冷血 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (623ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102095065

作品紹介・あらすじ

カンザス州の片田舎で起きた一家4人惨殺事件。被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。このあまりにも惨い犯行に、著者は5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行。そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けた。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル-。様々な物議をかもした、衝撃のノンフィクション・ノヴェル。

感想・レビュー・書評

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  • カポーティ

    まず『冷血』を読んだ。事実を調べて書いた「ノンフィクション・ノベル」というそうだが、まったくの創作のようにな構成で、この作家の天才的な魅力に捉えられた。

     一家四人殺し事件の殺された方の立場も、犯人のやむところのない心情も余すことなくつかめる。殺伐たる事件、非道である。しかしカポーティ味付けはファンタジーの様相をおびて、何か人好きのするようなぼんわかしたものが浮かんでくるのである。

     そんな~、何の罪もないひとたち一家4人を殺してしまう犯人達を許してはいけない!と思いつつ 、言ってしまえば情が移ってしかたない。

     しかも、罪のない尋常に暮らしていた、あるいは豊かに暮らしていた被害者の家族達を何も他人に害がないため、罪があるような錯覚もおきてしまう。

     なんだろう?なにゆえに?これは作家の何かなのだ!ろう。考えさせられる。

     「ティファニーで朝食を」はオードリー・ヘップバーンの不思議な魅力と主題曲「ムーンリバー」の印象で忘れがたい映画だった。それなのに原作者のトルーマン・カポーティという作家を意識していなかった。

     原作の中篇作品『ティファニーで朝食を』は映画とはぜんぜんちがう。ハッピーエンドではない。風に吹かれるようにながれながれてもの哀しく終わる。でも、描き方の独特がそこはかとなく魅力なのである。

     一緒に収められている『わが家は花ざかり』『ダイヤのギター』『クリスマスの思い出』の作品もひとつひとつが印象深く、やはり主人公を魅力的に想った。

     つまり主人公の性格描写、心理状態(カポーティの等身大と思う)が気になるのだ。野性味のような自由さ、退廃的な、なげやりな柔軟さ。

     そこで『冷血』。読むまでは松本清張のように実事件に即して、解き明かしたり肉付けしたりして淡々と物語られると思ったのが、違った。むごいのに暗くない、けして解決があるわけではないから明るくはない。

     根源的な「育ち方」、「もの心ついたときの状態」が不如意、不幸だったら、一生に与える酷薄な運命が待ち受けているのではないか!とカポーテーはいいたいのではないか。

     そしてカポーテーの初作品『遠い声 遠い部屋』。これぞゴシックロマン風の少年期もの。現代の恐ーいファンタジージーも真っ青。ゾクゾクッとしながら読んで興深い。自伝もふくまれているらしいからカポーテーの思想もわかろうというもの。

     だからといって許せはしない、身も凍る殺人実事件である。現代でも嫌なことにたくさん同様の事件が起こっているではないか。と、読後感が良かっただけでは終わらない『冷血』。

  •  今から60年前の1959年11月15日未明、米国カンザス州西部の農場で起こった凶悪な殺人事件をもとに書かれた作品です。事件に遭う直前までの被害者たちの日々の暮らし、犯人たちが犯行に至る経緯、事件の発覚、その後の犯人の足取り、逮捕、裁判、そして刑の執行までを、細部にこだわり抜いて描いています。ストーリー自体は少しも複雑ではないのだけれど、いろんな人物 ── 何の非もないのに殺されてしまった4人の親子や僅か40ドルほどの金を得るために大きな罪を犯してしまった2人の男たちに加え、被害者や犯人と何らかの係わりを持つ多くの人たち ── が登場し、互いの関係や様々な出来事がこと細かく描写され、それらが積み重なることによって事件の全体像が生々しく再現されていきます。
     例えば犯人の一人であるペリーについての一節はこんな感じです ── “ディックは1949年型シヴォレーの黒いセダンを運転していた。ペリーはその車に乗り込むと、後ろの座席の自分のギターが無事かどうか確かめた。前夜、ディックの仲間のパーティーで弾いたあと、車の中に置き忘れていたのだ。古いギブソンのギターで、紙やすりをかけ、ワックスを塗って、蜜のような黄色に仕上げてあった ” ── 相棒の車の後部座席にギターが置き忘れてあったことなんて事件の全貌とはなんの関係もなくて、実際のところペリーは、大切にしていたこの古いギターをアカプルコであっさりと盗まれてしまうのです。
     こういった瑣末なことがらが描写され積み上げられることで、登場人物のイメージはどんどん具体化していきますが、それによってかえって訳が分からなくなっていく気もします。音楽好きで愛用のギターを大切にしていたのも、ナンシーを縛りあげた後にベッドカヴァーを掛けてやったのも、残酷にもクラッターさんの喉をナイフで切り裂き顔を散弾銃で吹き飛ばしたのも、同じぺリーなのです。
    “クラッター一家が何かをしたからってわけじゃあなかった。あの人たちはおれを傷つけたりはしなかった。ほかのやつらみたいには。おれの人生で、ほかのやつらがしたみたいには。おそらく、クラッター一家はその尻拭いをする運命にあったってことなんだろうな” ── ペリーはこんな身勝手な、理屈にもならないことをいいます。しかも彼は、自分がクラッター一家を殺したことを「悔いてはいない」というのです。
     くだらない犯人たちの無計画な犯罪で意味なく殺されてしまったことは、被害者たちにとってあまりに理不尽です。でも結局、犯罪やそれにかかわる人間とはこういうものなのでしょう。この異常な事件に魅入られ、これを正確に描くにはその全てを片っ端から文字にするしかない、そう決心したかのようなカポーティの筆致には、執念のようなものを感じます。
     この作品で、カポーティは善悪の判断などは示していません。主観を極力排除して、事実にのみ語らせています。それによって、読者は罪を犯すことやそれを裁くことの意味について自ら考えさせられます。この小説の手法は吉村昭の作品(いわゆる記録文学)に通じるものがあると思います。それほど分厚くもないこの本は、事実に裏打ちされ、ぎっしりと中身が詰まっているので、これ1冊で同じ厚さの他の本を2~3冊読んだくらいの重さを感じました。
     実は短篇集「ティファニーで朝食を」(村上春樹訳。https://booklog.jp/item/1/4105014072)が良かったので、この作品も読んでみました。同短篇集にある「クリスマスの思い出」の煌くような雰囲気とは違う冷たい文章に、別の魅力を感じました。ところで短篇集に収められた「ダイアモンドのギター」に登場するティコという若い悪党には、「冷血」の犯人たちに繋がるものを感じます。「ダイアモンドのギター」は「冷血」のもとになった殺人事件が起こるよりもずっと前に書かれた作品のはずなのに、ちょっと不思議です。

  • ジャーナリズム、ノンフィクションについて興味が湧き、読んでみました。
    殺人事件について書かれたものですが、被害者家族の日常や周囲の人との関係などが加害者と同程度にかなり詳しく書かれているのが印象的でした。
    小説ではないので、登場人物の心の中は出てくる発言やエピソード等の情報から想像するしかないのですが、豊富な情報によって心情がより伝わってきました。
    長いですが、映画のように臨場感がありあっという間に読み終わりました。

  • カンザス州の片田舎で起きた一家4人惨殺事件。被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。このあまりにも惨い犯行に、著者は5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行。そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けた。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル―。様々な物議をかもした、衝撃のノンフィクション・ノヴェル。

  • 名作と言われるものは、やはり名作だな、と。

  • 1ヶ月近くかけて噛みしめながら読んだ

    事実は小説よりも不条理だ

  • 感情を一切挟まず、
    淡々と、事件の発生から犯人の死刑執行までを記録したドキュメンタリー小説。
    センセーショナルな事件そのものを鮮明に書いたというより、
    その事件に関わった全ての人間(犯人も含め)の人生が描かれている。
    本当に何でもない…何でもない一日、何でもない会話、何でもない場所、
    それらが写真のように事細かに描写されており
    映像を見る以上に目の前に事実を強烈に突きつけてくる。
    「一家殺人事件」のただ一点のみで人々が交差し、
    そしてまた別々の道を歩んでいく。

    最後の1ページだけが、一縷の光のようである。

  • この本の感想を蛹に求めたのは、完全に僕の過ちだったと思う。
    「異常な人間が異常な殺人を犯すんじゃないんだよ。異常な人間がまともに生きている場合だってあるし、その方が遥かに多い。例が俺の目の前にいる」
    そう言って、蛹は言いたいことは言い終わったというように、煙草を咥え、火を点けた。煙を、ゆっくり吐き出す。
    「そういうものかなあ」
    「あんたがどう考えていようと構わないけれど、あんたが異常な人間であることは知ってるし、まともに生きていることも事実だろ」
    酷い言われようだ。

    この世界に存在するものは、すべて己の理解のもとにあると考える人間は、たぶん、少なくない。ある種の法則、理屈、屁理屈など、何らかの筋がとおっているべきだという風な。
    己の理解を超えて存在するものはいくらでもあるはずなのだけれど(僕に関していえば、通貨危機とか量子力学とか、目の前にいるこの青年とか)、しかしそれが認められない場合は、以下の二通りの対処方法のいずれかを取ることになる。矯正か末梢。つまり、己の理解できる範囲に引きずり込むか、己の視界から消すか。

    「殺人は、他者の人格の否定だ。他者の人格を不可逆的に破壊する行為だ。けれどもその前に、異常性の否定という形で、彼自身が否定されている」
    蛹はそう言って笑う。
    「つまり、あるがままに見てほしいという、もっとも純度の高い欲求は、もしかしたら、異常だと認められている者ほど強いんじゃないかな」
    愉快そうに、笑う。
    「それは」
    お前のことか?
    とは、聞かないでおく。
    僕は、本を閉じた。

    理解できなくとも、愛することはできるし守ってやることもできる、と、僕は思っていたけれども、そういうものでもないのかもしれない。

  • 冷血なのは誰か。

  • 実際にあった一家惨殺事件を元にしたノンフィクション小説。被害者の家族、加害者、友人、恋人、村人に至るまで細かく取材し記録されている。なんの落ち度もない被害者家族を思うと許されていい事件ではないと分かっているが、加害者であるディック、ペリーの生い立ち、感情の動きを感じるうちに何が償いにあたるのか分からなくなってしまった。死刑執行前のペリーの言葉が胸に残る。

  • 現実にあった事件を小説にするという手法で、トルーマン自身がノンフィクションノベルと名付けた初の小説。
    殺されてしまった善良な家族がとにかくかわいそう。殺人の動機はお金を奪うことだったわけだけど、家に金庫はなく、殺す必要は全くなかった。犯人が被害者の家に大金の入った金庫があるという噂話を聞いていなければ、あるいは途中で気が変わっていれば、被害者たちはその後も生きていたんだろうと思うと悲しい。犯人達だって死刑になることもなかったのだ。
    加害者達の生い立ちや家族についてもかなり詳細に語られていた。初めて会った何の恨みもない相手に対して銃の引き金を引くことができてしまう精神性とはいかに作られるものなのか。結論は出ないけれど、興味深かった。
    文章中で、登場人物の名前の呼称が苗字だったりファーストネームだったり変わる時があって、誰のことだ?ってなる時が何度かあって少し読みにくかった。

  • 20年以上前に旧訳で一度読んでいる。とくに読みづらかった記憶はないが新訳でも違和感なく。殺人事件発生から犯人二人が処刑されるまでを4章に分けて述べるが進むにつれ小説的な面白さは減じていったように思う。複数の人物たちの視点から物語が徐々に死体発見の朝へと収束していく構成の1章がもっとも読み応えあった。4章の裁判のくだりは退屈でだいぶ読み飛ばした。

  • ノンフィクションがしっかり書かれている

    犯人に対してこんな人もいるだなと思った

    かわいそうとか、そういうのじゃなくて
    言葉にならない
    罪を犯した人の更生ってどう考えたらいいんだろうって

    現実にこういう事やこういう人はある、いる、という事が知れたという点ではよかった

    書き方がすばらしいのか読まされた
    読み進めるしかなかった

  • めっちゃ面白い。カポーティの生涯を知ってから読むと更に面白さが増す。歴史的に意義がある本でもあるので、本好きとして読んでおいて良かったと思う。

  • 2017年末に買って以来、五,六回は挑戦しましたが、いずれも、序盤のクラッター一家の幸せな描写とこれから起こることの対比がきつすぎて読めなくなっていました。
    「今夜も髪を乾かしてブラシをかけバンダナで結ぶと、翌朝、教会に着ていくつもりの衣装を出して並べた。ナイロンの靴下、黒いパンプス、赤い別珍のドレス―手持ちの中でいちばんきれいなお手製の服。」といかにも少女の甘やかな感じから、次の一文が「それが埋葬されるときに着せてもらう死に装束になった。」なんて、落差が大きすぎて、もうそこから先一行も読み進めたくなくなるくらい打ちのめされる。
    それでも、ノンフィクションはもとより、フィクションにおいても、いまだ影響力のある古典で、いろんな作品の解説、評釈でしばしば言及されるので、話の前提として読んでおかねばと思って、一日時間ができたタイミングで絶対途中で止めない覚悟で、勢いをつけて読み切りました。

  • 実際の事件の取材によって書かれたせいか、なんでもない登場人物達が下手なフィクションよりも生き生きと、個性的に描写されていることが印象に残った。特にインタビューに基づいていると思われる、作中人物による長台詞は、最初は聞き手たる作者の影が見え隠れするものの、読み進めていくうちに作中人物が自分に直接語りかけているような妙な生々しさを感じた。

  • 『ティファニーで朝食を』が好きなので、カポーティのもう一つの代表作でもあるこちらも読んでみた。
    中盤少し中弛みを感じたものの、逃げる側と探す側の二つの物語が交錯するあたりから展開が加速して引きこまれた。

    読後の余韻もあり、名作には違いないだろうが、2回目を読み返す予感はしない。読み手がエネルギーを吸い取られるような作品。

  • 高村薫の冷血を読んでから、元祖のカポーティー
    の冷血を読みたくなって、ようやく読破。
    高村薫の冷血に登場する殺人者と照らし合わせる
    と、カポーティーの殺人者と重なる部分が出てく
    る。
    二人の生い立ち、殺人に至る衝動なんかも。
    カポーティーの話は、実在した殺人事件を筆者が
    取材、整理して書き上げたものと聞いた。
    リアリティがあって、被害者側の一人一人まで、
    丹念に人間性が表現されていた。
    また、殺人者を絞首台に送り、執行されるまでの
    詳細な描写も読み応えあった。
    高村薫の冷血を読んだ方には、是非お勧めの一冊
    になると思います。

  •  「ノンフィクション・ノベル」なのですべてが事実ではなく創作されている部分もあるだろうが、とりあえずノンフィクションに分類。

     いまは亡きフィリップ・シーモア・ホフマンがアカデミー主演男優賞を獲った映画「カポーティ」のように、カポーティが出てきて一人称で語るのかと思っていたら全然違った。
     被害者一家やふたりの犯人だけでなく、その知り合いや捜査に当たった人々のことなどなどを執拗なほどに描く。被害者はともかくその周囲の人間はありふれた一般人ばかりで、こんなに書く必要があるものだろうかと正直少し退屈だったが、犯人のうちペリー・スミスはその「ありふれた」家庭すら得られなかった男だと分かると、その対比が胸に刺さる。だからといって彼の罪に同情の余地はないが、その生い立ちには哀感を寄せざるを得ない。

     得られるべきものを得られなかった人が残酷な罪を犯す。何か覚えがあるな、と思ったら、昨年公開された「ジョーカー」と似ていた。(余談だが、こちらもホアキン・フェニックスがアカデミー主演男優賞を得ている。)
    「ジョーカー」のみならず、この手の話はある意味「ありふれた」話だ。しかしスミスのような人にとっては、ありふれた犯罪者のひとりに列せられることこそ、おそらく最も嫌悪することではなかったか。

    「カポーティ」、フィリップ・シーモア・ホフマンはもとより、スミス役のクリフトン・コリンズ・Jr.も実に素晴らしかった。オススメ。

  •  人間なんてわからない。
     事件を起こした加害者について近所の人たちにマスコミが取材をし、「真面目でそんなことするような子には見えなかった」だの「いつも挨拶してくれる好青年でした」だの言うあれ、まじで意味ないんじゃなかろうか。人間なんて表面の皮を1枚も2枚もめくればエグいものが詰まってるのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。とにかく誰だって人には理解されない、理屈では語れない部分があるはず。
     4人の家族を惨殺した犯人ペリーは、一見優しい人間だ。彼がなぜそんな罪を犯したのか。これは簡単にはわからない。ペリーが孤独で、家族に対して強い思いがあったとて、被害者にとっては知ったこっちゃないことである。

     また、読みながら死刑制度について考える。ペリーの言葉に、こんなものがあった。
    「兵隊があまり眠れなくなるなんてことはないじゃないか。人を殺せば、それで勲章がもらえるし。カンザスの善人たちはおれを殺したいと思ってるーー死刑執行人は仕事にありついて喜ぶだろう。人を殺すなんて、たやすいことなんだーー」
     死は、時と場合によってさまざまな意味を持つのかもしれない。死刑が犯罪の抑止力になるなんてことはないと思われるけど、被害者の立場になれば簡単に一刀両断できない。減少しているとは言え、アメリカにはまだ死刑制度があり、年間数十人が処刑されている(州にもよるが)。日本もどう舵を切っていくんだろう。

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