ドリアン・グレイの肖像 (新潮文庫)

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制作 : Oscar Wilde  福田 恒存 
  • 新潮社 (1962年5月2日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (428ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102081013

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ドリアン・グレイの肖像 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 今日、仕事帰りにTSUTAYAに寄ったんだ。DVDを選んでいたら、近くに20才前後のカップルが来たんだ。男は向井理みたいで、女は武井咲みたいだった。俺は、何となく二人をずっと見てしまった。ニヤニヤしながら。そしたら、「何見てんだ?」みたいに見られたんだ。その時、気付いたんだ。そういうジロジロ見てるジジイやババアはたくさんいて、かなり前までは俺もジロジロ見られてたけど、彼らの気持ちが分かったんだ。確かに、女の子の方はかなりの美人でかわいくてミニスカートに白い肌がエロかったけど、俺は断じて、いかがわしい気持ちで見ていたわけじゃない。俺はその時、こう思っていたんだ。

    「若さって、素晴らしいな」

    は?

  • 「もし『ドリアン』がいつまでもいまのままでいて、代りに肖像画のほうが年をとり、萎びてゆくのだったら、どんなにすばらしいものだろう。そうなるものならなあ!」

    画家がワイルドの前で発した一言がはじまりだった。

    この小説に登場するヘンリー卿の、人を惹きつける様な逆説と快楽主義の言説の数々は、この小説の大筋、すなわちドリアン・グレイの物語とは独立しているように感じられる。おそらくそれらはワイルド自身の言葉であり、彼はかねてからそれを何かしらの形で表現したいと思っていたに違いない。
    彼は画家の言葉に物語を思いつき、主人公に影響を与える人物としてヘンリー卿を設定し、その口を借りただけなのかもしれない。
    彼の言葉を読むだけでも、この小説は価値のあるものだと僕はおもう。

    「誠実な人間は恋愛の些細な面しか知ることができない。きまぐれな浮気者だけが恋愛の悲劇を知ることができるのだ」(p.33)
    「ぼくにとっては、美は驚異中の驚異だ。ものごとを外観によって判断できぬ人間こそ浅薄なのだ。この世の真の神秘は可視的なもののうちに存しているのだ、見えざるもののうちにあるのではない……」(p.50)

    その酔いも覚めやらぬうちに、物語はドリアンとその肖像へと主題を移していく。
    肖像画がドリアンの罪や堕落を代りに蓄積し年をとっていく、という(画家の一言に端を発した)どこかSF的な設定が、常人離れした美を持つ主人公の葛藤を描き出す。肖像画の表現も妙にリアル。

    「これはおれにとって良心と同じようなものだったのだ。」という、クライマックスの主人公の気付きで全てが線になった。
    シビルの死以降おもに表される、ドリアンが肖像画に脅えるさまは、まさに人が罪を犯すときに感じる「呵責」であり、
    彼がそれに繍布を被せて向き合わないようにし、挙句の果てには屋根裏に封印するのも、まさにそれが「良心」の象徴だからなのだろう。

    あと気になったのが、美の象徴たるドリアンが「美なるものの創造者」(序文より)である芸術家を殺す場面だ。肖像画にナイフを突き刺す最後の場面より如実に描かれ、『罪と罰』を髣髴とさせる凄惨さで、この小説において奇特に浮いている。
    もしかしたら、これこそ唯美主義、芸術至上主義者としてワイルドが一番描きたかった場面なのかもしれない、と少し思った。人は結局、美そのものにはかなわない。考えすぎかな……

    「芸術が映しだすものは、人生を観る人間であって、人生そのものではない。」
    序文の中でこの言葉が一番すきだ。個人的に。
    肖像画の中に映し出されたあらゆる醜さは、客観的に「罪」とされるドリアンの人生そのものでなくて(彼が犯した堕落や悪行は噂として語られるだけで具体的に描かれない)、それを主観的に見つめるドリアンのこころだったとしたら、彼はほんとうの意味で悲劇の主人公だなと思った。
    ヘッティ・マートンのくだりを読むあたりで、ドリアンの愚かさに誰もが気付くだろう。彼はその愚かさゆえに、自分がその過去を罪だと感じていることにさえ気付かず死んだのだ。

  • この本は展開性を重要視してはいない。
    神を棄て、美に溺れ、快楽の骨頂を得る為に、自身を滅ぼしていく。
    ―芸術家の在るべき姿。

     一言一言が美しいのだ。綴られた言葉の一つ一つが厳選された生花の様に、―それは月の蒼い光を帯び、或いは水滴を纏い陽光の下で煌めく。 全てが無機的でありながら煌びやかな七色の光を持つ、宝石の様な"生命体"だ。

    之がオスカー・ワイルドの、そして訳の福田さんの「協奏曲」への印象だ。

     あらゆる悲劇は美しくあれ―。其れは私が胎内から外界に触れた瞬間に、この二つの眼球を駆使して認識する世界の中で生まれた我が舞台を華やかにする、唯一の意義を齎す、究極の展開だ。
     死した知己に悲嘆し絶望に呑まれ、闇を知る自己の姿が、感情が、―安易に味わえない劇的な展開によって、突如として生み出されたそれらが、最も美しいものであると―。
     死んだ事実によって其の存在が最も映え、煌々と輝きを帯びて"生"を持つ。―それは何ら不思議なことでは無いではないか。

     快楽の逆は倦怠だ。
    あらゆる苦痛も快楽になり得る。倦怠に覆われた退屈のみが、最も忌むべき存在だ。

     この本は私の中で最高傑作の「絵画」だと認識したのである。―少なくとも、私が今まで出会った本の中では逸脱した芸術品、だ。

  • まず最初に述べたいのはワイルドの持つ逆説の美しさ。これは幸福な王子収録の短編についても言えるが、逆説を扱わせたら彼以上に巧みな人間はそういないかもしれない。だが逆説と言うのは、単純に言葉を弄するだけのものではないという事にも気付かせてくれる。
    時として真理を外れたかのように見える、ある意味『過剰な逆説』と言えるような違和感も感じないことはない。しかしそこで立ち止まって考えてみると、逆接には真理を言い当てようと言う意図のほかに、重要な役割が潜んでいる事にも気づかされる事になる。それは思考の『枠』を外す行為だ。固定観念からの解放と言うだけでも、鮮やかな逆説は十分に意味のある働きをしたといえるのではないか。
    そもそも人間は常に文脈で生かされている。それはミクロにもマクロにもあって、その一番大きいくくりは歴史に違いない。人間は先人の積み上げた歴史を通してしか世界と向き合う事はできない。それ故に、そこに逆説が生まれる。
    逆説が生まれる。と言うのがどういうことなのかと考えてみると、それは世界のありのままの姿と、我々の持つ、我々の歴史持つ見解とが食い違いを見せているということを証明してることに違いない。そしてそれはあらゆる事物に適応できる考え方である。逆説に至る前の『順説』なるものの存在が、そもそも歪んでいる。
    本来、ある事象に解釈を加えるとき、二通り以上の解釈は両方が排斥関係におかれないことが多い。人間が一般的に思っているほど論理性は択一的でも限定的でもないからである。我々の論理性に一種の必然性を付加するのは、まさに歴史的に積み上げられてきた偏見に過ぎない。
    鮮やかな逆説の応酬には、そのような事を考えさせられた。

    物語の本筋としては、まずワイルドの持つ芸術への感性に大いに共感と憧憬を感じた。審美派、耽美派と言えるその方向性は作品を貫いて華やかで幻想的で、どこか不安定である種陰鬱な印象を醸している。

    作品で表現されていた事の中にも、また逆説が潜んでいるように感じた。自分の実在と、魂を切り離す事に成功し、老いや罪を肖像画に背負わせる事であらゆる呪縛から解放されたはずのドリアンが、その事によってかえって逆に『肖像画』と言う存在に縛られ、不自由な生と数奇な運命を辿る事になるという逆接。肖像画により永遠を得たはずのドリアンは、最後には肖像画により人生に幕を引く事となる。
    『肖像画』というものが一体何の象徴だったのか。それには『良心』と言う言葉もあてられていたが、それは『魂』でもありえて、そして『罪』でも『破滅』でも『恐怖』でもありえるし、そしてそのまま『本人』でもありえる。
    自分の行為によって、世界との関わりによって自分が全く変化せず、影響を受けず、変化するのは常に肖像画だとしたら...一体本当の自分と言うのは身体か、肖像画なのか...
    そこからは物心二元論にも通じる深い問いかけが存在していると感じた。
    何より肖像画という特異な存在を通して、我々が普段見落としがちな沢山の真理を異化し、改めて考察するのには大きな意味があったと思う。

    ヘンリー卿の述べた忠実さについての言葉は、ここ最近頻繁に考えていた事と合致していたので興味深かった。
    こういう連中が忠実と呼び、まことと名づけているものを、ぼくは習慣の惰性とか想像力の欠如とか呼ぶ。感情生活における忠実さというものは、知性の生活における一貫性と同様に、失敗の告白に過ぎないのだ。
    忠実である。誠実であると言うことに、本当に意味があるのだろうか?と考えると、明確な答えなど得られないことに気付く。所詮は人間が、ある文脈において、ある種の人間に『有益』であると言うことから生み出した概念が、長い時間を経て人間性の中にこびりついた遺産に過ぎないのではないか?時としてその忠実さ、誠実さへの固執は... 続きを読む

  • 名言のオンパレード。ヘンリー卿に注目。

    デカダン的な香りが強烈に漂うがそこに嫌気がささなければすらすら読めて行く。必読の書。

  • 年末に購入してようやく読了。ワイルドの美意識が炸裂、芸術がある男の一生を崩壊させていくという芸術史上主義のマニフェスト。

  •  オスカー・ワイルドという創作家は、すぐれた芸術家なのかどうなのかよくわからん人間である。その代表作とされるこの小説にかぎって言えば、少なくともわたしにとっては、(おそらく18〜19世紀以来)古今を通じて数限りなく世に生み出されてきたであろう、凡百の怪奇文学・お耽美文学の域を大きく出るものではない。<br>
     ワイルドはこの小説を通じ、美しく、自己崇拝に満ちた、悪魔的で、かつ息の詰まるほど魅惑的な人物を作り上げようとしたのだろう。だが、残念なことにドリアンの美しさも残酷さも、際だった印象を読み手のなかに刻印しない。それはドリアンが底知れない彼岸的存在としてではなく、自愛のなかにも自分が背いた倫理への恐れをかいま見せる、妙に人間くさいキャラとして描かれてしまったせいではないか。それも書き方によってはすぐれた題材になったのであろうが、この小説においては、その葛藤と背徳性についての描写がどちらも中途半端なまま、ドリアンの卑屈さと破滅だけが印象に残ってしまった。結果、小説全体がどこか大衆文学的なエンターテイメントの一作品に墜ちてしまったような気がする。

  • 期せずして永遠に続く美貌を手に入れてしまったことによる悲劇。
    老いること、醜く歪むことが、どれだけ彼を留めさせることができただろうか。
    ブラックジャックの「人面瘡」を思い出した。

    この本はとにかくヘンリー卿の印象が強い。
    ドリアンもそこそこ警句じみたことは言うのだけれど、何故かヘンリー卿に比べて非常に薄っぺらく見えてしまう。

    1つ文句を言わせてもらうなら、裏表紙の豪快なネタバレ。
    確かにストーリーの行く末自体は予測しやすいし、この本の魅力の一端でしか無い。
    でも裏表紙に書いちゃうのは違うでしょう……。

  • ごくたまに、こう言った甘く悪い夢のような世界に浸りたくなります。
    先に書いていた方が述べておられるように、今の年齢で読了して良かったと感じます。
    感性の変化が、いいのか悪いのかは別として。

    稀に見る美男子ドリアンが、他者の視点によってその美の価値を発見し、その持ちうる宝がもたらす恩恵を享受するという・・・始まりでしたが、この人物の欲と言ったら、病的でとどまるところを知りません。
    彼に魅了された腕のいい画家がその永遠とも思われる美を画布に刻みつけ、この先老いや醜怪に自分の美しさを晒すことを恐れたドリアンは、人間の身に起こる時間の経過のすべてを、画家が表現した美しい「ドリアン・グレイ」に委ねてしまいたいと願います。
    その願望は叶えられ、ドリアンは瑞々しい美しさとともに人生を謳歌していきますが・・・

    表現といい扱うモチーフといい、全体的に幻想的な雰囲気を醸していますが、人間の思考によって表現される言葉は時にその人の魂となりうること、人の心のうつろいやすさや脆さ、古典的なイギリス小説らしい文体、時代背景を巧みに織り込んだ会話。
    ただの幻想譚では終わらない、オスカー・ワイルドの書き手としての手腕を感じずには入られません。
    この年齢だからこそ、「ああ、いいものを読んだ」と満たされてと本を閉じられたのでしょう。
    思春期だったら、少しも作者の力量に気づかず、ただ精神を揺るがすものとして恐れたかもしれません。
    改めて言葉の力を感じる、いい物語でした。

    どっぷり浸ったところで小説の第二の楽しみでもある解説を読みましたが、「ドリアン・グレイの肖像」は実は作者自身の経験が多分にベースにあるようです。
    これを目にして作者の人柄を少なからず知ることができたのは嬉しかったのですが、個人的なわがままを許してもらえるなら・・この物語は完全な幻想譚であって欲しかった 笑
    例えるなら、気に入った物を購入した翌日に同じものがセールになっていた、ような気持ち(?)。
    それくらい、この世界に浸れたということなのだと思います。
    恋愛や官能を匂わせるものはディテールを淡くすることで香りが増すことがありますが(登場人物たちの恋愛感情も物語に配されています)、これはワイルドの実体験が本人の脳内で爆発した結果生み出された幻想だったのか?と、要らない考えがマイ幻想世界を破壊しようとしています。

    それにしてもいろんな意味で刺激的で美しい物語でした。もっとワイルドの小説を読んでみたいなと思いました。

  • オスカー・ワイルドがデカダンだの、同性愛者だのはどうでも良い。作中のシニカルな諧謔家ヘンリー卿は作者ワイルドの投影に見えるため、無垢なドリアン・グレイは読者、ドリアンを狂わせた本が本書という風に読めてしまう。素直に読んでいると、無垢な読者が、肖像画にナイフを入れた瞬間に老衰して自らを殺めたドリアンに変わっていくのかもしれない。深層にある歪みを描くオスカーが、「幸福な王子」の作者でもあるのだから、芸術家の多面性とは一筋縄ではいかない。「楡家の人々」と「船乗り少年クプクプ」の作者が同じ北杜夫であるように。

  • Sさんから借りたシリーズ。日本語難しいから思わず敬遠してて、気がつけば1年くらい積んでた。確かに日本語は難しいけど、ところどころおっと思うフレーズがあったり。まぁその分ややこしいとこも多かったけど…。
    ともあれなかなかハラハラする話で、結構面白かった。慣れたらくせになりそう。

  • 美しさにとらわれたが故の悲劇。自分を美しく見せたいがために、退廃していく心。ひたむきに自分の汚い部分を隠し、美しくあろうとしている姿はあまりにも窮屈な生き方をしているように見えた。もともとは瑞々しく美しい精神の持ち主であったはずが、純粋な故にとらわれて堕ちてしまう有様は、見るに耐えなかった。

  • 深夜ドラマでこの作品を知って、いつか読まなきゃと思いつつ5・6年経ってしまいました。オスカーワイルドや彼の他の作品については何も知りませんでした。
    肖像画が本人に代わって年をとる、というストーリーがわかりやすかったので、読みづらい文体でも読み進むことができました。特にヘンリー卿の(ワイルドの?)人生観が多すぎるくらいに散りばめられていたので、ひとつずつ咀嚼していたら時間がかかってしまいました。でも、印象に残る台詞ばかりで、納得するところも多かったのでとても興味深かったです。女性観については女性として、おや?と思う部分もありましたが。


    美という芸術に捕らえられた少年が「罪」を巻き込んで「成長」していく様子が「人生の論理」とともに描かれています。
    久しぶりに、読み返したい、と思う小説に出会いました。夢のような物語で、面白かったです。

  • 耽美と頽廃の世界。やっぱり良い。ヘルムート・バーガーもドリアン・グレイを演じたことがあるらしい。納得!

  • 結末とある程度のストーリーは知っていたから読めたものの、惰性で読まされていた感が強い。再読すれば魅力に気付けるのだろうか。

  •  類いまれなる美貌をもち一切老けないドリアンと、ドリアンの悪事によって老けていくドリアンの肖像画。美貌が重荷になり、自分の人生こそが芸術だと他人に称せられるドリアンの人生の恐ろしさは、一生共感できないと思う。そんな自分の人生に苦しんだ結果ドリアンがとった行動は、解説の方がおっしゃるようにまさに真面目なモラリストであるドリアンらしくて、小説のラストとしては好き。

  • ものすごく読みたい衝動に駆られて読み始めたけど、途中、何言ってるんだかさっぱり分からなかった…。読み進めるとなかなか面白かったけど、言葉って恐ろしいよねと実感させられる話だった。ドリアンが何か罪を犯すとああだ、こうだと自分に言い訳するあたり、大なり小なり誰にでもあることだと思うと、ちょっと自分に置き換えて考えちゃうなぁ…。

  • 購入

    美しければ美しいほど醜くなる恐怖は大きい。
    美しくない自分を見ることの恐怖。

  • 2015/9/25


    オスカーワイルドの二作目。

    最初、
    「おお…これは個人的に、私の内面を良くも悪くも抉る作品だな…好きだけど今読むのやめようかな…」
    次第に、
    「描写が…少しクドいな。何というか、これはワイルド節だな」
    最後に、
    「これは面白かった!」

    でした。


    39℃近い熱のなか読んだため(苦笑)
    所々曖昧な箇所はあるかと思うのですが、
    恐らく、表現したい根本的な部分を、
    何度も形や表現を変えて、
    あるいは同じ言葉をもって、繰り返しているため、
    神経質で執拗な表現のわりに、シンプルで分かりやすい気がしました。

    根底に筋が通っているような印象を受けます。


    何はともあれ、ワイルド節。
    基本的に、女性を排除している部分に、
    何となくゲイっぽい雰囲気がありますが、
    それは彼の芸術観なのか歴史的背景なのか指向なのか私の勘違いなのか、
    よく分かりません。

    ただ、登場人物3人の人間模様に、
    ゲイとしての三角関係は、あまり感じなかったかな?


    ラストが美しいくらい、纏まって終わったなぁと。
    個人的には、醜さと美しさのコントラストが、
    純粋に、一つの風景として美しいなぁと。


    彼本来の実力が発揮されているらしい戯曲は、
    私はまだ拝見しておりませんが。
    ラストを中心に、所々にある会話の掛け合いには、
    センスや面白さを感じました。
    また、そこに戯曲で有名な方の力を垣間見た気も致します。


    次は有名なサロメを読みたいなぁと思います。

  • 面白かった。
    美しき20歳の青年、ドリアン・グレイの肖像が完成したとき、その場に居合わせたヘンリー卿の青春賛美を聞いて、この絵が代わりに老けていけばいい、という戯言をドリアンは泣きながらつくづく思う。
    家に引き取ってからも飾らず隠していたが、女をきつく振ったある日、肖像が変化していることに気づく‥‥どんな悪徳も容貌の衰えも肖像画が引き受ける。

    果たして不老が幸せだろうか。この哲学的課題で描いてみせるさすがワイルドだなあ。

  • 再読。自分の代わりに年を取り悪徳を背負い醜悪になってゆく肖像画、というのは今読むと一種のドッペルゲンガーのような気もする。

    ワイルド自身を思わせるヘンリー卿が魅力的。彼の言うことはいちいち格言というか警句というか、引用したくなる名言の数々。ドリアンが影響を受けるのもわかる。

    しかしヘンリー卿はシニカルなだけで、犯罪を犯すような愚行はしない。そういう意味ではドリアンはヘンリー卿の影響がなくとも結局は堕ちていったんじゃないかなとも思う。バジルは貧乏くじ。

    余談だけどかなり古い文庫本なので表紙カバーの折り返しが映画の写真になっているのだけど(ヘルムート・バーガーがドリアンを演じた1970バージョンの)私の脳内ではドリアンのビジュアルはずっと「ベニスに死す」のビョルン・アンドレセンでした(笑)当時のヘルムート・バーガーはなんかちょっとマッチョなんだもん・・・

  • 自分の代わりに肖像画が醜く老いていく。
    自分は美少年のままで年齢を重ねる。

    凡庸な善人、頭の切れる不道徳な人物
    ドリアンは後者を選んでしまう。

    不道徳に惹かれてしまう思春期。
    ずっと思春期の中で過ごした顛末は
    ハッピーエンドではなかった。

    幻想的な物語でした。

  • 自分の代わりに自分の肖像が老けていく話。自分の知っている名言がこの小説からだということで読んでみた。最初は出てくる名言にわくわくしていたが、かなりの頻度で出てきたため飽きてしまった。

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ドリアン・グレイの肖像 (新潮文庫)の作品紹介

舞台はロンドンのサロンと阿片窟。美貌の青年モデル、ドリアンは快楽主義者ヘンリー卿の感化で背徳の生活を享楽するが、彼の重ねる罪悪はすべてその肖像に現われ、いつしか醜い姿に変り果て、慚愧と焦燥に耐えかねた彼は自分の肖像にナイフを突き刺す…。快楽主義を実践し、堕落と悪行の末に破滅する美青年とその画像との二重生活が奏でる耽美と異端の一大交響楽。

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