変身 (新潮文庫)

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制作 : Franz Kafka  高橋 義孝 
  • 新潮社 (1952年7月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (121ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102071014

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変身 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 家族のために一身に働き家族を支え、
    ある日目を覚ますと大きな1匹の蟲へと
    変身していた主人公グレーゴル。

    善き息子、善き兄、勤勉な社員としての自分。
    すべてを捨てて蟲となった時、皮肉にも
    あらゆるものから解き放たれ、本質としての自由を
    手に入れ、孤独の中に安堵を見出したのだろうか。

    現代にもというよりは、現代社会こそ
    カフカの世界に通じる問題がリアルにそこ此処で
    共感しやすい作品になっているようで、
    なんとも悲しく遣り切れない思いもする。

    人生には苦しく辛いことのほうが多く、
    見たくない現実はすぐそこに山積みで。
    絶望するのは容易く、希望を持つことは難しい。

    生きていることの意味や自分の価値、
    目標や夢を持つことを強制されるような
    息苦しい社会の中で、強烈な自意識は
    孤独や絶望を生んでいく。

    自意識の檻を抜け、人目や人からの評価、干渉、を
    気にすることなく自由になった代わりに存在を疎まれ、
    グレーゴルを頼りきることで生きていた家族は
    皮肉にもグレーゴルの崩壊とともに自立を目指し
    自分にとって不利益なものとなったグレーゴルへの
    家族としての愛情と、疎ましく想う自己愛との狭間で揺れる…。

    家族という絶対的に思えて不確かな集まりは
    他人よりも遠くすれ違う。
    社会、家庭への冷えた感情、孤独に追い込まれ
    虚無へと回帰するカフカの独白と迷い、願望とも思えた。

    優しい人も、優しい現実も現代では
    幻想に近いのかもしれないけれど、
    ニヒリズムの向こう側に光を見いだせるほどの
    力強い明るさを持った優しさを持てる人になりたい。

    心という目に見えない闇の表象。
    カフカという世界を垣間見れた体験に
    たくさんの感情が静かに震えた。

  • カフカの有名な不条理小説。読了は10年ほど前だが、印象深い小説であったことを憶えている。
    突然変身したアレに対して、本人も含めて家族にもそれほど驚きが大きくないのに違和感がある。(笑)だが、それは無理にアレに変身しなくても、「変わり者の引きこもり」「うつ」になったなどと言い換えても良いわけで、「変身」は事態を面白く引き立たせあぶりだすための寓意だからであろう。
    当然のことながら貴重な体験をしている主人公の葛藤の描写は大変に面白い。だが、主人公もさることながら周囲の家族の群像劇が秀逸で、わけても妹のこの事態への対処と、最後の移り身の早さにはとても注目できる。そのまま現代家庭の描写と言っても通じる小説なのではないだろうか。現代社会における家庭の不条理さをえぐる名作。

  • Google先生によると、今日(2013年7月3日)はカフカの生誕130周年との事で、思いついて持っていた文庫を引っ張り出して読んでみた。

    昔読んだ時(多分高校か大学の時?)は陰鬱で不条理で、虫になったグレーゴルのかわいそうな話だと思っていた。
    今回読んだら、思っていたよりも、陰鬱と言うよりはブラックユーモア的だったし、グレーゴルは単なる語り手で、ザムザ家の家族の話だったのかもしれない、と思った。
    ザムザ家は、グレーゴルを切り捨てる事によって再生し新たな道を歩んで行く。
    昔は単純にグレーゴルに同情していたけれど、実は虫になるまでは、ザムザ家はグレーゴルの小さな王国だったのではないかと。
    事業に失敗し借金を抱え、働けなくなった父、専業主婦の母、ヴァイオリンの好きな、家にいるだけの妹。
    愛情はあったかもしれないけれど、自分が養っているという自負と、そんなグレーゴルに頼る家族の共依存。
    そこから再生する為に、グレーゴルは虫にならなくてはいけなかったのかな。

    ※それにしても、色々な方のレビューを読むと感じ方が本当に人それぞれで、目からウロコな気分。何年かして読んでみたら、自分の感じ方もまた変わっているのかも。

  • これほどまでに何とも名状しがたい、奇妙な読後感の作品は初めて。

    カフカの「変身」。
    あまりにも有名なので、どんな内容なのか予備知識はあったものの、
    一度きちんと読んでみようという事で、手に取ってみる事にしました。
    解説を除けば100ページ弱という、薄っぺらい本。
    1時間程で読み終えてしまいますが、どんよりと心に澱のようなものが残る。

    ある朝目を覚ますと、グレーゴル・ザムザ青年は巨大な虫になっていた。
    何ともシュールな出だしで、否応なく物語に引き込まれてしまいます。

    突然の怪事に、仰天しながらも心配する家族達。
    グレーゴルは必死に自分の意思を伝えようとする。人間としての心があると。
    でも家族にはそれが伝わらない。やがて意思の疎通もなくなっていく。

    グレーゴル(ムカデのような虫らしい)の視点から描かれているため、
    せわしなく動く足だとか、鎧のように固い背だとか、描写がリアル(笑)
    嫌悪感と興味深さ(と怖いもの見たさ)がない交ぜになったような気持ち。

    そもそも何故彼が虫になってしまったのかには触れられていませんが、
    その分色々な解釈がありそうで、またいつか読み返したい一冊になりました!

  • かなりショッキングな内容でした。
    一匹の巨大な虫は、虫そのものを意味するのではないような気がします。
    もし自分が突然、部屋から一歩も出られず、家族の重荷になってしまったら…
    虐待、介護、引きこもりなど、様々な家族の問題が頭の中をよぎり、深く考えさせられてしまいました。

  • 介護の妥協点。それぞれの視点による、人生の向き合い方。幸せのためには何かを捨てるべきなのか?
    読む人により、読後感が大きく違うのではないだろうか?
    虫になったグレーゴルの疎外感は他人事には思えなかった。いつだって社会から逃げたい。でも離れられないそれなのか…

  • ザムザは「私」だ。

    毎日を平穏無事に過ごせているけれども、いつ何時、事態が急転するかわからない。
    身体の自由がきかなくなるかもしれないし、精神的に病んでしまうかもしれない。
    昨日までとまったく違う自分に、明日はなってしまっているかもしれないのだ。

    だからザムザは「私」だ。




    ザムザはたまたま「虫」という形になっただけであって、形はかえずとも、ある日突然隣にいた親しい人物が、人のカタチをしたまま、何か別のもにんなってしまうことはありうる。

    そうなったとき、私はどんな行動をとるのだろう。
    支えあい、たすけあう存在になるのだろうか。
    それとも・・・・。


    引きこもり、介護、そして家族。
    読んでいる間、いろいろなことが頭の中をまわった。

  • ある日突然、自分が虫になってしまうという奇抜な設定にばかりどうしても目が行きがちだが、己や親しい者の変化に対する戸惑い、人間の絆の脆さ、他者から見放される絶望、己は何をもって己たり得るのか、例えば愛する者の顔、身体、性格、記憶など、どこまでなら変わってしまってもその人として愛せるのか、などといった観点から本書を手に取った時、この物語はどこまでも"人間"の物語である。
    初めは虫になったグレーゴル・ザムザに対する気持ち悪さが先行するかもしれないが、終盤、寧ろ周囲の人間に対して一種の嫌悪感を感じる筈だ。
    終始暗い雰囲気が作品中に漂う中、ラストシーンの晴れやかな空気感が逆に虚しさを感じさせ、悲劇性を強調しているように感じる。

  • 中学生の頃読んだ時はわっっっけ分かんなかった。

    今もわかったとは言いがたいけど。

    少なくとも、自分の中身や感覚、脳みそが変わらなくても


    自分の姿形が変われば


    周囲はいとも容易に、劇的に変わっていくものなのだということが

    どストレートに伝わってきた。

    綺麗ごととか何にもなくて

    ただ単純に、自然にそうなっていくから

    心だけ置いてけぼりになって

    残酷な現実を直視したくない気持ちになる。

  • 中学生の頃、現象にのみ惹かれて読んだ。数十年後、改めて読み直した。グレーゴルの痛みと家族の痛みがやっとわかった。『そして鼻孔から最後の息がかすかに漏れ流れた』グレーゴルの孤独に涙が落ちる。

  • 朝起きて自分が虫になっていたら、どうするだろうか?どんなことを考えるだろう?

    少なくとも登場人物のグレゴールザムザとは全く違うように、この出来事を捉えただろうと思う。

    Wikipediaを見ると、カフカはこの作品を朗読する際に、笑ったり吹き出したりしながら朗読をしたそうな。そういう作品として、描いたってことになりますよね。

    そんなことを知らずに、文章だけ読んでいるとすごく暗い小説のように感じます。

    一方で、笑える話だよ、と言われたとして、読んでいたら、全然違うことを感じていただろうな。

    おもしろいね。

  • いやぁもう最悪な読了感。
    虫になったこと何回かあるんすか?っていうくらい
    淡々と日常が描写されていて恐怖覚えました。

    結局のところこの物語の核となる部分は何なのか…。
    ちょっと読み取れなかった気がします。
    虫であることに慣れて、むしろ楽しみ出すグレーゴル。
    この辺を少ーし引っ張れば何か掴めそうな気がするんだけど。

  •  言わずと知れたカフカの代表作。とある事情から、十数年ぶりに読み返してみました。
     この年齢になってくると昔読んだ作品を改めて読み返すという機会に恵まれることもポツポツ出てくるようになるが、当然ながらどれも最初の時とは印象がまったく異なる。
     この作品も単なる怪奇文学という記憶しかなかったが、介護の現実をある程度見聞きしてきた今の目で見れば、インパクトが段違いに大きい。

     ある朝突然、巨大な虫に変身してしまった主人公グレーゴル・ザムザ。それまでグレーゴルに支えられてきたザムザ一家は、大黒柱を失ったことで、生活のために働きながら変わり果てたグレーゴルを養っていかなければならない。将来の見通しも立たず、次第に追い詰められていく家族。それとともにエスカレートしていく、グレーゴルに対するネグレクトと虐待行為。
     幸せな家族を突如襲った介護の現実と顛末。グレーゴルは虐待と栄養失調で衰弱死する最期の瞬間まで、妹のことを案じ続けていた。一方グレーゴルの死後、介護の負担から解放された家族は、ようやく将来の展望がひらけて昔の平穏を取り戻す…。

     「家族の絆」を無邪気に理想化する発想への、強烈なアンチテーゼ。

  • ある朝、気がかりな夢から目を覚ますと、自分が一匹の巨大な虫に変っているのを発見するグレーゴル・ザムザ。なぜ、こんな異常な事態になってしまったのか・・・。謎は究明されぬまま、ふだんと変わらない、ありふれた日常が過ぎていく。事実のみを冷静に伝える、まるでレポートのような文体が読者に与えた衝撃は、様々な解釈を呼び起こした。海外文学最高傑作のひとつ。


    読み終わったとき鳥肌!
    失敗作だなんてうそでしょ。

  • 新潮文庫の歴代売上ベストテンにいつも入っている言わずと知れた名作。短いのもポイントなんでしょうね。
    全然関係ないが昔新潮のYondaプレゼントの中に、「文豪カップ」みたいなのがあって、「漱石」「太宰」「川端」「カフカ」というラインナップになっていて「カフカ浮いてるなあ」と思った記憶が。

  • 何度読んでも何度読んでも、正解がわからない。グレゴールの変身した虫って何なのか?本当にグレゴールだったのか?グレゴールは実在したのか?家族の想いは?働くことの意味は?永遠のテーマ。何百編でも読みなおしたい小説。

  • 善意は、それが善意であるという理由それだけでは、受け入れられないこともあるのだと改めて思いました。それがたとえ慈愛に満ちたものであってもです。少し、悲しいです。

  • ある朝、主人公が虫に変身していた。物語の展開よりもなぜそういうテーマ発想が生まれたのかに興味を感じる。カフカ自身の体験や精神構造を映したものとかそうでないとか。当時は帝国主義全盛期のヨーロッパ。第1次世界大戦に突入しようかという世相の中で、作者自身が感じた未来への警鐘とでも受け取ればいいのだろうか。

  • 久しぶりに再読。

    ある朝、グレゴール・ザムザは巨大な虫に変わっていた。

    この設定はやはり面白い。
    まだそれ程海外の作品を読んでいない若いわたしでも興味深く読みはじめられた。
    この作品は登場人物も多くないため、最後まで戸惑うこともない。
    ただ、突然巨大な虫になるという気持ち悪い設定にばかり気がいってしまい、物語自体を読むことは出来なかった。

    今読み直すと見えてくるもの、考えることも変わってくる。
    ひとに嫌悪され虐げられる虫、ひとの言っていることはわかるが自分の思いは伝えられない虫、周囲に理解されない孤独なひと、これは引きこもりのひとや心を病んだひとに近いだろう。
    ひとの側に立ってみれば、よくわからない理由で怒ったり塞ぎ込む虫は、気味の悪い脅威でしかない。

    この作品は様々な解釈が可能で、そこがまた魅力だろうと思う。
    わたしが思ったように読むことも、ザムザにカフカを重ねることも、ある日世界の価値観が全く変わってしまい戸惑う男の物語と読むことも、虫と家族の関係をもっと大きな関係に拡大することも、そのまま虫と人間の関係と読むことも、まさに十人十色というか読むひとの数だけの解釈がある。
    そして、その解釈の全てが正しく、また間違っている。

    不思議な作品だなと読み返して思う。
    短い作品でカフカ自身も出来の悪い作品と思っているのに、この作品はとても深い。
    様々な解釈をさせる象徴が明らかに書いてあるのに、それでいて掴みどころがない。

    解説を読んで更に答えの出ない疑問を増やすのも、また面白い。
    読む時期によって玉虫色のように姿を変える「変身」は、作品自体が変身している何度でも読み返したくなる魅力に溢れている。

  • これを喜劇と思って書いてたってところがまた面白い。

  • コミュニケーションを取れない場合、相手が実はどのように思っているかについて人間はかなり無神経である

  • 元々特別な愛情のある間柄であった妹が、だんだんとグレーゴルの扱いに適当になっていく有様は切なかった。。気持ちの悪い虫とはいえ、兄である認識はあったからこそ自ら世話をしていたんだろう、それが最後にはゴミ部屋で埃をかぶって、、切ない。でも彼の死に直面した三人の様子を見ると、家族としての想いがやっぱりあったんだなあ、気持ちの悪い「虫」に対する嫌悪と、家族に対する愛情、二つの感情が葛藤していた様子、読んでいて苦しかったなあ。

    解説にあったように、虫への変身ではない場合に置き換えて考えてみた途端にフム、、といろんなことを考えさせられてしまったなあ。「虫」じゃなく「登校拒否児」に変身した場合を考えてみたけれど、やっぱりビジュアルとか、意思疎通ができる・できないっていうところで大きく異なるんだろうと思う。

    虫になった彼の視点で主に描かれたこの物語全体も、カフカが希望した表紙絵も、やっぱり孤独感。。虫になってしまったとはいえ変わらず悶々と語り続ける主人公の目線に立っているからこそ、主人公が感じる孤独感とか、もどかしい、やるせない気持ちとか、強く感じた。家族と彼の関係を見るに、愛情の儚さとか、反対に家族の絆みたいなものも感じた。短くて単純なストーリーだけど、いろんな感情を湧き上がらせられた本だった。

  • 長年に亘つて、中高生を中心に読まれ続けてゐる(若しくは「売れ続けてゐる」)フランツ・カフカの代表作であります。初出が1915年。即ち丁度100年前。遠く離れた極東日本でもロングセラアとなつてゐる理由は何か。その一つに、実は本書の「薄さ」が関係してゐるのではないかとわたくしは想像します。それは何故か。

    学生を苦しめ、読書の習慣を奪つてしまふ「読書感想文」といふのがあります。まづ、強制的に本を読ませるのが逆効果だし、義務感から読む読書は快楽どころか苦痛であり、読後に文章を書かねばならぬとの強迫観念が、本離れに拍車をかけるのであります。さうすると生徒たちも自衛措置が働き、なるべく早く読める薄い本を選び、簡単な粗筋を紹介し、「ボクも頑張らうと思ひます」などと殊勝かつ無難な感想を書いて片付けてしまへば良い。

    そこで書店の文庫100選コオナァへ行く。ええと、一番薄い奴はと......うん、これかな。と、カフカの『変身』を手に取ります。どれどれ、巨大な毒虫だと、なにやら面白さうではないか。よし、これに決定。
    彼はレヂのおねいさんに『変身』を差出し、カヴァーは要りません、などと告げ清算をすませ、帰宅するのでした。机に向かひ早速読み出した彼ですが、5分もせぬうちに、激しく後悔するのであります。ああ、こんなことなら見栄を張らずに『坊っちゃん』にしとけば良かつた......
    かうして、『変身』は、今後も売れ続けることでせう。

    主人公はグレゴール・ザムザといふ外交販売員(布地を売つてゐるやうだ)で、ある朝彼が目覚めると、自らが巨大な毒虫に変身してゐるのを発見します。そんな異常な体験をしたら、普通の人なら衝撃のあまり、パニックに陥るところでせう。
    ところが我らがグレゴール・ザムザは、会社の上司からの叱責を恐れてゐたり、家族にこの姿を見せまいと苦心したり。さういふ心配をする前に、まづ「なぜこんなことになつた?」と疑問を呈するところではないでせうか。それが、「何だか困つたことになつたなあ」程度の反応であります。

    グレゴールの奮闘むなしく、家族にその姿を見られてしまふ(当然だ)のですが、家族の反応もをかしいですな。確かに衝撃を受けて右往左往するさまは描かれてゐるのですが、グレゴール=毒虫といふ現実をあつさり受け入れてゐます。普通なら、グレゴールはこの毒虫にやられたのではないか?などと推理するのが下世話かつ常識的な線ではありますまいか。

    父は怒り、母は目を背ける中、毒虫の世話は妹の役割となります。みんな迷惑さうです。しかし一番かはいさうなのは、当然グレゴールであります。彼は家で唯一の働き手として、嫌な仕事もこなしてきたのに、家族はそんな感謝は見せず、まあ面倒なことになつてくれたよとゲンナリしてゐます。誰が外部の人間に相談するでもなく、勝手に懊悩するのです。こんな扱ひぢやあ、グレゴールの前途は容易に想像つくではありませんか......

    かかる不条理な物語ですが、取つ付き難いことはなく、ペイジを捲る手は止まらないのであります。これは試される家族愛の物語でせうか。それとも本質を見抜けない凡人を嘲笑つてゐるのでせうか。或は、日常の激務に疲弊したカフカ自身の変身願望の表れなのか。
    まあ良く分かりませんけど、わたくしが言へるのは、小説としてまことに面白く、読む度に色色な妄想が湧いてきて愉快であるといふことです。例へば安部公房作品が好きな人には、お好みの一冊となり得ませう。いや、安部ファンならとつくに読んでゐますかね。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-573.html

  • グレーゴルが虫に変わってしまったことを認めたくないけど、認めざるを得ない家族の葛藤を感じた。グレーゴルは最後まで冷静に自分の状態を観測している。最初はグレーゴルに気を使っていた妹が、自分たちの将来を考えだし、兄であるだろう虫を放り出すしかないという考えを言葉にした場面は震えた。妹は虫を兄ではないと無理やり思い込むことで現状にけりをつけようとしていたのだと思う。
    グレーゴル視点で実は家族が主人公なのではと考えた。

  • 朝目覚めると自分が巨大な虫になっていたという現実離れした設定に淡々とした文章が最後まで続き、読了後はこの小説が名作として時代の流れに堪えている理由がなんなのか全く理解できなかった。

    しかし、後書きでカフカのユダヤ人としての生い立ちや家庭環境を知り、虫になった主人公はカフカが終生感じていた疎外感を象徴しているということを知った。その後でもう一度小説を振り返ると、確かにそこにはどの時代にも通じるメッセージが込められていることに気づいた。

    思い出されたのは、少し前に亡くなった実家の祖母だ。私が幼い時、祖母は私をいつも可愛がってくれ、両親から怒られた時も祖母はいつも私の味方だった。祖母のいない生活は考えられなかった。しかし、祖母がだんだんと歳をとって日々の生活も覚束なくなり、さらに痴呆の症状が見え始めると、最初は困った時は助け合うのが家族という当然の気持ちで助けていた。しかしそれが長引き、介護の負担で自分たちの日常生活にまで影響が及んでくると、口には出さないものの徐々に祖母を疎んじるようになった。そして最後に亡くなった時は、祖母を失ったという一時の悲しみはあるもののどこかホッとした安堵の気持ちがあり、介護で犠牲にした時間を取り戻すことができるという静かな高揚感に浸ったというのは、認めたくはないが事実だ。

    いま、記憶を辿りながら過去の出来事を思い出していると、『変身』の主人公は私の祖母そのものであり、冷酷で非情だと思っていた主人公の妹は自分自身であることに気づいた。この物語が時代を越えて読み継がれるのは、多くの人がこの物語の登場人物に自分自身を見出すからだろう。人間とはなんと移ろいやすく、自己中心的な生き物なんだろうと改めて思った。

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変身 (新潮文庫)の作品紹介

ある朝、気がかりな夢から目をさますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっているのを発見する男グレーゴル・ザムザ。なぜ、こんな異常な事態になってしまったのか…。謎は究明されぬまま、ふだんと変わらない、ありふれた日常がすぎていく。事実のみを冷静につたえる、まるでレポートのような文体が読者に与えた衝撃は、様ざまな解釈を呼び起こした。海外文学最高傑作のひとつ。

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