アメリカの鱒釣り (新潮文庫)

  • 764人登録
  • 3.64評価
    • (63)
    • (71)
    • (120)
    • (16)
    • (3)
  • 86レビュー
制作 : Richard Brautigan  藤本 和子 
  • 新潮社 (2005年7月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102147023

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ヘミングウェイ
リチャード ブロ...
ポール オースタ...
リチャード ブロ...
ドストエフスキー
ガブリエル ガル...
リチャード ブロ...
ポール・オースタ...
有効な右矢印 無効な右矢印

アメリカの鱒釣り (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • ある歌い手がいる。とてもくせのある歌い方をする。

    その歌い手は歌を歌うことが特別好きなわけではない。けれど、なぜかはわからないが自分の歌を聴いて周りが喜んでくれる。だから歌を歌う。自分には自分の歌の良し悪しはわからないけれど、みんなが喜ぶ顔を見るのが好きだから歌う。みんなが喜ぶ顔を見るのは楽しい。

    「あいつ面白いなあ」ある種の人にはその好んで歌っている楽しそうな感じが伝わってくる。しかし、ある人にはその「楽しそう」の裏側にある切実さに胸が締め付けられるように感じられるかもしれない。「まるであいつは歌を歌わされているようじゃないか」と。

    『アメリカの鱒釣り』は言葉のもつある種の機能について、痛いほどによくわかっている人が書いたもの、という気がする。とても自由に見えて明るい、のだけれど、どこか切実さが感じられる瞬間がある。なぜかよくわからないが、ほとんど泣きそうになるような時がある。

    カフカの言葉を出だしに引いている。「アメリカ人は健康的で楽観的だ」。ブローティガンは自分の母語や環境に備わっている「楽観的」な要素から目をそらすことができなかった人なのかもしれない。何か一つ言って「まあ、いっか」と次の言葉を繰り出す。でもこの「まあ、いっか」には無責任な感じがまとわりついていない。おちゃらけたふりをしながら言葉がちゃんとこちらへ投げつけられてくる。切実だ、と思う。訳者の力もきっとあるのだろう。

    この本は結果的にアメリカのある部分を正確に切り取った記録になっていないだろうか。

  • "Stop making sense!"「いちいち意味づけるのはやめようぜ!」(訳・柴田元幸)
    これは、アメリカのロックバンドであるトーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンの言葉だ。一方的な価値判断の否定。カッコいい言葉ではないか!

    本書『アメリカの鱒釣り』も、"Stop making sense!"が似つかわしい作品だ。というよりも、価値判断しようがないんじゃないだろうか。ただ、カッコいいなあ、って気ままに感じるだけで、いいんじゃないだろうか。自分はそれでいいと思います。

  • ごく一般的な、ひとまとまりの物語を記述している小説ばかり読んでいる私のような本読みには、冒頭から当惑する事しきりです。
    「アメリカの鱒釣りの表紙?」
    「鱒からとれる鋼鉄?」
    「ヴァーモントでお婆さんを鱒のいる小川と見間違えたって、どゆこと?」
    少し読み進めると、唐突に「りんごの砂糖煮」やら「すばらしきパイの皮」やら「匙いっぱいのプディング」やら「いっぷう変った胡桃ケチャップ」のレシピが出てきて、思わず本に顔を近付けてしまいました。
    いくつもの「?」を頭の上に浮かべたまま、小説らしくないこの小説を読んでいくうちに、どうしたことでしょう、その小説世界にどっぷり浸かり込んでいました。
    本当に不思議な小説です。
    アメリカの鱒釣りに関する短いお話が、文庫本で平均2~3ページでつづられます。
    それぞれのお話の間には、とりたてて筋道立ったものはなく、断片的かつ幻想的です。
    ただ、読了すると、「アメリカの鱒釣り」というひとつの大きな物語として奥行きを持って立体的に立ち上がって来るのです。
    まあ、でも、そんな小難しいことは考えずに、1つ1つのお話を堪能すればいい。
    少なくとも、私は途中からそのようにして読みました。
    読み進めていくうちに、古き良き時代のアメリカの匂いが行間から立ち上って来ました。
    私は何憚ることなく、その匂いを胸いっぱいに吸い込みながらページを繰りました。
    その時の私の気分は、間違いなく「幸福」と呼べるものです。
    古き良き時代のアメリカらしい、明るく、寛容で、ウィットに富んだユーモアが本書には横溢しています。
    アレゴリーも卓抜で、それに触れるだけでも楽しい。
    たとえば、
    「秋は肉食動物のローラーコースターのように、ポルトワインと、その暗色の甘いワインを呑む人々を連れて行ってしまった」
    「オフィスガールたちがペンギンのように、モントゴメリー通りから帰って来る」
    「夕食に、そのせむし鱒を食べた。碾き割りとうもろこしをまぶしてバターで焼いたら、瘤はエズメラルダのくちづけのように甘かった」
    「(肝臓に空いた穴を)そうさ。医者は、その中で旗が振れるほど大きい穴だといってたね」
    などなど。
    こんな表現は、日本人にはなかなか出来ませんね。
    お話は全部で47ありますが、ぼくは「アメリカの鱒釣りテロリスト」が一番気に入りました。
    6年生の子どもたちが、1年生の背中に「アメリカの鱒釣り」と書いて、校長から説教されるのですね。
    そのやり取りが何ともおかしくて、クスクス笑いながら読みました。
    ちなみにブローティガンは、村上春樹に影響を与えた米国人作家の一人です。
    なるほど、春樹はずいぶんとブローティガンから吸収したのだな、と分かります。
    興味のある方はどうぞ。

  • 調性を無視し転調を繰り返すかの様な特異な文体と構成。それは入り組んだ迷路の様に見えるかもしれないが、行き止りは存在せずあらゆる出口が開かれている。ブローティガンの想像力は乾いた日常の景色やひび割れた現実をさらさらと洗い流し、淡く優しい土地へと創りかえてしまう。そんな鱒釣りワールドに溶け込んだ訳文が破格なまでに素晴らしい。「アメリカの鱒釣りちんちくりん」なんて何度でも声に出して読んでしまう。時代に対して声を荒げたりドロップアウトするのではなく、しなやかにその心を広げようとすること。それはとても気高い行為だ。

  •  NHK のラジオ講座「英語で読む村上春樹」の解説に登場するアメリカの作家の一人で、今回初めて名前を知った。世界の文学の中でも、アメリカ文学は若干肌が違うと私は感じる。フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」を読んでそれを感じた。それは一般論として他のアメリカ人作家にも言えることなのか確認するために、数人のアメリカ文学を読んでみることにした。まずはこのブローティガンからだ。

     そしてこの次に狙ってのはサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」だ。本はずいぶん前に用意しておいたが、なかなか取りかかれなかった。ちょうど今がそのチャンスだ。

     この作品「アメリカの鱒釣り」を読み始めた時には、何だこれ?何でこんなのが売れてるの?と思ってしまった。これまで読んだ文学作品とはかなり違うからだ。題材もそうだし、言葉遣いがずいぶん異なるし、下ネタなどいわゆる性描写とは違った、汚さとでも言うかそういうものが、何となく肌が合わないように感じられた。

     しかし巻末の柴田元幸氏の解説を読んで考えが変わった。この翻訳が出るまでのアメリカ小説は「人生の意味」なり「作者の教え」なりを読み取らねばならないという脅迫観念があったという。しかしこれが出てからは文章の奇想ぶりや語り口の面白さ、背後にある憂鬱などに耽溺するよう誘っているように思え、ものすごい開放感を感じたという。

     私はまだまだそんな開放感を得られるほどに読めないが、そういう視点で読むとまた別の捉え方、認識ができるのかもしれない。ぜひそんな読み方が出来る大人になりたいものだ。

  • この小説は一貫したプロットがあるような、ないような一風変わったスタイルだ。基本的には、主として西海岸のあちこちで鱒を釣る話なのだが。能天気といえば、まあそうだ。ただ、この小説の書かれた1961,2年頃、アメリカは大きな転換期にさしかかっていた。J・F・ケネディが華々しく大統領に就任したのが1961年。すなわち、ヴェトナムに本格的に軍事介入していく年でもあった。ヒッピーやボブ・ディランの登場も間もなくだ。ブローディガンは反戦、反米を叫ぶことはないが、隠者的に世に背を向けつつ「アメリカの」鱒釣りを書いたのだ。

  • 自然と物質文明の奇妙な混交であるアメリカという国を、内側から笑いながら見ているみたいな。

  • まだらに鮮やかな部分がある。
    もちろん、書いた人が「まだら」に書いているのではない。
    読んでいる私の理解が「まだら」なのだ。
    書き手の問題ではなくて、読み手の問題。
    たぶん、私には鮮明でない部分を理解できる人には、
    この作品は傑作なんだろう。

    いや、曖昧模糊としているのが実態なのかもしれない。

    それこそ、最初の一行から最後の一行まで、放り出したくなる書物だが、読んだあと、顔を上げて現実の世界を眺めると、この本にあるように現実が見えてくるのだから、やっぱり「これ」は偉大な何物かなのだ。
    (2012年4月22日)

  • この小説には空洞がある。
    空気砲で今まで歩んだ道程を射抜かれ、ポンと音を立てて抜け落ちたかのような空洞。
    失うことは別れにも繋がり、世の多くはそれを悲観的にあらわすのだが、ユーモラスで詩的な語りから、前途明るい喪失を感じさせる。
    空洞を覗けば、無ではない。世界が存在する。
    僕には沢山の言葉の星が瞬いている美しい夜空が見えた。
    その実この小説でのブローティガンの思いなんて全く分からないし、結構どうでもいいのだけど、わたしはこの小説の空気が好きだし、使われる言葉も好き。
    大切な一冊になると思う。

  • なんでこういう本を書こうと思ったのか、何が書いてあるのか、ぼくはなんでこの本を読んでいるのか、いずれもわからない。まあ、人生とはそういうもんかもしれない。「さようなら、ギャングたち」を読みたくなった。

  • ブローティガンは、「読んでみたい作家のひとりだけど、優先順位としてはそれほど高くない」と思っていたのですが、なんだか続けていろいろなところで目にしたので、これも縁かと思って読みました。


    短いし、言葉のイメージが大事な作品なので、原書で読めばいいんですが、この藤本和子さんの訳が伝説的名訳という評判で、たとえば同じ作者・訳者の「芝生の復讐」について柴田元幸さんが毎日新聞で

    「村上春樹や岸本佐知子の訳文も、ひょっとしたら彼らの創作の文章すらも、かりに藤本和子が現われなかったら、いくぶん(たぶん悪い方に)違ったものになっていただろう。 」

    とまで書いていたので、あえて翻訳で読んでみました。


    一言でいえば、アメリカという国についての話。短い幻想譚というかほら話が数珠つなぎになっていて、アメリカの鱒釣り、というフレーズがそのモチーフになっています。

    っていうか、それ以上には説明しにくい…。
    カーヴァー作品に出てくる貧しいアメリカ人と、「風の歌を聴け」を思い出したんだけど、そもそも「村上さんに影響を与えた本」っていう先入観があるからなあ。

    訳文も込みで、村上さんや岸本さんが影響を受けた、というのはなんだか納得がいきました。
    柴田元幸さんがあとがきで絶賛してますが、確かに軽やかな文体は、1970年代の翻訳だったことも考えると、かなり斬新だったのでしょう。


    …でも、正直やっぱりこれは原書で読みたい。
    ストーリー重視の本だとそこまででもないのですが、どうしても英語の本は原文が気になっちゃうなあ。
    これはもう、訳がいいとか悪いとかの問題じゃないですね。

    村上ファンだったら、一度はこの訳も読んでみて損はないです。
    でも私は原書を買いに走ります。では!

  • ほんとうにくだらないことがほんとうにすばらしい調子で書いてある。
    ほんとうにすばらしいことがほんとうにくだらない調子で書いてある。
    その両方でした。真似できないです。


    どういう作品か。最後から数えて二番目の章の結びの文章を引いてみます。

    <<ここで、わたしの人間的欲求を表現すれば、──わたしは、ずっと、マヨネーズという言葉でおわる本を書きたいと思っていた。>>

    で、最後の章、その名も「マヨネーズの章」の結び。
    ということはつまりこの本の結び。

    <<あげるの忘れてしまって、ごめんなさいね、例のマヨネーズ。>>


    うーん、この本の面白さが伝わるためには十分な引用ではないかなー。
    もひとつ引用修行が足りないです。読みが浅いのでしょう。

  • 勧めてくれた人がどんな鬱も吹き飛ぶと行っていたが、本当に元気が出る本。

    とくに前半何回くすりと笑ったか。


    独自性がよく出ている箇所を一箇所抜粋して書いておく。






    ヴァーモントでお婆さんを鱒のいる小川と見まちがえ、謝罪するはめになったのだ。
    ―中略―
    「人違いだよ」と、そのお婆さんは言ったさ。

  • Trout Fishing in America(1967年、米)。
    猥雑で透明な、やさしい憂鬱。人生のうら悲しさを見つめながらも、虚無の一歩手前で踏みとどまるユーモア感覚がいい。「木を叩いて」「アメリカの鱒釣りテロリスト」が好き。

  • 「アメリカの鱒釣りテロリスト」がかわいくていい。訳者のあとがきが強力で、本文より印象的かも。

  • 「アメリカの鱒釣り」(人物、場所などさまざま)に関する短編集。途中から(「せむし鱒」あたりから)面白くなってくる。レオナルド・ダヴィンチが釣り具会社で働くやつが印象的。

  • 強烈に、幻想的な作品。そのせいか、それほど長い作品ではないのに、読むのにおそろしく困難を覚え、時間がかかってしまった。

    それにしても、幻想的という言葉を、この小説以外には使ってはいけないのではないか。それほどに、意味不明な小説であった。その文章の「脱意味化」とでもいうべき性質は、小説がどうしても伴わざるを得ない物語構造論に抗うかのごときである。幻想的という意味ではガブリエル・ガルシア=マルケスもそうだが、この小説は物語の「脱意味化」をより強烈に伴っているという点が決定的な違いであろう。

    解説で柴田元幸が「翻訳史上の革命的事件」であったと述べている点も印象的。おそらく、原文のもつ幻想性を、日本語に訳しても見事に伝えているのだろう。

  • リチャード・ブローディガンを知り、まずはこの本だ、ということで読んでみた。
    が、解釈がとても難しい、いや、解釈しようとしてはだめなのかもしれない。
    まったく意味がわからない章も多々あり、「アメリカの鱒釣り」とは一体何なんだ?人なのか、何かの象徴なのか、ただの言葉遊びなのか?何なんでしょうか?
    訳者によるあとがきを読んで少し理解できたような気もするが、それでも、「アメリカの鱒釣りちんちくりん」とは何かはわからなかった。
    原文で読んでみたいとも思ったが、原文の方がもっとよくわからないのだろうなと思いやめた。
    ブローディガンの他の作品を読んでみようと思う。

  • すき
    何度も再読したい
    人生のはやいうちに出会えて良かった

  • いずれ読もうとは思っていたのだけど、生まれたばかりの娘のことも書かれていると聞いて、今読もうになった。
    ブローティガンは「西瓜糖の日々」「愛のゆくえ」を読んでいたが、子供について書くのが想像出来なかった。
    読んでみると、思った以上にひょこひょこ出て来る。
    飄々とした文章の中にも冷たさと鋭さがあるように感じるこの作品だが、娘の部分だけは温かなユーモアが増しているように見えるのは、私の願望だろうか。
    タイトル通り「アメリカの鱒釣り」にまつわる奇妙な断片が並び、そこから想起された幾つものイメージが、読んで一ヶ月経っても私の中に残っている。
    しかし残っていると言っても、読んだ瞬間のものからは変容していて、やがて原型もわからなくなっていくのだろうが、それもこの作品の読み方として許される気がする。
    楽しい内容かと問われると返事が難しいが、楽しい読書体験だったことは間違いない。
    再読したい。

  • 訳者あとがきで小難しいことが色々語られていたけど、そんな難しいことを考えるよりも、まさに想いのままに泳ぐ作中の鱒のように、自由な空想に身をひたす行為が何より楽しくて仕方なかった。1篇ごとに全く異なる様相を見せていたが、この脈絡のない自由さがくせになった。「せむし鱒」が本当に好きだ。電話ボックスをこんな風に繋げていくなんて愉快。他は「Sea,Sea Rider」が好き。卑猥なものもいくつかあったがそれもまたよい。

  • アメリカの鱒釣りには、ひとつの何かではなく、様々なものがそれに込められているように受け取られた。トリップしたような独特な文体と相まって、60~70年代風のサイケデリックアートのような、のどかでいながら切実さを帯びた、古びてしまったPOPさを感じた。う~ん。言葉にするのが難しい感覚だなぁ。

  • アメリカの鱒釣りちんちくりんが最高。足がなく居場所もない酔っ払いのアル中がベンジャミン・フランクリン像の前で大イビキをかいて気絶するなんて最高にアメリカ的じゃないかと思った。現にアメリカの鱒釣りちんちくりんは白鯨のエイハブ船長にも喩えられてるが、船長(ちんちくりん)はアメリカの大量消費社会に分解されてしまった。あの猛々しい冒険者は今や精神病の不具者に成り下がるしかないのだ。これだけだと現代アメリカの悲劇に聞こえるが、アメリカの鱒釣りはそれを嘲笑うかのような語り口で喜劇に変えてしまっている。そんな語りもアメリカ的だ。

  • ウィキペディアでは短編小説集となってますが、れっきとした長編小説です。村上春樹曰くオフビートな小説。
    掌編というフラグメントを積み上げて成し遂げられたアメリカの古き良き時代に対する回顧と追憶がテーマとなっており、真の主人公は「アメリカの鱒釣り」という行為である。行為の擬人化という驚異の小説。
    ありきたりな小説しか読んだことのない人にはハードルが高いかもしれない。
    昔の自分もそうだった。
    だがブローティガンのこの小説は傑作である。
    それだけは間違いがない。

全86件中 1 - 25件を表示

アメリカの鱒釣り (新潮文庫)の作品紹介

二つの墓地のあいだを、墓場クリークが流れていた。いい鱒がたくさんいて、夏の日の葬送行列のようにゆるやかに流れていた。-涼やかで苦みのある笑いと、神話めいた深い静けさ。街に、自然に、そして歴史のただなかに、失われた"アメリカの鱒釣り"の姿を探す47の物語。大仰さを一切遠ざけた軽やかなことばで、まったく新しいアメリカ文学を打ちたてたブローティガンの最高傑作。

アメリカの鱒釣り (新潮文庫)の単行本

ツイートする