アンナ・カレーニナ〈中〉 (新潮文庫)

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著者 : トルストイ
制作 : 木村 浩 
  • 新潮社 (1998年3月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (759ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102060025

アンナ・カレーニナ〈中〉 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • この作品は、誰を軸にして読むかでずいぶんと景色が変わってくるはずです。私はオブロンスキーが好きなので、出てこないと退屈で、出てくればちょっとだけわくわくします。「ちょっとだけ」というところが、オブロンスキーのよさです。軽薄な人物かもしれませんが、オブロンスキーがいなければ物語は流れませんし、こんな人物がいなくては、そもそも社会は成り立ちません。タイトルも、『オブロンスキーの優雅な日々』でもよかったのでは。

  • 第5編、ニコライの死からカレーニンの苦悩までたたみかけるような心理描写が続く。 ニコライをそのまま死なせてあげればいいものを一度快復させるいやらしさ。トルストイはきれい事ではすませない。それでも登場人物に対する優しさが感じられる。醒めた優しさ。

    リョービンの新婚生活の描写、カレーニンの苦悩、どれも自分自身がいつかどこかで感じたような気持が見つけられる。

    この小説、本当にすごい。

  • アンナは夫と幼い一人息子の待つペテルブルクへ帰京するが、ヴロンスキーはアンナを追う。二人の関係は急速に深まるが、それを知ったカレーニンは世間体を気にして離婚に応じない。
    アンナはヴロンスキーの子供を出産後、重態となる。そこへ駆けつけたカレーニンは寛大な態度でアンナを許す。その一連を目の当たりにしたヴロンスキーはアンナを失うことに絶望しピストル自殺を図るが、未遂に終わる。その後ヴロンスキーは退役して、回復したアンナを連れて外国に出奔する。
    リョーヴィンは病気の癒えたキティと結婚し、領地の農村で新婚生活を始める。そして兄を看取ったことをきっかけに人生の意義に悩むようになる。
    (あらすじーウィキペディアより抜粋)

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    前巻でキティにフラれて失意のリョーヴィンは、失恋の痛手を忘れようとするかのように仕事(農業;彼は地方の地主貴族なので)に没頭するのだった。時に自ら大鎌を手に取り、小作人の間に立ち慣れない草刈りに精を出す。作業をしている間は無心になれるから。純粋で善良で、頑固なリョーヴィンが哀れでなりません!それでも、キティ(愛する女性)の事を忘れられない彼。なんだか切なくて胸がキュンとしちゃいますね。
    ヴロンスキーに捨てられ(?)こちらも失恋中のキティは外国へ静養に出る。家族でのんびり温泉地で過ごすうちにキティは尊敬すべき女性と会う、彼女との邂逅で人間的に成長したキティはリョーヴィンに再会し、本当に愛すべき人はリョーヴィンであったことを悟る。
    恋しあう2人は不器用ながらもお互いの気持ちを伝えあい、晴れて結ばれることになった。
    なんて牧歌的な、素敵な恋愛物語なんでしょう///照れちゃうよ///

    一方、本作品の主人公であるアンナは…カレーニン伯爵との結婚生活に“愛は無かった”のだと、ヴロンスキーを愛することで虚構の結婚生活に気付き、夫に愛想が尽きてしまう。
    よく世間では、『男性の浮気は大抵遊びだけど女性の浮気は本気のことが多い』といいますが(私比)、愛に目覚めてしまったアンナ。夫に嫌悪感をもつようになり、ついにヴロンスキーと駆け落ちしてしまします。←非常に短慮な女だと思われかねませんが、この結論に至るまでに彼女の中では様々な葛藤があります。愛する息子に会えなくなる苦しみ、社交界での立ち位置はどうなってしまうのか、等々・・・読み手を強く共感させ同情させるトルストイの巧みな技巧^^; 不倫女だけど、アンナは聡明で、快活で、万人に魅力的な女性として映るよう思慮を尽くして描かれています。

    ヴロンスキーの子を産んだアンナは一時容体が急変し、死の瀬戸際に立つ。夫であるカレーニンは彼女の枕辺に駆け寄り、それまで抱いていた憎悪をすべて捨て去り、“2人(アンナとヴロンスキー)を許す”と伝える。

    (日本人には分かりづらいかもしれませんが、キリスト教を信仰する国ではカレーニンのような冷徹な男(彼はポーズとしてのキリスト教徒だった)の中にも本当の神様がいるのだろうと思いました。)

    しかしアンナの容体が回復したところで再びアンナとヴロンスキーは愛の逃避行へ…って、クズだな~!この2人…

    2巻はとにかくイベントが多く息するのも忘れるほどのスピードで読了しました・・・疲れた。

  • こんな人いるなぁと身近な誰かを思い浮かべたり、これはまるで自分だと見抜かれたような気持ちになったりする。

    リョーヴィンとキチイのパートは、自分には、へぇ‥と思わされるところが色々あり、一方、アンナやヴロンスキーやカレーニンのパートは、やり切れなさが募るばかりだけれど、そうなってしまうというのが何となく理解できてしまうのです。

    人間にとって不可避である死というものを強烈に感じさせられる。
    それぞれの心の中にも様々に表れてくる。

  • アンナは、夫カレーニンと息子セリョージャから去り、ヴロンスキーのもとへ身を投ずるも心の葛藤が。キティはリョーヴィンと結婚する。リョーヴィンの兄の死際が凄まじかった。2016.11.29

  • アンナ、不倫の果てに出産、そして駆け落ち!!
    (当時のロシアではこんな境遇でもこうして優雅に好きなように暮らせるんだ・・働いてないのに・・と驚いた)
    それにしても夫カレーニンの、妻を許そうとする心。
    心の中でずっと七転八倒していた末に、ここにたどり着いたのは本当にすごい。

    そしてキチイの夫・リョーヴィンも、気骨があっていい人間!
    キチイを幸せにしてくれると思うよ。

    アンナの愛人ヴロンスキーは、少しずつアンナに飽き初めていて、
    アンナもどこか精神のバランスを崩しつつある
    ーーー彼らの破滅を予感させる中巻。

    それにしても子ども二人はかわいそうだなあ。

  • 前半リョーヴィンと知人との会話、「いや・・・」「でも・・・」の連発には面食らったが、愛する人と結ばれてからは相手を受け入れる心情の変化が生まれた様な。

    親が子を愛すること、夫婦でも考えや感じ方が異なること、時代も知識も異なる物語だが、「人として感じる何か」を学んでいるような気がしました。

  • 身をよじるような感情のうねり。絡み合い。

  • これだけ長い話だけれども、思いの外展開がすくないんだな、と。
    このあとに期待。

  • リョーヴィンのように、自分の持つ田の草刈りを楽しむ生き方も素晴らしいと思う。地主だからこれをやってはいけないということはなく、やりたいことを汗水垂らしてやる姿は、見ているこちらとしても楽しくなる。
    そして、とうとうキチイと結ばれる。キチイは違う男に惚れ、最後にリョービンを選んだのだが、リョービンからしたら疑心を持つのはもっともだと思う。うーん、やっぱ貞操は必要だと思ってしまった。
    そして、夫と息子を捨ててブロンズキーとくっついたカレーニナ。やっぱいつの時代も不倫に対する世間の目は厳しいかな。ブロンズキーの世間体とカレーニナの両方の機嫌取りは大変そうだ。
    結婚をやっぱり甘く見てはいけないよと。

  • リョーヴィンがキチイとうまくいって本当によかった。アンナは…やっぱり幸せにはなれないだろうなあ。

  • 農業や農村の描写、公務員というものについての考察には唸らされたが、全体としては退屈に感じてしまい、読み進めるのが辛かった。『高慢と偏見』等と同様貴族が恋愛をして勝手に懊悩しているだけと言ってしまえばそれまでで、そういう小説は苦手なのかもしれないと思った。でもここまでの評価を得ているのだから、何かがあるのだと信じて、読む。最後の方でようやくスムーズに読めるようになってきた。下巻とそれを読む自分に期待。

  • トルストイの『アンナ・カレーニナ』の中巻を読了。3月中には下巻まで読了するつもりだったのだが、中巻だけで700ページもあるんだもの・・・
    中巻では、リョーヴィンとキチイが結婚して幸福な生活を始めるのとは対照的に、アンナとヴロンスキーの生活には暗雲が・・・まあ、結末は知ってるんだが。

  • 上・中・下の中巻。感想は下巻に。

  • ※読んだのは藤沼貴訳の講談社文庫版。そしてなぜか表紙写真が逆さまです。

    冷淡だった夫カレーニンを捨て、ウロンスキーとの恋に落ちたアンナ。二人はヨーロッパへ向かい、新しい生活を始める。一方で、ロシアの大地で農業経営と信仰を追求するレービンと、ウロンスキーに捨てられた傷から立ち直ったキティもまた愛を育むことになる。

    愛とはなにか。人生の意味とはなにか。

    それがこの大作のテーマなのだろうが、今の自分にはそんなことは些末に思えてしまう。世界のありようが当時とは違うし、知識量も違う。そうした中で小説の役割も変わってくるのだろう。あいかわらず登場人物に感情移入ができないまま、読み進めている。

  • とても読みやすい。
    特に1つ1つの会話に深い意味が含まれているようで、楽しみながら読めた。

  • 上巻に比べ、物語により多くの展開があって面白く読むことができた。いわゆる、世間で認められるような一般的なハーッピーエンドという言葉で片付けられる愛は、オブロンスキーとドリイ以外今のところ予想するのが難しい。リョーヴィンとキテイ、ヴロンスキーとアンナは愛の成立の仕方が真逆、つまり表と裏のような関係であるも、どちらも成就する前の抱いた期待には届いていないようだ。相変わらず何か危険な感じを漂わせる。
    それにしても、カレーニンは本当にかわいそうに思える。キリストが神人ではなく、人神であるとするならば、彼みたいな慈善深い人を言うのだろうか。愛より野心、ここでいう野心はステータスのようなものだが、そういった類いなものを追い求めるのであれば、どうぞ孤独に頑張って下さいというような感じである。

    物語の人間関係は比較的に限られているために、1人1人が相当濃く描かれている。ある種のロールモデルのような、自分のような、もしくは自分がこう生きてみたいという人物が見つかるのではないだろうか。

    名前は覚えていないけど、ヴロンスキーの同級生でひたすら出世している友人は、なかなかカッコいいかもなー。愛に関しては、「複数の女を知るより、1人の女を深く知る方が女をよく知ることになる」という言葉に代表されるように、この物語全般に見られるドロドロな愛に比べれば、かなり潔く思える。
    深く愛に知り、そう生きようとするのではなく、適当なところで見切りをつけて、お互いあまり詮索せずにいる方が幸せかもね。
    そう思うと『アイズワイドシャット』やウディ・アレンの映画になかなか共感できるのではないだろうか。

    下巻、そうではない愛に溺れゆくそれぞれの結末はどうなるのであろうか。でも、意外と展開は読めるのかな。まぁ、展開は読めたとしても、そこで行われるやりとりに教訓めいた言葉がそこらじゅうに散らばっており、参考になる。

  • リョーヴィンの決心からの、キチイを見て翻心。ドリイの教育論と虚栄心。カレーニンのアンナに対する非情な決心。アンナの絶望、ヴロンスキーの迷い。リョーヴィンが農事経営改革案、ニコライの死について悩む。
    【四】アンナの離婚、リョーヴィンの結婚
    【五】幸せな生活の違和感、ニコライの死、アンナの息子への愛と、ペテルブルク社交界の洗礼

  • 下巻にまとめています。

  • リョービンさんにニヤニヤが止まらない。良かったねー!!

  • お正月でしばらくあんまり読書できなかったよ。ついに先日試写を観てしまったけれど、やはり文字でストーリーを追う方が重みがあって、きちんと入り込んでくる。

  • 細々と行き帰りの通勤電車(片道15分)で読み進め、半年かそれ以上かけて読み終わった。
    海外文学だし作品として古いからところどころわかりづらい表現があるけど、それでも上巻よりは盛り上がる箇所が多い。
    リョービンとキチイ、カレーニンとアンナとヴロンスキー、それぞれの話が目まぐるしく動く。
    一番最初に出てきたオブロンスキーの影が薄くなってるけど、そのオブロンスキーの最初の騒動も、これらの話を匂わせる伏線だったのだろうか。

    あと個人的に、ニコライ兄のところはすげえ引き込まれた。
    生死の狭間って多分こんな感じなんだろう。それに係わる人たちも。

    愛、建前、本音、死、社交、どんどんこじれていくこれらの人たちが最期どうなるのか、トルストイの作品は初めてだからそういう意味でも楽しみ。

  • キチィは、独の湯治場で華やかな貴族社会とは違う人の生き方を見る。リョーヴィンは、ある農民の家で自然と共に素朴に生き生きと暮らす人々を見る。そんな二人が再会、婚約、結婚式、新生活へと細やかに綴られて祝福の気持ち満杯。

    一方アンナは彼の子を産み瀕死時に妻を哀れみ許した夫に感謝するも完治した途端、軍服をも脱ぎ捨てた彼と共に海外旅行、離婚騒動。でもアンナは一途に母を慕う息子に会いに来るが、貴族社会の△関係は、失笑、侮辱、屈辱、憎悪渦巻く虚偽虚構の世界。いつしか二人の愛は疑惑と憎悪に変わる。

    何を言いたいのか、わからなくなってきた。貴族社会のいざこざに少々食傷気味。ぁ〜あ、どうなるの下巻へ

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