ボルジア家の黄金の血 (新潮文庫 サ 2-21)

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  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102118214

作品紹介・あらすじ

非業の最期をとげた若き枢機卿チェーザレにとって生きる意味は何だったのか。1492年、彼の父は法王に即位し、ボルジア家の人々は、若く美しく、情熱的であり、その無邪気な残虐行為と途方もない野心は、体内を流れる熱い血への服従であった。ボルジア一族の愛欲と野望と権謀術数を背景に、イタリア王たる夢を抱く野心家チェーザレと彼の妹ルクレツィアとの背徳の「愛と死」を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 一族の盛衰。権力欲、支配欲、愛欲などを羞恥心や躊躇いも見せない姿を晒すのは野蛮で下品かとも思うのだけど、ある意味人間というあるがままの姿なんだよなぁとも思う。しかし際限のない欲は満たすことはできないし、己を苦しめるだけか…な。

  • サガンの21作目。

  • マキャベリを読んだ時も感じてゐたが、中世のイタリアを廻つては、政治にしろ文化にしろ、たくさんのひとの血が染み渡つてゐた。荒廃と栄光。信仰と権謀。嵐のやうに、人間模様が凝縮された世界だ。
    中でもこのボルジア家といふものは、さうしたもののすべてをその人生で体現し、散つていつた。それほどまでにイタリアに取り憑かれたことの理由をつけやうと思へば、いくらでもつけられる。けれど、そのどれをとつてもボルジア家の滾る血を説明したことにはならない。ボルジア家の血はさうしたもつともらしい説明を拒んでゐるのだ。彼らがさうしたといふゆるぎない事実のほかに、ひとの入り込む隙がない。
    ひとの在るところに、燃え上がるやうな情感と、さうせずにはいられない哀しい性が必ず在る。それは、時代や国を超えて、ひとが存在し続ける限り、なくならない。そこにやたらと理由をつけたがることを彼女は嫌ふ。それはさうとしかならないのだ。生きて死んでいくことの他に何もない。
    ボルジア家はどこまでも、その瞬間瞬間に生きて死んでいつた。サガンの惹かれたのは、さうしたボルジア家の血といふ形であつたのだらう。サガンはその血の中に、自分といふひとの存在を見出した。ただ時間の流れをたどるのではなく、そこに彼女の感じる人間模様が描き出される。おそらく、役者のimageもはつきりと見えていたに違ひない。

  • 無邪気な残酷さと一族の栄枯盛衰。
    グロさを感じさせず、むしろ華やかな印象を受ける。

  • 他のボルジア物に比べるとサガンの脚本を素材に小説化された作品だけあってよりドラマチックな印象。

  • なんだこのできそこないのシェークスピア、サガンが書いたとは思えんと憤りながら(サガンが好きだから)読んでいた。小説というより戯曲よりだし舞台の台本みたい。で、あとがき読んでみたらフランスのテレビ局のオーダーでサガンが脚本担当になってセリフだけをサガン、あとは別の人が書いたらしい。納得。サガンの良さが全くなかった。

  • ボルジア家に興味があったので、図書館で借りて読んだ

    合わなかった

  • サガンのほわほわした冷徹さで、どうやってチェーザレについて書くんだろうと興味を持って読んだけれど、どちらも中途半端な感じだった。
    なんというか、フィクション色強めだし、「幕末が好きな高校生が書いた同人誌」という感じ。多分ボルジア家と当時のイタリア情勢についてちょっとは知らないと、ついていけない。その感じもすごい同人誌っぽい。

  • 塩野七生の直後に読んで良かった。概略でも知識が無いと無理。サガン著と知って期待したけど、元は映像作品の脚本。ドラマチックでスキャンダラスなところが、塩野版と全然印象が違って面白い。

  • (1994.08.12読了)(1991.04.01購入)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    非業の最期をとげた若き枢機卿チェーザレにとって生きる意味は何だったのか。1492年、彼の父は法王に即位し、ボルジア家の人々は、若く美しく、情熱的であり、その無邪気な残虐行為と途方もない野心は、体内を流れる熱い血への服従であった。ボルジア一族の愛欲と野望と権謀術数を背景に、イタリア王たる夢を抱く野心家チェーザレと彼の妹ルクレツィアとの背徳の「愛と死」を描く。

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著者プロフィール

1941年生まれ. 専攻, 18世紀フランス文学・思想・歴史. 慶應義塾大学大学院博士課程修了. モンペリエ大学院博士課程修了. 慶應義塾大学文学部教授. 同大学アート・センター所長を経て, 現在, 慶應義塾大学名誉教授.
著書に『翻訳仏文法』上下(1985, 87), 『『百科全書』と世界図絵』(岩波書店, 2009), 『一八世紀 近代の臨界──ディドロとモーツァルト』(ぷねうま舎, 2018), 編著に『モーツァルト』全4巻(共編, 岩波書店, 1991), 訳書にロバート・ダーントン『猫の大虐殺』(共訳, 岩波書店, 1986)ほかがある.

「2019年 『いま・ここのポリフォニー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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