アメリカの鱒釣り (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102147023

感想・レビュー・書評

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  • 1960年代のアメリカの若者たちにカルト的な人気を誇った小説。失われた〈アメリカの鱒釣り〉の夢を求めて男たちは旅に出る。言うほどの中身があるわけではない。幻想的なようでいて、妙に細かくてリアルで。そしてわかりにくい。この時代の空気感なのでしょう。別の時代を生きた自分にはいつも理解できない60年代のアメリカの若者たちの思想。

  • 幻想的というか、わけがわからないというか、夢のような脈絡のなさ。
    「りんごや洋梨が湖に浮かんでいるのは情緒的」というような文章が印象に残っている

  • 強烈に、幻想的な作品。そのせいか、それほど長い作品ではないのに、読むのにおそろしく困難を覚え、時間がかかってしまった。

    それにしても、幻想的という言葉を、この小説以外には使ってはいけないのではないか。それほどに、意味不明な小説であった。その文章の「脱意味化」とでもいうべき性質は、小説がどうしても伴わざるを得ない物語構造論に抗うかのごときである。幻想的という意味ではガブリエル・ガルシア=マルケスもそうだが、この小説は物語の「脱意味化」をより強烈に伴っているという点が決定的な違いであろう。

    解説で柴田元幸が「翻訳史上の革命的事件」であったと述べている点も印象的。おそらく、原文のもつ幻想性を、日本語に訳しても見事に伝えているのだろう。

  • 絵画などの有形の芸術と文芸が共通の性質をもっていることを強く認識するに至った一冊でありました。

    表層にある、一目見た瞬間に鑑賞者が覚える鮮烈なイメージと、各部分のモチーフや色使い・筆使い・空白のもたせ方などが、後からじっくりと訴えかけてくる、濃いあるいは深い、または鋭い思念のようなものが同居している一連の文章でした。

    ストーリーはもとより、脈絡がまったくつかめない文章です。それをもって「意味がわからない」と一蹴するのは易しいですが、何かを読み取ろうとするか、分からないこと自体を楽しもうとするか、そのどちらかができれば、もっとこの作品を満喫できるものと思います。

    解説ではアメリカ文学史上の位置づけなどにも触れられています。ブローティガンがそういった大きな潮流に必死で抗しようとしたのか、あるいは自由な気持ちで筆を進めたのかは分かりません。
    ただ、読み手が混乱したり熱中したりすることを想像しながら、その執筆中は案外楽しんでいたのではないかと思いました。

  • なんなのこれ
    なんでもアメリカの鱒釣りにむりやり結びつける徒然なる思いつきのあれこれ
    アメリカの鱒釣りちんちくりんとかわけわかんなくて面白い

  •  NHK のラジオ講座「英語で読む村上春樹」の解説に登場するアメリカの作家の一人で、今回初めて名前を知った。世界の文学の中でも、アメリカ文学は若干肌が違うと私は感じる。フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」を読んでそれを感じた。それは一般論として他のアメリカ人作家にも言えることなのか確認するために、数人のアメリカ文学を読んでみることにした。まずはこのブローティガンからだ。

     そしてこの次に狙ってのはサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」だ。本はずいぶん前に用意しておいたが、なかなか取りかかれなかった。ちょうど今がそのチャンスだ。

     この作品「アメリカの鱒釣り」を読み始めた時には、何だこれ?何でこんなのが売れてるの?と思ってしまった。これまで読んだ文学作品とはかなり違うからだ。題材もそうだし、言葉遣いがずいぶん異なるし、下ネタなどいわゆる性描写とは違った、汚さとでも言うかそういうものが、何となく肌が合わないように感じられた。

     しかし巻末の柴田元幸氏の解説を読んで考えが変わった。この翻訳が出るまでのアメリカ小説は「人生の意味」なり「作者の教え」なりを読み取らねばならないという脅迫観念があったという。しかしこれが出てからは文章の奇想ぶりや語り口の面白さ、背後にある憂鬱などに耽溺するよう誘っているように思え、ものすごい開放感を感じたという。

     私はまだまだそんな開放感を得られるほどに読めないが、そういう視点で読むとまた別の捉え方、認識ができるのかもしれない。ぜひそんな読み方が出来る大人になりたいものだ。

  • この小説は一貫したプロットがあるような、ないような一風変わったスタイルだ。基本的には、主として西海岸のあちこちで鱒を釣る話なのだが。能天気といえば、まあそうだ。ただ、この小説の書かれた1961,2年頃、アメリカは大きな転換期にさしかかっていた。J・F・ケネディが華々しく大統領に就任したのが1961年。すなわち、ヴェトナムに本格的に軍事介入していく年でもあった。ヒッピーやボブ・ディランの登場も間もなくだ。ブローディガンは反戦、反米を叫ぶことはないが、隠者的に世に背を向けつつ「アメリカの」鱒釣りを書いたのだ。

  • 自然と物質文明の奇妙な混交であるアメリカという国を、内側から笑いながら見ているみたいな。

  • まだらに鮮やかな部分がある。
    もちろん、書いた人が「まだら」に書いているのではない。
    読んでいる私の理解が「まだら」なのだ。
    書き手の問題ではなくて、読み手の問題。
    たぶん、私には鮮明でない部分を理解できる人には、
    この作品は傑作なんだろう。

    いや、曖昧模糊としているのが実態なのかもしれない。

    それこそ、最初の一行から最後の一行まで、放り出したくなる書物だが、読んだあと、顔を上げて現実の世界を眺めると、この本にあるように現実が見えてくるのだから、やっぱり「これ」は偉大な何物かなのだ。
    (2012年4月22日)

  • なんでこういう本を書こうと思ったのか、何が書いてあるのか、ぼくはなんでこの本を読んでいるのか、いずれもわからない。まあ、人生とはそういうもんかもしれない。「さようなら、ギャングたち」を読みたくなった。

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著者プロフィール

作家、詩人。1935年、ワシントン州タコマ生まれ。56年、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグらビート・ジェネレーションの集うサンフランシスコへ。67年に小説『アメリカの鱒釣り』を刊行、世界的ベストセラーとなる。主な著作に『西瓜糖の日々』『ビッグ・サーの南軍将軍』など。風変わりで諧謔に富んだ作風は世界中の若者たちの想像力をかき立てた。84年、ピストル自殺。

「2023年 『ここに素敵なものがある』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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