大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)

  • 1192人登録
  • 3.56評価
    • (92)
    • (120)
    • (270)
    • (17)
    • (2)
  • 102レビュー
制作 : J.D. Salinger  野崎 孝  井上 謙治 
  • 新潮社 (1980年8月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102057032

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • グラース家の長男シーモアに関する二篇。どちらも次兄バディによる手記で、シーモアに対する親愛を至るところに感じることができます。
    『ナイン・ストーリーズ』『フラニーとズーイー』に続く三部作目なので、他の二作品を読んだ後に本書を手に取った方がシーモアの魅力がより増します。

    『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』
    妹ブーブーからシーモアが結婚することを聞いたバディは、ブーブーの依頼(という名の指示)もありどうにか時間を繕って式へ赴く。しかしシーモアは自身の結婚式当日に「幸せすぎる」という理由で現れなかった。
    舞台はおおよそ車内とアパートの一室という限られた空間。新婦側親族のシーモアへの(当然の)辛辣な批判を中心に、まるで演劇を見ているように全ての登場人物が終始生き生きとコミカルに映ります。シーモア本人は登場しない中、会話の流れやバディとブーブーのやりとり、残された日記などを通してシーモアという人間像が徐々に浮き彫りになります。単発の読み物としても十分楽しめる、グラース家の魅力が光る作品です。
    ささやかな1コマですが、ご老人の“Delighted(喜んで)”の下りはつい頬が緩んでしまうくらい大好き。

    『シーモア-序章』
    シーモア亡き後にバディがシーモアについて思うことをつらつらと綴る。
    特にストーリーもなくバディの一人語りなので読みにくさはありますが、グラース家の人々が無条件にシーモアを愛し多大な影響を受けていることが伝わる一篇です。

  • これはいやあ、もうわたしの知ってたサリンジャーじゃない。いよいよグラース家に踏み込んだ内容になっていますが、大工よ〜はまだついていけるんだけれども、シーモア序章については本当にバディがひたすら、しかも脈絡なくシーモアについて語っていて、それがすごく分裂的でなんだかもう読んでいてつらくてつらくて。大工よ〜はシーモアの結婚式の日のおはなしなんだけれども、ぐっと読ませる感じがあってわたしは面白く読んだ。サリンジャー大好きだからハプワーズまできちんと読もうかと思っていたけれども、これはもしかしたら無理かもしれない、と感じた。とりあえずバナナフィッシュにもどってもう少しシーモアについて読みたいかな。完全な沈黙までのサリンジャーの軌跡を追うのは思ったよりも難解で、かつどんどん分裂的で不安定で小説の型と呼んでいいのかというようなものになってきて怖くて、心が折れそうになる。

  • 柴田元幸さん翻訳の「ナイン・ストーリーズ」を読み返していたら、
    野崎孝さんの翻訳のが読みたくなって、交互に読んでいたら、
    「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」がどうしても読みたくなって読んだ。
    ああ、忙し、忙し!

    サリンジャーをはじめて読んだ10代の時は、
    「サリンジャーとアーヴィングだけあれば、他に本いらない!」なんて
    思い詰めていた時もあったなあ。

    好きすぎて、
    ほとんど誰ともサリンジャーの作品については話せなかった。
    (弟と「ナイン・ストーリーズ」についてちょっと話すくらい)

    最近になって、久しぶりにアーヴィングの「ガープの世界」を読んだときは
    あまりの残酷さにのけぞり、

    今回久しぶりに「シーモア -序章-」を読んで、
    あんなにも心酔していたシーモアの事がちょっと面倒くさく感じた。

    これが大人になると言うことかしらん。

    シーモアの結婚式にやってきた弟バディ、
    シーモアが式にやってこないと言うトラブルが発生し…

    家まで来てくれたシルクハット紳士が心の支えだね。

    この本で言えば、「シーモア -序章-」って、私には非常に読みづらく、
    「大工よ…」ばっかり読んでいたけど、

    今回は「シーモア」の方が色々私の為になることが書いてあった。

    十分すぎるほど大人になって、
    シーモア的生き方が最高とは思わなくなった私だけれど、
    私にとって大事な本であることは変わりない。

  • 「バナナフィッシュにうってつけの日」がだいすきだった。シーモアのことがもっと知りたくて、「フラニーとゾーイー」を読み、もっともっと知りたくて、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」を読んだ。

    サリンジャーにとって、シーモアはどういう存在だったのかな。

  • シーモアの結婚のお話で、これがバナナフィッシュにつながるわけですね、ふむふむ。
    結局なんで自殺なのかわからなかったです。一気に読まないと内容がつながらなくてダメです。一週間かけて読んだからパァだよ〜(^O^)

  • 【本書より】いっそのこと、世界じゅうの人たちがみんな同じ顔つきをしていればいいと彼は言った。誰に会っても、これは自分の奥さんだ、お父さんだ、お母さんだと思うだろうし、みんなはいつどこで会っても互いに腕をまわして抱きつくだろうし、そうなれば『とてもいい』と言うのである──「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」より

    【本書より】彼がエースを持っているときそ知らぬ顔をするのはちょっとした苦労だった。というのも、そういうとき彼は、妹の表現を借りれば、バスケット一杯の卵を持った復活祭のうさぎのようににやにやしていたからである。「シーモア」より

  • 謎と魅力の多いシーモアに迫る作品。
    ようやくここまでたどり着いたという感じ。サリンジャーにとっても、このシーモアという人間ひとりを追うことに、書くことの一生を費やしたのではないのだろうか。
    「ほんとう」そのことを求めてやまないシーモアという人間にとって、目に映るあらゆる現象のまばゆいほどの輝きに焼き尽されてしまいそうだったに違いない。
    シーモアのあらゆる言動が、周囲の人間にとっては不可解なものに映るかもしれない。けれど、そのひとつひとつが彼の誠実さに裏打ちされたものであるからこそ、忘れられない、愛されるべき存在であるのだろう。
    インドや中国、日本の東洋哲学に通じていたようで、バディの語りを通じて、シーモアというひとつの境地をじっと考え続けていたに違いない。生きること、信仰、サリンジャーにとっては精神というひとつの同じ蓮の上のことだったのだろう。
    シーモアの序章とあるが、おそらくは概観・概要といった方が正確か。グラース家の時間的な始まりではなくて、シーモアという人間を少しでもとらえようとするバティの精神の軌跡なのだ。だが、このとらえどころのないひとりの人間の概観を描こうとするには、あまりに彼の魅力を捨象してしまう。だからこそ、書き、考えながら時間をいったりきたりして、少しずつ何かとどめようとしているのだ。
    シーモアの自殺について探求していくというよりかは、シーモアという存在に深く根を下ろそうとしていく。自殺についてどうして死んだのかというより、この人物はいったいなんなのか、その言動をひとつひとつ紐解いていくよう。自殺という現象さえも、シーモアという人間の一部であるかのよう。
    ことばが続かないほど、バティはシーモアのことを好いていた。簡単にことばが紡げてしまったら、それこそ、シーモアを間違って歪めてしまうのではないのかと恐れているのが伝わってくる。
    サリンジャーにとっても、このシーモアについてとっかっかるということはひとつの区切りだったのだろう。グラース家がこの後どう続いていくのか、追っていきたい。

  •  何度も読んだにも関わらず「シーモア序章」については感想らしきものを書けそうにないので、以下は「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」のみを対象としたレビュー。

    結論から言うと、めちゃくちゃ面白い。でも、かなり人を選ぶ。
    サリンジャーならではの文章スタイルがこの作品の頃には完成系を迎えていて、初読時には迂遠に感じられるかもしれない(おまけに訳がそれに輪をかけている、、、そもそもサリンジャー作品を完璧に日本語訳するのは不可能なんだと思う)。
    「大工よ~」におけるサリンジャーの文章スタイルについて述べると、具体的には、とにかく言うべきことを言わず、示唆させるに留めるという感じ。本来そこでその言葉を使うのはふさわしくねえんじゃねえかという表現や、何でこのタイミングでそれを言う必要があるのかというセンテンスから、言外に滲み出ているニュアンスを汲み取ったり、伏線丹念に回収していったり。
    そういう風に時間を掛けてディテールにこだわって暗号を解読するように読んで初めて、本当に面白いと感じられる話じゃねえかと思う。
    例えば、本文を読み進めていると、割りと唐突な形で何度も《この年は1942年だった》というようなフレーズを見掛ける。この唐突なコピペ的一節は、それくらい1942年という年が合衆国社会にとってどれほど巨大で不気味なものであったかを強調する役割を果たしているのだけど、主人公が自身の不可解で不自然な行動を《この年は1942年だったから》と説明しているあたりにその闇の深さを伺うことも出来ると思う。
    (自身の思いを第二次世界大戦が最も激化した年の年号に代弁させるしかない人物の心情はどんなものか)

    話の構成事態は決して複雑ではないしドラマチックでもない。
    第一人称人物バディ・グラースが、自身の兄の結婚式が開かれる一日を後日談的に回想したもので、婚礼を巡るドタバタから、ある種の教訓らしきものを見出だして終わる。
    物語後半では神と人間、あるいは主客の問題など、宗教的であったり哲学的であったりする話題が頻発するようになるのだけど、そこら辺の知識はなくても全然読めると思う。

  • 2016/06/01 読了

  • 「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」は、ほっこりした。バナナフィッシュを読んだときのシーモアの印象がだいぶ変わり、シーモアも人間なんだと思った。「シーモアー序章ー」は読み終わるのにかなり時間がかかるくらいよくわからなかった、、、。バディはシーモアが大好きなんだなとしか。しばらく時間をおいてまた読みたい。

全102件中 1 - 10件を表示

J.D.サリンジャーの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
フランツ・カフカ
ポール・オースタ...
梶井 基次郎
有効な右矢印 無効な右矢印

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)に関連するまとめ

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)を本棚に「積読」で登録しているひと

ツイートする