蠅の王 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (442ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102146019

感想・レビュー・書評

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  • 狂気の物語と書いてたけど流石イギリス、お上品な狂気だなあ……とか考えて読んでたけど、蠅の王の辺からは一気に息の詰まるほんとにとんでもない狂気の連続だった。レベル違いすぎる……。
    最初から読んでたら、自分も少し運が悪ければこうなり得るって思えるのがほんとに怖い。最初は統率されてても、ほんとに小さな切っ掛けで崩れてしまう人間の文明の脆弱性が身に染みる……。
    最後まで救いがなくて、陰鬱とした気分になる。読み終わった時のじわあって来る感動が最高の小説だった。

  • 「二年間の休暇」で KiKi が感じていた「できすぎ感」みたいなものの正体は、やっぱりこちらの作品にあるリアリティに多分に影響されたものであったことが確認できました。  あっちの作品とこっちの作品で大きく異なる点の1つに「少年たちが既に顔見知りだったか否か」というポイントがあると思うんだけど、「二年間の休暇」では無人島に漂着した少年たちの行動規範に「協力し合って生き延びるんだ」という強い合意が常に存在したけれど、この「蠅の王」ではその行動規範自体がものすごく緩い・・・・。  これはやっぱりそれなりの統率・秩序があった寄宿学校で暮らしていた子供たちが漂流したのか、たまたま今回の旅で一緒になった子供たちが漂流したのかの違いによる部分が大きいと思うんですよね。

    とは言っても、やっぱり小さな子供達というのはあの「二年間の休暇」の中の下級生たちほどは聞き分けの良いものではないのが本当だと思うし、漂着生活の中では着るものに不自由したり、髪が伸び放題になってボサボサになったりするのが自然だし、森に自生する果実を手当たり次第に食べていたらお腹を壊したりするのもリアルで、そういう面ではやはりこの作品の方が真実味はあると感じられました。  

    「二年間の休暇」では漂着した少年たちの中にたまたま貴族趣味の少年たちがいて彼らが「腕の良いハンター」だったという前提条件さえありました。  だから、食肉を得るためには島に自生する動物を銃で撃ってそれから捌くというどちらかというと洗練された(?)手段で行われていたのに対し、こちらの少年たちは時代こそ下れど銃を持ちません。  そのため彼らは食肉を得るために野性の豚をなぐり殺すという、結果は同じでもどこか凶暴性があるように感じられる手段になってしまっているのが印象的です。  そしてその延長線上に彼らが好んで歌い・踊る、あのセリフがまるで物語の通奏低音のように流れます。

    「獣ヲ殺セ! ソノ喉ヲ切レ! 血ヲ流セ!」

    時代背景的には「二年間の休暇」の方が古い時代に起こった出来事なんだけど、どちらかと言えばあちらの物語は環境こそ変われど少年たちがやっていることは常に「普通の生活ができていた頃」の延長線上にあります。  そこに比べてこちらの物語の少年たちの生活は文明社会から一気に狩猟時代に突き落とされた感があり、そのギャップの中で喘いでいる印象があります。

      

    この物語は色々な読み方のできる物語だと感じます。  でも、その中で KiKi がもっとも強く感じたのは、この物語のメインの対立軸の主である少年たち(ラーフ、ピギー、ジャック、ロジャー)は誰もが無人島という閉鎖された、さらには限られた資源という環境の中で心理的・集団的な秩序を何とか見出そうと躍起になっていたんだということです。  ラーフやピギーが範としたのは彼らがそれまで暮らしていた文明社会で習い覚えた「理性的な秩序」とも呼ぶべきものです。  他方、ジャックやロジャーが範としたのは軍隊的な統率・・・・とでも言うようなもので、そこにはこれまで彼らが「大人から守られる前提がある世界」の中で経験してきた「理性的な秩序」だけでは子供達だけで生き延びることは困難であると本能的に感じていたんじゃないかと思えるものがあるんですよね。

    まだ彼らの対立が決定的なものになる前、ジャックは「狩猟隊」兼「狼煙見張り隊」を率いていました。  彼は狼煙をバカにしていたわけでも必要ないと考えていたわけでもない(もしも必要ないと考えていたならそもそも狼煙の見張を率先してやろうとは言わないと思う)けれど、「皆で食べられる肉が必要」>「狼煙の見張り」ということで、狩猟を優先します。  まさにその時、彼らが漂着した島の沖合を船が航行していました。  狼煙が消えてしまっていたことにより「救助された可能性」を失ったことに苛立ったラーフはジャックを執拗に責めます。  KiKi はここがかなり重要な分岐点だったと感じます。

    確かにあの瞬間、狼煙が上がっていれば「救助された可能性」はそれなりにあったと思います。  でも、結局物語の最後の最後、実際に彼らが救助されたのは狼煙な~んていう可愛いものではなく、ラーフを狩るためにジャックたちが放った火が燃え広がり、島全体に及んだ火災によって発生した空を覆うような黒煙によってだったことを考えると、仮にあの時、狼煙が上げ続けられていたとしても沖合を航行していた船に「気がついてもらえなかった可能性」だってあったわけです。  その場合には「狼煙」よりも今日の命を繋ぐための「肉」の方が大事だったこともありうると思うんですよ。  でも彼らは半ば意地の張り合いのような形でお互いがお互いの是を、さらには自分の非を認めようとしません。    

    その後、様々な紆余曲折を経て、ジャックたちは著者の言うところの「蛮人化」をしていきます。  その中で本来仲間であったはずの2人の少年の命が奪われるに至ったことは悲劇としか言いようがありません。  でもその悲劇の一番の原因となっていたのは「蛮人化したジャックたち」ではなく、実は人間が弱いがゆえに誰もが持つ「恐怖心」だと思うんですよね。  妄想かもしれないけれど彼らの心を占め始めていたまだ見ぬ「獣」に対する恐怖、「闇」に対する恐怖、「このままここで朽ち果てるのかもしれない」という明日をも知れぬ恐怖。  そんな恐怖を克服するためにジャックたちは「力」を求め、体にペインティングを施し、原初的な宗教儀式のようなものを執り行うに至ったのだと感じます。  

    これは言ってみれば安定した集団生活を志向する1つの手段にすぎず、ラーフやピギーがこの一見無秩序に見える集団をまとめるために、「理性的な秩序」のアイコンとも言うべきほら貝やのろしに執着したのと大差はないように KiKi には感じられます。  つまり彼らは結局対立に至ったわけだけど、この物語に描かれているのは「善と悪」とか「理性と本能」とか「文明と野蛮」といったような現代人が好む概念上の対立ではないと KiKi には感じられるのです。  文明社会の中で暮らす私たちはともすると忘れがちになるけれど、実は人間というこの弱くてしょ~もない生き物が「生き抜く」ためにはそんな思想的・哲学的な綺麗事では片付けられない部分がある・・・・・そんな風に感じました。  

    印象に残ったのは物語の最後、少年達が救出される場面です。  ピカピカの制服に身を包んだ士官が蛮人化した少年たちを前にこんなことを言います。

    「なかなか面白そうに遊んでいるじゃないか。  (中略)  今まで君たちは何をしていたんだい?  戦争ごっこかい、それとも?」

    少年たちが潜り抜けてきた悲惨な日々を知る読者には、「なんとまあ、能天気な!」と思わせずにはいられないセリフですが、これが文明社会に生きる、ラーフ達が常に頼りにしたいと思っていた大人の言葉なんですよ。  ここに KiKi は著者のある種の皮肉のようなものを感じずにはいられません。

    そしてラーフはこの士官との会話の中で KiKi にはどうしても納得のいかないセリフを吐きます。

    士官 「戦死者はいないだろうな?  死体は?」

    ラーフ 「二人だけ死にました。  二人とも消えてなくなりました。」

    ここでラーフが意識しているのは、自分たちを襲う獣だと勘違いして恐怖にかられたあまり自分達自身が手を下してしまったサイモンと、事故で失ったピギーの2人のみです。  物語の冒頭で彼らが起こした山火事以来姿を見せない「顔にあざのあるちびっこ」のことは忘れてしまっています。  もっと言えば「ちびっこが全部で何人いたか?」は最初から最後まで分かっていなかったわけで、そのちびっこたちがここでの生活の中で何人欠けちゃったのかは実は分かっていないのです。  ラーフにとってサイモンやピギーといった年長の仲間たちは名前を持つ個人として、その死も記憶されているのに、ちびっこたちは名前を持たない「ちびっこ達」という集団に過ぎず、数にも入れてもらえていないのです。

    もちろん KiKi はこのことでラーフ個人を責めたいと思っているわけではありません。  ラーフがちびっこたちの総数を把握していなかったのはあながち彼の責任ばかりというわけではない(点呼したくても遊び興じることに夢中なちびっこたちはラーフには管理不能だった)こともよくわかります。  でも、それならラーフが常にちびっこたちのことをリーダーとして気にかけていたのか?と言うなら、必ずしもそうとは言い切れない描写が多々あったことも事実です。  それでもラーフはこの島に漂着した直後に皆から選ばれたリーダーだったし、彼自身もこの士官に「自分がリーダーである」として名乗り出ました。  この集団に秩序をもたらすことができなかった原因の1つは、彼のこのリーダーシップの欠如にもその一因があることは確かです。

    この物語は「子供の漂流物語」の体を取っていますが、実はここに描かれているのは人間社会そのもののような気がします。  そして「十五少年漂流記」と異なる最後の1点は、ここで救出された少年たちが戻る世界は決して平和で安定した社会ではないということです。  この島で過ごした間に「理性的な秩序」に背を向けるかのような生き方を選択し、実行してきたジャックたち。  そんな彼らと対立し、最後は自分自身が狩られる立場に追いやられたラーフ。  そんな彼らが戦時中の世界に戻った時、どんな生き方をすることができたのか??  暗い想像しか浮かんでこないのが悲しい・・・・。

  • いわゆる、「極限サバイバル作品」の始祖?なのかな?
    無人島に流された子供たちが、子供だけで生き残っていくうえで起こる様々な試練が描かれますが、決してそれはキレイごとではなく、生々しい人間の動物としての本質が描かれます。

    これを楳図かずお先生が、名作「漂流教室」で現代的に昇華させ、そして今もポツポツと現れては消えていくサバイバル作品につながっているのかなーと思います。

  • 無人島に不時着した少年たちの顛末。
    リーダーを立て、秩序だった生活が始まったものの、その先にあったのは狂気だったりする。

    いや、これいいですよ。
    狩猟班の子どもが顔にペイントする件や、無人島で子どもたちが殺し合いをしていく様はどうにもクレイジーですが、ある意味とても誠実に感じました。実際のところ、人が集団の中でどう振舞うかというのは環境次第だと思うのですね。単なる冒険活劇だと思っちゃいけない。

    一番印象的だったのはオチのシーン。
    似たような設定で描かれた他の作品と比較してみるに、時代性が反映されているようで実に興味深かった。現在だとたぶんあの解決にはならんよなぁと。

  • 十五少年漂流記のうまくいかなかった版。豚の頭のくだり、好きです。胸クソ系のはずだがなぜか読後感はすっきり。

  • 豚の頭部の死骸に群がる蠅の生々しい描写が忘れられない。

  • 今の世界情勢で似たようなことを多々ネットで見かける。
    本当に恐ろしいことだがこの本に出てくる獣性は人間誰しももっているものだと認めた上で、それこそサイモンの様に向き合いながら、ラーフやピギーの様に秩序を決めて守っていくことが大事なんだと思う。
    なによりラスト辺りがヒヤヒヤするし、怖い。

  • 漂流モノに一時期ハマっており、こちらもその時に読んだものだけど、この作品は別格。人の貪欲さと獣性、原始的部分をダイレクトに描いており、後味の悪さも含めほんとに素晴らしいの一言。
    表題にもなっている蝿の王をはじめ、用いられるアイテムの使い方が上手い。
    子供に「ルールを守ろうね」と説明したいとき、この本を贈ると良いかもしれない。ルールはなんのためにあるのか、守らないと世界はこうなってしまうよという、ある意味教訓(トラウマ?)になるかも

  • 未来における対戦のさなか、イギリスから疎開する少年たちの乗っている飛行機が攻撃をうけ、孤島に、不時着したところから始まる物語。

    始めはリーダーを中心に様々なルールをつくり、理性的に集団行動を取ることを目指していたが、不平不満を発する者が出てくる。

    徐々に集団で内部対立が生まれ、やがて権力による敵対する者の排除が進んでいく。

    これらの出来事は少年たちの精神的未熟さゆえだと済ませることはできるのだろうか。
    この孤島での出来事は少年たちの世界で起こっていた対戦のまさに縮図なのかもしれない。

    権力とは、道徳心とは、という普遍的なテーマを包含、示唆する小説であると感じた。

  • 大戦の最中、不慮の事故で無人島に漂着したイギリスの子供たち十数名。電気も風雨をしのぐ家屋もない孤島で、少年たちは如何に対処し、そして如何なる姿をみせてしまうのか…

    まるで思考実験のような小説です。
    無人島に子供たちが取り残されて…という類いの小説は、ヴェルヌの「十五少年漂流記」が思いつきますが、あっちは少年の大人らしい物語という感じで、冒険心に満ち、たくましく生きる姿を描いていましたが、本書はまったく異質。
    無人島に取り残された少年たちは、ただ遊泳をし無人島生活を楽しむもの、狩りに専念するもの、助けを求めるべく行動するものなど、ばらばらな行動をとります。主人公の少年ラルフは統率を取ろうと企てますが、口下手な性格も相まってか、思うようにはいきません。そのうち、ラルフに反発心を抱く少年ジャックを筆頭に、ラルフとの間に反発が生まれ、軋轢が生じることに。文明に律せられ、かつては秩序と礼節を重んじていたはずのジャックら少年たちは、ラルフら一部を除き、人を傷つけることも躊躇しない蛮族に成り果ててしまいます。
    いまとなってはひとりの独裁者ジャックによって作られた集団心理と解釈することもできるのかもしれませんが、ゴールディングはそこに人が本来抱える悪の部分を見出します。秩序なき自由に放り出されたとき、嫉妬、権力欲といった邪悪な欲望が少年たちを悪魔に変えてしまう。それこそが作中で度々登場する獣の正体で、表題にもある蝿の王なのかなと思うところ。
    しかし、誰しもが蝿の王を抱えているのであれば、なにがそれを抑えているのでしょうか。理性か秩序か文明か?蝿の王が現れるときは本書のような極限状態だけなのか。本書は蝿の王なぞ生じえないと高をくくる現代人に警鐘を鳴らしているのかもしれません。

    なかなか読み応えのある作品で、終盤は食い入るように読み進めました。ラルフの「最初はうまくいってたのですが」という主旨の言葉が心に響きます。

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