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この作品に関連する談話室の質問
この作品からのみんなの引用
みんなの感想・レビュー・書評
以下引用。 (……)彼はやにわに親元の金を奪いとった。相手の男はパッと立ちあがって、彼を蹴飛ばそうとした。ペペは体をかわして、わたしに奪った金を手渡した。わたしがそれをポケットにねじこんだときには、もう彼のナイフがひらかれていた。彼はただひと突きでそれをスペイン人の心臓に突き立てた。それは陽にやけた大きな男だったが、地面の上に倒れ、その陽やけした顔の色は見るみるうちに蒼ざめてゆき、身体を引き... 続きを読む »
文字が多い。ところどころ素晴らしく面白い。俺とアル中はもう兄弟分じゃあないんだ。彼は未だ汚辱の中だ。俺とは見てきた世界が違いすぎる。
美とは決して皆が賞賛する様な物のみだけならず、
皆が避け、侮蔑するような醜さと卑しさの中にも存在するのだということを、
彼自身の半生を詩的な表現で彩りながら示していく自伝的小説。
価値観の反転と倒錯。
著者であるジュネは、父の顔も知らぬ私生児として生まれ、
盗みと乞食として生計を立てながら、
人生の半分を獄中で過ごしてきた。
「私は今でも、人間であろうと物質であろうと、最も卑しい屑に向かって優しく微笑みかけることができる。唾液やげろにさえ、諸君の排泄物にさえ…」
と述べる彼の目に、世界はどのように見えていたのだろうか。
全ての落伍者とはみ出し者に、花束を。
はじまり 従刑囚の服は薔薇色と白の縞になっている。もし、この、わたしが居心地よく思う世界を、自分の心の命ずるままに選びとったのだとすれば、わたしには少なくともそこに自分の欲するさまざまな意味を見いだす自由はあるだろう、——それで、花と従刑囚とのあいだには緊密な関係があるのだ。一方の繊弱さ、繊細さと、他方の凶暴な冷酷さとは同じ質のものである。わたしは、従刑囚——か犯罪者——を描くことがあるたびに、... 続きを読む »
言語の力によって現実世界の価値をことごとく転倒させ、幻想と夢魔のイメージで描き出される壮麗な倒錯の世界。――裏切り、盗み、乞食、男色。父なし子として生れ、母にも捨てられ、泥棒をしながらヨーロッパ各地を放浪し、前半生のほとんどを牢獄におくったジュネ。終身禁固となるところをサルトルらの運動によって特赦を受けた怪物作家の、もっとも自伝的な色彩の濃い代表作。
多少支離滅裂な、まとまらない話の筋にとまどうが、作者は明らかに感受性の強い異彩を放った類を見ない作家である事がわかる。しかし、過大な評価をしてはいけない。というかさせない事に、いや、世間に醜態を晒す事こそが彼の言う善なる行ないであるのだから、軽々しく彼をどうこう言ってはならないのだとおもう。とにかく世間の価値観の真逆を往く彼なのだから。 彼の言う善と悪は私の考えるものと逆転していて、そう理解してい... 続きを読む »
過ぎ去った時を求めるのではなく、過去の生活がその機縁であるところの一つの芸術作品と言い切る、乞食、男娼、売淫、窃盗、裏切り、そして放浪生活を描き、詩的なもの(ポエジー)を現出しようと試みた、自伝的な「到達不可能な無価値性」を追求した書。「盗み」についてこれでもかというほど哲学的に、またジュネの愛する男性犯罪者達の「美」について描かれる。悪の世界について、泥棒について語るのではなく、「泥棒が」語る世界。悪と花はなんと似合うのだろう。「美を得る為に不可欠なもの、それは愛。そして愛をぶち壊すほどの残酷さ。〜ジャン・ジュネ」
ジャン・ジュネの『泥棒日記』は、まさしくフランス的だと思う。 華麗で洒落ていて繊細でいて装飾過多。 左脳じゃなくて右脳。 言葉を言葉として考えるのではなく、言葉の持つイメージだけがするりするりと脳の中に染み込んでくる。そして染み込んだそれは、忽ち像を成して広がってゆく。 たとえば他の本(文章)から、私は時々イメージを思い浮かべたり創作意欲が湧いたりインスパイアされたりするのだけれど、ジ... 続きを読む »
本屋で何を思ったか 「ジャン・ジャック・ジュネありますか?」 と聞いた。 私の問に店員の浮かべた表情は曖昧で、果たしてルソーそれともジュネ?と考えていたのだと思う。 いつもながらのこの勘違い、いい加減どうにかしたくなってきた。 今年の課題図書の一つジャン・ジュネの「泥棒日記」。 思いの外早くに着手してしまった。 なんとなしに流れを感じ。 三島に近い小説を何となくぶつ切り... 続きを読む »
ピカレスク(悪態)文学の最高峰とも言われる作品。
1人の泥棒(脱走兵∧男娼)の目線を通して既存の価値観に真っ向勝負して、そして敗北する。
「背徳の美学とは、いかなるものか?」ということが知りたければ是非一度手に取ってみてください。
ここまで世の中を斜めから見れたら『ホンモノ』だと思います。
この作品に関連して、
第一次世界大戦後に欧州でおこったダダイズムや
デカダンスの概念などを一緒に考察すると
非常に深みのある社会の一面が垣間見えるように思います。
このジャンルに興味のある方は。
○ランボー「地獄の季節」(これもある意味詩集です)
○ボードレール「悪の華」(詩集)
など読んでみてください。
圧倒的に重い小説でした。
理解できないことを当然のように並べられ、理解できるかと問われる。
「理解できない」と答えるしかないけれど、それでもその表現や奥にあるものは何なのか、必死で目を凝らす。
そんな作業の積み重ねで、読み終えた頃には疲労困憊でしたが、そういう作業と向き合わせてくれる何かがある、そんな小説であるように思います。
父なし子として生まれ、母に捨てられ、裏切りと盗みをおぼえ、泥棒と男娼をしながらヨーロッパを放浪し、前半生のほとんどを牢獄ですごしたジュネの自伝的作品。
この書物『泥棒日記』は、すなわち、「到達不可能な無価性」の追求、である。
この本、凄い。
善悪とか美醜、そんな基準を超えた、常識をぶち壊すジュネの感性。それが、視覚的でなく感覚的に迫ってくるから、怖くてしょうがない。脳みその1しわ1しわから、あぶら汗がびっしり出てくるような恐怖とスリルは、もう、楽しむ以外に為す術が無い。興奮と感嘆の中に僕は取り残される。自分の母親に「涎をたれ流すか、彼女の両手の中にげろを吐くだけで我慢しよう」とか、「痰が人を感動させずにはいない生命力に満ち」ているとか、「糞をする犬が感動的」だとか、モノの観点が全然違う。真の芸術家の狂気、始めて感じた。
愛すべきジュネ(笑)自分に誇りを持っていいんだよ?と教えてくれたのはジュネでした。もう、そんなの、忘れてしまってますけど。しかし、長くて濃かった…(笑)20代前半で読んだもの。捨てられず、売れなく(笑)納戸の本棚にも仕舞えない大切な本です。
彼の小説の中ではこれと、「葬儀」が好きでした。もちろん、「薔薇の奇蹟」「花のノートルダム」もいいです。
ジュネに関しては堀口大学さんの訳も合ってますよ。
少し(というか大分)前に出版された本だったので、文字が小さく詰まっていて、見かけ以上に長い話でした。
ジュネは醜いものを、本来醜いものに使うべきではない美辞麗句によって美しく描いているが、決して美しいものを醜く描いていると言うわけではない。それでも、あまりの乞食っぷり(当時それが至る所で見られたものとはいえ)の描写には驚きました。泥棒としての罪悪感のなさも。
ジュネの愛(男色)は配偶行動抜きの、まさに真実の愛だったといえるのではないのだろうか?そう思わせるような日記でした。






