- Amazon.co.jp ・本 (391ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102092033
作品紹介・あらすじ
アイルランドの首都ダブリン、この地に生れた世界的作家ジョイスが、「半身不随もしくは中風」と呼んだ20世紀初頭の都市。その「魂」を、恋心と性欲の芽生える少年、酒びたりの父親、下宿屋のやり手女将など、そこに住まうダブリナーたちを通して描いた15編。最後の大作『フィネガンズ・ウェイク』の訳者が、そこからこの各編を逆照射して日本語にした画期的新訳。
感想・レビュー・書評
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訳者の解説にある音楽的な音とひびきを全く感じなかった。
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景色や生活を切り取る短編集。「痛ましい事故 The Painful Case」や「死せるものたち The Dead」が特に好きだった。伝統にがんじがらめで息苦しい。死にゆくものと溶け合っていくさまは圧巻。宗教が強固にある舞台なのに(だから?)、「さいごはみんなしぬ」というような見も蓋もない諦め、受容の視点を強く感じさせる。ダブリナーズ、ダブリン市民、という、題名の通り、「ある場所にいきるひとびと」を描ききることに成功している。すごく愛が感じられる、丁寧な小説。
(読みやすくていい翻訳なんだけど、翻訳者による解説は、ずっと「俺の翻訳はすごい」「翻訳とはかくあるべき」と言われているようで、ちょっと疲れた。文庫だし僕のような教養のない人も読むから、ふつうに作品解説してくれたほうがうれしいな。というか、なんかジョイスより自分を愛してる感じがして、翻訳者としてどうなんかな、と思ったのかな。あなたが書いたんじゃなく、あなたは読んだんだよ、そんで自分がどう読んだか、翻訳という営みを介して示してくれてるにすぎないんじゃない? いやまあ、余韻がちょっとじゃまされたかなって思ってしまっただけ。そして翻訳自体を疑ってしまっただけ。岩波文庫版も読んでみようか。と思わされてしまった。訳者さんごめん。) -
ジョイスの初感想です。
『ユリシーズ』『若き芸術家の肖像』『フィネガンズ・ウェイク』と
欧米の読むべき文学選に必ず入る作家、文学好きとしては外せないのです。
パリジャン、ロンドンっ子、ニューヨーカー(そして江戸っ子も)の慣用句
その中のひとつが「ダブリナー」だそうです。
といって、ジョイスが意図的に名付けた造語だから、知らなくてもいいのです。
ダブリンに住んでいる人たちの人生を描くとダブリン市民気質がわかってくる。
つまり『ダブリナーズ』の生態と意見。
ダブリンはアイルランドの首都、と知っていても
アイルランドの古い深い歴史の方はうすぼんやりです。
ところが、この短編集を読むとなんだかわかってきます。
ジョイス作品は音楽的で造語が多くパロディ満載で、翻訳が大変むずかしい作品
ということですが、この柳瀬尚紀訳は画期的新訳なので雰囲気が伝わって
原作に近くおもしろく読めるというわけでした。
『赤毛のアン』のモンゴメリがよく描く、不思議なアイルランドのおとぎ話の例。
『風と共に去りぬ』スカーレットの父親が強烈なアイルランド気質だった。
読みながらそんなことも思い出しました。
一世紀前のダブリナーズなのですけど、どこにでもいそうな
けれどもなんだか不思議な一味違う15のダブリン市民の日常描写。
15編の短編どれも味わい深かったですが
最後の「死せるものたち」は、賑やかに華やかに幕開けし
最後に哀愁ただよう情景で終了する、印象的な一編でした。 -
ジェイムス・ジョイスは読んでおこうと、昔、「ダブリン市民」を買って、チョットは読んだはずなのだが。本書を読んでみると、全く記憶がない。
「ダブリナーズ」って何だか大学の留年生みたいだ。
さて、ダブリンの古い街の様々な人々の短編を読み進める。宗教とか選挙の運動員の話とか、アイルランドの微妙な立ち位置とかチラと見せられる処もあったけど、まあ淡々とした物語達。
最後が「死せるものたち」。他よりも長い一編。
タイトルから大団円というか、ジョイス自身の記憶、思い入れが歌われるのかと思ったのだが。ゲイブリエルが主人公と分かる迄結構かかったし、話の主題が終盤にならないとはっきりしない。しかし、映画のような印象を覚えながら読み終えた。
本書を読んだからと云って、「ユリシーズ」「フィネガンズ・ウェイク」に挑戦することは無いと思う。 -
『フィネガンズ・ウェイク』、『ユリシーズ』の原型がある気がする。
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「死せるものたち」より
彼の魂は、死せるものたちのおびただしい群れの住うあの地域へ近づいていた。彼らの気ままなゆらめく存在を意識はしていたが、認知することはできなかった。彼自身の本体が、灰色の実体なき世界の中へ消えゆこうとしている。これら死せるものたちがかつて築き上げて住った堅固な世界そのものが、溶解して縮んでゆく。 -
全体を通じて、どことなく閉塞感が漂う作品でした。その理由を考えてみると、まずどの短編も時間と空間が限定されていること、それから、登場人物(のうち、特に成人)が、時間や空間を超えていく人生を心の片隅で思い描きながらも、実際にはそうではない生活を送っていること、ではないかと思いました。それをごまかしたり、何となく受け入れていったり、何となく忘れていたりしながら月日が流れていく、そういう人生を結局多くの人が送りながら人生を終えていく、そんな連なりが最後の短編においてネガティブではない空気感で感じられ、ほんのり感銘的でした。