言"は、物語の始めに放物状に投げられたボールが、掌にストン落ちてきた、そんな感じがして唸ってしまった。
アルメニア移民は、トルコからの虐殺や弾圧からアメリカへ逃げてきた過去を持つ。少年アラムの親や叔父叔母は暗い過去を引きずっている筈だ。だからこそ、アラムのあたたかくも楽しい物語の貴重さを感じる。 -
楽しく読んだ。
ユーモアがあり、力強さがあり、優しさがある。元気になります。
原文をきちんと読めるわけでは無いが、この作品は訳によって印象は随分変わるんだろうな。サローヤン+柴田元幸が最高に良いということだと思います。 -
サローヤンは久しぶりだ。本書はたぶん初めて読む。
以前サローヤンを読んだときは、彼がアルメニア系移民だったことなどまったく理解していなかった。今となってはアルメニア(なにしろ行った)移民であることのバックグラウンドも理解できる。
後書きにある「おじさん」ものという指摘は面白い。両親ほど近くない、他人より近い。日本で言う「寅さん」みたいなふらふらしたおじさんたち。 -
どこか抑圧されて、それが当たり前になっている大人達。時に諦めにも似た格言がみられることもありますが、どこか不器用。でも、みんな生きることを誇りにしている。そこがなんとも心に響きます。
そんな大人達と、これから生きて成長していく少年達を見守るように、その風景を中心に語られます。
まるで緑の草原を、ざわざわと揺れながら流れていく風のようだと言えば良いのかな。
見ていていろんな揺れがあるのに、どれもが無駄じゃない。
これは、かつて子供だった大人のための本ですね。
読んで良かった。
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アルメニア移民の親戚一同と共にカリフォルニア州フレズノで暮らす少年アラム・ガログラニアンが、たくさんの愉快な“おじさん”たちをはじめとする大人たちに囲まれながら育ち、やがて町を出ていくまでを描いた連作短篇集。
久しぶりにアメリカの小説を読んだなー!という感じ。サローヤンは大昔に教科書で「ペーソスの作家」と言われていた記憶がぼんやりあるくらいだが、この作品は『トム・ソーヤの冒険』や『たんぽぽのお酒』のような、「人生の〈夏休み〉だった少年期」を描いた小説の系譜に入ると思う。
と考えれば、アラムが作者と同じ経歴を持ちながらも、ここに描き出された共同体のあり方がサローヤンの伝記的事実と異なるのは当たり前だ。読んでいるあいだじゅう、「子どもの頃に出会いたかった大人像しか出てこない」と思った(デリンジャー先生とミス・バライファルを除く)。家にいても出稼ぎに出ても働かないで一日中チターを弾いている、とても美しい歌声のジョルギおじさん。不毛の地にザクロを植え、一緒に一攫千金の夢を見たメリクおじさん。高級自動車を買い与えてくれ、どこでも好きな場所まで走らせてくれるオブジウェー族の青年。一際印象的なのは、「三人の泳ぎ手」に登場するよろず屋の店主ダーカス氏だ。子どもを庇護すべき対象と看做しながら、同時に人として対等に敬する〈知性〉にアラムは出会う。
だからと言って、このフレズノの町が子どもに甘いだけの理想郷として書かれているわけではない。長老派教会の人びとはこの町の外側に広がる世界でアルメニア人がどう見られているかを感じさせるし、オブジウェー族の青年がアラムを気に入ったのは彼とまともに口をきく人間が他にいなかったからだ。「哀れな、燃えるアラブ人」のホスローヴおじさんとアラブ人ハリルとの寡黙な友情関係には、故国を去るしか生き延びる手段を残されなかった人びとの悲痛な思いが溢れている。それと同時に、移民第一世代からは「アメリカ人」と看做され、他の人びとからは「アルメニア移民」と呼ばれるアラム世代の哀しみも滲む。
訳者解説によればサローヤンは小説家になりたくてなった人のようで、少し意外だった。書いたものを読んでいると「文章を書いたら自然と小説になってしまう」タイプに思えるから。そう思われるように書くのが矜持だったんだろうか。だからこんな理想の少年期を、誰もにありえたかもしれない物語として、つかの間信じさせることができたのかもしれない。 -
よのなかと致命的にズレている
でも自由で魅力な伯父さん叔母さん
ザクロ園のメリク伯父さんが最高だ
そしてアラムが憎めない素晴らしい主人公なのだ -
はじめて、ちゃんとアメリカ文学を読んだ。やんちゃな子どもと、おじさんのやりとりに今はないノスタルジーな時代の良さを感じる温かい作品だった。
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学生の頃ゼミで読んだ。
アルメニア移民のコミュニティに生まれ育った少年アラムと、
彼を取り巻く、ユーモアたっぷりの大人たち(叔父(伯父?)や祖父など)の、時に可笑しく、時に温かくもあるふれあいの物語。
決して裕福ではなかっただろうけど、やんちゃ盛りの子供たちを大人たちがみんなで見守り育てようとする様子がうかがえる。
短編どれも面白い!学生の頃は原文も訳書も両方、何度も何度も読みながら笑い転げそうになったのを記憶している。
〇十年の時を超えてオバサンになった今、新訳で読み直してみてもやっぱり面白いし、また読んでみたいと思ってしまう。 -
もう、読んでも読んでも読み切れないくらい読みたい本があるからこれからは潔く途中でやめます。という事でこれも途中まで。多分これどこまで読んでも同じ調子で村とアラムの成長の話で柴にゃんが好きなやつだよねって感じ。今はこういう気分じゃなかったごめんね。本の感想じゃないなこれ。
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なぜこんなにも子どもの気持ちがわかるのだろう。
みずみずしく、愛おしい。 -
年一
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村上柴田翻訳堂をようやく読み始める。
第一弾として新訳された作品。作者のことは全く知らなかったけれど、少年アラムの、個性豊かな親戚たちとのショートストーリー集。
派手な何かが起きたりとか、奇想天外な結末とかそういうのは一切なく、少し変わった人々の生活が描かれるのだけれど、その手つきがとても優しくて読んでいて心が和んだ。良い作品集だと思う。訳者あとがきによれば、作者はそれとは真逆な人生だったようだけれど、だからこそこれが書けたのだというのは説得力があった。 -
訳者あとがきが分かりやすくてすごくスッキリした。
「おじさん文学」とでもいうか、
世の中と致命的にずれている周囲にとっては迷惑なユルいおじさんだけど
子供にとってはそういう人といる方が楽しそうだ、
というのがなんとも納得。
「オジブウェー族、機関車38号」
は若い男だけど、すごいかっこいい。 -
アメリカの田舎町に住むアルメニア移民の少年、アラムの目を通した日常を綴った短編集。
どれも味わいと言うか読後感と言うか雰囲気が微妙に異なっているものの、全編を通してほんわかとした空気が流れています。
読みつつ微笑みを禁じ得ないような本でした。 -
半分以上は読んだんだけど、段々おなかいっぱいになってきた。
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神のつくりたもうた世界
そこは相対的なものに満ち満ちている
善だの悪だの、右だの左だの、白だの黒だの・・・
あなたはそのどちらをも信じよ
両方ためしもしないでひとりガッテンするな
周りの意見に流されるな
行けばすべてがわかる
行かなければなにもわからない
本だけ読んでも世界のことなどなにもわかりゃしないのだ
そんな思想
そんな古きよきアメリカを伝える物語
大量生産・大量消費で危ういバランスを取り続けるこの狂った現代じゃ
とうてい受け入れられないノスタルジー
だからこそ、その正しさはほとんど絶対的と言ってよい -
自分にとって郷愁の固まりの小説である。中高の英語の副読本の一つにサローヤンがあり、しみじみと良き小説として心に残っていた。そして本書は、「村上柴田翻訳堂」のシリーズ第1作であるが、自分は、大学時代、当時まだ無名だった柴田元幸の授業を受けていたからである。
そして○十年ぶりに改めて読んでみて・・。アルメニア系アメリカ人の少年の心情をみずみずしく描いた連作短編と記憶していたのだけど、実は、風変わりで頑固で偏屈だけど、人生の真実を知っていた大人たちのナイーブなみずみずしさ、哀しさを描いていた小説だったと感じた。
印象に残った一説(「僕のいとこ、雄弁家ディクラン」)。演説大会で蕩々と世界を論じ拍手喝采を浴びた11歳の少年に語りかける67歳の老人。
「(おまえの演説の)そういう壮大な、美しい発言は、11歳の子供の口からのみ出てくるに値する。自分が言っていることを本気で信じているものの口からのみ出てくるに値する。・・本から世界を探求する営みを続けるがいい、おまえが努力を怠らず目も持ちこたえるなら、67歳になることにはきっと、その言葉の恐ろしい愚かさがわるはずだ。今夜おまえ自身によってこの上なく無邪気に、かくも純粋なソプラノの調べにのって口にされた言葉の愚かしさが。ある意味でわたしは、この一族の誰よりんもおまえのことを誇りに思う。みんな下がってよろしい。わしは眠りたい。わしは11歳じゃない。67歳なのだ」 -
サローヤンはずいぶん前に「パパ・ユーアクレイジー」を読んだ。
今回、序文で大分雰囲気が違うと戸惑ったのだけど、本文に入ると同じ印象だった。
風変わりで温かい。
今作は奇妙な一族とその周辺の話で、どのキャラクターも悲劇的で喜劇的。
愛さずにはいられない。
「三人の泳ぎ手」が最も胸に沁みた。 -
10年、あるいはそれ以上前でさえ、細々としか読まれていなかったサローヤンがこうしてまた話題になっている、それだけでたまらなく嬉しい。
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登場人物たちは皆力強く、ルールから微妙にはみ出しマイペースに生きている。人間を肯定すること。一般的な正当からはずれた人への共感。
短いセリフから人物の性格を表現するのが上手い。
長老派協会聖歌隊の歌い手達 の ミス・バライファル など。 -
叔父さんのほのぼのとしたキャラクターが何ともいえない味わいを醸し出していると思う。とくに、世界大戦の意義に関する演説を聞いたあとの反応が絶妙で面白いと思った。
著者の実体験というよりも創作だと思われるが、妙に現実感あふれる雰囲気がよいと思う。 -
村上春樹と柴田元幸が自身が親しんだアメリカ文学の名作を文庫として復刻させる村上柴田翻訳堂シリーズの第一弾。第一弾は両氏それぞれの翻訳であり、柴田元幸が担当したのが、このサローヤンの「僕の名はアラム」となる。
サローヤンに影響を受けた小島信夫は端的に「小説は悪人を描いてきたが、サローヤンは善人しか描かなかった」との批評を述べている。この批評に端的に表れているように、主人公のアラム少年の目を通じて描かれる大人は全員がチャーミングでどこか童心を捨て去りきれていない人間ばかり。善人がかもしだす不思議なユーモアを楽しめる一冊。 -
柴田元幸訳。すらすら読める。内容もわかりやすい。アラムという少年が主人公でアラムの視点から物語が進む。
アラムの親族のおじいさん、おじさんが面白い。世の中をちょっとはみだした人達ってのは面白いし、子どもの頃は特にそれを感じると思う。
最後の「あざわらう者たちに一言」はこの小説の総括みたいなものかなと思う。また読み返して考えたい… -
柴田さんの邦訳が軽妙で読みやすい。
アルメニア人であるアラムやおじさんの目には、せかいが全然違うふうに映っているのかもしれない。そして彼らが社会のルールというか権威的なもの、あるいは英語、にさらされたときの何とも言えない違和感というか生きづらさみたいなものが、ユーモラスでもあり少し哀しくもある。 -
うそう、後にカート・ヴォネガットあたりが連なる「おじさん的」位置だよね。日本だと伊丹十三とかね。
そしてこの 可笑し/かなしい 感じが魅力なんじゃなかろうかね。 -
柴田元幸 訳。村上春樹と柴田元幸がセレクトする海外名作小説の村上柴田翻訳堂。アルメニア移民の子=サローヤンの少年期の故郷の町を舞台にした短編小説集。ユーモアの奥に潜む悲しみが移民ならではの感覚がする。