月と六ペンス (新潮文庫)

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制作 : William Somerset Maugham  中野 好夫 
  • 新潮社 (1959年9月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102130056

月と六ペンス (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 人間の大きさ、を書いた話なのではないかと思う。

    ストリックランドその人の巨大さ、というよりは、人間というものが持ちえるある種の極限、を描いているがゆえに、「人間である私たち」が読むと、その可能性に、なんというか、夢を見ることができる。
    「私」はこう生きることはできないだろうし、こんなに「巨大」であれないけれど、でも、ここで描かれている「人間」は、間違いなく自分と同じ種類の生き物なのだ、と思える。

    作中で、晩年のストリックランドを見知っていたある人物がこう言うセリフがある。
    「いくら私だって、夢を持つ気持ちくらいはわかっている。私にだって幻はある。私は私なりに、これでも芸術家のつもりなんだからねえ」
    この話が、ひどく通俗的である、と言われる理由は、もしかしてここなのではないかと、私は思う。多くの、ほとんどの人は、決して「ストリックランド」ではない。しかし、作中の人物が言うように、多くの人がその人なりに「ストリックランド」のつもりであり、それはまた、嘘ではないのではないだろうか。

    傲岸であると同時に崇高で、利己的であると同時に無欲で、信仰でありながら俗者である。
    大きな、大きな矛盾。
    けれど、それは「私たち」そのものであり、また「彼」にしか持ちえないものではないだろうか。

  • 芸術に取り憑かれた男、チャールズ・ストリックランドの一生を描いた小説。
    彼のその世間の反感を買うような言動から、自己中心的な人物のように見えるが、何かしら常人にはない魅力があるようだ。
    その潔さには、思わず拍手を送りたくなってしまう。その情熱が羨ましいとさえ思ってしまう。

  • 1919年に出版されたサマセット・モームの小説。画家のポール・ゴーギャンをモデルに、絵を描くために安定した生活を捨て、死後に名声を得た人物の生涯を、友人の一人称という視点で書かれている。この小説を書くにあたり、モームは実際にタヒチへ赴き、ゴーギャンの絵が描かれたガラスパネルを手に入れたという。題名の「月」は夢を、「六ペンス」は現実を意味するとされる。
    出典:Wikipedia

    芸術とは情熱なのだ.表に出てくる意識など、おさえることのできないほどの情動なのだ.

    ということなのだろう.私は芸術家ではないから、その情動がどれほどのものなのかは分からないけれど.ただ、ものを創る人というのは、他の人が見える部分では常識のないように見えるのだろう.ただ、本人の中では、矛盾はなくただ欲するところに正直なだけなのだろう.

  • 月に魅せられた男の果て

    主人公は画家のゴーギャンをモデルに描かれている。
    証券会社に勤め、家庭を持ち何不自由ない生活を送るストリックランド。
    ある時そんな中年オヤジの彼が圧倒的な衝動に突き動かされ、家庭や仕事などの世俗的なしがらみ(六ペンス)を一切かなぐり捨てて、芸術(月)に傾倒する。

    世間の非難を潔く受け容れながらもそれらを冷笑すること憚らないストリックランドが印象的。

    月に魅せられた男の人生の果て。そこに広がる景色は至福の煌めきか虚無の暗闇か。

  • 何ものにも縛られたくないと公言している人の世話を焼くのは勝手だが、
    それならばその結果起こったトラブルをも全て受け入れる覚悟が必要だ。
    こうしてあげたら相手はこう思うだろうというような
    一般の社会通念を彼に期待するのは愚かであり、独善である。
    なぜなら彼は芸術家だから。

    17年間連れ添った妻と子供を捨て、命を救ってくれた恩ある友人の妻を奪ったうえ、
    彼女を自殺に追いやったストリックランド。
    常識で考えれば、破滅的であり狂気の沙汰とも言える生き方だ。
    しかし彼は自らの芸術を追求し、人々の胸を打つ作品を遺した。
    この主人公はポール・ゴーギャンがモデルだと言われているそうだ。

    およそ芸術家というのは、俗世間の常識や社会規範に囚われず、
    本能のままに生きていく人のことを言うのだろう。
    心を縛られず、真の自由を体現する芸術家だからこそ、
    魂を突き動かすような作品を創造できるのかもしれない。

  • 20世紀イギリスの小説家・劇作家サマセット・モーム(1874-1965)の代表的長編小説、1919年。画家ゴーギャンの生涯をモデルとした作品として知られる。

    「観念に憑かれた者」「内面性に憑かれた者」「本来性に憑かれた者」 の姿がここにある。

    個人の外部で拵えられた社会の自己都合としての社会性の桎梏を、それが無意識下に根を下ろしたところのものである超自我による自己抑制を、何の顧慮も無しに断ち破っていく、美へのデモーニッシュな如何ともし難い意志。社会に於ける小市民的な秩序安定に寄与するだけの倹しい善意や良心や分別なんぞ、薙ぎ倒し吹き飛ばしてしまう。そこには、他者に理解可能な卑俗な理由なんぞ峻拒する不条理が、暗々と横たわっている。俗世間なんぞ、所詮は「六ペンス」に比せられる程度の代物なのだ。彼を天才と呼ぶか狂気と呼ぶか敗残芸術家と呼ぶかは、当人とは無関係な社会の側の都合・眼差し如何でしかない。しかし、市民的規範の一切に背を向けるストリックランドの行動に困惑を覚えてしまうたびに、自己の内なる「社会性」「小市民的俗物性」の根深さを思い知らされる。

    「だが、君はね、僕から時々いい物を摂取する機会があるかぎり、決して心から僕を憎みきれるもんじゃない」

    美的陶酔の隠喩である「僕(ストリックランド)」に人間が抱かずにおれない畏怖と憧憬の ambivarence というものが確かにある。

    「僕は言っているじゃないか、描かないじゃいられないんだと。自分でもどうにもならないのだ。水に落ちた人間は、泳ぎが巧かろうと拙かろうと、そんなこと言っておられるか。なんとかして助からなければ、溺れ死ぬばかりだ」

    小市民的俗世間は、自分の水準に落とし込めるようにしか、物事を捉えることができないのだ。

    「彼にとっては、言葉というものが、最初からもう思想の媒体ではないらしく、話すことはひどく苦しそうだった」

    「われわれは、この世界にあって、みんな一人ぽっちなのだ。青銅の塔内深く閉じこめられ、ただわずかの記号(しるし)によってのみ互いの心を伝えうるにすぎない。しかもそれら記号もまた、なんら共通の価値を持つものではく、したがって、その意味もおよそ曖昧、不安定をきわめている。笑止千万にもわれわれは、それぞれの秘法をなんとか他人に伝えたいと願う。だがかんじんの相手には、それを受け容れるだけの力がない。かくして人々は肩を並べながらも、心はまるで離れ離れに、われわれも彼らを知らず、彼らもまたわれわれを知らず、淋しくそれぞれの道を歩むのだ。たとえていえば、美しいこと、神秘なこと、それこそ限りなくさまざまの語りたいものをもちながら、ほとんど言葉も通じない異郷の人たちの間に移り住み、やむなく陳腐な会話入門書の対話を繰返しているよりほかない人間、それがわれわれの姿なのだ。頭の中は思想で煮えたぎっている、そのくせ口に出して言えることは、園丁の叔母さんの傘が家の中にあります程度の、くだらない会話にすぎないのだ」

    「彼にとっちゃ、絵を描くことは地獄の苦しみだったんだ」

    「人間の中には、ちゃんとはじめから決められた故郷以外の場所に生まれてくるものがある・・・。なにかの拍子に、まるで別の環境の中へ送り込まれたのだが、彼らはたえず、まだ知らぬ故郷に対してノスタルジアを感じている。生まれた土地ではかえって旅人であり、幼い日から見慣れた青葉の小道も、かつては嬉々として戯れた雑踏の街並みも、彼らにとっては旅の宿りにすぎないのだ。・・・。よく人々がなにか忘れがたい永遠なものを求めて、遠い、はるかな旅に出ることがあるが、おそらくこの孤独の不安がさせる業だろう」

    「世の中には、真理を求める激しさのあまり、目的を達することが、かえって彼らの拠って立つ世界を、その根底から覆してしまうような結果になる、そういった人間がいるものだ」

    彼はタヒチを得た。しかし現代の時代精神に、帰る場所などあるのだろうか。本来性の観念に取り憑かれた者は、無限に内面を遡行していき、その運動自体が無限循環へと陥らずにはいない。何処も彼処も異郷で在る以外に在り得ないのではないか。私はここにモームの思想的限界を見出す。最早我々には、「タヒチ」すら無いのだ。

  • 有名な1冊ですが、初めて読みました。
    おもしろかったです。
    ゴーギャンをモチーフにした作品と聞いてたのですが、主人公ストリックランドはゴッホやセザンヌのエピソードも盛り込んでいるようです。
    画家の生涯、というより、モームという皮肉屋の批評家が人間観察して得たドラマ的な部分が多いと思いました。
    あと、ストリックランドは女性恐怖症のようなところもあるような気がします。ストリックランドはモーム自身でもあるそうなので、同性愛者モームからみた女性像なのかもしれません。

  • 版が違うけどね。
    今の新潮文庫、こんなことになっているのか。
    タイトルの書体が嫌だ。

    もとい。

    モームって通俗小説って言うけど、
    充分芸術的だと思ってしまうのは、
    私が今に生きているからか。
    確かにこの作品に関して言えば、
    ゴーギャンをモチーフにしている辺りや人間ドラマを描いている点は
    大衆向けなのだと思う。
    でも一筋縄ではいかない人間の複雑さを描くモームの視点は
    基本的にシニカルで、
    けれどそこにあるのは若さによくある冷めた視点ではなく
    飽くまで老成故の現実を客観視した視点であり、
    そこに読者に訴えるものがあるのだと私は思うんだけれども、
    どうかしら。

    さてこの『月と六ペンス』は実は再読で、
    最初に読んだのはまだ学生だった二十歳くらいの頃。
    一番本を読んでいた時代だったけれども
    やはりそこはまだ若く(今も人間的には大人じゃないけど)、
    ただただストリックランドが腹立たしく
    ダーク・ストルーヴがかわいそうでしょうがなかった。
    ま、それに関しあれから時間が経ち幾らか人生経験が積んだ私が思うのは、
    人生決して善い行いが良い結果を産むとは限らない、
    ということと、
    人生不公平、
    ということ。
    私はやっぱりストリックランドは好きではないけれど、
    そういう人はいるし、
    ストリックランドは芸術に囚われたという点で、
    ある意味ストイックで自分をも顧みなかったという点で、
    もしかしたらただの冷血身勝手な人よりはいくらかマシなのかもしれない。
    現実には何も持っていないけどただ冷血で身勝手なだけの人もいるからね。
    でもそういう人にもきっと一滴の雫ほどかもしれないけれど
    良心が存在するんだろう、
    ストリックランドにもあったように。

    構成は大胆な二部構成で、
    それが良いのか悪いのか、
    改めて考えると正直判断に迷う。
    私はこの作品が好きだし全く気にならないけれど、
    主人公がストリックランドを知った初期を描いた前半から
    いきなり時空を越えてストリックランドの死後へ舞台が変わるというのは、
    唐突すぎると感じる人もいるかもしれない。
    でも、ストリックランドの生き方は短命を暗示しているし
    冒頭でこの物語を語っている時点では既に死んでいることは述べられているので、
    まあそんなに驚くことでもないのかな。

    って言うかモーム作品の中では一番好きな作品である。
    一般的には『人間の絆』が評価高いけれど(これも再読したい)。

    因みにタイトルもとても好きである。
    『月と六ペンス』
    かっこいい。
    狂気(芸術)と俗世間。
    ストリックランドは最後
    病気になってから俗を切り捨てられたのだと思うけど、
    やはり人間は健康だと俗から抜け出せないのかも。
    あるいは、それに代わる大きな代償が必要なんだろうね。
    もっともそれは道理で、
    何しろ俗は人間と置換可能なくらいのものだものね。

  • ずっと読みたくてずっと読んでなかったモームの代表作。当時は新潮を買ったけど角川文庫のカバーがすてき。

    すばらしい言葉がいくつもあって、全てを噛み締めながら脳内にインプットしようと必死だった。緻密で長い時間をかけて計算しつくされて書かれたことがわかる。

    ひたむきな情熱、人生への励まし、人にどう思われようがそんなことは気にも留めず、ただ己の成したいことのためには何もかも犠牲にできるという人種。残忍とも潔いともいえる行為。人並みならぬ執着心。人間的に最低でも自分の信じた道では最高の居場所に位置しようとすること。私にとってこの種の人は尊敬に値する。芸術家と呼ばれうる人の中にはこういう人がいる。

    ストリックランドの「描かないではいられない」というこの境地こそ、なんだろうな。何かを生み出さずにはいられない。その単純な、でも果てしなく尊い欲求。食べることや眠ることと同じくらい至極自然にそう思えることがあるのならば、それは紛れもなくその人がすべきことで、誰が何と言おうと正しいことなのだろう。例え何を犠牲にしても、その人が求め掴み取らねばならないものに違いない。だって人はそういうものに出会うために生きている。

    (20120907)

  • 知名度はかなり高い1冊である。
    それだけに長らく本屋で手にするのが恥ずかしくて、なかなか伸びなかった。
    それを大量に古本を購入した時に少年がアダルトビデオを借りるのと同様にこっそりと本の中に埋もれさせてごまかし買いした。
    モームにとっちゃひどい扱いだが、年とってくるとなかなかこういう感じになってしまうことってあるのだ。


    私の漠然としたイメージだとこの物語の作者はフランス人だった。
    そして貧しい少年が主人公で悲しい売春婦と飲んだくれの男が出てくると思っていた。
    なんでそう思ったのかは同じように知名度の高いヨーロッパの作品(『赤と黒』『レ・ミゼラブル』『アンナ・カレーニナ』など)の要素を寄せ集めてのものだ。
    しかし読んで気がついたのだがモームはそこまで古い作家ではない。結構最近の作家なのだ。
    おまけに物語はゴーガンをモデルにしたオマージュ的な作品で物語のメインの題材は芸術だ。これは意外だった。てっきり人生の悲哀と世相批判の作品だと思っていたのに、そんな事はほとんど記載されることなく結構がっちりと芸術やら生についての考察がされる。
    読み始めてまずそれに面食らった。
    まさか『トニオ・クレエゲル』的な物語だとは思わなかったのだ。
    とはいえ、私の予期した作品のような内容であるのよりも、こんな物語である方が私としては助かるというもの。
    実際、文章もまどろっこしいところがなく読みやすく、なかなかめっけもんだった。
    名著に対して何たる上から目線だと言われるかもしれないが、いや相性という意味でね。



    物語はストリックランドというとある中年の男を中心に筆者がその半生を記述すると言うもの。
    このストリックランド、妻や子供、仕事にもそこそこ恵まれていたというのに何を思ったかその全てを捨てて画家になってしまう。
    物語の始まりはそこ、である。
    もちろん周囲の誰もが驚く。だってこの男それまで絵はおろか芸術全般に対してまったくセンスも興味も見られなかったからだ。
    ところが彼と言えば、その疑問を投げた著者にこう切り返す。



    【「僕は言っているじゃないか、描かないじゃいられないんだと。自分でもどうにもならないんだ。水に落ちた人間は、泳ぎが巧かろうと拙かろうと、そんなこと言っておられるか。なんとかして助からなければ、溺れ死ぬばかりだ。」】




    この一言に正直私はしびれた。
    なるほど、これは本当に彼がそう言う人種だと言うことを示している。
    好きだとか、上手いとか、そう言う次元の話ではなくて、心から耽溺しているのだ。
    私はここからストリックランドと言う男にぐいっと惹きつけられた。
    この後からはひたすら絵に没頭する。
    それとともに彼のひどい人柄とやらもだんだんと明るみに出てくる。
    いやはや、ひどい男なのだが、それは悪魔だとか、策略家だとかそう言った類の者ではなく究極の自己中心、しかしその中心には絵がある。彼はそれにだけ全ての情熱を傾けて、ただそれ以前のことに対してほとんど無関心なのだ。
    おもしろいくらいに自己中心的、しかし私は嫌いではない。
    しかしそんな男にも関わらず、彼は孤独にはならない。どういう訳か女達は彼に引き寄せられる。独特の魔力を彼は持っているのだ。
    その彼と女達との関係の中で私が一番気に入った一文を引用しよう。


    【「―― 一見愛情らしく見えたものも、実は愛情と慰愛に対して女性の示す、一種の反応にすぎないのであって、ただそれが、たいていの女の胸にあって、いかにも愛情ででもあるのかのごとく通用しているにすぎない。ちょうど葡萄の木が、どんな元木の上にでも接くように、どんな対象に対してでも起こりうる、単なる受動的な感情にすぎないのだ。世間の知恵というやつは、この感情の強さを知り抜いていて、だからこそ若い娘に対して、誰でも求愛する男があれば結婚するがよい、愛情などは、大丈夫後から生まれてくるのだから、などとすすめる。いわばそれは、地位の安全さから来る満足感と、所有の誇りと、望まれることの幸福さと、家庭の喜悦と、そういったものが一緒になって出来上った感情であり、なにかさもそれを精神的価値ででもあるかのように考えるのは、結局のところ愛すべき虚栄心にすぎないのだ。そんな感情が、情熱の前にひとたまりもないのは当然だ。(以下略)」】



    女性心理をよく読み取ったな、と思わず感心してしまった。
    モームはどうもこういった考察が得意なようで、それ以外にも多々私の関心をひくものがあった。
    なんというか不思議な作家だと、私は思う。
    イメージの全てをいい方向に裏切ってくれたのだ。
    ゴーガン自体はそう好きな画家ではないが思わずググって作品を確認してしまった。
    有名なかの作品『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』とかは何となく知っていたがこの作品を読んだあとだとどこか感慨深いものがあったりする。
    我ながら当てられやすいのはいかがなモノかとも思うが。


    想像を裏切っておもしろい作品だった。
    やはり名著と表されれば間違いはないものなのだろう。
    やっぱりその辺もまたあさってみようなんて思わせてくれた1冊。

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