人生論 (新潮文庫)

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著者 : トルストイ
制作 : 原 卓也 
  • 新潮社 (1975年発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102060179

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人生論 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • トルストイが晩年に残した本。現代科学が定義する「生命」に関して、痛烈な批判を展開しながら、人間が手に入れ得る新の生命、本当の幸福について議論して行く。

    トルストイはまず、「個人の幸福の最大化が生命の目的である」であると現代科学によって信じられている事関して、幾ら自らの幸福を最大限にしようと行動した所で、いずれはその幸福感が個人から消え去り、その時に常に辛苦をなめねばならず、幸福を追求する存在として根本的な矛盾を抱え込んでいると指摘する。

    その指摘を踏まえ、「個人の幸福」ではなく、心からの「他者の幸福を願う」その指向性こそがあるべき幸福の姿であり、ある人間が「他者の幸福」を求めて存在する様になる時、現代の一般多数が持つ間違った生命の観念から離れ、その人間の新しい生命が生まれる時だと説く。

    また、そのような目覚めた人間は新たに生まれるだけでなく、この世にとどまらない永遠の生命をも手に入れると続ける。死とは単純に肉体的な消滅にすぎず、自らとこの世界の関係を絶ちきる訳ではなく、その自らがもたらしたこの世との関係は残り続けるので(e.g.他者の心の中)、真の生命に目覚めた者は死を畏怖すべき事象とは捉えない。

    むしろ、一般的に、死というものが断続する事なく続く自我の「線」を断ち切る出来事だと認識されている事のほうが間違いであり、人間は時間の経過とともに常に同じ存在であり続ける訳はないので(昨日の自分と今日の自分の間では明らかに「眠り」という自我を断絶させる事象が起きている)、死をもって自我の消滅に狼狽するのは滑稽で仕方ない、との事らしい。

    ・・・。内容はかなり深遠であり、是非とももう一度読みたいと思わせるないようではあったが自分の中でのこの本の中身に対する拒絶反応は否めない。

  • この本は生命について書かれている。

    幸福とは動物的個我を超え理性に従うことで達成される。
    また、彼は愛を語り死をこの本の中で説いた。

    「人」として生まれたこと、
    そして理性を持っていること。
    これがとても大切なことなのかもしれない。


    本書にはたくさんラインマーカーで線引きをし、
    ドッグイヤーで気になるところを目立たせました。

    結果読み終わったころには思い出深い一冊になりました。


    ところどころキリスト教徒の教えなどもでてきますが、
    とても納得させられる作品です。

    死については腑に落ちないところがあったので
    何度も読み返してみたいと思います。

  • “ジョン・レノンは亡くなったが、彼の想いは、♪イマジンと共に今も世界中の人々に受け継がれている。これこそ、彼の生命が生き続けていることだ。” 
    本書のトルストイの論旨は、上記のようなことだろうか。
    トルストイ曰く、
    理性的な意識のもとに、肉体的な個我を、従属させる。それこそが、真の生命だ。 他の生命への愛を志向して生きる者は、例え肉体が滅びても、それは生命の死ではない。
    以上が、本書の思想の骨子のようで、三十五章を通じて、繰り返し述べられる。だがしかし、私は、正直、肯んずることはできなかった。極端な考え方と感じた。

    講演「生命についての概念」の草稿がベース、と巻末解説にあり。その表題のほうが、「人生論」よりもまだしっくりくる内容と思われた。 ロシア語では、「生命」も「人生」も、ジーズ二 という一語で表されるため、訳者はあえて「生命」の訳語に統一したという。 そうした事情もあり、内容は、少々わかりづらく感じた。
    この新潮文庫版を読了後、書店で、岩波文庫版を少々立ち読みした。岩波訳のほうが幾分やさしいように思った。

  •  大変ディープな内容を扱ってはいるが、よく読むと納得できる部分が多く、さらに同じ内容を折に触れて反復している。深い作品だけにしっかりメモをとりながら読めば良かったと、読み終わってからしばらく経つ今になって後悔。

     人間の生命は幸福への志向である。しかし、人間は理性という天性の特質ゆえに、動物的個我の追求によっては真の幸福を達成できない。なぜなら、不可避な死を認識してしまう以上、生きている間のいかなる個人の快楽も結局は無に帰す虚しいものであるという事実から逃れることができないからだ。根源的には満たされえない個人の快楽を追求する人々は、不可避な死から必死に目を背け、それに常に怯えながら生きていくしかない。
     この個我としての人生に対する絶望から立ち上がり、真に幸せに生きるために必要なものこそが、全人類に対する愛である。自己ではなく他者の幸せを追求することに人生の意義を見出すならば、自分の死は全く恐れるべきものではなくなる。自分の死は、他の全人類の終焉を意味するものではないし。むしろ然るべき時に自分が死ぬことは人類全体の繁栄にとって必要不可欠なものであるのだ。
     人生における、個人に起因しない理不尽な苦しみすらも、自らの生命を人類全体という視点から捉え、全人類との因果の鎖の中で見れば、自分の味わう苦しみは全人類が負っている罪(原罪?)に起因するものである。自分はそれを味わっているに過ぎないし、自分が味わうことによって他社の苦しみは軽減される。すなわち、理不尽な苦しみの耐えがたさも、人類への愛に追って軽減される。むしろ、これらの苦しみの、個人に限定された因果関係からは説明しがたい理不尽さは、生命を一個我として捉えるべきではないということを示している。

     以上、本作品の要旨を私なりに整理した。しばしば論理が明確に示されないまま自明であるかのように断定に至る部分も少なからずあり、完璧に理解しきるには難しい、だが、偉大な思想家トルストイの人生についてのスタンスを学べたことに意義はあると思う。個我の快楽を否定し全人類への愛によって生きるという人生はいくら理性的ではあるとはいえ実際なかなか実行できないものではあると思うが。
     自分のために内容を整理した感が強いのでとても長くなってしまってごめんなさい。
     

  • ダメだー。途中で挫折。相当気合入れて読まんと無理だなー。しばし積読へ。
    たちまち、目的と手段を履き違えるな、ってことは分かりました。

  • 生命や愛、死についてのトルストイの考察。

    人生において、動物的個我に執着するのではなく、それを理性的意識に従属させることで、生命や死の本来の姿が見えてくる、というのが、一番の主張でしょう。

    生命は苦しみの連続であるが、苦しみこそが快楽を引き起こし、生命をさえ動かす、という考え方に非常に魅力を感じました。死についての考察にはいささか違和感がありますが。

  • トルストイがパスカル、カント、キリストなどたくさんの
    先人の教えを受けて究極の博愛を示す。
    正直、今、自分のものとして、実行することはできない。
    ただ、その理想への道筋を追うことで、得るものは多いと思う。
    まとめると『人類が 理性と愛で 幸を生み』といったところでしょうか?

  • むずかしい!!!ので、なかなか進まない。
    人間の幸福について語っているのだが、確かにそうだ!とうなずける文言がいたる所で出てきます。

  •  「人間は、何のために生きなければいけないのか?」
    おそらく今、哲学と呼ばれる学問が生まれてから、いや人が言語を使うようになってからずっと考え続けられていたであろう、命題に対して、トルストイが答える。

     「自らに対する愛を捨てよ。そして本能が望むものではなく理性的な意識をもって、他の存在をいつくしみ、それらの幸福を追求せよ」

     自己満足で終わっている、自分の利益を考えて、活動している以上、幸福は得られない。

     苦しい人生を送る事になるのかもしれない。裕福には過ごせないかもしれない。でも、真に幸福であるとは何なのか?人から存在を認めてもらうことではないのか。たとえどんな事があろうと、人に信頼されること。それだけでも十分生きる意義ではないか?そしてそれに応える意味でも、ノーブレス・オブリージュ、すなわちその信頼に応える価値を提供すれば良いのではないか。。ちょっと考えがまとまらない。。

  • 感銘を受けた。
    聞くと、父は高校生の時にハマったそう。
    私が高校生のころは太宰治にハマっていて、トルストイは読まなかった。
    父が高校生でこの思想にハマってたんだと思うと感慨深い。

  • 人間いかに生きるべきか?  現世において人間をみちびく真理とは何か?  哲学者・トルストイが人生について考察する。「いっさいの自己愛を捨て、理性的意識に生きることによってのみ、人間は真の幸福を獲得することができる」という。

  • 私は新しい戒めをあなた方に与える。互いに愛し合いなさい。「ヨハネによる福音書」

    生命とは死に抵抗する様々な機能の結合。生命とは限られた時間内に有機体の内部であいついで起こる様々な現象の結合

    生命とは世界に対する新しい関係であり、生命の運動とはより高度な新しい関係の確立であるから死とは新しい関係に入ることである。

  • 【愛こそ人間のすべて】
    「人間が生きる目的はなんなのか?」「生物が生きる目的はなんなのか?」そんな答えを見つけたくてたどり着いた一冊。

    人間、生物、無生物に分類するあたりや、人間は「自分の幸せのために生きている」という点は同意する一方で、「愛」によって「死」はなくなる、という点などは納得できない。

    訳者が記述しているが、どうもトルストイ自身が60歳になり、自分の死に向き合うにあたって、自己の精神の安定を求めて書いたように見える。

    自分の幸せではなくて、相手の幸せを願うことこそ、「愛」であり、それをすることで死が怖くなくなる。自分というものを破棄し、人間というコミュニティ/カテゴリに収まることで、自分の死は人間という単位では死ではなくなるために、恐怖から解放される。

    意識は寝るときも、死ぬときも無いわけで一緒なのだから、怖くないでしょ?っていう独自の論理は、なかなか面白い。

    が、そんなこと気にせず、つまるところ大事なのは「自分の幸せ」なのであると私は思う。

  • 悩んだ時に一番頼りになる存在は<本>です!長い年月、多くの人の目に触れた
    作品は、それだけすごいパワーを持っています。作者と時代を超えて相談できる
    んですよ。『人生論』に限らず、日本や世界の名作は、一通り読んでみてください。人生において、あなたの強い味方、良き相談相手になります。

  • 手にとって裏表紙見て読むのやめそうなタイトル&作者ですが、友達に薦められ読んで、自分の考えていたもやもやした捕らえどころのない雲みたいな事柄が文章になっているのをみて感動しました。10年以上前に読んだのでもう一度読む必要あり。

  • おいしい飲み屋さんでお土産にもらいました(笑)

  • レビュー漏れ。これも読んだのはだいぶ前。
    当時ブックノートに書いた一節を引用

    「トルストイいわく、人間の生命とは幸福の志向にあるという。そしてそれは理性が動物的個我を支配することによってのみ可能であり、それが出来なければ、人間は「生存している」だけに過ぎないと。人間の生命とは一体何か。幸福とは一体何か。幸福を志向するということは、いかにして生きることなのか。人生について考えさせられる、ディープな内容になってます。」

  • 余命いくばくもない人の読むものに非ず。議論をする時間を数多持つ人の時間を浪費するにはうってつけの書物なり。
    「目に見える生命は、生命の無限の運動の一部分である」
    生と死を持ち込むのはいけません。人は一度きりの死を経験するのみ。

  • なんだろう、真面目というにはことばが足りない。このジッドに似たこの信仰心。光さすような力強くておもわず目がくらんでしまうような。
    別に父なる神という大いなる存在の前にひれ伏して身を委ねているというわけでもない。彼のことばこそが光となって動いているのだ。名前が悪いかもしれないが、トルストイ教、そんな感じ。
    タイトルは人生論となっているが、人生の「生」どう生きるかではなくて、「生きる」とは何か。ひたむきな考察である。彼は決して論じているのではなく、「考えて」いる。「生命考」といった方が正確かもしれない。
    生命とは遍く幸福を求める存在である。幸福とは動物的な自分の快楽ではなく、理性が求める他人の幸福だ。これこそ、愛の力である。ひとがひとであるのは、この動物的なもの、すなわち肉体に加え、理性的なもの、精神が備わっているからである。理性は必ずすべてのひとに備わっているが、その発芽・自立は決して自分ではわからない。理性は空間や時間とは関係なく存在するからだ。ゆえに、理性は生まれることもなければ、死ぬこともない。それならば、理性的存在であるはずの人間の魂が消滅するということはありえない。人間よ、死におびえることなく、理性に従い、愛に生きなさい。
    というのが、彼の教えのようだ。理性に対する考察、生きる愛の力、これほどまでに力強く述べるものは宗教以外に知らない。
    だが、おそらく、ニーチェはふん、と鼻で笑ってそっぽを向くだろう。カミュなら一通り話を聞いた後で黙って背を向けてトルストイの前から去るだろう。
    自分の幸福ではなく、他人の幸福を。理性の求める幸福は自分と他人の間に違いはない。では自分の幸福や他人の幸福から幸福をひいたら何が残るか。自分と他人である。彼にはこの考察が決定的にかけている。どんなにあがいても、自分ではない他人の幸福というのは、自分という存在の前提なしにはありえない。他人がいないといっているのではない、他人を知るのはひとえにこの「自分」の存在がまずなければありえない。他人の身体をつねっても、決して自分が痛いということはない。痛いというものは知っているけれど、それは他人の痛みではありえない。ひとの痛みを知ることはできても、それを代わることはできない。これを彼はどう考えるのか。
    後半になって、個我と理性という区別を彼はしている。個我は動物的なもの、理性とはそうではない精神的なものだという。個我を理性に従わせること、これが人間には必要だ。では、なぜ個我は理性に従えるのだろうか。動物や植物に理性はないと彼は断言する。けれど、そうであるなら、なぜ植物は春に花を咲かせることができるのか。なぜ、動物は食物を求めようとするのか。動物にだって理性は在る。物質的な因果と彼は切り捨てるが、物質的な因果がなぜ起こるのか、これを理性と呼ばずに何と呼ぶのか。はじめから、彼の言う動物的なものと理性的なものは同じものであるはずだ。彼はそれを切り離してしまった。だが、切り離せば切り離すほど、逃れることはできない。ちょうど、表だけが存在しないのと同じように。彼が理性を声高に述べれば述べるほど、もう一方の動物的な部分がどんどん力を増す。個我も理性も同じ「わたし」でなければなんだというのか。
    そういう点でやっぱり宗教は詐欺なのだ。彼もまた、愛という名で、この両方を併せ持つ人間という存在を覆い隠したのだ。巧みに「自分」というものの考察を避けているのだ。
    おそらく、彼にとって、自分や他人という存在は疑うことのない、確かな存在だったのだと思う。ゆえに彼は他人の幸福というときに、なぜ自分が他人ではなくこちら側なのか、という端的な事実に驚かないのだ。他人の幸福を求めるというのは、他人が幸福だと自分に思われるもの、そういう在り方なしには求めることはできない。
    キリストが、自分の父や母・きょうだいを... 続きを読む

  • 論文のようなものを和訳してる故に非常に難解な内容。読むのが大変。
    生きるということは他者に尽くしてこそ、という心情がうかがえる部分あり。
    自分一身の繁栄だけを願うのはもはや生命ではなく、その思想が他者のものを奪う戦争に繋がるのだという達観。

  • 読むのにすごく時間がかかった。
    人生とは、っていうイメージもって読み始めたけどなんか違う感じ。

  • 題名は「人生論」となっているが、翻訳者の注釈にもあるように、本来「生命学」と言った題名が適切だと思う。英語でLifeが[生活]や[人生]といった意味の他に[生命]となるように著者の意図としては[生命]が本来の意味だろうし、そういった内容になっている。

    とはいっても、生命学について批判しているだけの内容で、当時の社会的背景もあるだろうが、現代社会において全然意味のない内容だった。最初の章を読んで見切りを付けた。

  • 共通する目的に結びつかぬ考察は、どんなに論理的なものであろうと、不合理である。

  • いやー、難しかった。久々に文庫サイズの本を読了するのに一週間かけました。トルストイの考える人生の意味、生き方が述べられてますが、とにかく理解には時間がかかります。

    愛は自己犠牲である時にのみ愛として存在しうる、真の愛は生命そのものである、というポイントはすんなり入ってきました。が、その前後に至る論の展開は、しっかりじっくり読まないとなかなか入ってこない。文章が波打っているというか、わかりやすいなーと思っていた途端に突き放されて難しい世界に突入してしまったと感じることも多々あり、読み込むには体力が求められます。

    あともう一つ、後半になって出てくる「人間の自我の特殊かつ基本的なものとして、あるものに対する好き嫌いの程度の差、がある。その差があることで、個々人の一連の意識が成立する」というところはしっくり納得できました。

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