復活(下) (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784102060193

感想・レビュー・書評

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  • ロシアの文豪レフ・トルストイの晩年の傑作『復活』を読了した。

    非常に面白く、一気読みだった。

    ほぼ2日で下巻も読了。上下巻で1週間かからないで読んでしまったことになる。

    本書のあらすじであるが、

    ロシアの貴族ドミトーリィ・イワーノヴィッチ・ネフリュードフ公爵は、ある時強盗殺人事件の陪審員を務めることになる。彼が出席した裁判で被告人として現れたのは、10年ほど前、彼がかつて恋仲になり、一度の過ちにより子供まで身ごもらせてしまった美少女カチューシャ・マースロワであった。
    その時、彼は彼女に金を渡してそのまま捨ててしまったのであるが、彼女の人生はそこから坂を転げるように堕ちていき、今は娼婦に身をやつしていた。
    裁判では、彼女は強盗殺人事件について無罪となるはずであったが、形式上の手違いから有罪となってしまいシベリア送りの懲役刑を言い渡されてしまった。
    そんな彼女を救うため、ネフリュードフ公爵は刑務所に赴き、カチューシャだけでなく数多くの囚人や役人等と面会し、その結果、裁判制度や貴族と農民との関係、そして上流階級の人間のためだけに作られたこの社会全体の不条理に疑問を抱き、それを変えようと奔走する。

    というものである。

    本書は、非常に分かりやすく、手に汗握る展開で、この先ネフリュードフとカチューシャがどうなってしまうのかとむさぼるように読んでしまった。

    この『復活』という題名の意味であるが、2つの意味があると思う。

    まず、良いところも悪いところも含めた貴族社会の風習にどっぷりと浸かっていたネフリュードフが社会の底辺の人々の生活を目の当たりにし、上流階級の人間が庶民を搾取して良い暮らしをしているという社会のいびつさに気づき、精神的に別の人間に「復活」するという意味。

    そして、二つ目は、カチューシャの精神面での「復活」である。
    彼女が若かりし頃、心底愛したネフリュードフに捨てられて人間不信となり、売春婦に身を落としたものの、そこで彼女の若く美しい美貌が武器となって「売れっ子売春婦」という立場にまでなり、それに対してある種の優越感すら抱きはじめ、すべての社会に対して斜に構えるような精神状態になってしまったカチューシャであったが、刑務所内で出会った刑法犯囚人や政治犯囚人の心情や考え方に共感を抱き、真の人間性を取り戻すという、彼女の精神面での「復活」の意味が込められているのだろう。

    最初、読者はネフリュードフとカチューシャの恋愛物語として本書を読み進めていけるのだが、本書が進むにつれ、次第にネフリュードフやカチューシャの心情に自己投影させていく。
    そこには恋愛論だけでない深い社会に対する洞察が込められている。
    単なる恋愛ものの小説であれば、これほど時代を超えて多くの読者の心に残ることはないのであろう。

    ネフリュードフは、自分の所有する領地に赴き、そこで働く極貧の農民たちの暮らしをじかに感じ、刑務所ではほとんど罪が無いにも関わらず、社会的に底辺の人間であるという理由で有罪となり、刑務所につながれている多くの囚人たちの姿を見、さらに、この社会のいびつさを声だけに主張したということだけで、政治犯として獄につながれた政治犯囚人たちと交流し、この社会のいびつさに全く気が付かない上流階級の人間や軍人、役人たちの言動を聞いた後のネフリュードフは
     「今まで自分がいた社会」と「本当にあるべき理想の人間社会」
    について思い描くようなる。

    一方のカチューシャは、純粋無垢であった少女時代の価値観を次第に取り戻していき、真の人間的な愛のカタチを思い出していく様が生き生きとつづられていく。

    本書の後半には非常に個性的な政治犯(政治犯といっても、読者から見ればごく普通の人たち)が多数登場し、彼らとネフリュードフやカチューシャとのやりとりは当時のロシアの現状を垣間見ることができ、非常に興味深い。

    本書が書かれたのは1899年であり、それから約6年後に起きる1905年の「血の日曜日事件」を発端としたロシア第一革命直前であるといえる。
    つまり、この小説で描かれている背景を知ることにより、ロシア社会主義革命の最初の道筋を垣間見ることができるのである。

    本書は、まさに当時、その社会を痛烈に批判した風刺小説でもあり、将来、革命の嵐が吹き荒れるロシアの姿を予言する「予言の書」であるともいうことができるだろう。

  • いつから読み始めたのか、もう覚えていないが、ようやく読み終わった。長編小説を読む元気が長らくなかったため、読みさしでかなり長いこと放置していたが、ひさびさに開いて読んでみたところ、わりあい容易く読み終えてしまった。長編小説って、読めるときは読めるし、読めないときは読めないもんですね。

    内容について、改めて何か書く必要など無いくらいに有名な本だと思うので、とくに内容についてまとめたりはしません。そういうのは不得手ですし。

    印象に残った部分をひとつ引用したい。

    「《人間の内部にひそむ野獣の動物的本能はいとうべきものだ》彼は考えた。《だが、それが純粋な形であれば、人は自分の精神生活の高みから見下ろして、それを軽蔑することができる。たとえ堕落しようと、自制しようと、これまでどおりの自分でいることができるからだ。ところが、この動物的本能がいつわりの美的で詩的なヴェールの下に隠れていて、自分に対する跪拝を要求するような場合には、人はややもするとその動物的本能を神聖なものにしながら、もはや善と悪の区別がつかなくなって、その中へ没入してしまうのだ。そうなったら、恐るべきことだ》」(pp. 180–181)

    私たち人類は今もなお、「いつわりの美的で詩的なヴェール」に隠れた「動物的本能」の陥穽に嵌ったままで、ずっと抜け出せないでいるように思います。もうずっと「恐るべきこと」の渦中にいるのだと思います。いったい、いつになったら自由になるのでしょうか。この本にはそのヒントも書かれているように思いますが、そうなる時が来る気配はまだまだ感じられません。フロイトはアインシュタインとの書簡で、人類が十分に文化的になれば自ずと争いを嫌悪するようになり戦争はなくなる、といったことを言っていましたが、文化的には程遠いように見えます。

    また、「文化」的なものにも注意しないといけないのではないかと、そんなことをふと思いました。そこにもヴェールに隠れた「動物的本能」が紛れており、われわれに跪拝を要求している。となると、いったい何を信ずべきで、何を遠ざけるべきなのでしょう。それはどのようにして、見分けられるのでしょうか。

    ……そんなことを考えると恐ろしくなってしまうので、程々にしておきましょう。

  • 思想書の様な雰囲気はある。当時のロシアの世相についても理解を深めることができた。おすすめできる良書だと思います。

  • 高校生の頃トルストイはおおむね読んでいて、特に『幼年時代』『少年時代』とかは好きだったが、この『復活』だけは何故か読まずに来てしまった。
    本作は後期トルストイの、例の「転向」後のものなので、彼のストイックなキリスト教信仰や道徳観がここには強く現れており、当時のロシアの裁判や行政に関する批判が詳細に語られていたりする。
    ただしこの長編では、主人公の動機は宗教というより道徳的な改悛の情であり、若い頃の放縦を悔やむその真面目さから、自己の無産階級的安逸を否定し、自分の土地の私有制の廃止をもくろむ。
    キリスト教への回帰は、一番最後のシーンでやっと登場するのであり、つまりここでは、信仰から道徳が生まれるのではなくて、道徳から出発して信仰に到達しているのである。
    ただ、小説としては、「世界文学の名作」と言えるほどには優れていないような気がした。エミール・ゾラの作品の方が、トルストイより上なのではないか? そんなこと、高校時代の私には思いもよらないことだったが。
    そして倫理、「善」への意志の純粋さ、燃えるような情熱、強靱さにおいては、トルストイよりも我が国の宮沢賢治のほうがずっと素晴らしいのかもしれないと思った。

  • 母親がロシア文学が好きで、実家の本棚には今も「カラマーゾフの兄弟」だの「白痴」だの「チボー家の人々」だの(※これロシアじゃない;)がズラっと並んでいるんですが、どうも私はロシア文学が苦手で、登場人物の名前を覚えるだけで一苦労なものですから、ドストエフスキーの短編とか、チェーホフの戯曲くらいが限界という有様(ちなみにロシア映画は大好きなんだけど)。そんな中で唯一読んだ長編がこの「復活」。

    前述ロシア文学好きの母親は、私が子供の頃に「歌を歌って」とせがむと、♪カチューシャかわ~い~や~(※「復活」が日本で映画や舞台化されたときの主題歌?)だの、♪りーんごーの花ほころーびー(※ロシア民謡のカチューシャ。「復活」とは無関係かと)だの歌いだす人だったので、かろうじて「カチューシャ」にはなんだか愛着があったのですよね(笑)(余談ながら他に母のレパートリーには「青葉の笛」という平家物語の熊谷直実と平敦盛をモチーフにした歌があり、そんな子供の頃の刷り込みのせいか、平家物語は大人になってキチンと読みました)

    でもロシア文学長編はこれが限界でした。やっぱりロシア文学って読み難い・・・

  • 上巻を読み終えた際、
    数奇な運命に翻弄され、再び引き寄せられた二人は、
    この後一体どうなってしまうのかと思った。
    しかし、あのような結末を迎え、
    その結末を読者の自分は受け入れつつも、
    他にも違った物語の終わり方があったのではないかと
    考えさせられた。

    ハッピーエンドなのか否か、
    といった次元では判断できない結末だと思う。

    いつの間にか喪われていた、
    人としての誇りや生の実感を「復活」させ、
    お互いが「己にとっての正義」と信じた事の実行に向かい、
    突き進んだ二人の姿は美しい。

    物語もいよいよ終わりを迎えようとした時に、
    刑務所の事務室で二人で交わす会話がしみじみと美しくて、
    自分は好きだ。

  • 綺麗な構成と流れるようなストーリーという完璧さがかえって短所になっているというすごい作品。ガチガチなエンディングもその完璧さに輪を加えてしまうというアンヴビヴァレントさ。なんか完璧すぎるんだよなあ。
    ーーーーー
    青年貴族ネフリュードフと薄幸の少女カチューシャの数奇な運命の中に人間精神の復活を描き出し、当時の社会を痛烈に批判した大作。シベリアへの長い道のりを、ネフリュードフはひたすらカチューシャを追って進む。彼の奔走は効を奏し、判決取り消しの特赦が下りるが、カチューシャは囚人隊で知り合った政治犯シモンソンとともにさらに遠い旅を続ける決意を固めていた。―帝政ロシアにおける裁判、教会、行政などの不合理を大胆に摘発し、権力の非人間的行為へ激しい抗議の叫びを浴びせる人間トルストイの力作。

  • ネフリュードフとカチューシャの物語のしてみると、報われない恋というかきっとこの先それぞれにとっての人生での幸福や充足が期待される展開でよかったなと。ラブロマンスとしては物足りないような気もするが、きっとトルストイの描き出したかったのはそこじゃないと思うからどうでもいいっちゃどうでもいい。
    最初の方は格差社会に対する強い批判を感じていたけど、実はそうではなく当時のロシアの徹底的警察主義を批判していると言うもの。たしかに批判の標的になるのは司法や刑罰に関するものばかりで、貴族を糾弾するわけでもないし社会主義を強く擁護したりするわけでもない。最終的にネフリュードフがたどり着いた救いの道は、ある意味基本にかえるということのように感じた。福音書に書いてあること、ただの理想と思っていたけれどもいざ心境が変わってから読むと真理が浮き彫りになってくる。世界の真理というは絶対的に単純なもののはずだけれども、抽象的すぎるために現実世界で実践するには幾多もの解釈が生まれて複雑になるような気がする。

    みな人間はその愚かさを自覚すべきであり、そうなると人間が人間を裁く、罰するということはちゃんちゃんらおかしいというのがイエスの教え。右の頬を張られたら左の頬を差し出しなさい。神を信じず自分を信じる、といった老人の主義は、本質的にはこのイエスの教えと通ずるもののはずなのに、キリスト教を布教するイギリス人の目にはそう映らなかったのはなぜか?こんなに言葉で説明するのが難しいことを、小説という形にして見せてくれるトルストイ、やっぱり大文豪だ。

  • カチューシャには特赦が降りるが、彼女はネフリュードフへ別れを告げ、自身に思いを寄せる流刑囚シモンソンと共に生きることを選ぶ。貧富の差や正義のあり方などロシア社会の不条理にネフリュードフは気づき、カチューシャは流刑囚達との生活から強い影響を受けそれぞれ立ち直っていく。ネフリュードフとカチューシャが愛し合いながらも別れた結末はよかったと思いました。

  • ネフリュードフとカチューシャの単なる恋物語じゃなく、ネフリュードフを通してロシアの裁判、刑務所の問題をトルストイが訴えているように感じた。ロシア収容所事情が知れる。犯罪についても冤罪者についての考察が所々に書いてある。ラストは少々あっさりしていて少し拍子抜け。(自分の理解不足のせいも) 一度読んだだけでは判断しにくかった。

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著者プロフィール

一八二八年生まれ。一九一〇年没。一九世紀ロシア文学を代表する作家。「戦争と平和」「アンナ=カレーニナ」等の長編小説を発表。道徳的人道主義を説き、日本文学にも武者小路実らを通して多大な影響を与える。

「2004年 『新版 人生論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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