- Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102081044
感想・レビュー・書評
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ナイチンゲールとばらの花
ナイチンゲールが、可哀そうすぎて、忘れられない
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ツバメのエピローグ
以前、この本の真の主人公はツバメである、と感じたことがある。その思いは今も変わることはない。
これは何の変哲もない普通のツバメが、幸福の王子に出逢って自らの生き方を変え、愛に殉じる物語である。
物語とは、読み手の状況や感性によって、どのようにも変貌するものである。
最初ツバメは南の国を目指して旅をする予定だった。温かい国で仲間たちと、のんびり平和に暮らすつもりだったのだ。毎日何も考えずに、気の向くまま、適当に恋をし、自由に飛び回り、それなりに人生を謳歌していたのだろう。
しかし、王子との出会いでツバメの生き方は一変してしまう。
この世に生きる真の意味を知ってしまったのだ。人生の同じ方向を向いて生きていける誰かと出逢い、お互いの魂に寄り添いながら生きていくということを。だれかと同じ想いを分かち合うことを。
そうは言っても、王子とツバメは結ばれない運命であり、このまま王子の傍にずっといるということは、冬を越せないツバメにとって死を意味する。
少しづつ冷たくなった外気が、冬の訪れを告げる。
仲間のツバメたちが心配して、一緒に旅に出ようと誘う。王子もツバメに別れを促す。王子にとっても、ツバメは誰よりも大切な存在だったから。
しかし、ツバメは王子の傍を離れることはなかった。
例え死期が近づいても、昔いた世界には戻ることができなかった。もう王子と知り合う前ののツバメにはどうしても戻れないのだ。帰る場所はない。王子の隣しか。
だからツバメは死ぬのだ。冷たい骸を王子の足元に転がせて。
死ぬことでしか貫けない愛もある。それは人生の敗北ではない。
さあ、高らかと人生を賛歌しようではないか。
死は恐れるに足らず。
我が愛は心臓を貫いて血を流そうとも、俗に落ちず。
その清廉なる魂をとこしえに君に捧ぐ。
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ワイルドだけど安心して子どもに読める素晴らしい童話。
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オスカー・ワイルド、まとまったボリュームで読むのはたぶんこれが初めて。
「幸福な王子」「ナイチンゲールとばらの花」「わがままな大男」「忠実な友達」「すばらしいロケット」「若い王」「王女の誕生日」「漁師とその魂」「星の子」を収録。
昔読んだ「ナイチンゲールとばらの花」、トゲに胸を貫かせて泣きながら歌うナイチンゲールの挿絵が忘れられない。
訳がたまに残念。好みじゃないのと、たまにだけど、たぶん単純に(失礼ながら)拙いと思う……。
それでも物語そのものの魅力にはすごいものがあった。ひねくれているかと思えば、その実、愛と賛美はひたむきで、その脆さ儚さ、かえりみない世間の残酷さと一緒に胸に刺さってくる。めでたしで終わってくれない、それさえなければといった締めくくりさえ、皮肉や冷笑よりもむしろ、情から生まれたものなんじゃないかと思われてならない。
読み手がひねくれたのか、今になって読むと、神様が舞台装置的に出現する「幸福な王子」はいまいちな感触。罪も救済もなく、心ひとつに終始する「ナイチンゲールとばらの花」、美と死が緻密に織り込まれた絵画のような「若い王」が特に好き。
「漁師とその魂」は断然、BOOKS桜鈴堂版を推したい。 -
慈愛など、人間の美しい面を描く一方で、
人間の醜さに対する皮肉的な描写も多かったと感じた。
そのせいで、童話のわりにあまり読んでいて、楽しいとは思えなかった。 -
鳥や花や月の声が聴こえます。
宮沢賢治もオスカーワイルドが好きだったかな… -
ある人が言いました。
「私は『幸福な王子』がダイキライなの」
僕は『幸福な王子』を読んで泣きそうになった。
鼻につく宗教観のなかでも、
そこに間違いなく
生き物に大切な感情が
しっかりと根付いているように思えたからだ。
またある人は言いました。
「善いことをすればそれでいいわけ?
自己犠牲で幸福を感じろなんて
それは嘘の善性だわ」
その嘘の善性に、僕は心を衝かれているのだろうか。
たとえそこが重く澱んだ湖の底であっても
屈辱や悲惨を忘れるために
陽の光を感じることがあったって、
いいと自分は思いたい。 -
表題作「幸福な王子」がうろ覚えだったので読みたくて手に取りました。
あとがきも参考にして。
身を捧げてまで尽くす王子とつばめはとても美しい描写なのに対し、市長や市議会議員たちの行動はエゴで醜く感じられた。
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AZUKIさんも影響を受けたというワイルドから。おそらくだが、「Happy swallow」はここからきていると思う。
アンデルセンの童話と同様、最も著名な童話。表題作をはじめ、ワイルドのすべての童話がおさめられている。
’愛’というものに裏打ちされた作品が多く、その残酷さ・美しさ・畏れというものがくまなくちりばめられている。やっぱり愛というものはそういうものなんだなと。
作品の多くから、キリスト教が連想される。しかし、そうじゃなくても愛はひとりでできるものではないから、空回りも多いし見ていてつらくなる。愛するなら身をもって、そうじゃなければ真実(ほんとう)ではないような気がする。 -
社会風刺にあふれ、哲学的な示唆に富んだ童話集。子供の頃読んでいたら怖かったと思うので、いま読めてよかった。不公平で非情な現実をしっかりと写し出しているので、愛や憐れみなど純粋なものがより透き通って見える。表題作が特に好き。あたたかい気持ちになった。
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これが童話か…童話……なんかこう…聖書というか、なんか教訓的でも子ども向けハッピーエンドでもない話が多くてアーー!となりました。
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幼い頃に読み感動し、深く心に刻まれた本の一つ。その頃本を読む習慣は全く無かったと思う。しかしこの本だけは、何回も読んだように思う。そして何度も泣いた。
王子も燕も可哀想で泣いた。
しかし今回は泣かなかったが、爽やかで、静かな感動を覚えた、
宮沢賢治を思った。銀河鉄道の夜やよだかの星等を思い出した。
自己犠牲という言葉が浮かぶ。
王子も燕もカンパネルラも可哀想と思う人は多いだろう。
しかし彼らは、まさに幸福なのだ。
自分の幸福は、自分の思考、行動、感性で決まるものなのだ。
そういった意味で彼らは、幸福だったと思う。
60歳を過ぎ、生きる意味、価値自分の使命を考えるようになった。
人々の為につくすことが、自分の幸福になるということを実感するようになった。それが自分の幸福、使命だと。
幸福な王子は、本当に幸福だし、燕も幸福だと心から思えた。 -
童話でも子ども向けでなく。
寓話は大人にもビターでわたしは泣く。
調和の取れたエンドばかりじゃない。
君にはならばワイルドを。
そこに幸せは転がっていないから。
君が転がった先は幸せであってほしい。
転がり傷つきまわりも巻き込んでしまって。
それでも君は幸せか。
ともあれ僕は君の幸福を祈る。
通勤快速でワイルドを読みながら、祈る。 -
オスカーワイルドの社会や教会に対する皮肉なのかな
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19世紀後半の童話。献身的な人間愛を謳った。「幸福な王子」「星の子」が良かった。2019.7.1
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幼い頃、祖母の家での記憶。
「幸福な王子」「ナイチンゲールと薔薇」の二篇が
大人になっても忘れられなくて。尚更忘れられなくて、
評価するのもおこがましいくらいの
私の人生において大切な本。 -
英国ウェールズ出身の作家、オスカーワイルドによる童話短編集。
文章、特に比喩が美しく宝石のように輝いているのが特徴なようだ。宮沢賢治を思い出させる。翻訳が古いので、やや読みづらく、読み終わるのにやけに時間がかかった。
全編を通しての特徴としては、動物や植物が擬人化してあり、人の言葉を話す。主人公も長所と短所どちらも持ち合わせていて、童話らしくなく人間臭い。
著者はゲイであるというだけで、収監されて不遇な晩年を送ったという。気の毒としかいいようがない。