悲しみよ こんにちは (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102118283

感想・レビュー・書評

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  • 人生で最初に読んだのが「悲しみよ こんにちは」。全く覚えておらず再読。こんな話しだったとは。自分がタイトルをつけるとしたら『残酷と後悔』かな?サガンが18歳で書いた内容とは恋愛を達観している。主人公は17歳のセシル。プレイボーイの父親と付き合うエルザ。バカンスの途中、落ち着いたアンヌが合流。父親はエルザからアンヌに乗り換える。セシルはアンヌへの挑戦として父親をエルザに振り向かせようと計画する。セシルVSアンヌ。2人とも価値観が似ているために対立する。幸福、残酷そして後悔。アンニュイであり俗っぽいかな?⑤

  • 文学ってすごいー。
    一人の少女の複雑で支離滅裂な感情が言語化されており、自分にも身に覚えがある、知ってるこの感情とかなり入り込んでしまった。思春期の時にも読みたかったな。

    読後の感情は、まさに「悲しみよ こんにちは」であり、私も彼女と同じ境遇にいたら、きっとほとんど同じように感じるだろうなと、とても彼女に共感した。

  • カバー装画はイナキヨシコさん。思春期の不安定さを表すような三角と寒色が点在。フランス語のフォントが郷愁を帯びている。河野万里子さん訳、訳本独特の言い回しが少なくとても読みやすかった。
    愛憎賞賛軽蔑混じる五角関係を南フランスの夏の海辺の眩しい自然と儚い思い出のように描き、思春期のあやうさと葛藤、残酷な感情が引き起こす結末。
    セシルがバスタオルを体に巻いて鏡を見ながらヨガをしているところをアンナに見られ「インド哲学」と返したところが特に好き。
    小池真理子さんの解説は日本の戦後時代背景と作家との交流について触れていて興味深い。
    ゴダールが感動したというセシルカットを見るために映画も視聴してみようと思う。

  • 18歳ぶりの再読。はじめてと同じ、周囲の喧噪が嘘のように、この一文がわたしを一瞬にして常夏の南仏へと運んだ。

    「ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう」。

    「わたし」が過ごしたとある夏の日々の回想を追ううち、知らぬ間にセシルが自分のことのように思てくる。気楽で愛らしい父レイモンドを素朴に慕う娘心、愚かだけれど憎めない父の恋人エルザの傷心に同情する気持ち、年上で色っぽい青年シリルと交わす悩ましい快楽、そして敬愛すると同時に軽蔑するアンヌへの憎悪。「わたし」が感じたすべての感情を、わたしは「わたし」のような放蕩娘ではなかったけれど、やはりどこかで知っている。だからなのか、再読の際は初読とは違った感想を持つことがほとんどなのに、これは違う。一度とならず二度までも、あたったことのない地中海の夜風とともに、わたしをまったく同じ地点に戻した。大人びた計画と、感傷、憂鬱、自らで引き起こした嵐が予期せぬ不幸を呼び、そして人を傷つける。それではじめて、もう戻れないのだと確信した日に。

    時という概念さえ忘れて、わたしはいつともわからない物語の舞台に立っていて、そしてアンヌの事故の知らせに驚愕する。ああ、なんてことをしてしまったのだろう。出ていくアンヌの打ちのめされた表情、大人と思っていた女性の少女のような姿が、わたしの記憶にもこびりついて離れない。わずかに一時間半、そのうちにわたしは一夏を確かに経験した。一生に二度とない「あの日」を何度も読者に想起させる、それがこの作品の凄みであり、これまでもこれからも数多の人々の、かつては少年少女だった人々の「悲しみ」のそばに、鈍い痛みをともなって寄り添いつづけることだろう。

    「石は今も、わたしの手のひらにある。バラ色で、あたたかみを帯びて。そうしてわたしを、泣きたくさせる」。

  • タイトルが素敵だなぁとなにげなく買って、なにげなく1ページ目を読んですぐに閉じた。
    名作なことは知っていた。それでも「これはやばい」と直感したのだ。これは、私が絶対にどうしようもなく好きになってしまうタイプの小説だ、と。
    なにげなく読み始めるのは言語道断、然るべき時を待ち心して読まなければならないと自分に言い聞かせ、夏至から小暑にかけての今、満を持して無事に読み遂げることができました。
    予感どおり、切なくて、甘苦しい悲しみと、少女の一瞬の永遠がどこまでも伸びやかにひろがる素晴らしい小説だった。もう二度とやってこない17歳の特別な夏だ。

    ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。その感情はあまりに完全、あまりにエゴイスティックで、恥じたくなるほどだが、悲しみというのは、わたしには敬うべきものに思われるからだ。悲しみーーそれを、わたしは身にしみて感じたことがなかった。ものうさ、後悔、ごくたまに良心の呵責。感じていたのはそんなものだけ。でも今は、なにかが絹のようになめらかに、まとわりつくように、わたしを覆う。そうしてわたしを、人々から引き離す。

    この小説の書き出しです。過不足のいっさい無い、なんて洗練された精巧で完璧な文章!
    訳者あとがきを読むと、サガンは生前「作家のなににまず敏感か」と聞かれて「その声です。」と答えたと書かれている。それは一行目から聞こえてくる、いちばんたいせつなもの、と。まさにこの書き出しがサガンの声そのものだと衝撃を受けた。
    綿矢りさ「蹴りたい背中」の書き出しにも同じような衝撃を受けたのを思い出した。

  • 久しぶりに海外文学を読んだ。
    まず何をおいても、文章の美しさ、みずみずしさ、洗練された言葉。全てが五感に訴えてくる。映像がそこに見えた。
    感嘆である。物語全体に流れる、虚無感とカタストロフィーがこの世界の美しさと汚さ、光と闇の相対性を感じさせる。
    愛と憎しみというアンビバレンスな感情を18歳という最も多感な年齢で描ききった傑作である。

  • 悲しみには諦めと諦めきれなさが同居している。
    こんな悲惨な結末になるとは予想していなかった。冒頭を読んだとき、セシルの体験した悲しみを僕はかなり低く見積もっていた。失恋でもしたんでしょ、くらいに。失恋だって十分な悲しみだと思うが、この物語はそれ以上の悲しみを内包していた。僕はまだ「悲しみ」を本当には知らないのかもしれないと思わされた。

    今回、珍しくかなり主人公に感情移入して読んでいたと思う。アンヌに対する主人公の不満は非常に共感できるところがあり、かなり主人公に肩入れして読んでいた。いいぞセシル、もっと反撃してやれ!と。それなのでこの結末は非常にバツが悪い。確かに彼女は自分の感情にしか目がいっていなかった。相手のことなど何も考えられていなかった。反省しなければならない。でも、自分のリアルな感情以上に大切なものなどあるとはどうしても思えない。直情的に、刹那的に生きることが悪いことだとは思えない。というか僕はそういう生き方に正直なところ強烈に憧れている。セシルのような生き方は「若さ」と片付けられなければいけないのだろうか。大人になるにつれ矯正しなければいけないのだろうか。そうだとしたら、そのことがとても悲しい。

    セシルも父親も、自らが招いたこの悲劇の後でも自分の生き方を変えていない(変えられない)ことが、残酷ではあるが救いだと僕は思う。自分の生き方の軸を持つことは、ときに他人の持つ軸との差異による不協和や悲劇を生じるが、それを理解しながらも自分の生き方はこれだと確信できる生き方を見つけることが本当の幸せではないだろうか。

    (自分で読み返しても随分青くさいレビューになってしまったが……これが今の素直な感想です。)

  • 主人公セシルの、物事や相手に対して目まぐるしく変わる感情。
    自分の言葉や行動を熟考しない浅さ。
    目先の楽しみや快楽を重視する性格。
    未完成が故に、完成された人間に憧れながらも反発してしまう二面性。

    思春期特有の瞬発的な内面を、そして特殊な環境が引き起こすねじれをこんなにも巧みに描けるサガンの観察力に感服。
    手元にずっと置いておきたい一冊に出会えました。

  •  あらすじには「少女小説の聖典」とあるのだけれど、少女小説といわれてイメージするような、恋愛至上主義のロマンス小説ではない。むしろ恋愛のむなしさと人間の業に、暗い淵をのぞき込むような思いがした。救われない話だ。怖い話でもある。
     冷静に考えれば、一般的に好感の持てるタイプの主人公とは違う。奔放で享楽的、気まぐれで惚れっぽく、勉強がきらいだけれど頭はよくて、義母になろうとする女性を、ひどく悪辣な方法で陥れようとしている。
     だけど可哀想な子だ。愚かではあるけれど、感受性の豊かな、人の心の機微が手に取るように見えてしまう、さとい少女。読みようによっては、彼女のほうが大人の都合に振り回されているとも思える。父親も、その恋人たちも、恋愛の手管だの諍いだのに、大人げもなく子供を巻き込んでいる。
     筋を追えば非常にドロドロとした、暗く、怖い話なのだけれど、カタルシスがあって、内容にしては不思議なくらい読後感は悪くない。しかし読んだのが十年前の、いまよりもっと面の皮の厚くならないうちだったら、もっと引きずられて傷ついたかもしれない。
     どうでもいいような余談だけど、最初から最後まで惚れた腫れたの愛がどうのという話だったので、「さすがフランス文学……」と思った。

  • これを18で書いたことがまず本当にすごい

    あとは、翻訳の言葉選びが、素晴らしすぎて全部しっくりきたー

    一つ一つの細かい心情が、よく自分が体験するけど言葉にできないことで納得した。恥ずかしくなる感じとか,つい不幸を祈ってしまうところとか,他人に対して達観できているように感じちゃう若気の至りとか。

    今回は自分になぞらえて読んだけど今度は一歩引いてよみたい。

著者プロフィール

1935‐2004。フランス、カジャルク生れ。19歳の夏、デビュー小説『悲しみよこんにちは』が批評家賞を受け、一躍時代の寵児となる。『ブラームスはお好き』『夏に抱かれて』等、話題作を次々に発表した。

「2021年 『打ちのめされた心は』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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