アンの娘リラ 赤毛のアン・シリーズ 10 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (563ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102113509

感想・レビュー・書評

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  • いよいよアンシリーズの最後。アンを取り巻く人たちのお話でまだ読んでいないものはあるようだけれど、私の中ではいったん、最後と位置付けたので、ついに、という感じで読み進めた。

    アンとギルバートの末っ子、リラの視点で物語は進む。アンシリーズではこれまでになかった戦争(第一次世界大戦)が物語に大きく影を落とす。
    アンの息子も3人とも戦地に赴くことになり、辛く苦しい時期が続く。そんな中でも、戦場と化していない場所では生活は続くのだと改めて認識した。女性は女性なりにできることをし、戦況に一喜一憂しながら、日々は続いていく。本作の一番の見どころは、リラの成長だと思う。本来なら若く楽しく美しいばかりのはずの10代を、こんなはずではなかったと思いながらも戦争という時代とともに生き、素晴らしいひとりの女性へと成長していく。特に戦争孤児のジムスの存在は大きかったのだろうと思う。

    物語の序盤では、さらっと、すでにマリラが亡くなっていることが描かれていて、当然だけど、もうアンもいい歳なんだなーと感慨深かった。

    リラのお相手、ケンが帰還し、「リラ・マイ・リラ」と呼びかけるエンディングは、アンの想像力に負けず劣らずロマンチックだったような気がする。

  • 赤毛のアンシリーズの最終巻。このシリーズの中で一番好きな巻で、これまで何回読み返したかわからないし、これからもまた何回も読み返すと思う。
    戦争の中でリラが成長していく様子が見事に描かれている。
    何度読んでも毎回泣いてしまうシーンがあり、今回もやっぱり泣いた。
    次読むのはまた来年の今頃かな。

  • “赤毛のアン”の名前を知らない人はいないと思います。
    男の人でも。
    でも、一冊目は読んでる人でも、アンのシリーズの後半まで読んでいる人はそういないと思います。
    (私が一番好きなのは最終巻で、アンが出てこない「アンの友だち」なんだけど、読んだ、という人に会ったことがない。大好きな短編がいくつもあるのに)
    もしくは大昔読んだことある人も、いま読み返すと、おそらく、ええ?こんな話だったっけ?と愕然とするのではないかと思うのです。

    なぜかというと、これは銃後の話だからです。
    この話のヒロイン、アンの娘リラは、このとき10代の美人……。
    この年頃はたいていそうですが、熱血で元気で、あまりまだよくものがわかっていない。
    大陸で戦争が始まり、中立国のカナダは参戦するかどうかためらっているところからお話は始まります。
    でね、若くてきれいな女の子に、義を見てせざるは、な〜んて演説されちゃったら、その気になる男の子は出てきちゃうわけですよ。
    で、友だちに、人の彼氏に何言ってくれてんのよ!?
    とブチ切れられたりする。
    もちろん戦争に行ったら無事に帰ってこられる保証なんかないわけですから、それがわかってる女たちは、当然息子や恋人に行ってほしくないわけですよね。

    そうして、いままで凄く仲良くしてて、ちゃんとした人だとわかってたドイツ人のおじさんが、いきなり村八分になったりもする。
    アンの家の女中さんも、普通の人だったのに、ドイツ野郎なんて信用できませんよ、みたいなことを、したり顔で鼻高々といいだしたりしてしまう。
    モンゴメリーはもともと田舎の人たちの口さがなさや詮索好きな嫌らしさを持った、生身の人々、を書いてきた作家です。
    ですから本当に単なる家庭小説の一環として、戦争の世界を女たちの視点から、ありのままに平凡に綴っていく……。

    そういうのって、子どものときに読んだときにはわからなかった。
    筋は追えても。
    でもこの本を読んだときになんかよくわからないけど、もやもやする、違和感を感じる、これはなんだろう、と思ったんです。

    それがようやく、今回もう一度読んでみてわかった気がした。

    モンゴメリは、反戦思想じゃないんです。
    もちろん、この時代、反戦思想は、まだほとんど存在していなかった。
    今でもアメリカやイギリスでは主流の思想ではありません。

    リラが一番愛している穏やかな兄のウォルターだけが、戦うこと自体を嫌がります。
    人の体を銃剣で刺すなんて、考えただけでも耐えられない、といって。
    でもそのウォルターですら、出かけていかざるを得なくなる。

    そのすべてをモンゴメリーは反戦思想ではなく、ありのままに描くのです。

    日本の戦後の児童文学は、そのほとんどが反戦思想の立場から描かれています。
    第二次世界大戦後は、アメリカやイギリスでも反戦思想を底にして描かれる本が増えました。

    ある意味、反戦思想ではない、物語、というのを子どもの私は初めて読んだのです。

    そしてそれは衝撃でした。

    モンゴメリはカナダやアメリカではそう評価されてない作家です。
    カナダに行ったときに、B級作家扱いをされていてとても驚いたものですが、彼女は日本でだけ!
    有名なのです。

    それはこの思想性の浅さ、にあるのかもしれません。

    モンゴメリは、人は生まれは関係ない、といいながら、あの人はパイ家の者だからね、と、つい書いてしまいます(実際に人々はそう振る舞うのだろうし)。
    女性が自立するのはいいことだ、といいながら、結婚していない女は一人前ではない、という“感情”から抜け出せませんでした。
    仕事をして功成り遂げたとしても……。

    同じ頃のジーン・ポーターの「リンバロストの乙女」などと比べると、同じ生身の口さがない人々を描きながらも、その違いは明らかです。
    ポーターの描く女の人は自立しているのです。

    この物語は浅はかだったリラ、が苦しみを経て成長していく姿を描いているのですが、最後の五行は衝撃でした。
    正直、どう考えたらいいのかわからない。
    子どもだったときは意味がわかっていませんでした(だから、覚えていませんでした)。

    というわけで、これは大人の皆さんに読んでみて、いただきたい1冊なのです。

    2024/02/29 更新

  • シリーズの中で1番好きです

  • アン・シリーズの一冊ですが、他は読んだことがありません。
    この本には、忠犬ハチ公のような犬が登場するということで読んでみました。

    犬のマンディの飼い主はリラの長兄ジェムで、次兄のウォルターにもなついています。ジェムが出征した駅の積荷小屋で動かなくなり、ウォルターは一時連れ帰りますが、ハンスト状態になったため自由にし、駅近くの肉屋に肉の提供を依頼します。マンディは汽車が着くたび駆け回りますが、あとは小屋で寝ています。その後、プラットフォームが見れるよう犬小屋をつくり、また新聞に取り上げられ有名になります。(第2,6,8,10章)
    あとは、出征したウォルターが帰って来た時やまた出征する時の様子や待ち続ける様子、夜鳴きが簡単に描かれています。(第12,15,17,22章)
    そして、最終の第35章で、帰ってきたジェムを歓喜で迎えます。
    第18章で、ミランダが小さな犬ウィルフィを連れてきますが、リラは嫌いなようです。

    最終的に、マンディにとってはハッピーエンドですが、なんとも健気過ぎます。

  • アンの少女時代とアンの娘リラの少女時代の対比ですごく心を打たれた。最後にケネスと結ばれてよかった、、

  • この本は『赤毛のアン』シリーズのうちの一冊、だれもが聞き覚えあるだろう赤毛のアンの、末の娘であるリラが主人公の物語です。アンが誰と結ばれたのかは物語を読んで楽しむべきでしょうから、ネタバレはしません。周りの人々の話も物語を通して楽しんでほしいところです。

    リラは、物語の初めはまるで小さな女の子で、まさに末っ子でした。イングルサイドで過ごす10代の幸せな時代……しかしそんな時に、戦争が始まってしまいました。リラと同じく子供だった男の子たちは戦場へ、女の子たちも国のために寄付を集めたり服を作ったりと活動します。そんななかリラはひょんなことから一人で赤ちゃんを育てることになりました。ただの女の子だったリラが、苦悩し立ち向かい成し遂げる、立派な大人になる姿を追うことができます。

    私が赤毛のアンを読んだのは中学1年生の時です。それから一気にすべてのシリーズを読んでしまいました。
    アンがグリーンゲーブルズで幸せな暮らしを手に入れ、青春を謳歌する姿を読んだ後に知る、そのころのアンと同じくらいの年齢のリラ。そのたくましい姿には心動かされるものがありますよ。もちろん『赤毛のアン』シリーズには、他にもたくさんの素敵な物語があります。アンの学生生活や恋愛、幸せな子どもたちとの暮らし……どれも物語に浸れる素晴らしい作品です。
    (読プロ現役学生:マゼンタ)

  • まず『Anne of Green Gables』を生み出してくださったルーシー・モード・モンゴメリ女子に感謝を。
    『赤毛のアン』として日本で初めて出版しシリーズ10冊を私たち読者に届けてくださった村岡花子さま、関係者の皆様に心から感謝を。

    第一次世界大戦下のアンと周囲の人々の生活をアンの末娘リラを女主人ヒロインに据え描かれる。
    『リラはあまり突然に、そして完全に、この新しい世界へ移し植えられてしまったので、自分でわからないほど当惑してしまった。』(作中引用)

    全くその通り。
    現実では新型コロナで生活は一変してしまった。
    戦争と比べるべきではない。
    しかし、こういう現実だからこそ、今こそ今作は読まれるべき作品だ。

  • アンとその家族が第一次世界大戦下を
    どう生きたのかを一番下の娘である
    リラの目線で描いた物語である。
    今回久々に読み返したが、新型コロナによる
    予想だにしない生活を強いられている今
    読み返すと実感できる部分は多かった。
    しかし、新型コロナは戦争ではない。
    戦争と比べてはいけない気がした。

    全てを読み比べているわけではないが、
    改訂版として追加になっている部分の
    多くは戦況についてのやりとりで、
    もっと詳細に描かれている。

    カナダは戦場になることはなかったが、
    家族や親しい人々を離れた戦地に送り出し、
    新聞などで戦況を知っては気持ちを
    浮き沈みさせる日々。
    その一方で、戦争のさなかにあっても、
    日々の暮らしの中にささやかなおかしみや
    笑いもあるということを個性豊かな登場人物を
    通してユーモアたっぷりに描いている。
    そして誰もが心労を抱えながら、気持ちを
    奮い立たせて日々の暮らしを守ろうとする。
    その言葉や行動は勇敢で力強く、読んでいて
    心底励まされる思いだった。

    10代のリラが精神的に成長してゆく様は
    実に頼もしい。
    辛い思いをしただけの価値があると言って、
    その日々を面白いことがぎっしり詰まっている日々と
    取り替えたいようとは思わないとキッパリ断言するリラ。
    それは人生の真理だ。

    昔から一番好きなシーンは決まっている。
    リラが戦死したウォルターの手紙をユナに手渡すところ。
    何度繰り返し読んでもそれは変わらない。

    『「ありがとう」ユナはこれだけしか言わなかったが、
    その声を聞いてリラは自分のささやかな犠牲が
    報われたことを感じた。』

    込められている深い意味、言い尽くせない多くの感情で
    重たくなっているにもかかわらず、どこか軽やかで
    清々しいこの一文はしなやかな名文だと思う。

    リラの目を通して描かれている本作だが、
    私はアンの目線で描かれた物語も読んでみたい。
    年齢も50代となったアンは今の私と同年代。
    感受性の豊かなアンが母として、一人の女性として
    どんなことを思いながら戦時下の日々を過ごしたのか
    知りたくなった。

    戦争から帰還したジェムは言う。
    「古い精神を追い出すだけでは足りない
    ー 新しい精神を導入しなくてはならないのだよ」
    まさしく今に通じる言葉だと思う。

  • 子供嫌いなリラが一生懸命子供の世話をしている姿に感動した。

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著者プロフィール

1874年カナダ、プリンス・エドワード島生まれ。1908年に最初の長篇小説『赤毛のアン』を出版。世界的ベストセラーとなる。オンタリオ州に移り住み、その地で数々の作品を執筆した。42年トロントにて逝去。

「2012年 『パットの夢』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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