北回帰線 (新潮文庫)

  • 425人登録
  • 3.37評価
    • (15)
    • (9)
    • (57)
    • (5)
    • (1)
  • 33レビュー
制作 : Henry Miller  大久保 康雄 
  • 新潮社 (1969年2月3日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (561ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102090015

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
サン=テグジュペ...
ドストエフスキー
ヘンリー・ミラー
三島 由紀夫
村上 春樹
ボリス ヴィアン
ドストエフスキー
ジョージ・オーウ...
フランツ・カフカ
フランツ・カフカ
有効な右矢印 無効な右矢印

北回帰線 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • ジュネが糞や小便に塗れた溝板に浸かりながら、胸に薔薇を刺して艶っぽく正装しているのに比べ、ミラーは同じ様に視えて、胸の薔薇に乾いた精液を塗りたくり汚物の中を得意気に闊歩している。。うーん。いかにも亜米利加人的だな。仏蘭西が舞台なのに、仏蘭西を感じない…湿ったヨーロッパ好きとしては、ミラーはあまりに亜米利加的だ。

  • 2017.6.18「一箱古本市in現代市」にて購入。

  • 北方健三さんがこの本のことを、
    「寝る前に読む本。どこから読んでも、どこで止めてもさしつかえない。面白いかというとそうでもない。」
    と言っていて、それってどんな本?と気になったので図書館で借りてみました。

    ・・・・この本が、私小説なのかエッセイなのか、はたまたファンタジーなのか、それどころか主人公が誰なのか、っていうかそもそもこの長い文章に少しでも意味があるのか・・・
    すべてにおいて全く理解不能の本でした。
    つまらなくても大体本は読み切る主義の私が、最後まで読み切れずに投げ出してしまった。

    下品な表現や汚らしい性描写も多いのですが、あまりにも意味が分からないため不快にさえなることが出来なくて、私には時間の無駄としか感じられなかったけど、評価を見ると必ずしも低くないんですよね。私の頭が硬いんだなあ。

  • ケルアックの『路上』に近い

  • 読みにくかった。これだけは覚えておいてねアンドレエの件だけ、吹いてしまった。

  • ロブ=グリエは取るに足らない作家である。というのがまずもって宣言しておくべき事柄なのだが、それに比較すればヘンリーミラーはいい。といっても比較しての話なのだが、ロブ=グリエの10倍はマシだろう。具体的に何がいいかではなくて、まぁ、マシ。というぐらいか実際は。とにかくロブ=グリエよりは少なくとも、いい。
    で、問題なのが、なぜ私はかくもH・ミラーとロブ=グリエを比較しようと思ったのかだ。それが、さっきから自分でもわからないのだ。

  • なんとも言えない怖さ。

  • 文学なのだろうが小説ではない。
    尋常でない量の言葉が、
    叩きつけるように綴られている。
    このバイタリティーはなんなのか。
    そここそが見所のような。

  • むうううう、これは小説なのか?自伝なのか?
    果たして面白いのか???
    これを面白いという方にいろいろお話を伺いたいです。
    感性をぶつけるという意味では、すごい一冊だと思いました。

  • 『ヘンリー・ミラーにはプロットが無い』とはよく言われることだが、なのに何故こんなに惹きつけられるのだろうか……。
    若い頃はピンと来なかったが、この歳になって読み返すと面白い。無茶苦茶だけどw

  • 難しかったけど、プロットを放棄した展開と、主人公の思考の描写だったり思想には独特の迫力があって惹きつけられる瞬間があったなぁ・・・。
    主人公の行動はむちゃくちゃに見えても、意識の流れ方は意外と現実的だったような気もした。

  • 『ぼくらの頭脳の鍛え方』
    書斎の本棚から百冊(立花隆選)89
    世界文学
    まあ、最低こんなところを。

  • 世界は半分しか感知できない。p91

    「あんたは、ただのすり切れた好色家よ。情熱の意味がわかっていないのだわ。あんたは勃起すれば情熱的になったと思ってるんだわ」
    「なるほど、そいつは情熱ではないかもしれない... しかし情熱的になれば勃起せずにはいられないぜ。こいつは真理だよ。そうじゃないかね」p188

    「性を神秘だとかなんとか思っているが、それが無だということを発見するわけだーただのブランクさ。そのなかにハーモニカやカレンダーを発見したらおもしろいだろうな。ところが、あすこには何もない... 全然何もない。いやらしいものだよ。おれは頭が狂いだしそうのなった... いいかね、そのあとで、おれがどうしたかわかるかね。早いとこ一発すませると、くるりと背を向けた。本当だよ。おれは本を取り上げて読んだのさ。書物からは、くだらぬ書物からでも何かを得ることができる... しかるに陰部は、こいつは、ただの時間の浪費にしかすぎないよ...」p194-195

    世界が破裂しても一向意に介さずー依然としてぼくはここでコンマやセミコロンをつけているだろう。おまけに残業手当までもらうこともあるのだ。というのは、大きな事件があると、どうしても最終の特別版にあるからである。世界が爆発し、最終版が印刷にまわされてしまうと、校正係は静かにコンマ、セミコロン、ハイフン、星印、少カッコ、大カッコ、ピリオッド、感嘆符等などを全部集めて、それを編集長の席の上方にある小さな箱に入れる。かくのごとくすべて規定されているのである(コム・サ・トラーテ・レグレ)....」p203

    決して絶望してはならない(イル・ス・フォ・ジェメ・デスペレ)p208

    ここでは、すべての境界は消え、世界は狂える屠殺場としてあらわれてくる。事実、世界はそうなのだ。千編一律の仕事は無限の彼方まで伸び、昇降口はぴたりと閉され、論理は放縦に走り、血なまぐさい肉きり庖丁が閃く。空気はつめたくよどんでいる。言語は黙示的になる。出口を示すものは、どこにもない。死以外は何も起こらない。盲目小路、そのどんづまりは絞首台である。
    永遠の都、パリ!ローマよりも永遠であり、ニネヴェよりも華麗である。まさに世界の臍だ。そこに向かって、盲目のどもりの白痴のごとく、人は四つん這いになって這い戻ってくる。また最後には大洋の真っ只中へ漂いゆくキルク栓のように、人はこの都で落ちつきも希望もなく、かたわらを通りすぎるコロンブスにも気付かずに、海の泡と海藻の中を漂う。この文明の揺籠は世界の腐乱せる下水渠である。悪臭を放つ子宮が肉と骨の血みどろの包みをかくす納骨堂である。p247

    もし人が自己の中心にあるあらゆるものを翻訳し、真に自己の経験せるもの、嘘いつわりなき自己の真実を書きしるすだけの勇気があるなら、そのときこそ世界はみじんに砕けるだろうとぼくは考える。p333

    人間は異様な動物(フォーチ)や植物(ウベーナ)をつくっている。遠くから見れば、人間はとるにたらぬ何でもないものに見える。近よるにつれ、醜悪に、悪意にみちたものに見える。何物にもまして、彼らは十分な空間をもってとりかこまれている必要があるー時間よりも空間が必要なのだ。p423

    【メモ】
    郷愁(ノスタルジー)と倦怠(アンニュイ)が同居した都市空間パリ。
    文脈づけられた個人。セックス

  • 自分の内面になんて興味ない
    なんで文学って悩むんだ
    いつから青年は暗いものになったんだ?
    鬱陶しいんだよ、おまえら。
    まして文学までついた青年なんてそりゃ根暗の象徴になるんだ
    文学するやつは他人に興味がないんだろ?
    ただ「僕のこと構って」ってだけのガキ
    俺はそんなダサいことは言わない
    だいいち人のオナニー見て楽しいか?
    俺は違うSEXしまくってやる、だからちゃんと見てろよ

    全然読んでませんがこんな話かなと。

  • 単語、単語、単語、思いつく限りの言葉の連想ゲームが僕の心を捉える。
    関係がないように見えるものの中にも確かに世界は存在するのだ。
    この本を読めば男がどのようなものかが分かる。結局男なんて皆同じじゃないか。

  • 大文字のLIFE。まさに生活と呼ばれうるもの全てが詰め込まれている。
    野蛮なるリリシズム。
    「そして、この書でわれわれにあたえられるものこそは血であり、肉である。飲み、食い、欲情し、情熱し、好奇する、それらは、われわれの最高の、もっとも隠微なる創造の根をつちかう単純な真実である」、とアナイス・ニンが書くように決して「誤れる原始主義」ではない人間中心主義。
    うーん♡ルネッサンス!

    「ぼくは諸君のために歌おうとしている。すこしは調子がはずれるかもしれないが、とにかく歌うつもりだ。諸君が泣きごとを言っているひまに、ぼくは歌う。諸君のきたならしい死骸の上で踊ってやる」

    「ぼくのヴィラ・ボルゲエゼでの生活は、もうお終いになったようだ。よろしい、ぼくはこの原稿を手にしてどこかへ移ろう。どこへ行ったって物事は起こる。物事は絶えず起こっているのだ。ぼくの行くところには、どこでも、かならずドラマがあるらしい。ひとびとは虱に似ている――彼らはおれの皮膚の下へもぐりこんで、そこに身をかくしてしまう。血が出るまで掻きつづけるが、痒みが消える気づかいはない。どこへ行っても、ひとびとは生活の糧をつくっている。誰もがみな各自の悲劇をもっている。いま、それは血の中にある――不幸、倦怠、悲哀、自殺。あたりの空気は災厄と挫折と徒労とに色濃く染まっている。掻いて、掻いて、掻きむしって――皮膚がなくなるまで引っかく。だが、それがぼくにあたえる効果はすばらしい。落胆したり憂鬱になったりする代りに、ぼくはそれを享楽する。ぼくは、もっと、もっと多くの災厄を、もっと大きな災難を、もっと壮烈な失敗を、大声をあげて求めている。ぼくは全世界が狂ってしまえばいい、と願う。すべての人々が、からだを引っかいて死んでしまえばいい、と願う」

    「情熱的に抱擁する――無数の眼、鼻、指、脚、酒壜、窓、財布、コーヒー皿が、ぼくたちを睨み付けているなかで、ぼくたちは、たがいの腕のなかで恍惚としていた。ぼくが彼女の側に腰をおろすと彼女はしゃべりだした――どっと溢れでることばの洪水だ。ヒステリーと倒錯症と癩病の狂暴な消耗性の徴候。ぼくは一言もきいていなかった。彼女は美しく、ぼくは彼女を愛し、そしていまぼくは幸福で死んでもいいと思っていたからだ」

    「世界は腐りつつある。ばらばらに死にかけている。だが、この世界には、とどめの一撃が必要なのだ。木っ端みじんに吹き飛ばすことが必要なのだ。ぼくたちのうちの誰ひとり完全なものはいない。しかし、それでもぼくたちは、ぼくたちの内部に、諸大陸と、諸大陸のあいだの海と、空の鳥とをもっている。ぼくたちは、それを書こうとしているのだ――すでに死んではいるが、まだ埋葬はされていないところの、この世界の進化を。ぼくたちは時間の表面を泳いでいる。ほかの連中は、みな溺れてしまったか、溺れつつあるか、あるいはこれから溺れるだろう」

    「何ものも彼女の魂のなかに食いこむものはない。何ものも呵責とはならない。倦怠! 彼女の感じる最悪のものといえば、せいぜいこれだ。たしかに、ぼくたちのいう満腹した日々はあったであろう。だが、それ以上のことはなかったのだ! 多くの場合たいがい彼女はそれを楽しんでいた――あるいは楽しんでいるという錯覚をあたえた。もちろん誰と一緒に寝たかということ――あるいは誰と満足したかということによって差別はある。しかし、かんじんなことは『男』だ。男! 彼女が切望するものは、それだった。彼女をくすぐり、彼女を恍惚にもだえさせることのできるもの、彼女の薔薇の茂みを両手でつかみ、うれしそうに、誇らしげに、いばって、結合の感じ、生命の感じを味わいながら、こすらせることのできるものを股のあいだに持っている男」

    「シャンゼリゼエを歩きながら自分のまったくすばらしい... 続きを読む

  • 大好きな本です。性的表現多いですが、本当に文章が美しい。堕落した主人公は人生に執着は無くとも欲望、生々しさに執着がある。そんな感じを受けてギラギラした生命力にみなぎる小説だと思います。哲学や人生論ぶつ小説も好きですが、それらが自然と脈動して成り立っているこちらの小説は素晴らしいです。

  • 性表現を理由に発禁にするのなら人間そのもの、もしくはその行為を禁じるべきだ。

  • 十代後半の頃にわたくしが犯したミスは、これを小説だとおもったことでした。「これは小説ではないってカッコつけでしょ」とかおもってたわけですね。いや自己申告に偽りなしだったのですよ。

    初めて『スターウォーズ』劇場版を観たときは、そりゃあ驚かされたけれど、デジタル修復済みの『特別篇』と比べれば鄙びた特殊効果としかいえないように、放蕩生活も性描写も古き佳きノスタルジアにしか感じられません。辟易するのは延々とつづくからであって、それを除けば、ときにはシニカルな警句のように、またあるときは己に対する呪詛のように響く言葉の群れは、小説という形式を必要としなかったのでありましょう。

    そういえば短期間だけ結婚していたホキ徳田は「毎回違うフィーリングで弾く、同じフレーズで弾かない、歌わないようにする」が信条といっています。それに倣うなら、これは「物語らないように」したところからうまれた物語。いやむしろプロットが抜けてなお残るものこそ物語なのでしょう。そういう意味ではプロットをなくすどころか、さまざまな脱構築がおこなわれている昨今の実験的な小説のさきがけであったといえるかもしれません。

  • 正直読むのがしんどかった。
    最後の100ページくらいは全然覚えてないくらい適当に読んでしまった。
    それはプロットがないことよりも、思想が大したことないのでそう思ったのだろう(思想に比べたらプロットはまだあるような気がする)。
    知性はそれなりに感じたのたし、また琴線にふれるフレーズもあったにはあったのだけど・・・その後が続かなかったような気がする。。
    まあ好きな人は好きなのだろう。
    僕はあんまり面白いとは感じなかった。
    またアナイス・ニンなる人物が冒頭に推薦文のようなものを書いているが、この人物は一体どこの誰なのだろうか。
    結構な読書量と知識は持ち合わせていると自惚れていたが全く知らなかった。
    と思って調べたら、有名な日記作家・性愛小説家でヘンリー・ミラーと愛人関係にあった人物らしい。
    この小説の正しい読み方としては・・・100ページ程度まで読んで合わないと思ったのならば、あとは解説を読んで読了としても構わないのではないか。
    個人的にはヴィレッジヴァンガードの店員がポップ付きで張り切ってプッシュしそうな本・・・程度にしか思わなかった。
    歳食ったらこんなの読めない。

  • 自分にとってパーフェクトな作品だった。パリでの堕落した生活と突拍子な思考。その思考は超越的であるようで、狂人沙汰でもある。そこがまた魅力的でもある。小説というプロットにはおさまりきらない凄い作品。

  • ヘンリー・ミラーの『北回帰線』は、20世紀以降の世界文学史からも、アメリカ現代文学史からも忘却されがちである。発表当時は刺激的だったかもしれないが、現代から見れば普通の性的表現に溢れた作品だと思い、人気もないし、手をつけずにいた。訳者の大久保康雄は、ヘミングウェイの小説やナボコフ『ロリータ』を訳してもいるが、ヘミングウェイも『ロリータ』も翻訳の評判がよくなく、最近新訳が出ているから、『北回帰線』も新訳が出るまで待とうかとも思っていた。突然読む気が起こったのは、ヘンリー・ミラーのよき理解者、アナイス・ニンを発見したからだった。

    ポピュラーサイエンスの本『書きたがる脳』にアナイス・ニンの一節が引用されていた。それがとてもすばらしかったから、『アナイス・ニンの日記』を読んでみた。彼女の日記には、付き合いのあったヘンリー・ミラーのことが多く書かれている。そこで急いでミラーの『北回帰線』と『南回帰線』を購入することにしたが、書店に行ってもおいていない。ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、サリンジャー、カポーティといった同時代の作家の作品は書店にあるけれど、ミラーはおいていない。大型書店に行ってようやく購入できた。

    「ぼくは金がない。資力もない。希望もない。ぼくはこの世でいちばん幸福な人間だ。一年前、半年前には、自分を芸術家だと思っていた。いまでは、そんなことには頭をつかわない--ぼくは存在するだけだ。かつて文学であったもののことごとくが、ぼくから抜け落ちてしまった。本に書くことなど、もう一つとしてない。ありがたいことだ。
     ではこれは何だ? これは小説ではない。これは罵倒であり、讒謗であり、人格の毀損だ。言葉の普通の意味で、これは小説ではない。そうだ、これは引きのばされた侮辱、「芸術」の面に吐きかけた唾のかたまり、神、人間、運命、時間、愛、美……何でもいい、とにかくそういったものを蹴とばし拒絶することだ」(pp.12-13)

    全編にわたって吐き出される呪詛、怒りの言葉。シュールレアリスムとリアリズムの混合、ダダイズム、アナーキズム、表現主義が乱れ飛び、プロットのない非合理の剥き出しの生。生の価値を特権化している点は、脱構築されてしかるべしだが、プロットのなさがすばらしい。140文字の文字制限があるツイッター小説は、ヘンリー・ミラーの小説のようになりやすいと思えた。断片の咆哮が合理性を突き破る。

  • 荒々しい。途中から流し読みです。

全33件中 1 - 25件を表示

北回帰線 (新潮文庫)に関連するまとめ

北回帰線 (新潮文庫)を本棚に「読みたい」で登録しているひと

北回帰線 (新潮文庫)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

ツイートする