- Amazon.co.jp ・本 (497ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102101094
作品紹介・あらすじ
米国オクラホマ州を激しい砂嵐が襲い、先祖が血と汗で開拓した農地は耕作不可能となった。大銀行に土地を奪われた農民たちは、トラックに家財を詰め、故郷を捨てて、“乳と蜜が流れる”新天地カリフォルニアを目指したが……。ジョード一家に焦点をあて、1930年代のアメリカ大恐慌期に、苦境を切り抜けようとする情愛深い家族の姿を描いた、ノーベル文学賞作家による不朽の名作。
感想・レビュー・書評
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おもしろかったけど、何がメインの話なのかわからない・・・。( ノД`)下もよんでみる。
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たくましく男くさい小説。トラクターや銀行・会社による土地支配という農業の近代化によって、一体化していた土地をおわれ、カリフォルニアの豊かな農園を目指して移住しにいくジョード一家の話がメイン。おんぼろの車を改造して修理しながら旅していく主人公トムや弟のアルのTOKIO感がすごい。カリフォルニアでは移住者がオーキーと蔑まれ、畏怖嫌厭される未来が透けて見えているが…?たくましく強いお母の、家族がバラバラになることだけは許さない姿勢が印象的。その割に途中離脱した長男のノアにはあまりしつこく執着しないのね…?
嫁の腹痛を甘く見て死なせてしまった罪の意識を抱えて生きるジョンおじが渋くて良き。 -
上下一括感想
下巻にて
改めて読むと、とてつもない強烈な物語。
お母が言う。
「やれるかって話なら、なにもやれないよ。やるかって話なら、あたしたちはやりたいことなんでもやる」
下巻へ続く。 -
「ハツカネズミと人間」がとても好きなタイプの小説だったと夫に言ったら、「なら怒りの葡萄も好きだと思う」と言われ読んでみた。
大恐慌の時代、仕事を求めてカリフォルニアに向かう人々は大勢いた。大家族で、不具合だらけの車での移動はどれほど大変だったことか。ジョード一家もそのうちの一つの家族。仮釈放中のトムを中心に、口は悪いけれどユーモラスで憎めない爺ちゃん、婆ちゃんやたくましいお母、生意気な子供たちや他の家族たちや他のメンバーたちがカリフォルニアに向かいます。その場面が目に見えるような描写はさすがと思う。 -
冒頭からして、粗暴で洗練さを欠く服役者の登場で思わず仰け反った。
殺人者であり、いかにも底辺臭がプンプンするので、やれやれ大変な物語に足を踏み入れていまったな、とやや後悔しながら読み進めた。
瑞々しく小ぢんまりとした日本には無い、乾いて熱くて広大なアメリカの大地の強風が読む者を打ちのめす。
情景描写は活動写真のように眼前に広がり、わびさびを感じさせる確かな筆致が心を惹きつける。
お金、権利、人の思いを蔑ろにした法律、などが幅をきかせる以前の人間が、いかに温かく生活と心を紡いでいたかを思い知らされる。
現代の我々は何か大事物を置き去りにして、文明を便利さを手に入れてしまったのではないかと首を傾げたくなる。
下巻もボリュームのある紙数だけれど、推して読み進めたい。 -
淡々とした文章が逆に言葉の端々などにある熱い気持ちを強調していて面白かった。
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むかし読んだのは1962年。作者案内にはその年にノーベル賞受賞とあります。映画化もあり、話題だったのでしょうか。でもストーリーをすっかり忘れており、初めて読むような感じになりましたのが、個人的などうでもいいことですがわたしとしまして不思議。なぜなら社会機構の矛盾というような題材に関心があった若い時代、記憶の底に残ってもいいのだろうに、ということです。ま、未熟だったのですかね。
さて、上巻を読み終えて、もちろん底辺にある近代資本主義の矛盾を突いているのは痛いほど分かります。でもねえ、ジョードー一家がオクラホマからテキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州そしてカリフォルニア州へと、故郷を捨て新天地へ困難な旅するさまを、簡易地図でたどりながら読んでいると、その情景描写の目に浮かぶような筆運びに魅了されてしまうのです。
この一家13人は苦しい悲惨な旅なんですよ、老人たちは旅に病み死に、若者は怒り、かたや無気力になり失踪し、一家がバラバラになっていく。しかし、それも時代を超えていつの世にもある。その普遍性をある物語に圧縮して解きほぐしていく、これぞ文学の骨頂というのですなと、感心してしまうのでもあります。 -
耕地を奪われたジョドー一家が新天地を目指す過酷な物語。
土地を奪われ飢えに苛む者の立場、大地主の立場を、時折鳥瞰的な目線で淡々と説明する章で時代の背景や人間性を浮き彫りにし、その中でのジョドー家目線で物語が進行する手法がよいです。
人間同士の争い、助け合いがどのようにして起こるのかを機械化が進みだし貧富の差が拡がる時代を下敷きに教えてくれます。
家族の絆や友人との助け合い、正しいものの考え方を押し付けがましくなく教えてくれますが、物語の行く末がとても暗澹としておりその教えが殊更尊く感じますね。
少々読みにくいですが一度は読んでおくべき良作と感じました。
時折語られる伝統師ケイシーやジョドーお母の魂の叫びのような深いセリフが良いです。 -
大地と人の絆が引き裂かれた時の叫びが、全体を通じて響いている。故郷を追われて当て所なくさまよわなくてはならない不安。帰る家のあることがいかに幸せか。
カリフォルニアにたどり着くまでに家族がじわじわとバラバラになって行く様子が恐ろしい。お母は本能的に危機を感じ取って頑なに家族が離れて行動することを拒否するも、はじめにじいちゃん、次にばあちゃんと、故郷との絆が強いものから先に脱落していく。そして長男のノアまでも。
この行くあてのない家族が乗っているのが、血の通わない機械(オンボロトラック)というのも象徴的だなと。トラクターという機械に追い出されて、でも自分たちも機械に頼っている。
信頼できるものとは一体なんなのか?同じ苦渋を味わった人間同士の連帯感のもたらすものは?下巻に続く。 -
砂塵を感じる乾いた文章。
気候変動による難民が発生した際に起き得ること。
集団の境界外とした人間に対する残酷さ。
救いはなく、悪化する一途、臨界点に向けて溜まる怒り。
その中で、粗野だが善良な市民の誇りを保とうとする人々の姿が印象的。 -
これは思った以上に読みやすいし文章が入ってきやすい。第17章が良い。古川日出男的。
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世界恐慌と重なる1930年代、アメリカ中西部では開墾によって発生したダストボウルによって、耕作ができなくなってオクラホマを追われることとなった人々を描く。一緒に移動していた家族は、祖父母の死や従兄弟たちの急な離脱によってバラバラになっていく。バラバラになることは状況を見れば仕方のないことだが、それが危険なことだと、読者は本能的な不安を感じることだろう。
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2021年4月24日に紹介されました!
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とてもソリッドながら読む事をやめれない文章だった。世界恐慌の中それでも強く生きようとする人達を、どちらかと言うと淡々と描いているが、とても惹きつけられる小説だった。
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好きな登場人物が多い。特に説教師やジョン叔父が好きだ。この先誰がいなくなってしまい、どのように反乱が起こっていくのか気になる。
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二十世紀前半の米国が舞台。南中部オクラホマ州を襲った大砂嵐により、玉蜀黍栽培を主とした農家は壊滅的な打撃を受けた。
金融資本家に土地を奪われた一族は、カリフォルニアの果物収穫作業員の募集に応えるために全財産を整理し、トラック一つにまとめて移動を開始する。
全篇に渡って埃と汗の匂いと熱気とが満ち満ちているような描写が続く。
一族の長老である祖父が移動中に命を落とす過酷な旅。
加州に行けば別天地が約束されていると聞かされていのに、そこから戻って来た人々からは噂と正反対の話も耳にする。
一族が加州に到着したところで下巻へ。
本編と交互に時代背景を説明するような一場面が挿し込まれる。
それが唐突なので、主人公たちの話はどこ行ったんだろうと戸惑っていたけれど、上巻の後半からやっとそういう構成に慣れる。
その説明が剣呑で、どうやっても一族の幸せが見えないのが気持ちを暗くさせる。
この時代、米国人が米国人を搾取する構造があったと。それよりもひどいのは、中国人、日本人、メキシコ人、フィリピン人は入れるだけ入れて、反乱の気配が見えたら国外追放すればいいというのが、農場主の共通意識であったこと。つまり奴隷だった。 -
これまで書名は知っていたけど、興味がなかった図書。映画「パブリック 図書館の奇跡」を見て買ってみる。面白い。米国オクラホマ州を激しい砂嵐が遅い、耕作が不可能となる。銀行に借金のかたとして、土地を奪われた多くの農民は、カリフォルニアで果物の収穫のための労働者が必要という噂を聞き、生きるために、先祖代々の土地を捨て、車でひたすら西を目指す…という内容。過酷な現実の中で他者を慈しむ描写がとても好き。下巻へ。
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トラクターが小作人を駆逐する。大量の家族たちが新天地を求めて西へ、カリフォルニアに向けてポンコツ車で移動する。弱ってたどり着けない人もいる。飢えは迫るが、同じ境遇の人たちはお互いに親切だ。2020.7.4
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以前、早川書房を読んだのでこちらもと思い手にしたが、のっけから機械翻訳のような訳に驚く。読み進めていくが、以前のあの感動を再び呼び起こされるどころか、時々どうしても訳が気になって内容が入ってこない。それでも読んでいくとこの訳に慣れていくが、やはり別訳のように響いてこない。
文芸翻訳は本当に難しい分野だと思う。外国語能力以上に日本能力が必要といっても過言ではないかも。
星マイナス分は訳。作品自体は文句無し。 -
ピューリツァー賞とってるだけあって、当時のアメリカの社会問題を根本的な側面からうまく表現されている
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1930年代のアメリカ。大恐慌時代の農民たち。土地を追われ仕事を求めてカリフォルニアを目指すが…。
殺伐とした中にも、同じ境遇の他人に親切に、少ないものを分かち合う姿には慰められた。 -
ときおり思い出す、最後のシーン。
高校3年の時よんで、もいちど読んでみたい
けど長いからもう読まないんだろう作品
干ばつや災禍により荒み、
翻弄されながら
たくましく乗り越える姿が描かれていた記憶。
きれいごとでなく
争いとかそういうことが現れるということも
今思えば、
旧約聖書、出エジプトにたしかに似ている。
ユダヤの民がバビロン捕囚をへて
約束の地を踏むまでの。
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いたたまれない感情でいっぱいになる。
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Amazonレビューの評価が低かったので見てみると「訳が酷い」。たしかに冒頭は読みづらくイライラするが、読み進むとそんなことは気にならなくなってくる。
自由の国アメリカ、チャンスの国アメリカ。ハリウッド映画に出てくる不屈のヒーローに可憐なヒロイン... そんなものは登場しない。描かれているのは敗者と、これから敗者になるであろう、普通の、逞しく、罪を犯し、そして善良な人々である。
何一つ持たない人々が身を寄せ合い、助け合い、そして人間としての誇りを捨てることなく、互いに感謝して生きている。ジョード一家の逃避行は「法」にこそ触れてはいるが、乱暴で暖かい「人間」の営みとして描かれる。
「人間」の尊厳を根こそぎにする象徴としてのトラクター、銀行、貧困ビジネス、農園、そして自己増殖する「資本」。
「自分が生きるため」というたった一つの理由で小作人を追い払い、なけなしの金銭を騙し取る者、彼らもまた生身の人間であり、実は弱者である。本当の悪は地主でも頭取でも取締役でもなく、法人ですらなく、法人を駆り立てる目に見えない資本主義の「動力」であり、銃で撃つこともできず、止めることもできない。
「この国はどうなっちまうんだろう」という不安は消えることなく、人々は目の前のことに集中する歯車になるか、儚い夢に縋りつくか、自分自身が消えるかしかない。
痛い。息苦しい。
戦前の作品だが、現代でも、いや現代でこそ通用する。