肉体の悪魔 (新潮文庫)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102094020

感想・レビュー・書評

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  • フランスの近代小説。
    第一次大戦中、少年が人妻に狂ったお話。

    一種の私小説的な印象を受けた。
    作家は否定しているようだが。

    太宰なんかはカッコつけて書くけど、ラディゲは なまの気持ちを赤裸々に書くかんじ。

    主人公と同世代の15~6歳の少年が、良くも悪くも大いに感化されそう。

  • これを18の時に書いたというラディゲは天才だ。自分が当時17歳頃に本作を読んだのだがその時は著者の才能に激しく嫉妬した。今読むとまた違う印象を受けるのだろうか?一人暮らしする際に持っていた本を売ってしまったがまたいつか再読したい

  • これもそんな「恋」をしてみたいという時期(若さゆえに恋におちる時と申そうか)に読みたくなる本ではあるが、ほんとうにわかるのは年経て後。

    なぜならば物語の諸所に挿入されているフレーズが、まるで人生老いた人の御託のごとくである。恋愛の指南書的なところがいちいちうなずいてしまうのである。

    この本の価値は内容が16歳の少年が、20歳の人妻に恋をし、それなりに堕落(懐かしい響き)していくさまを18歳の天才、レイモン・ラディゲが書いて、本人は20歳で死んでしまったということにありそうだ。

    が、そのセンセーションな生涯を抜きにしても、フランス心理小説の雄(ゆう)たる所以のうまさが在る作家なのだ。多分多くの作家が影響を受けていると思う。


    私が読むきっかけとなったパティさんの感想をごらんあれ、パティさんぐらいの時代に読むのがよいだろうとつくづく思った。


    だから、感想はこのくらいにして私の書きたかったことは下記。

    パティさんのを読んで私は思い出した。「ラディゲ ラディゲ…」忘れもしない堀辰雄の「美しい村」

    の「序曲」に印象深く登場するのだ。

    手紙文にてラブレター。書いている場所は軽井沢、季節は夏場の前の6月、人が来ていなくて寂しいことは寂しいが、野ばらがそそと咲きにおっておくゆかしい。

    机の上にマダム・ド・ラファイエットの「クレイヴ公爵夫人」が読みかけのまま開いてある。その本はあなたに無理やりお読ませしたラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」のお手本なのだ。

    とある。実はこの「序曲」高校の現国の教科書にあったのだ。無味乾燥な教室でこの一文に接した私はイチコロとなった。

    読んだ読んだ。「風たちぬ」「ドルジェル伯の舞踏会」「クレーヴの奥方」みんな新潮文庫の古いもの。その中に「肉体の悪魔」もあって(今回見つけた)それだけは読んでいなかったのが不思議といえば変。(若き羞恥が避けたとでも?)

    「ドルジェル」「クレーヴ」のすじはすっかり忘れてしまったけれど、今「肉体の悪魔」を読了し、ラディゲの作品が堀辰雄にそこはかとない影響を与えているのがわかる。心理小説での表現を思い「風たちぬ」(内容はぜんぜん違うが)のなりたちを考える。

    「美しい村」の次に書かれた「風たちぬ」、これこそそのころの私を魅了した恋愛小説である。

    「風たちぬ、いざ生きめやも」

    ちょっと辻邦生に似て、時のうつろいのなかに真実をみつめ、変らないものに恋をして。

    この本(堀辰雄)はもう読まれないのだろうか…。

    私は「ドルジェル伯の舞踏会」「クレーヴの奥方」も再び読みたい。

  • 友人に勧められて読んだ本。
    恋愛の心理描写のある本を読みたくて。
    全体の8割が内観的な文章なのに、
    しつこさを感じさせないラディケの文才に驚く。
    だらだらとなりがちな物語を、若くして書いたとは信じられない、人生を達観したラディケの一文が引き締める。そういう箇所が随所にあって、いちいち唸ってしまった。
    恋愛の感情の波をよく表現していると感心しつつも、あんなに情熱的になれるなんてタフだなと若干の尊敬がわく。まあ主人公にとっては、本当の初恋なので、その情熱に納得しつつ。
    後半は、この先どうなるのかとハラハラしつつ読み進めた。
    ラストが切なくて複雑な余韻を残す。
    フランス映画的な「人生なんてそんなもの」な終わり方だった。ビターだわ。

  • 某作家さんがオススメしていたので、ずっと気にはなっていたけれど、内容もラディゲという作家も知らず、今の今まで。もっと早くに読みたかった!という思いと、今でないと理解できなかったところが多数あるのではという思いが混在しています。
    恋愛心理をここまで冷静に書けること自体が、異様というか偉業というか。恋愛に陥っている人間の心理を描写すること自体はどこまで珍しくもないと思いますが、全編を通して感じる、どこか冷めた視線がおそろしい。
    好きだとか愛しているだとか、好きだから触れたいだとか愛しているから守りたいだとか、そういう単純な仕組みになっていない人間の心の構造をよくぞここまでという風に説明されて、正直ぞっとしました。
    不道徳だとか、そういう次元では最早ない。
    他人の不幸が蜜の味だとか、そんなシンプルなことでもない。
    意地悪だとか崇高だとか、肉欲的だとか清廉だとか、そんな言葉では到底表せない、心の移り変わりをものすごく良く捕らえています。
    久々にがつんと脳天をやってくれる本に出会えて、空恐ろしいやら幸せやら。

  • あとがき(訳者)新庄嘉章さん曰く『年上の女性との恋愛,その場合の男性のエゴイズム,そのエゴイズムの犠牲となる女性の死』のお話で『少年から青年になろうとする最も動揺定めない過渡期の魂を,冷徹な目で凝視して』るのがすんごいとのことですが,そう表現されているほどありきたりな感じではありません。
    私はこれは優等生のお話として読んだので,俗っぽい設定ではあるけどリアリティがあったしすごく共感して面白かったです。主人公とマルトが共鳴したのはお互い優等生だからだと思うんです。それは戦時中だからだとか,子どもだから女だからという押さえつけではなくて,気質としてのいい子ちゃんがお互いを引き合わせたのではないでしょうか。そんでそういう2人は当然嘘つきなわけで(優等生はえてして嘘つきだと心得る!)だから疑心暗鬼にもなるけど,自分をだますのも得意なのであっさり幸福感得られたりしてね。どのみち地に足がついてないことに幸せを感じられるのは,優等生を育んだ土壌であるおうちってやつがどーんと後ろにあるからだよね。と改めて思いました。
    マルトが自殺するのは小説っぽくて,ちょっと盛り上げすぎな感じもするけど,男寡になったジャックを観察する主人公の様子に少年ならではの傲慢さがあって好きです。
    いかんせん,17歳でこれを書いたということには驚かずにはいられませんでした。愛とはなんぞやという問いの終着点にきらきらしたものを期待してる感には青さを感じるけど,それがかわいくもあったり。ほんと,他者との違和に支えられてる自分を俯瞰してるあたりに好感がもてる小説でした。

  • 友人に熱烈に薦められて読んだ一冊

    ロマンチシズムに溺れずして利己主義に溺れる。

    16歳にしてこの倒錯した価値観が凄い、そりゃあ夭折もするわな。

    原文の華麗な文体で読める人はきっと幸せだろう。

  • 自分の心理を(発見を?)何の常識にも定説にも預けずに描写しきってるの。作品の評価に年齢は関係ないけどやはり天才とは早熟の人をしていうのだと思うよ。ラスト数行でゴゴゴと音がしそうな程強くどうしようもなく流れる時流と諦念みたいなものに巻き込まれるのを感じた。いや「諦念」じゃないか…?うむ。 「自らを責める者の誠実さしか信じないというのは、あまりにも人間的な欠点である。」ドニーズもめちゃくちゃ面白かった。

  • 少年と年上の既婚者・マルトとの不倫劇。一人称で語られる主人公の心理や恋愛論に、16〜18歳でこの小説を書いた神童・ラディゲの主義主張が色濃く反映されているように思う。「幸福というものは、だいたいの利己的なものなのだ」「愛情というものは、二人の利己主義…」など、恋愛のエゴイズムを格言めいた表現により、物語を綴っていく。偏屈な青年像に、戦争の影まで感じさせ、10代が書いた作品として本当に恐ろしいまでのレベルだと感じた。

  • まだ世間知らずな少年が激しく人妻に恋をする。激しく嫉妬し一喜一憂し、いじけて憎しみや怒りを相手にぶつけたりする。その子供っぽい感じと著者の文体との差に違和感。実際の自分の経験だとしたらさらに違和感を感じる。賢い人でも恋愛するとこのようになるということか。
    肉体の悪魔は、理解できるもののあまり好きになれず、最後のドニーズは理解に苦しむ作品だった。

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