怒りの葡萄 (下巻) (新潮文庫)

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制作 : 大久保 康雄 
  • 新潮社 (1967年5月25日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102101056

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怒りの葡萄 (下巻) (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 久しぶりに感銘を受けた一冊。
    全編を通して「生」に真っ向から向き合い「希望」を捨てない、
    母親がとても素晴らしい。

    最初はなかなか馴染めず退屈だったんだけど、
    後半、読み進めるスピードが加速して行く。

    下巻、後半で母親がいう。
    「女ってものは男よりうまくいろいろ変えていけるものなんだ。」と。
    「女は自分の生活を腕に抱きかかえているのさ。男は生活をすっかり 頭の中にもっている。」
    そして、
    「男ってものは一区切り、一区切りのなかに生活しているのさ。女はね、おしまいまで一つの流れなんだよ。そんな風に見るんだよ。」

    これが、最後の場面に繋がっている。
    ひとこと、「凄い!」と思える場面に。

    自分たちの国(土地)を追われた農民を通して、
    語られる人としての生き様は、
    いつの時代にも共通する普遍的なものだと気づく。
    アメリカ文学の名作。

  • 噴き上げる砂嵐と企業の弾圧に嘆く日々に決別すべく、
    一家は手元で妙香を発する一枚の広告を手に、移住を決意する。
    そこには、カリフォルニアに求人が存在すると書いてあった。
    軋むトラックに、妊婦から老婆まで家族全員乗り込み、険しい道のりに歩みを置く。
    家族を1人、また1人と失い、それでも光明を信じてやまずに猛進する男たちと、
    そんな大家族を必死で支える母親。

    しかしカリフォルニアには、そんな家族が何百と群がっていた。
    仕事は日雇い労働しかなく、一日分の食糧も満足に手に入れられない。
    挙句の果てに、日雇い労働すら無き日が訪れる。

    広告1枚を信じるなんて、馬鹿げているのかもしれない。
    しかし農業しか知らなかった家族には、それすらも貴重で珍しい情報だった。
    無残な歴史の文脈が彼らに与えた判断力では、信じるしかなかったのだ。
    そして、手にとって温度のわかる家族と共に寄り合って力を合わせ、
    限定された選択肢から生きる術を選ばざるを得なかったのだ。

    本作品では1つの家族しか採り上げられていないが、
    同じような家族は数百・数千と存在し、それぞれがそれぞれの「怒り」を抱えていた。
    1つ1つの怒りの粒は群をなし、カリフォルニアに「怒りの葡萄」となって萌芽した。

    当事者には如何ともし難い歴史の文脈がもたらす理不尽が、
    極めてリアルに描写される嘆き声によって深刻に響いてくる。
    そんな作品でした。

  • 上巻で 豊かさの象徴であった葡萄が、下巻では 搾取された労働者の怒りの象徴に変化。下巻は 新しい土地においても 資本家の搾取と貧困に苦悩する姿が描かれている

    下巻ではシャロンのバラ が神聖の象徴に感じた。シャロンのバラが 聖書の世界で何を意味するのか によって 結論の解釈は 大きく変わると思う。結末の意味は 出口のない貧困と狂気か 信仰による愛か

    資本主義への怒りが込められた葡萄と 貧困と苦痛に耐えてきた シャロンのバラの乳房は 同じなのではないか

  • ここ最近読んだなかでは断トツの傑作であった。
    土地を追われた人々はいくつもの苦難に遭いながらも、ただ生きることばかりを目的にして生活を繋いでゆく。
    なぜここまで苦しまねばならないのかと思い悩んで自害を選ぶこともなく、奇数章において語られる当時の悲惨で無情な社会的・自然的な不幸を受け容れる。
    そうした民衆の姿が、緻密で動的な筆によって、しかしあくまでも主観に陥らずに語られるために、そこには人間の生々しい醜さまでもが(ときには子供でさえも!)描かれるのである。
    文庫本で上下900頁ほどに及ぶが、それだけの長さにもじゅうぶん必然性が感じられる作品であった。

  • グイグイと引き込まれる話ではないが、ズッシリのしかかってくる長編だった。暗くて埃っぽくて湿っぽい雰囲気に満ちた悲壮な家族の物語が主軸。そのストーリーの合間には社会と時代の情勢が綴られていて、これが突き刺さる。超越的な視線で淡々と(しかし一人称で)叙述されていて、不条理感が浮き出してくる。
    かつて、作者は忘れたが「ローマの慈悲」という絵画を観て、結構衝撃を受けた記憶がある。本作のラストシーンで、そのビジュアルが蘇ったのに驚き。

  • カリフォルニアは各地から集まって来た農民に充ちていた。不当に安い賃金、百万エーカーを所有する一人の地主のために十万の農民が飢える。かくてこの広大な沃野に実を結んだのは、ほかならぬ”怒りの葡萄”であった―数度の実地調査に基づく詳細なルポルタージュ的作品の内に、強烈な社会意識と深い人間愛が脈うち、息づまるような緊迫感のみなぎるピューリッツァー賞受賞作。<裏表紙>

  • 再読、母は強し。

  • オカンはすごい

  • 下巻に続きジョード家の受難が淡々と描かれる。

    とはいえ、
    虐げられた農奴が最後に反乱をおこして
    資本家を打ち倒すというような
    カタルシスがあるわけではない。
    かといって政治的なメッセージがあるわけでもない。

    最後の最後まで彼らは苦しむのだが、
    ところどころでママ・ジョードが口に出す
    「家族のきずな」的なものに何かしらぐっとさせられる。

  • P214~220の第25章はこの時代の矛盾と悲哀を端的に物語っている。
    P220~の第26章は、何もない状態になってもなお価値あるものは、自分の精神状態をコントロールし、さらに周囲の人間にこまめに目を配り、集団を正しい方向に導ける力であると改めて感じさせる。

  • ジョード家の辛い旅路に、正直ちょっと疲れましたけど、最後のシーンはとても印象的です。
    家族もそれぞれキャラクターが個性的で、ほんとうにどこかにいる家庭のような気がしました。いざとなったら度胸が据わった肝っ玉母ちゃんとか、やや情けないお父さんやおじさん、やんちゃな子供たちやまだ精神は幼い娘などなど…。
    母親が作る料理は、きっと貧しいものなのでしょうが、とうもろこしパンやあつあつのコーヒー、脇肉(脇肉ってなんだろう…)の描写はとても美味しそうでした。

  • カバーから:強烈な社会意識と深い人間愛が脈打ち、息詰まるような緊迫感のみなぎるピューリッツァー賞受賞作。

  • この年になって初めて読んだ。あまりに悲しすぎるし、現在に置き換えても十分成り立つ話。こんなに前から告発されそれなりに受け入れられているのに、構造が変わってない現実。弱い立場は団結しなくてはいけないのに、巧妙に分断されて弱い同志で争わなくてはならない。でもここで理想的な感じで描かれている自主的経営の共同体も現実には成り立ちそうもないし、共産的なものは益々赤扱いで思考停止しているし、となると甘ちゃんに描かれているコニーのように勉強して抜け出すしかないかも。クヨクヨした伯父、説教師、ローザシャーン、たくましい母、これぞザ小説な感じ。

  • 最後の描写は素晴らしいの一言、これほどの質はそうそうお目にかかれるものではない。
    それまでの伏線が見事なまでに昇華し、結実している。
    聖書に対する理解(信仰ではないよ)があれば、尚更この作品に対する理解は深まるんだろうけど、少なくともその能力は当方になし(英語の読解力も)。
    そういったハンデ(?)を乗り越えて、この作品は読み返すに値する古典かと思われ。

  • 環境破壊のツケが貧しい人々の生活を襲う。今でもアフリカなどの途上国で起こっていることだ。銀行や企業が人々を住む家から追い出す。リーマンショック・サブプライムローンで眼にしたばかりだ。仕事がない人々が足もとを見られて不安定な雇用のまま賃金も切り下げられる。「失われた20年」で私たちが経験したことだ。スタインベックが告発した問題は今も世界中で起きている。この問題を改めて見つめ直すためだけでも読む価値がある。そしてこのどうしようもない状況の中でも人は生き続け、気高さや聖性を現すことがある。スタインベックはそうであってほしいという願いを込めて作品をドラマチックに仕上げている。ラストも素晴らしい。なお巻末の解説も簡にして要を得たものだと思う。

  • 名前だけは聞いたことがある、という物語を読んでみようというマイブームの第1弾。そんなことを思いつくのも、あと何冊読む時間が残っているのだろうと考えたりする年頃だから。

    さて「怒りの葡萄」。出会えてよかった。怒りも悲しみもあるけれど、生きる力強さが一番に伝わってきた。それでも生きている。飢えたこともない自分だけれど、ちょっとへこんだときにはこの本に出てくるいろんな人の生き様を思い出してみようと思う。

  • 貧農のジョード一家はその土地を奪われカリフォルニアへ向かう。二年間続いた砂嵐が作物をだめにし、誰しも銀行に借金がある。銀行は大規模農場をつくるため、彼らを追い出す。そして何千何万という土地を失った農民たちが西への大移動をはじめる。

    労働力が供給過多になれば賃金は下がる。しかし仕事がなければ家族を養うことができない。街の人間と警官はつるんで、テント暮らしの彼ら貧農を小突きまわし団結を崩そうとする。「赤だ!」とレッテルを貼って蹴散らす。

    奇数章では舞台背景の描写、そして偶数章でジョード一家の言動が描かれる。たしかに、これなら物語と情報がどっちも負担なく入ってくるし、かったるくもならない。

    パール・バックの「大地」を思い出した。あっちのほうがもっとプリミティヴというか原始のギラつくよな暗さ過激さが詰め込まれているような気がしたけれど。

    なんといっても「おっかあ」がいいな。それからまわりの人や家族を常にきづかって行動してる主人公トムとか。
    貧乏だから、それだけに母が子を大切に想い、子もおなじくらい家族を気遣う…そういう家族の形ってやっぱり時々なつかしくなるというか、憧れる。なんだかんだいって今の日本では難しいだろう、こういうおっかあを描くのは。

  • 困難にあった時の家族愛とはなんと強いものか。悲しみではなく、怒りがもたらす人間の強さと命を考えさせられる作品です。

  • 母親は強い。父親や長男よりも母親が強い。母親がいなければオークランドから逃げ出したこられなかったと思う。
    解説を読んでから読み始めれば良かったと後悔している。

  • 後半から悲しみと怒りが伝わってくるようで、
    胸が詰まり、読むのが辛かった。

    読了後のもやっと感……
    ある種の燃え尽き状態にある。

    出生地というアイデンティティを奪われた人は、
    その瞬間に死んでいる。殺されている。
    あまりにも悲しい話だった。

  • 富めるものと貧しいものとか、強者と弱者とか、大きな問題を描きつつも、淡々と外側からその姿を描写するだけで、作者個人のの批判精神みたいなものを表していないところがよかった。どちらが悪いとか、どちらかが罰されるとか、これからどうしたらよいのかとか、そういうのはなし。すべてが人間の持つ特性であり、ただそうであるだけ。

    人間のたくましさ、美しさが心に残った。生きることへの欲求。家族。どんなに過酷な状況であっても、誇りを持って生きることによって自らも救われること。

    ラストシーンが素晴らしい。鳥肌がたつほど。

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