蠅の王 (新潮文庫)

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制作 : William Golding  平井 正穂 
  • 新潮社 (1975年3月30日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (442ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102146019

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蠅の王 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 戦争の最中、イギリスから疎開する少年たちの乗った飛行機が南太平洋の孤島に不時着する。大人がいなくなった世界で、少年たちは秩序を設け協力し合いながら助けを待とうとするが――。

    手放しで面白いと言ってはいけないほど混沌に満ちた作品だけど、読んで良かった!と素直に思える凄い本でした。
    規律を重んじるラーフとピギー。それに反発するジャックとロジャー。孤独を好むサイモン。そして多くの小さな子供たち。秩序の象徴である「ほら貝」や火を起こせるこの島唯一の文明の利器「ピギーの眼鏡」を巡って、少年たちなりに「うまくいっていた」スタートから徐々に雲行きが怪しくなっていきます。

    志高くあくまでも理性的であろうとするか、あるいは自衛のために本能を曝け出すか。舞台は助けが来るかも分からない極限の状況下であると考えると、どちらが正しいとも間違っているとも言えません。そう思ってしまうのは、少年たちを通して“人には元来激しい暴力性や攻撃性が備わっており、それらは普段理性が抑えている”という人間の本質が浮き彫りになるからです。
    ラーフやピギーでありたいと思いながらも、ジャックやロジャーになり得る自分がいる。子供だからではなく大人も、人間なら誰しも。普段は心の奥の奥にしまわれている闇を引きずり出されたようで思わず背筋がぞっとします。

    小さな世界で起こった無垢な少年たちの悲劇にも終わりが訪れます。しかし彼らの心の傷は甚大であるし、そもそも脱出した先にあるのは戦争最中の自国。再び理性だけでは乗り越えられない悲惨な状況が待ち受けているかもしれないと思うと、なんとも恐ろしく救いのない作品です。

    周囲を冷静に眺め「蠅の王」と真正面から対峙したサイモンは、この作品の唯一の良心だったように思います。

  • ある戦争期のお話。
    イギリスの少年たちが疎開のために飛行機に乗っていた。が、途上で撃墜され、ある孤島に不時着した。幸運にも島には食べ物があった。樹々に果物や椰子の実が生り、なにより豚がいる。大人たちの助けが来るまで少年たちは自給自足することに。
    全員でリーダーを選び、ルールを決めた。ほら貝を吹くと集会の合図。発言するには必ずほら貝を持つこと。救助のための目印に山の上で烽火を焚くことになった。助かるため、決して火を消すな。煙を絶やさないよう当番を決め順々に担当することに。
    でも食べるものが欲しい。島には豚がいるし。捕まえて食べよう。そうだ、狩りに出よう。
    選ばれたリーダーがいう。いや、烽火を絶やさないことが大事だ。少し年上の少年がいう。いやいや、飢え死にする前に豚を捕まえ食べよう。
    烽火を焚くか/ 食べ物を探すか。意見が対立する。これがもとで少年たちは分裂し、いがみ合い、敵対関係へと発展し・・。

    これは無人島でサバイブできない愚かなイギリス少年たちをただ描いたものでも、スクールカーストを書いたものでもない。おそらく本質は人が集まると必然的に生じてしまう、統べる/統べられる関係性(政治)を描いたものだろう。
    どのように力(権力)が生まれ、それを目的のために機能させるか。力の維持がいかに難しく、破綻すればどのような現実が待っているか。その非情さと残虐性までも描く。少年漂流物の冒険譚の形をとりながら、政治の機能と破綻を物語として描いている点にこの小説の凄みと魅力がある。政治学や国家論で必ずこの作品が言及あるいは参照される理由がここにある。

    無人島に不時着した当初の少年たちの間にも、政治があった。ほら貝を吹けば集会の合図で、ほら貝を持った者が発言権がある。リーダーを選び、役割を分担する。秩序とルールがあり、統べる/統べられる関係性、つまり政治が機能していた。

    ところが、救命のための印(烽火)か。飢え死にしないための食糧(豚狩り)か。意見が対立する。難しい問題だ。どちらがより正しく、どちらが優先されるべきかは簡単には判断できない。でも、だからこそ、少年たちの意見は鋭く対立する。政治は権力をもったリーダーが全体的な理念に基づいて集団を組織化していくための技術でもある。ここでは、少年たちの考え(全体的な理念)を巡って集団は分裂する。人を束ねるための方法が分からない(うまくできない)がために力の均衡が崩れる。対立が先鋭化する。集団が暴走し始め、凄惨な現実を迎える。

    子どもだから上手くできなかったのか。大人なら上手くやれたか。この問いへの答えは明確に書かれていない。

    が、島の外の世界では大人たちが戦争をしている。無人島で少年たちが繰り広げた争いは、大人の世界の縮小版でしかない。沖合に停泊した端正な巡洋艦の描写で小説が終わるのは、そういうことだろう。冒険譚としてスリリングな展開や感動があるわけでもないこの小説の後味は悪い。が、含まれる意味や示唆はどこまでも深く広い。

  • これほど胸糞悪い小説は初めてかもしれない。「女が集まると大奥になり男が集まると十五少年漂流記になる」と言うが、この島ではその「十五少年漂流記」が徐々に瓦解してゆく。それも徹底的に。見事なまでに。
    最後の最後に救いの手が差し伸べられるとはいえ、その救いさえ絶望的に見えてしまうのは杞憂だろうか?

  • 子どもたちが殺戮に走るさまがこわかった。

  •  ラストシーンで、「初めはうまくいってたんです」というラーフの言葉は結構、心に響いた。翻訳が悪いだの、物語がつまらないなど、ディスられるレビューが多いのだが、結構楽しんで読めた。
     無人島で、少年達は、最初は一致団結して山の上で煙を焚いて自給自足の生活を営みつつ、救助を待つ。だが、そのうちグループ同士の対立ができ、「救助を待つ大義名分グループ」と、「狩猟で食料を確保できる俺達が一番偉いんだグループ」に分かれ、殺し合いがはじまる。そのきっかけが、島の一番高いところに潜むとされる謎の黒い影の動物(?)、蠅の王だ。それは人を襲う怪物だとして、子ども達に恐怖心を植え付ける。(実際は自分たちでそういう怪物を作り出して恐怖している)その恐怖の対象に立ち向かう狩猟グループ一派が、内部抗争を繰り広げ、島は滅茶苦茶になる。
     眼鏡で火をつけるのが都合良くいきすぎていたり、ツッコミどころはあるのだが、ほら貝の奪い合いとか、子ども達が救われた先に、巡洋艦と戦争が待っているとか、示唆的で面白い。ただ、ノーベル文学賞ものかどうかは少し疑問だと思った。

  • 「二年間の休暇」で KiKi が感じていた「できすぎ感」みたいなものの正体は、やっぱりこちらの作品にあるリアリティに多分に影響されたものであったことが確認できました。  あっちの作品とこっちの作品で大きく異なる点の1つに「少年たちが既に顔見知りだったか否か」というポイントがあると思うんだけど、「二年間の休暇」では無人島に漂着した少年たちの行動規範に「協力し合って生き延びるんだ」という強い合意が常に存在したけれど、この「蠅の王」ではその行動規範自体がものすごく緩い・・・・。  これはやっぱりそれなりの統率・秩序があった寄宿学校で暮らしていた子供たちが漂流したのか、たまたま今回の旅で一緒になった子供たちが漂流したのかの違いによる部分が大きいと思うんですよね。

    とは言っても、やっぱり小さな子供達というのはあの「二年間の休暇」の中の下級生たちほどは聞き分けの良いものではないのが本当だと思うし、漂着生活の中では着るものに不自由したり、髪が伸び放題になってボサボサになったりするのが自然だし、森に自生する果実を手当たり次第に食べていたらお腹を壊したりするのもリアルで、そういう面ではやはりこの作品の方が真実味はあると感じられました。  

    「二年間の休暇」では漂着した少年たちの中にたまたま貴族趣味の少年たちがいて彼らが「腕の良いハンター」だったという前提条件さえありました。  だから、食肉を得るためには島に自生する動物を銃で撃ってそれから捌くというどちらかというと洗練された(?)手段で行われていたのに対し、こちらの少年たちは時代こそ下れど銃を持ちません。  そのため彼らは食肉を得るために野性の豚をなぐり殺すという、結果は同じでもどこか凶暴性があるように感じられる手段になってしまっているのが印象的です。  そしてその延長線上に彼らが好んで歌い・踊る、あのセリフがまるで物語の通奏低音のように流れます。

    「獣ヲ殺セ! ソノ喉ヲ切レ! 血ヲ流セ!」

    時代背景的には「二年間の休暇」の方が古い時代に起こった出来事なんだけど、どちらかと言えばあちらの物語は環境こそ変われど少年たちがやっていることは常に「普通の生活ができていた頃」の延長線上にあります。  そこに比べてこちらの物語の少年たちの生活は文明社会から一気に狩猟時代に突き落とされた感があり、そのギャップの中で喘いでいる印象があります。

      

    この物語は色々な読み方のできる物語だと感じます。  でも、その中で KiKi がもっとも強く感じたのは、この物語のメインの対立軸の主である少年たち(ラーフ、ピギー、ジャック、ロジャー)は誰もが無人島という閉鎖された、さらには限られた資源という環境の中で心理的・集団的な秩序を何とか見出そうと躍起になっていたんだということです。  ラーフやピギーが範としたのは彼らがそれまで暮らしていた文明社会で習い覚えた「理性的な秩序」とも呼ぶべきものです。  他方、ジャックやロジャーが範としたのは軍隊的な統率・・・・とでも言うようなもので、そこにはこれまで彼らが「大人から守られる前提がある世界」の中で経験してきた「理性的な秩序」だけでは子供達だけで生き延びることは困難であると本能的に感じていたんじゃないかと思えるものがあるんですよね。

    まだ彼らの対立が決定的なものになる前、ジャックは「狩猟隊」兼「狼煙見張り隊」を率いていました。  彼は狼煙をバカにしていたわけでも必要ないと考えていたわけでもない(もしも必要ないと考えていたならそもそも狼煙の見張を率先してやろうとは言わないと思う)けれど、「皆で食べられる肉が必要」>「狼煙の見張り」ということで、狩猟を優先します。  まさにその時、彼らが漂着した島の沖合を船が航行していました。  狼煙が消えてしまっていたことに... 続きを読む

  • イギリスから疎開してきた少年たちは不時着してしまった孤島で秩序的な集団生活に努めるが大自然のなかで生活していくうちに、内に潜む荒々しい獣性が目覚め、集団にも派閥が生まれ激しい対立が起こり始める…


    なんかすごく読むのに時間がかかってしまいました…やっと読み終わった~っという感じ。


    こんな結果になってしまったのは少年達が年相応に未熟だったからなのか。少年達が絶対的信頼をおく「大人」だったらこのような過ちは犯さなかったのか。

    集団って難しいです。

  • LOSTの製作陣が大いに参考にしたという一冊。
    飛行機が島に墜落した少年達がサヴァイバル生活を営みながら脱出を目指す。
    しかし、その間に意見の対立、内部分裂、派閥同士の戦い等が繰り広げられる。
    極限状態に陥った人間がどのように考えて行動するのかを描写しているまた、物語途中で出てくるモンスターと呼ばれるものが、より一層スリリングな展開を深めていく。
    物語を楽しむだけではなく、タイトルの意味は??ということを探すもの楽しめる一冊です。

  • 無人島に不時着した少年たちの顛末。
    リーダーを立て、秩序だった生活が始まったものの、その先にあったのは狂気だったりする。

    いや、これいいですよ。
    狩猟班の子どもが顔にペイントする件や、無人島で子どもたちが殺し合いをしていく様はどうにもクレイジーですが、ある意味とても誠実に感じました。実際のところ、人が集団の中でどう振舞うかというのは環境次第だと思うのですね。単なる冒険活劇だと思っちゃいけない。

    一番印象的だったのはオチのシーン。
    似たような設定で描かれた他の作品と比較してみるに、時代性が反映されているようで実に興味深かった。現在だとたぶんあの解決にはならんよなぁと。

  • 読み終えた後に、大人でいること、ルールというものについて深く考えさせられた。
    法と秩序に基づいた人間性の支配が、なるほど人間というものを人間として繋ぎ止める唯一の術たることを痛感した。

  • ウラ15少年漂流記、と申しましょうか。
    初めて読んだ時は、恐ろしさでびっくりしたけれど。
    恐怖に駆られた時、ヒトとはこのようになってしまうのかもしれない。
    本当は見たくない心の奥底、欲望や本能ををあぶりだした傑作。

  • 読書、はたくさんしてきましたが。
    単純に読み終わった瞬間に「鳥肌がたった」作品はこれが初めて。
    最後の一ページの恐ろしさは、何者にもかえがたい。
    その後「この作者は何者だ」と思って調べたらノーベル文学賞受賞作家であることが判明。
    おもわず、ページの文字をたどる目がおそるおそる次へうつってしまうような臨場感と焦燥感、恐怖感。
    そして読後にぎゅうっと本を握りしめたくなるような大きな余韻。
    さすがノーベル賞受賞作。
    生きることの恐ろしさ、人間の恐ろしさを浮き彫りにした、内にガンと響く一冊。

  • 端的に言うと、十五少年漂流記のブラック版。
    イギリスという文明国家から隔離された無人島で、少年達の生存を賭けた闘いが始まる。
    当初は、ほら貝(理性の象徴)を介して、少年達に統率が取れていたが、それが破壊され、少年達の中で唯一、論理的に物事を考えることの出来るピギーが殺害されることで、野蛮(暴力性・カオス)なものが理性を超越する。そこには、恐怖や畏怖しかない。
    極限状況に置かれた彼らの姿から、時代背景やロケーションは異なるが、現代社会における我々の在り方、人としての尊厳とはなんたるものかということを突きつけられた気がする。

  • 少年漂流記のダークサイド。子どももまた残虐であるというひとつの真実に忠実に描かれた作品。

    無人島で人間の残虐性がむきだしになる『東京島』や子ども同士が殺し合う『バトル・ロワイヤル』を連想するが、もちろん、こちらのほうが作品としては古い。『東京島』がアナタハンの女王事件という現実の事件に基づいていることを考えると、ひょっとしたら、本当にこんなこともありうるのかもしれないと背筋に冷たいものが走る。

    どうやら本作はバランタインの『珊瑚島』(『さんご島の三少年』)にかなり近い形で書かれているようだ(ちなみに、『さんご島の三少年』は国会図書館のデジタルコレクションで読めるらしい)。
    テーマは理性と野蛮の対立といってしまうと単純だが、ここに描かれる野蛮は「少年が学習した野蛮」である。泥で顔を塗りたくり、槍をかまえる少年たちは、殺人というもっとも野蛮で非道な行為に手を染めていく。だが、現実に顔に化粧を施し、狩りを行う民族にも規律は存在しており、これほど非道ではない。なにしろ、この殺人は食物を得るためでも土地や資源を奪い合うためでもなく、逃避と快楽、また強者の実感を得ることを目的として行われているのだ。サイモン殺しについては、ラーフやピギーでさえ、そのそしりを免れえない。自らを律する文明から抜け落ちたとき、ほとんどの少年は憧れの『珊瑚島』や『宝島』を捨て去ったくせに(ここに著者の皮肉がきいている)、文明の中で学習したステレオタイプの未開の蛮族のことは自然の英雄として内面化してしまっている。ほとんどの少年は、文明のなかで培った理性を保つことができていないが、だからといって生まれながらに備わっている残虐性をそのまま発揮したわけでもない。過去に学んできたことを通じて残虐性を強化しているのだ。人は悪い方にも学習する。そこがいちばん恐ろしかった。

    それにしても、ジャックはどうなるのだろう。そして、なかったことにされたあのあざのある少年は……。考えれば考えるほど、救われない気持ちになる作品である。

  • 背表紙と著者を見て選択。
    そんなにおもしろくなかった。あと直訳が読みづらい。。
    後書きや他の人の感想等を聞くと深い作品であることがちょっとわかった。

  • 人の心に共存する理性と獣性。理性とは、他者の理性の支えがないと、もろくも崩れてしまうものなのだろうか。獣性に支配されたジャックたちの行動は、なぜかはわからないが、最近流行っているミニオンを想起させた。

  • 飛行機が無人島に墜落し、少年たちだけの生活が始まる。世界が形成されていく様子が面白い。

  • およそ60年前に書かれた物語。

    スター○ォーズエピソードⅣができた20年以上前に、既にフォースの暗黒面が描かれています(笑

  • ショタが殺し合う話だった

  • 戦争での疎開のために少年たちの乗った飛行機が孤島に不時着する。
    大人のいない孤島で、少年たちは少年たちなりに秩序立った暮らしをはじめる。
    隊長を選び、見つけたほら貝を持っている人間に発言権があるという約束の元で会議をし、常時狼煙を上げて救助を待つ。
    それなりに平和に暮らしていた少年たちだが、恐ろしい獣がいるという恐怖に包まれてから混乱していく。

    こういった物語で、少年たちが助け合って孤島で懸命に生き抜くドキドキハラハラな冒険物語といったものでは全くない。
    大人のための冒険物語とでもいうのだろうか。

    人間の心の暗い部分が描かれている。
    恐ろしい獣とは、少年たちそれぞれの心の中にある獣性であり暗部の象徴。
    獣がいるという恐怖は、気付かなかった心の中が解き放たれてしまったということ。
    そうなってしまったらもう平和も秩序も失われてしまう。
    恐ろしい経過を辿り少年たちはどうなってしまうのか。

    小さなきっかけで調和が崩れたり、自分を見失ったりしてしまうことは孤島でなくても起きる。
    孤島はわたしたちの暮らす社会の縮図でしかない。
    そう置き換えて読むと、自分ならどうするのかと考えてみたり、恐ろしさが増したりする。

    残酷な描写もあるが、つづきが気になり読む手が止められない。
    最後の一行を読み、物語が終わっても様々な思いが溢れる。
    この物語に救いはあるのか。
    深い印象を残す一冊だった。

  • 反十五少年漂流記として書かれた問題作だが、現代でもモダンに読むことができる名作。海外文学らしい凄惨なストーリーは読むものを震え上がらせる。

  • まずは第一に、西欧文学はやはりキリスト教の基礎知識があるとないとでは理解度が異なるということ。
    というのも、『蠅の王』というタイトルからして、何も知らないと「何かきっと深い意味があって、どこかでそれが明かされるのだろう」とワクワクしながら読んでいく。しかし聖書の知識があれば「悪魔ベルゼブルのことだな」と分かり、その寓意性も読みながら分かるだろう。自分自身は恥ずかしながら前者だったので、解説を読んで納得した。
    こうしたことは他の作品にも多くある。文学を読み理解するのははやり文化を理解する必要性があるのだろう。しかし普遍的な価値があるからこそ読み継がれることも事実で、本作はそれをよく示している。
    人間は本来理性的な生き物であるということには大方賛成の立場である。しかしその理性もちょっとしたタイミングや出来事で本能に上書きされ、阻害されていします。そのことも分かるが、それが極限状態ではどのように作用されるのか、小説の中で行われる一種実験的な状況は、人間のもろさを表している。ただほんとうにもろいのだろうか。人間の理性なんてあっというまに崩れてしまうのか、それとも環境しだいなのか。環境であるならば、我々は理性で物事を克服などしていないのではないか。環境なんてすぐに変わる。その環境すらも人間の理性で克服できれば、人間は完璧な存在になれるのだろうか。いや、それは無理だろう。では人間の理性の限界とはどこにあるのだろう…
    いろいろと無限の思考を与えてくれた作品。そして最後、この少年たちはまた戦争という非現実、本能が上回る世界に戻るのだろうか…

  • 不時着した孤島に残された少年達の物語。隊長を選び、楽しく暮らしながら救助を待つはずだったが秩序が綻び始め、という話。
    正論や理屈だけでは、人は従わないし逆恨みを消し去ることは出来ないことがよく表さた作品だと思った。エンジンがかかるまで物語の半分を費やしたが、後半は息もつかせない展開だった。

  • すごい作品なんだけど、胸糞悪いというか気分が悪くなる小説。
    いくらなんでもここまで人間は野蛮になるんだろうか……子どもたちが獣化する過程が唐突に感じて入り込めませんでした。

  • 美しい景色は狂人にしか見えないのかもしれない。
    というか狂人には景色が美しく見えるのかもしれない。
    イノセントを失っていたから、世界が美しく見えたのかもしれない。
    文明社会の理性を失っていない彼らには
    グロテスクな『蠅の王』で
    失った彼らには『捧げ物』だったモノ。

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蠅の王 (新潮文庫)の作品紹介

未来における大戦のさなか、イギリスから疎開する少年たちの乗っていた飛行機が攻撃をうけ、南太平洋の孤島に不時着した。大人のいない世界で、彼らは隊長を選び、平和な秩序だった生活を送るが、しだいに、心に巣食う獣性にめざめ、激しい内部対立から殺伐で陰惨な闘争へと駆りたてられてゆく…。少年漂流物語の形式をとりながら、人間のあり方を鋭く追究した問題作。

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