大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)

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制作 : J.D. Salinger  野崎 孝  井上 謙治 
  • 新潮社 (1980年8月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102057032

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大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • グラース家の長男シーモアに関する二篇。どちらも次兄バディによる手記で、シーモアに対する親愛を至るところに感じることができます。
    『ナイン・ストーリーズ』『フラニーとズーイー』に続く三部作目なので、他の二作品を読んだ後に本書を手に取った方がシーモアの魅力がより増します。

    『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』
    妹ブーブーからシーモアが結婚することを聞いたバディは、ブーブーの依頼(という名の指示)もありどうにか時間を繕って式へ赴く。しかしシーモアは自身の結婚式当日に「幸せすぎる」という理由で現れなかった。
    舞台はおおよそ車内とアパートの一室という限られた空間。新婦側親族のシーモアへの(当然の)辛辣な批判を中心に、まるで演劇を見ているように全ての登場人物が終始生き生きとコミカルに映ります。シーモア本人は登場しない中、会話の流れやバディとブーブーのやりとり、残された日記などを通してシーモアという人間像が徐々に浮き彫りになります。単発の読み物としても十分楽しめる、グラース家の魅力が光る作品です。
    ささやかな1コマですが、ご老人の“Delighted(喜んで)”の下りはつい頬が緩んでしまうくらい大好き。

    『シーモア-序章』
    シーモア亡き後にバディがシーモアについて思うことをつらつらと綴る。
    特にストーリーもなくバディの一人語りなので読みにくさはありますが、グラース家の人々が無条件にシーモアを愛し多大な影響を受けていることが伝わる一篇です。

  • これはいやあ、もうわたしの知ってたサリンジャーじゃない。いよいよグラース家に踏み込んだ内容になっていますが、大工よ〜はまだついていけるんだけれども、シーモア序章については本当にバディがひたすら、しかも脈絡なくシーモアについて語っていて、それがすごく分裂的でなんだかもう読んでいてつらくてつらくて。大工よ〜はシーモアの結婚式の日のおはなしなんだけれども、ぐっと読ませる感じがあってわたしは面白く読んだ。サリンジャー大好きだからハプワーズまできちんと読もうかと思っていたけれども、これはもしかしたら無理かもしれない、と感じた。とりあえずバナナフィッシュにもどってもう少しシーモアについて読みたいかな。完全な沈黙までのサリンジャーの軌跡を追うのは思ったよりも難解で、かつどんどん分裂的で不安定で小説の型と呼んでいいのかというようなものになってきて怖くて、心が折れそうになる。

  • 柴田元幸さん翻訳の「ナイン・ストーリーズ」を読み返していたら、
    野崎孝さんの翻訳のが読みたくなって、交互に読んでいたら、
    「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」がどうしても読みたくなって読んだ。
    ああ、忙し、忙し!

    サリンジャーをはじめて読んだ10代の時は、
    「サリンジャーとアーヴィングだけあれば、他に本いらない!」なんて
    思い詰めていた時もあったなあ。

    好きすぎて、
    ほとんど誰ともサリンジャーの作品については話せなかった。
    (弟と「ナイン・ストーリーズ」についてちょっと話すくらい)

    最近になって、久しぶりにアーヴィングの「ガープの世界」を読んだときは
    あまりの残酷さにのけぞり、

    今回久しぶりに「シーモア -序章-」を読んで、
    あんなにも心酔していたシーモアの事がちょっと面倒くさく感じた。

    これが大人になると言うことかしらん。

    シーモアの結婚式にやってきた弟バディ、
    シーモアが式にやってこないと言うトラブルが発生し…

    家まで来てくれたシルクハット紳士が心の支えだね。

    この本で言えば、「シーモア -序章-」って、私には非常に読みづらく、
    「大工よ…」ばっかり読んでいたけど、

    今回は「シーモア」の方が色々私の為になることが書いてあった。

    十分すぎるほど大人になって、
    シーモア的生き方が最高とは思わなくなった私だけれど、
    私にとって大事な本であることは変わりない。

  • 「バナナフィッシュにうってつけの日」がだいすきだった。シーモアのことがもっと知りたくて、「フラニーとゾーイー」を読み、もっともっと知りたくて、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」を読んだ。

    サリンジャーにとって、シーモアはどういう存在だったのかな。

  • シーモアの結婚のお話で、これがバナナフィッシュにつながるわけですね、ふむふむ。
    結局なんで自殺なのかわからなかったです。一気に読まないと内容がつながらなくてダメです。一週間かけて読んだからパァだよ〜(^O^)

  • 【本書より】いっそのこと、世界じゅうの人たちがみんな同じ顔つきをしていればいいと彼は言った。誰に会っても、これは自分の奥さんだ、お父さんだ、お母さんだと思うだろうし、みんなはいつどこで会っても互いに腕をまわして抱きつくだろうし、そうなれば『とてもいい』と言うのである──「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」より

    【本書より】彼がエースを持っているときそ知らぬ顔をするのはちょっとした苦労だった。というのも、そういうとき彼は、妹の表現を借りれば、バスケット一杯の卵を持った復活祭のうさぎのようににやにやしていたからである。「シーモア」より

  • 謎と魅力の多いシーモアに迫る作品。
    ようやくここまでたどり着いたという感じ。サリンジャーにとっても、このシーモアという人間ひとりを追うことに、書くことの一生を費やしたのではないのだろうか。
    「ほんとう」そのことを求めてやまないシーモアという人間にとって、目に映るあらゆる現象のまばゆいほどの輝きに焼き尽されてしまいそうだったに違いない。
    シーモアのあらゆる言動が、周囲の人間にとっては不可解なものに映るかもしれない。けれど、そのひとつひとつが彼の誠実さに裏打ちされたものであるからこそ、忘れられない、愛されるべき存在であるのだろう。
    インドや中国、日本の東洋哲学に通じていたようで、バディの語りを通じて、シーモアというひとつの境地をじっと考え続けていたに違いない。生きること、信仰、サリンジャーにとっては精神というひとつの同じ蓮の上のことだったのだろう。
    シーモアの序章とあるが、おそらくは概観・概要といった方が正確か。グラース家の時間的な始まりではなくて、シーモアという人間を少しでもとらえようとするバティの精神の軌跡なのだ。だが、このとらえどころのないひとりの人間の概観を描こうとするには、あまりに彼の魅力を捨象してしまう。だからこそ、書き、考えながら時間をいったりきたりして、少しずつ何かとどめようとしているのだ。
    シーモアの自殺について探求していくというよりかは、シーモアという存在に深く根を下ろそうとしていく。自殺についてどうして死んだのかというより、この人物はいったいなんなのか、その言動をひとつひとつ紐解いていくよう。自殺という現象さえも、シーモアという人間の一部であるかのよう。
    ことばが続かないほど、バティはシーモアのことを好いていた。簡単にことばが紡げてしまったら、それこそ、シーモアを間違って歪めてしまうのではないのかと恐れているのが伝わってくる。
    サリンジャーにとっても、このシーモアについてとっかっかるということはひとつの区切りだったのだろう。グラース家がこの後どう続いていくのか、追っていきたい。

  •  何度も読んだにも関わらず「シーモア序章」については感想らしきものを書けそうにないので、以下は「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」のみを対象としたレビュー。

    結論から言うと、めちゃくちゃ面白い。でも、かなり人を選ぶ。
    サリンジャーならではの文章スタイルがこの作品の頃には完成系を迎えていて、初読時には迂遠に感じられるかもしれない(おまけに訳がそれに輪をかけている、、、そもそもサリンジャー作品を完璧に日本語訳するのは不可能なんだと思う)。
    「大工よ~」におけるサリンジャーの文章スタイルについて述べると、具体的には、とにかく言うべきことを言わず、示唆させるに留めるという感じ。本来そこでその言葉を使うのはふさわしくねえんじゃねえかという表現や、何でこのタイミングでそれを言う必要があるのかというセンテンスから、言外に滲み出ているニュアンスを汲み取ったり、伏線丹念に回収していったり。
    そういう風に時間を掛けてディテールにこだわって暗号を解読するように読んで初めて、本当に面白いと感じられる話じゃねえかと思う。
    例えば、本文を読み進めていると、割りと唐突な形で何度も《この年は1942年だった》というようなフレーズを見掛ける。この唐突なコピペ的一節は、それくらい1942年という年が合衆国社会にとってどれほど巨大で不気味なものであったかを強調する役割を果たしているのだけど、主人公が自身の不可解で不自然な行動を《この年は1942年だったから》と説明しているあたりにその闇の深さを伺うことも出来ると思う。
    (自身の思いを第二次世界大戦が最も激化した年の年号に代弁させるしかない人物の心情はどんなものか)

    話の構成事態は決して複雑ではないしドラマチックでもない。
    第一人称人物バディ・グラースが、自身の兄の結婚式が開かれる一日を後日談的に回想したもので、婚礼を巡るドタバタから、ある種の教訓らしきものを見出だして終わる。
    物語後半では神と人間、あるいは主客の問題など、宗教的であったり哲学的であったりする話題が頻発するようになるのだけど、そこら辺の知識はなくても全然読めると思う。

  • 「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」は、ほっこりした。バナナフィッシュを読んだときのシーモアの印象がだいぶ変わり、シーモアも人間なんだと思った。「シーモアー序章ー」は読み終わるのにかなり時間がかかるくらいよくわからなかった、、、。バディはシーモアが大好きなんだなとしか。しばらく時間をおいてまた読みたい。

  • 感情のままに流される人を眺めながら、そんな人や世の中を逆手にとって自身の内面を高める生き方に、幾分救われた気持ちになる。期待してなどいなかったから。

  • グラース家サーガ。「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」は長兄シーモアの結婚式のときのことをバディが回想している。グラース家の兄弟事情がだいぶわかってくる。
    「シーモア 序章」はシーモアの死後をバディが回想している。だいぶ歳をとっているのでグラース家の時系列の中ではこれが一番最後。
    『ナイン・ストーリーズ』、『フラニーとズーイ』と読んできてようやくグラース家の事情がつかめてきたかな。一番好きなのは「フラニー」

  • シーモア-序章-

    久しぶりにかなり読みづらかった。
    文体が。

    でもバディ・グラースが書いた体の文章であって、意図的に書いているということを知っているので読めた。
    そして意外とはまって読んだ。
    ナインストーリーズが未読なので、シーモアへの妄想が広がります。

    なので、違う順番で読んでいたら違う印象なんだろうな。

    ん~。。。
    すごいな~。サリンジャー。

  • 若い頃グラス家の話でいちばん好きだったのが「大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章」
    今回はシーモア-序章を読むのがつらかったです(笑)おもしろいものですね

    若いころは興味のなかったブーブーに惹かれます

  • 春樹訳のフラニーとズーイは大きく印象が違ったので、これも再読してみた
    シーモア序章のバディは取り乱しているというか分裂しているようにみえるのだけど、野崎訳の登場人物たちは実際以上に分裂しているのではないかという疑いをもっている

    原文で読めという話かもしれない

    ここ数年ローテするようにグラスサガを読み返し続けているので各話の呼応がおもしろくて
    ウエーカーやウオルトもみえてくるような気がしたりなど
    ダヴェガの自転車について、ゾーイならばもっと辛辣なコメントをしたかなとか(この一件はサリンジャーの評としてよくでてくる「イノセント」よりもゾーイの言葉である「畸形」を思わせる。われわれは畸形である。)
    ウエーカーは良心的兵役拒否者だったけどブーブーは多分志願兵だったんだなとか


    しかしてシーモアのみはみつめると消える鏡の国の羊の雑貨屋さんです
    わたしはゾーイのようにシーモアの死に怒ろう

  • 再読したときにまた得るものがありそう。

  • サリンジャー、好きだがわからない。情景が想像できてないんだよな。

  • グラース一家の次男が語るという感じ。僕にはもう次男の名前さへ思い出せない。これももう一度読み返そう。ちなみにシーモアの結婚式のときの話。

  • 「ナイン・ストーリーズ」、「フラニーとゾーイー」にも登場するグラース家の話。
    グラース家の人々は皆大好きだけど、その中でも常に語られる立場である長兄シーモアの魅力は格別。
    それにしても、回りくどい言い回しばかりで読みにくさ満点なので、それを覚悟のうえで読まないと辛いかも。

  •  この本には 「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」という小説と「シーモア―序章―」という小説が収められている。2つともグラース家の物語。「フラニーとゾーイー」という本もグラース家の物語で、より家庭的であったのに対し、この2つはグラース家の長男であり、31才で自殺をしたシーモアが中心となっている。シーモアの物語といってもいい。「フラニ―とゾーイー」でも日記や思い出として登場をしたが、シーモアはこのグラース家にとっては、あまりにも大きい存在であった。

    「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」
     グラース家の次男であり、語り手である作家のバディがシーモアの結婚式に出るために、軍隊から怪我をした身体を引きずってニューヨークにやってくる。結婚式に参列するが、シーモア側の親類は誰もおらず、しかも、シーモアは式場にあらわれない。
     この話でもシーモアは「フラニーとゾーイー」と同様に、日記、思い出等でしか登場しない。しかし、バディのシーモアへの思いがひしひしと伝わってくる。基本的にグラース家の人々は世間の人々は噛み合わない。フラニーとボーイフレンドがそうだったし、今回のシーモアと新婦の家族、親類もそう。バディはその様なシーモアを理解し、尊敬し、愛していると同時に世間にも適応できてしまう為、悩む。

    「シーモア―序章―」
     この話はバディによるシーモア論。この話をどう捉えたらよいのかわからない。どうもバディとサリンジャーがダブってしまう。この話について、バディは次のようなことを書いている。「最初の計画では兄(シーモア)についての短編小説を書くつもりであったが、兄のことを考えると自分は短編作家にはなれず、兄についての偏った前口上の類語辞典であり、個人的欲求をもった語り手なのである。ただ、本能のおもむくままに進みたい。いろいろとたくさん下手な話をして聞かせたいのである。」話の内容はまさにこの通り。ただ、バディ自身がまた書いているが、「シーモアはわたしが離れている間に、あまりに大きくなりすぎていたのだ」というように、シーモアがバディにとって書き進めるうちに大きくなりすぎてしまって、わけがわからなくなっている。長い脱線もよくあり、まるで子供がなにか大人に伝えたいことがあるのだけど、うまく言えずに泣き出してしまいそうな感じ。

    バディというより、サリンジャーにとって、シーモアという存在は何なのか?事の発端は、ナインストーリーズに収められた「バナナフィッシュにうってつけの日」でのシーモアの自殺であったわけではあるが、どうして放っておけなかったのだろうか?サリンジャーという人にとってシーモアは彼自身であり、彼の理想であったのかも。
     
     この本は「フラニーとゾーイー」、「バナナフィッシュにうってつけの日」を読んだあとに読んだ方がよいと思う。これだけを読んだだけでは何だかわからないと思う。 

  • サリンジャーというと、
    どうしても10代に通過する作家、
    という印象が拭えない。
    『シーモアー序章ー』で文章を綴るバディは40歳だが、
    31歳という若さで自決したシーモアが物語の核という点では、
    やはり人生の前半で(若しくは第一四半期で)通過するべき作品なのかなー、
    という気がする。
    で、実際私が最初に読んだのは大学生の時だった。
    当時からシーモアという人物にはかなり惹かれていたが
    改めて読んでも今も全く変わらず惹かれてしまう。
    これって私が年齢相応に成長していない、
    ということなんじゃないだろうか。

    この一冊に収められている二作品は、
    『大工よ、〜』が複数の人間の行動の描写、
    『シーモアー序章ー』が作者の回顧、省察など内面的な描写で
    語られている点が対比をなしていて面白い。
    そしてそのどちらもそこには不在のシーモアを語っている。
    読者は外堀からシーモアという人間を組み立てていくしかない。
    多くの読者を魅了するはずだ。
    そして私も例外ではないのだった。

  • 大工よ~は読みやすく、心情を含めた情景がパッと思い浮かぶほど描写も繊細で、楽しめた。
    シーモア序章はとにかく読みづらかった。野崎さんの文章に慣れているからなのか、サリンジャーの意図するところなのか?後者な気がするのでじっくり再読しなくてはー!

  • グラース・サーガの最終章であり未完の作品だが、大工よ〜でなんだか飽きてしまった。シーモアのことがとても好きで、ナイン・ストーリーズもフラニーとゾーイーも大好きな作品なんだけれど、これだけ途中で断念してしまった・・・説明?が冗長すぎる気がします。

  • シーモア序章は読みにくかった。
    バナナフィッシュにうってつけの日でシーモアのことを知ったクチだけれど、彼が一体何者なのかが分かる作品。ナインストーリーズに繋がるところがあって楽しめた。

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