冷血 (新潮文庫)

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制作 : Truman Capote  佐々田 雅子 
  • 新潮社 (2006年6月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (623ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102095065

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冷血 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 冷血なのは誰か。

  • ツイキャスの朗読で読破。30分×40枠。

    カポーティは、ともすれば冗長になりがちの単なる事実やエピソードの羅列を、ぴりりと効いた皮肉や観察眼で、いともたやすく読ませる物語にしたててしまう。エピソードの挿入のタイミングや引き込み方にカポーティの編集能力や文学的センスがかいま見える。特に355ページからの、KBI捜査官デューイの見る白昼夢に読者を引き込んでしまう文章力、はカポーティならではのものだろう。
    脇を彩る登場人物もなんとも多彩で、何気ない描写から彼らの人生観や人間性が見えるのがひどく不思議な感覚だ。たった何十行、何ページかの言葉の羅列で、ある一人の人間の人生に巻き込んで彼らのすべてを伝えてくれる。

    犯人ディックとペリー、特にペリーの描写は(言うまでもないことだが)圧巻というか、バランスが絶妙だ。ペリーの憎むべき面と、愛すべき面が奇妙に織り交ぜられ、読者は(少なくとも私は)この殺人犯を罰するべきなのか救うべきなのか混乱しつつ、処刑に至るまでの道筋を追うことになった。
    カポーティ自身の人間性や人生を予備知識として頭にいれることで、何故この著者が、(おそらくはペリーを主人公とした)こんなにも長い小説を書くに至ったかが理解できるのではないだろうか。嘘つきで、孤独で、寡黙で、頭がよく、ロマンチストな青年ペリー。カポーティは中盤でこの小説を書く筆が止まり長く苦しんだという。その気持がわかるような気がする。私はペリーに死んで欲しいのか死んでほしくないのか全く混乱してしまった。彼の人間性の煌めく部分を考慮したところで、彼の犯した罪はあまりにも重い。それは彼自身の過失によるものかよらないものか、それは意見が別れるところではあると思うが、カポーティはペリーの託つイノセンスに肩入れしすぎてしまったのだろう。そういうカポーティの不器用さや孤独さが私は好きだ。

    ペリーの最期のあっけなさはどこかダンサー・イン・ザ・ダークのラストに通じるところがあった。著者がそこで物語を終わらせず、デューイとスーザンの邂逅にと導いたのは何故だろうか。訳者佐々木雅子氏のあとがきによれば「家族の愛」を示唆したものだということらしかった。けれど、自身も親の愛に恵まれなかったカポーティにそこまで素直に家族の愛を礼賛できるものかどうか私には少々疑問符が残る、ところではある。ラストシーンの解釈は見る者に委ねられるところだろう。しかしこのシーンの光あふれる光景や忘れられない死者への悼みは、「冷血」の作品の読後感を「救いあるもの」に仕立てる役割を果たしているということは確かだと思う。

  • ディックはいかにも短絡的な小悪党でわかりやすい。が、ペリーの気味悪さに驚いた。
    ペリーの被害者への余計ないたわりは、子供が抵抗できない小動物をいたぶったりかわいがったりする二面性を思わせる。宝の地図に基づく無根拠な空想や、「男らしく、リーダーに相応しいと感じる」ディックへの依存も父性を求める子供の趣向に感じる。
    ペリーのその性格は拘置所に入っても変わらない。講義の姿勢として断食を行い、半ばそれを敢行するが、最後は諦める。ずっと連絡のなかった友人からコンタクトを求められ、すぐ信用する。30代半ばの大人が持つ分別や打算は見られない。

    ペリーという人物の気味の悪さは、その未熟さと、成長性の無さに集約されると思う。彼によく似た父親のせいで、成長する機会が失われたことは不幸だった。しかし彼はその原因に固執して、進歩から逃げていたような気がする。

    人間が知識と経験により成長を繰り返す生き物であることを考えれば、それから取り残されたペリーはモンスターじみている。そしてモンスターは存外身近にいて、とくに脈絡もなくおそいかかるということをカポーティの「冷血」は教えてくれる。

  • この本の感想を蛹に求めたのは、完全に僕の過ちだったと思う。
    「異常な人間が異常な殺人を犯すんじゃないんだよ。異常な人間がまともに生きている場合だってあるし、その方が遥かに多い。例が俺の目の前にいる」
    そう言って、蛹は言いたいことは言い終わったというように、煙草を咥え、火を点けた。煙を、ゆっくり吐き出す。
    「そういうものかなあ」
    「あんたがどう考えていようと構わないけれど、あんたが異常な人間であることは知ってるし、まともに生きていることも事実だろ」
    酷い言われようだ。

    この世界に存在するものは、すべて己の理解のもとにあると考える人間は、たぶん、少なくない。ある種の法則、理屈、屁理屈など、何らかの筋がとおっているべきだという風な。
    己の理解を超えて存在するものはいくらでもあるはずなのだけれど(僕に関していえば、通貨危機とか量子力学とか、目の前にいるこの青年とか)、しかしそれが認められない場合は、以下の二通りの対処方法のいずれかを取ることになる。矯正か末梢。つまり、己の理解できる範囲に引きずり込むか、己の視界から消すか。

    「殺人は、他者の人格の否定だ。他者の人格を不可逆的に破壊する行為だ。けれどもその前に、異常性の否定という形で、彼自身が否定されている」
    蛹はそう言って笑う。
    「つまり、あるがままに見てほしいという、もっとも純度の高い欲求は、もしかしたら、異常だと認められている者ほど強いんじゃないかな」
    愉快そうに、笑う。
    「それは」
    お前のことか?
    とは、聞かないでおく。
    僕は、本を閉じた。

    理解できなくとも、愛することはできるし守ってやることもできる、と、僕は思っていたけれども、そういうものでもないのかもしれない。

  • アメリカ中西部、カンザスの村で発生した一家殺人事件を緻密に書き起こしたノンフィクション・ノヴェル。死刑制度が一度は廃止されたことのあるこの州で、加害者2人が絞首刑となった当時の裁判の様子が、裁判官や弁護士、陪審員の構成や背景となった土地柄も織り交ぜて記されている。

    何年か前に映画『カポーティ』を観ていたので事件については大体覚えてはいたんだけれど、小説では映画の方で省かれていた被害者一人一人の顔が鮮明に描き出されているだけに、殺害場面に近づいたところで怖くなって暫く本を閉じてしまった。犯行に至る明確な動機というものもなく、地元では穏やかな人柄で知られていた農園主一家4人を殺害したペリーの「おそらく、クラッター一家はその尻拭いをする運命にあったってことなんだろうな」という自供が、今読んでいる河合隼雄『影の現象学』の中でちょうど一致する部分があって驚いたんだけれども(集団の中で抑圧されている「影」を肩代わりする存在について)、他人事のように自身と事件の関連性を分析しているペリーの冷徹さというか、底知れないその心の闇が恐ろしくもあり、環境に押し流されてしまった存在の弱さというものもまた悲しく響いてくる。

    殺人事件を通し、家族や土地に宿る人間の影を描いたこの作品を執筆したカポーティ自身も不幸な生い立ちを背負った人物で、この作品の後に執筆活動がぱたりと止んでしまったことを考えると、幾つかの共通した部分を持つペリーに自身の影を重ねて複雑な心境に陥っていたのかもしれない。この小説のタイトルをしつこく訊ねるペリーにカポーティが口籠ってしまう映画での場面が読後に思い出された。

  • ミステリーのように読めてしまう。綿密な取材と書いてあるけれど、物語の登場人物のように、生まれや育ちを一人一人の人物に取材して、丁寧に描写している。5年もかかるわけだ。カンザス州最悪の事件と、本文中にある殺人事件がテーマ。農園主とその家族の家に強盗に入った無計画な2人組。事件を追う刑事、そして、つかまった5人が死刑囚の独房で共に過ごす死刑囚たち。著者の訴えたいことが目立つ最近のノンフィクションとは全く違う。事実をとにかく克明に記し、カポーティの影はほとんど出てこない。それが、逆に事件の不可解さや無常観を表現している。

  • 読み終わって、静かな感動の余韻に包まれる。実に優れた小説だ。綿密な取材に基づいた「ノンフィクション・ノベル」という手法だとされているが、本作はその本来の意味において、明らかにフィクションである。一見、時間軸に沿っているかに見える構成だが、これも実によく工夫されている。また、個々の人物それぞれの人間造形に優れるばかりでなく、カンザスの風景感や空気感の描出が素晴らしい。本書のテーマは、いろいろな捉え方が可能だろうが、1つには死刑の是非だろう。そして、その深奥には「生」の意味が根源的に問いかけられているのだ。

  • 天才と狂人の境目は凡人のそれ以上に曖昧なものであり、だからこそ天才は時に凡人以上に劣等感に苛まれる。自らを「アル中でヤク中でホモの天才」と卑下するカポーティは実際の一家殺人事件を六年もの歳月をかけて取材・執筆し、その代償として本書以降ほぼ筆を折った後世を送ることとなる。著者をそこまで駆り立てたもの、それは加害者の疎外され自尊心を折られ続けた生涯に対する共感であり、「なぜ自分はこういう風にならなかったのか?」という答えなき疑問であったのかもしれない。この本は読むべき本であった。そして、読むべきではなかった。

  • 完全に誠実ではない。読み始めは苦痛である。しかし、なお最高の賛辞を贈らずにはいられない。それは、ペリーという犯罪者の描写、その一点においてのみである。
    犯罪者について言及するのであれば、この本と同等のことを考えてからでなければ、それは単なる戯言である。

  • 綿密な取材で肥やした土の上に生えた、巨木のような小説だと思った。

    事件の起きた村や近隣の様子を色鮮やかに描き出し、関係者の証言は今まさに自分の目の前で語られているかのように生々しかった。
    重大な犯罪に手を染めた犯人たちは「冷血」ではあっても限りなく人間臭く、信念や欲望への執着の記されたシーンが印象的。
    後半では、この事件という枠から離れ、死刑制度の是非やそれの孕む幾つかの問題を喚起している。この点は現在の日本の法制度とも相通じるところがあり、その進展のなさに裁きの根源的な難しさを感じた。

    この仕事に携わって以降、カポーティが作品を残せなかったというのもわかる気がする。心血を注いでこの難題にあたり、このような大作を残したのだから。

  • タイトルだけ聞いて、勝手にスノッブな若者の物語をイメージしていたが、実際の事件との関連について知り、読みたくなった。ドキュメンタリーではなく、ノンフィクション・ノベル。惨劇の予感もなく暮らしていた被害者一家の情景が胸に迫る。物語自体のボリュームも重厚ながら、作者が犯人のうち一人、ペリーに友情を感じ、「僕らは同じ家に生まれた。一人は玄関から家を出て、もう一人は裏口から出た」とまで言わしめた背景が興味深い。作家の姿が作中に登場することはないが、それを念頭に置いて読むと、行間から滲み出てくるようだ。(知らなければ、まったくそうは思わなかっただろう。)以降、作家は一冊の本もまとめ上げることができなかったという。映画「カポーティ」も合わせてみたいと思う。

  • (再読済)またもう一回読む

  • 爆笑問題太田さんがおススメしていた本。
    カンザス州の片田舎で起きた一家4人惨殺事件。それを5年間に渡り、著者が取材し、小説化させた本。

    読み終わって、悲しくなった。人生が怖くなった。

    ちゃんと生きているのに、殺されたり。
    殺してないのに、疑われたり。
    殺人犯に、共感する自分がいたり。

    あぁこわくなった。

    この世界ってのは、みんなが違う時間を生きているから、
    人と人が出会う時には、ズレが生じている。

    たとえばイケメン一人の印象をとったとしても、
    かっこいいっていう人もいれば、
    元カレに似てるから、嫌いって人もいる。

    過去にあったことが、「今」初めて出会ったその人を憎んだり、また評価したりする。

    それが人生かぁ。

    その残酷なまでの「時間のズレ」の結果が一家殺人だったんだなぁ。
    だけど、それを受け入れられない、町の住民だったり、陪審員の気持ちもわかる。

    一家殺人と言う大きな「結果」に対する「原因」の無情さに、オチがつかない。

    オチをつけたがる人間への警告だったりするのかもな。

    人生も、人間も、もっともっとピュアじゃない。
    もっともっと、グチャぐちゃ。ゴチャごちゃ。

    合理的にとらえようとする自分はウンコだなぁぁ。

    原因を「外側」につくり、安心しようとするんだなぁ。本当は「内側」にあるのに。それがこわいんだなぁ。受け入れるのが。同じだって。
    「殺人者」と「自分」が同じだって、受け入れるのが怖いんだろう。
    本当はみんな同じなのに。


    いままで、太田さんがお勧めする本を読んできて、

    「みんな違う時間を生きているから、人生はおもしろい!!」

    ってことを教わって励まされてきたけど、この本は違った。

    「みんな違う時間を生きているから、人生はおそろしい」

    ってメッセージももらった。

    でもこれが「救い」だったりもするんだよなぁ。実は。

    表裏一体。

    そんなことを何度も想った本。誰かと読んで共有したいと思った本。

  • カポーティーは『アル中でヤク中でホモの天才』、加えてわたしは子どもの心、というものを永遠に持ち続けているひとだと思っていた。しかしこの冷血は扱っている事柄自体が重苦しいものなのだけれど、それ相応の緻密感と客観視の塊のような感じ。しかしあくまで、ノンフィクション・ノヴェル。徹底的なノンフィクションでありながらもノヴェルであることを怠らないのがカポーティーなのだと。現実や実在の人物をここまでノヴェルに落とし込むというのは本当に大変なことのように思う。
    冷血とは、人間として必要な最低限の何か(他者の尊厳の尊重や家族の温かさ、命の重さなど)を持っていないということ。特に繰り返し繰り返し、家族の問題と孤独の問題については触れられていた。それは、カポーティーがこの事件に執着して莫大な時間と労力を費やしたということから、カポーティーというひとが何を考えていたのかということが少し分かる、暗闇の中の手がかりのようなものなのだけれど。わたしには理解できない次元で物事が進行していく感じ。人を殺しても、家族を殺したとしても、罪の意識を全く感じない。極めて平然としている。そんな死刑囚たち。あまりに隔たりがあって、言葉を尽くして語られても感覚として入ってこない感があった。読みこめてないせいかもしれないけど。ペリーという人間の人格について、一貫性のなさが気になりすぎて自分の中では消化不良をおこしていた気がする。落ち着いてからもう一度、読み直したい一冊。
    こういう本を読むことで、わたしたちは色々なものを、当たり前のものを、再確認するのかもしれない。そしてそれは多分、カポーティーが生涯追い求めていたけれどなかなか手に入らなくて、結果彼を破滅させてしまった根底にあるものなのではないか。そういう意味で、ここまで月日が流れても読み継がれるものを完成させるカポーティーは、哀しい天才なのだと。

  • 古本市場で100円で購入。お値段以上の買い物で、おもしろかった。
    ただかなり古い版だったので日本語も古かったのが少し気になった。あと、石原慎太郎が絶賛している紹介文にはなんだか笑ってしまった。あんまりほめるイメージないからかな。

    カンザス州の田舎町で裕福なクラターさん一家4人が惨殺された事件がおこった。犯人は刑務所あがりのペリーとディックで、逮捕され死刑判決を受ける。この実際に起こった事件をカポーティさんが丁寧に取材。犯行、逃亡生活、死刑実行までの大小さまざまな事実を小説的な手法で構成し直して「ノンフィクション・ノベル」と言うものに仕上げた作品。

    ペリーには少し変わったところがあって、時に乱暴になったり、おねしょをしたり、迷信深かったりする。人付き合いとかはあんまり得意じゃなくて、過剰に信用したり、逆に恨んだりする。今までの不当に痛めつけられてきた(と本人は思っている。確かに過酷だったと思う。)人生に不満を抱いている。
    ディックは社交的に振る舞えるけど、自分勝手で度胸はない。いわゆる小悪党のイメージに近かったと思う。小狡い感じ。

    この事件についてはいろいろと考えさせられるところがあった。
    この犯行の動機付けの部分は嘘ばかりだった。クラターさんの家に大金の入った金庫があるという嘘もしくは勘違い、ペリーが黒人を残虐に殺したことがあるという嘘。
    どちらも信じたディックはクラターさんの家を襲う計画を立て、ペリーを共犯者に選ぶ。
    そうして感情をうまく制御できなくて暴力的になる傾向のある人物がクラターさんの家に運び込まれることになった。猟銃とナイフと失望付きで。

    この話をやりきれなく感じる理由の一つは、もしなにかがすこしだけ違っていたら、ペリーはもっと違う人生を選んぶことが出来たんじゃないかという疑問がどうしたって浮かぶからだと思う。
    ペリーは多分、暴力的なろくでなしと言われても仕方のない人物ではあったと思う。(同情できる部分はあるにしても)
    でもそれにしたって殺人者ではなくて、近所から煙たがられているこわいおじさんぐらいになることは十分可能だった様に感じるし、もしかしたら何人かは尊敬したり積極的に評価してくれる人も出来たかもしれない。そして事実、そのチャンスもちゃんと訪れていた。
    冷血な事件を冷血なまなざしでっていうのがこのタイトルの意味だと思う。事実だけが淡々と、カポーティさんの主観的な評価抜きで書かれた作品だったと思う。けど、 カポーティさんはあきらかにそこに何かを感じていたと思う。
    ペリーはカポーティさんに「アディオス・アミーゴ」と言い残して首つり台に向かったらしい。

    起こらなかった未来、特にそうあるべきだったのにおこらなかった未来が重要なのだってニュークリアエイジの扉でティムオブライエンさんが言っていたのがこの本を読みながら頭に浮かんだ。

    印象に残っている場面は以下。
    ペリーがもしかしたらディックにだまされているんじゃないかと初めて考える場面。
    ディックの家族を思いやり自供を変更するペリー。
    小さな優しさが垣間見える残虐な殺人現場。それを発見して戸惑う刑事デューイ。
    クラターさん一家のお墓に燃え上がるように日が当たっているラストシーン。将来について語るスーザン。

  • ノンフィクションノベルという。
    委細に表現されていて、ドキュメンタリー映画を観たような感覚。

  • 幼少期の貧困や虐待が、それに抵抗したり回避する術を持たないこどもの心を破壊してしまう。そんな幼少期を持つこの凶悪犯を、ただ極刑を持って裁けばそれでいいのか?ネグレクトや虐待で彼らのこころを引き裂いた大人たちの責任はどうなるのか?
    考えさせられる。

  • 圧倒的な情報量、現実の資料をもとにしながら作家の作為によってあくまでその現実に起こった出来事を再現しようとする意図で再構築される、という小説は、現実なのか、それとも、虚構なのか、そのどちらでもないのか。

  • ノンフィクションノベルの先駆と言われるだけあって、大分昔の話だが、今読んでも迫るものがあります。
    人望のある豪農一家の最後の一日から始まって、事件の発見~犯人逮捕、真相が明らかになり裁判、死刑の執行まで、犯人処刑という結果は分かっているのに、手に汗握って読んでしまします。
    当時のアメリカの社会階層、裁判制度の雰囲気が分かって参考になります。

  • ノンフィクション・ノベルの先駆となった作品であるが、自分自身が事件そのものを全く知らないうえに、翻訳作品のせいもあって地名や人物に現実感に乏しい。
    そのせいで、ノンフィクションであることが霞んでしまい、普通の小説を読んでいるのと変わらなかった。

  • In Cold Blood. Research for 5 years. One of first nonfiction novels.

  • 中盤までは 犯罪者や被害者というより、事件全体を背景も含め 追いかけていたが、だんだん 加害者目線が強くなり、死刑反対に 偏っているのかなーと思った

    死刑執行で終わらず、被害者の友達の日常で 話が静かぬ終わったのは、何を意味するのか 考え中。読後感を和らげたのだろうか

    背筋が凍る 寒さを感じる情景、人物、社会の描写が強く印象に残った

  • ペリーに同情心を抱いてしまうのは、カポーティ自身がペリーに思い入れがあったからかも知れない。子供は親を選べないとはいうけれど、たまたま生まれ育った環境が劣悪だったために、善悪の判断も持たず大人になってしまった、そして最終的には殺人を犯し絞首刑へと至るペリーの人生とは何だったのかと思う。
    本作はアメリカの静かな農業地帯で起こった一家惨殺事件を、時系列に沿って描いてある。

  • 人間の心には理屈で説明できない部分がたくさんあるんだな…。申し分ない家庭環境で育ったとしても、人は何がきっかけでどう変わるかなんてわからない。
    ディックは自分の両親のことは大切にしているのに、同じように家族を大切に思って暮らしていた被害者一家の気持ちをなぜ考えてやれなかったのか。人間のこういう利己的な面を見せられると打ちのめされたような気持になる。他人はしょせん他人に過ぎないのだ、と言われているような。
    ペリーに関しては彼がああいう人格になったのは自己防衛反応が働いた結果という感じがする。周囲から存在を肯定されずに自己を保つというのは私には想像もできないことだ。だからペリーの場合は彼をそういう風にしてしまった環境も罪深いと思う。「逆境をチャンスに」なんて成功者は言うけれど、そうできない人間を責める権利が誰にある?
    ホルカムの人たちが、犯人は自分たち近隣住民の中にいると思い込んで疑心暗鬼になったということも、人のどす黒い部分が抉り出されたようで読んでいてしんどかった。
    死刑制度について。「目には目を」の掟は人類を進歩させないんじゃないの、と思う。

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冷血 (新潮文庫)の作品紹介

カンザス州の片田舎で起きた一家4人惨殺事件。被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。このあまりにも惨い犯行に、著者は5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行。そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けた。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル-。様々な物議をかもした、衝撃のノンフィクション・ノヴェル。

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