アンナ・カレーニナ(中) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (759ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102060025

作品紹介・あらすじ

愛情も人間性も理解せず、世間体を重んじる冷徹な夫カレーニンの黙認的態度に苦しむアンナは、虚偽と欺瞞にこりかたまった社交界を捨て、ひとり息子セリョージャへの愛にさいなまれながらも、ヴロンスキーとの破滅的な恋に身を投じる。一方、ヴロンスキーがアンナを愛していることを知った失意のキチイは、理想主義的地主貴族リョーヴィンの妻となり、祝福された生活をおくる。

感想・レビュー・書評

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  • キチイに拒絶されたリョーヴィンは兄のニコライの所へ行き、農民たちと草刈りの仕事を始めます。
    そこでキチイの姉のドリイに再会し、招かれてドリイの所へ行き「キチイがここにきてひと夏過ごすこと」を聞きますが「会えるわけがない」と言い張ります。
    しかし、キチイが箱馬車に乗ってやってくるのを目撃してしまいます。

    一方、カレーニンは「妻を改悛させよう」「あれが不幸になるのは当然だが、わしにはなんの罪もないんだからわしが不幸になるわけにはいかんよ」と考えます。
    「私たちの関係はこれまで通りでなければならない」「あの男に会わないこと」をアンナに言い渡します。

    アンナはヴロンスキーを隠れて家に呼び寄せます。
    「あたくしは死ぬんですわ。でもあたくし、とってもうれしいんです。あたしが死んだら、自分とあなたを救えるんですもの」「それだけが、あたくしたちに残されているたった一つの道なんですわ」

    そしてアンナに死の影がちらつき、産褥熱で実際にアンナは生死の境をさまよいます。
    ここまではカレーニンは悪役です。

    そこで仕方なくカレーニンはヴロンスキーを呼び寄せます。「あなたと妻に復讐しようという願いが頭を離れなかったのです」
    ヴロンスキーはピストル自殺を図り失敗してしまいます。
    そこでカレーニンは妻を赦し、アンナとヴロンスキーを哀れみます。
    ヴロンスキーとアンナの娘が生まれてアンナは助かります。

    カレーニンが離婚を認めていい人(?)になっていくのは読んでいてちょっと困りました。アンナとヴロンスキーを応援していたのが拍子抜けしてしまいました。全部二人が悪いということになってしまいますから。

    アンナは離婚はしてもらいたくないと言い、9歳の息子のセリョージャのことだけを心配します。
    1か月後アンナは離婚をはっきり拒絶したまま、ヴロンスキーとともに外国へと旅に出てしまいます。

    一方リョーヴィンはキチイと紆余曲折を経て無事結婚し、幸せに新婚旅行に出かけます。そしてモスクワで兄のニコライの死を看取ります。キチイもまた妊娠します。

    アンナは一度家へ戻ってセリョージャに再会すると、公爵令嬢と劇場へ向かい社交界に挑戦しますが、絶縁して戻ってきます。そしてまたヴロンスキーと田舎へ旅立ちました。

    カレーニンとアンナは愛のない結婚をしていましたが、なんだか悪者だったカレーニンに同情を禁じ得ない巻でした。
    これから、アンナは少しずつおかしくなってきます。
    結末は有名なので一応知っているのですが、どうなるのでしょうか…。

    下巻へ続く

  • やっと中巻、読了した。600頁余り。
     真ん中あたりまで、リョービン君の話。失恋して、田舎に帰るが、農業経営に夢中になる。周りのインテリぶった貴族たちは、農業や百姓のことを理解しているふりして、決して理解していない。例えば、リョービンの異母兄の有名な作家は、「農業はいいねぇ」などといって、リョービンのそばで釣りなどをして、百姓たちの話を聞くのは好きだが、決して自分は汗を流して働こうとしない。リョービンに気を使わせるばかりである。また、同じくリョービンと同じ地方にいるインテリ貴族地主は、「生産性をあげるには百姓たちに教育をつけることだ。つまり、学校を作ることだ。」などと議論することは好きだが、じつは「百姓たちは猿と人類の進化の途中だ。」などといってばかにしている。それに引き換えリョービンは、百姓たちの中に入って、一緒に草刈りなどをやり、それがどんなに気持ちの良い仕事か理解し、どうしたら百姓達が気持ちよく働けて生産性も上がるか真剣に考えている。いい人です。
     そんなリョービン君が、オブロンスキーの計らいで、諦めていたキチイとの恋が実り、何と結婚出来ることになった。その時の二人の幸せそうな様子といったら! おばさんは、もう嬉しくて嬉しくて、ページを繰る手が止まりましたよ。キチイと気持ちの通じた日のリョービン君は幸せで幸せで、今まで少し反感を持っていた異母兄とか誰もかれもいい人だと感じる。
     それから、リョービン君、面白いほど、バカがつくほど、自分の気持ちに嘘がつけない人なんです。キチイと結婚するにあたって、自分が童貞でないということや自分が無信心であるということをキチイに知らせておいたほうがいいと思って、わざわざキチイに自分の過去の日記を見せたり、結婚前にロシアでは一泊教会に泊まって修行のようなことをしなければならないらしいのですが、その際に「神を信じますか」と神父に聞かれ、どうしても「信じます」とは言えなかったり。でもそういう、不器用で真面目な所、キチイと似ていてお似合いなんですよね。
     一方、アンナ・カレーニナのほうは、不倫相手のオブロンスキーの子を身ごもり、旦那のカレーニン氏は離婚を決意して出ていってしまう。が、アンナがお産の後、死にかけ、そのことを書いた手紙を受け取って、駆けつけたカレーニン氏は、アンナの「許して下さい」という言葉を聞いて、アンナのこともカレーニンのことも許す気持ちになり、その「許せるようになった」心の深い自分が好きになり、裏切り者のアンナも略奪者のヴロンスキーもその子供のことも許し、愛せるキリストのような人になった。ヴロンスキーは自分が凄く卑屈な者に思え、ピストル自殺を図るが失敗する。ここまでは良い展開だった。しかし、アンナが回復するにつれて夫の顔を見るのも嫌になり、夫もその事に気づいていながらも、アンナの名誉のために離婚しないでいると、なんとアンナとヴロンスキーは夫と一人息子をほっぽり出し、新しく産まれた女の赤ちゃんを連れて、旅行に出かけてしまった。その行動の奔放さには目がテンになってしまった。
     アンナはカレーニン氏のことを思い出すと、溺れている人の手を離したような苦しい気持ちになるが、愛するヴロンスキーと一緒にいられてとても幸せ。しかし、ヴロンスキーのほうは、実はアンナをあまり愛せなくなっていて、アンナのために自分の出世を諦めたことを後悔する。
     一方、幸せな結婚をしたリョービン君、こちらもキチイがリョービンの仕事を理解しているわけではない、女は知的ではない……というようなことに気づき、初めの頃ほどキチイに夢中ではなくなってくる。
     女のほうは、「愛してる」と言われたら、ずっとそのことを大事に思って信じている。いつもいつもその人と一緒にいたいと思う。でも、男の人は、やっぱり自分の仕事が好きだし、そのことを理解せずに、いつもくっついて来られる伴侶を次第に疎ましく思うようになる。それに女は歳をとれば醜くなっていき、オブロンスキーのようにそのことに露骨に反応する男もいる。女は辛いよ。
     旅行に飽きたアンナとヴロンスキーはモスクワに帰り、息子に一目会いたいアンナは夫が留守の間に息子に会いにいく。「お母さんは死んだ」と言われても信じていなかった息子。お母さんに会えて良かった。でも夫と会うわけにいかないのですぐに息子と別れる。その時の息子の可哀想なことといったら……。
     そして、アンナは社交界にまた復帰しようとするが、皆に軽蔑され、恥をかく。
     中巻はそんなとこでした。あと三分の1。頑張って読みます。




  • 中巻に入り、物語が深まるにつれ、人間の弱さ、醜さが浮き彫りになり、人物の印象も大きく変わってきた。
    美しい貴婦人であり良妻賢母であったアンナが、
    家庭を捨て不倫に走る精神不安定のやばい女になってきた。とにかく危うい。
    恋人のヴロンスキーも当初の印象とはうって変わって、武官をあっさり辞め才能も無いのに画家を目指すなど、ダメ過ぎて不安でしかない。
    不幸まっしぐらってところだ。
    反面、夫であるカレーニンは、妻アンナに裏切られた後、苦悩しながらも二転三転するアンナに真摯に向き合おうとするなど、意外に懐の大きい良い人であったのだと見直した。
    しかし、息子が、けなげで不憫。一番の被害者だ。

    駆け落ちしたアンナとヴロンスキーは、
    時間が経つにつれ、すれ違い始める。
    一方、ヴロンスキーに振られたキチィは一途なリョービンと結婚する。
    そのリョービンはと言うと労働者をリスペクトし、農業改革を目指す堅実な男。こちらの夫婦が良い家庭を築こうと悪戦苦闘している様子にホッとさせられる。
    対比して描かれている2組の男女の人生が果たしてどうなっていくのか。
    不倫に溺れ上流階級の偏ったプライドと悪意に狂わされていく前者と農業改革という社会貢献に取り組み、保守的な家庭を築こうとする後者。
    不穏な空気をまといながらついに下巻に突入。
    無事に読了し、名作ロシア文学の最後を見届ける事ができるか。

  • 「道ならぬ恋人たちのアンナとヴロンスキー」「行き違いの失恋になってしまったキチイとリョーヴィン」のカップルたちは、さてどういう展開になったでしょう。
    時は19世紀ロシア帝国の末期、貴族階級が近代化に揺れているのであります。しかし19世紀も21世紀も関係なく、このようなテーマは永遠に続くのです。

    上巻、この小説の有名な冒頭
    「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」
    のモデルとしてその家庭問題騒動(これも浮気が原因)が描かれる浮気性お気楽なオブロンスキーは、どうも橋渡し役というかピエロ的存在なのです。この軽薄だけど憎めない人物も傑作ですねえ。トルストイさんは登場人物すべて生き生きと描写されています、さすが文豪だと感心します。とにかくそこが読んでいてとても面白いのです。

    アンナは夫カレーニンに仮面夫婦でいいから体面を保ってくれと言われたのに、ヴロンスキーの子供を宿し、ヴロンスキーが競馬場で落馬をすれば、観衆の面前で取り乱してしまうのです。
    当然「もう、離婚だ」となったカレーニンは、いくらアンナの兄オブロンスキーに頼まれても、崩さない固い決心だったのに、アンナが出産し産褥が酷く死にそうになるとほろりとしてしまい、アンナを許そうとするのです。アンナはその傲然たる(上から目線)がたまらなく嫌で、夫カレーニンとの間の息子に未練を残しながらも、離婚はせずヴロンスキーと外国へ出奔してしまうのです。悪女極まれりですかね。

    一方、キチイもリョーヴィンもそれぞれ不如意で孤独な日々をすごしていましたが、キチイは義妹(妻ドリーの)であり、リョーヴィンが親友のオブロンスキーはうまく橋渡しします。トルストイさん、うまくすじ運びましたね~(笑)
    その二人の結婚式の様子の描写が、やたらものすごく詳しいのです。こんなめんどくさい結婚式をしたら、二度と結婚式はたくさんだと男性は思うでしょう、とおっしゃっているみたいですね。

    ここまで再読してきて、はて?わたしの印象に残っているリョーヴィンの哲学的思索はどこ?と、記憶があいまいに・・・下巻に続く

  • 中巻では本作の主要人物であるアンナ・カレーニナが夫と別れヴロンスキーとの恋に身を投じていく様子と、地主貴族リョーヴィンとキチイの結婚生活の誕生という2つの恋愛が並行して描かれていく。

    本筋を追うだけでも十分面白いが、特筆すべきは各登場人物が語る様々な社会・宗教・政治・経済等に関する思想の表出である。例えばキチイとの結婚生活の前にリョーヴィンが最も生産性の高い農場経営に関して思考を巡らす場面は、産業革命以前の段階の社会において、農業の生産性を高めるためにどのような課題を当時の社会が抱えていたのかということを知ることができ、ここだけでも一読の価値がある。

    そして、多様な登場人物の鋭い造形の中から、どこか読者は自分と近い価値観を持った人物がいることに気づかされ、さらに物語の深みへと誘い込まれる。

  • 【所感】
    ・心理描写がとてつもなく厚い
    ・登場人物の優柔不断さが人間らしい
    ・登場人物多いし、一度出てきたら後から解説がないのでメモは必須
    【上巻からの印象の変化】
    ・やっとこの物語の登場人物の日常に慣れてきた
    演劇を映画のように観に行く日常、その場(社交界)でのやりとりや座席、入るタイミングそのものがコミュニケーションになっていることなど、自分が持っていた知識や概念におさまらない生活だったので。慣れた後はより登場人物の心理描写に集中することができ、面白かった

    ・各ページを読書「体験」的に捉えて楽しめるようになった
    ささいな出来事やすこしの会話に、見合わないと思われるほどボリューミーな心理描写が描かれている。はじめは物語全体に楽しみを求めて中だるみしたが、途中からこの本の世界観の傍観者として楽しめるようになった。

    【印象に残ったフレーズ】
    どんな人でも、自分をとりまいている条件の複雑さを、とことんまで知りつくすと、その条件の複雑さや、それを解明することのむずかしさは、つい自分だけの、偶然な特殊なものだと考えがちで、ほかの人も自分とまったく同じように、それそれ個人的に複雑な条件にとりこまれているなどとは、夢にも考えないものである。

  • もうお話が終わるんじゃないかと思えるような人生における決定的な出来事がどんどん出てきます。それでもまだまだ続くので凄いです。個人的にはカレーニンの変化と、兄ニコライの最期がぐっと来ました。基本的に特権階級な人たちですが、社交会の悩みが妙にリアルなのはなんなんでしょう。アンナとヴロンスキーのすれ違いも辛かったです。
    私の中でリョーヴィン夫妻は癒し枠でした。この2人の話、主にリョーヴィンの悩みが長いんですが、リョーヴィンなのでなんだが愛らしくなってきました。
    読了まで長く濃厚だったので時間がかかりましたが、読み応え抜群で大満足です。凄い本だと思います。

  • 中巻が1番おもしろい!

    繊細で誠実な、感情の起伏が激しいリョーヴィンと、生まれ変わったカレーニンが好き。
    死にそうでなかなか死なない人の描写が、モラルを取り払ってこまかいところまで現実的に書かれている。

    感動!

    そして、これは再読だったと確信した。この後何があるか私は知っている。

  • この作品は、誰を軸にして読むかでずいぶんと景色が変わってくるはずです。私はオブロンスキーが好きなので、出てこないと退屈で、出てくればちょっとだけわくわくします。「ちょっとだけ」というところが、オブロンスキーのよさです。軽薄な人物かもしれませんが、オブロンスキーがいなければ物語は流れませんし、こんな人物がいなくては、そもそも社会は成り立ちません。タイトルも、『オブロンスキーの優雅な日々』でもよかったのでは。

  • 第5編、ニコライの死からカレーニンの苦悩までたたみかけるような心理描写が続く。 ニコライをそのまま死なせてあげればいいものを一度快復させるいやらしさ。トルストイはきれい事ではすませない。それでも登場人物に対する優しさが感じられる。醒めた優しさ。

    リョービンの新婚生活の描写、カレーニンの苦悩、どれも自分自身がいつかどこかで感じたような気持が見つけられる。

    この小説、本当にすごい。

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著者プロフィール

一八二八年生まれ。一九一〇年没。一九世紀ロシア文学を代表する作家。「戦争と平和」「アンナ=カレーニナ」等の長編小説を発表。道徳的人道主義を説き、日本文学にも武者小路実らを通して多大な影響を与える。

「2004年 『新版 人生論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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