自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

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制作 : Donna Williams  河野 万里子 
  • 新潮社 (2000年6月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (489ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102156117

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自閉症だったわたしへ (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 淡々と、それでいて豊かな文章で綴られる『私たち』の世界の見え方、感じ方は驚くとともに共感できるものでした。
    片目でぼんやり外界を見、片目で自分の世界にこもり、うわの空の状態になってしまうことなどは自分にもあるなと感じたりしました。
    全てを理解はできなかったけれど、暴力的に相手に強制することだけはないようにしたいと強く思いました。
    彼女の生き抜く強さと、豊かな言葉の世界を強く尊敬します。

  • 題が、多分、ダメだと思います。
    まるで、今、自閉症であることが治ったみたいに見える。でもこれは、そういう話ではないですよね。
    まあ、原題の「NOBODY NOWHERE」*1よりも、わかりやすいという判断なんだろうけど……。
    それに、この題でなければ、たしかに、ぼくも手に取っていない可能性があるのだけれど……。

    解説にも書かれていますが、ものすごく、共感をもって読むことが可能です。でも、その読み方にも、注意も必要です。

    それは、想像力。
    「彼女」は、「わたし」だと思って共感するのは とても大事なことなんだけど、それだけでは、前に進まない問題を、いっぱいこの本は含んでいる。
    多分、自閉症の人とぼくたちは、全く別の言葉をもっている。
    それは、どういうことかということを想像してみること。

    例えば、人生で出会った中で、一番理解できなくて最悪だと思った人のことを思いだしてみる。
    「言葉が通じない」と思わなかったか?
    相手が人間の心を持っていないのではないかと傷ついたりしなかったか?
    だれかと、

    「こんな困った人がいる」

    と話して、共感したことはないだろうか?

    もしかしたら、共感してくれる誰かがそばにいてくれる「わたし」が「彼女」なのではなくて、「わたし」を傷つけた相手こそが、誰にも理解されない「彼女」なのかもしれない。

    自閉症の人と関わっていくというのは、その言葉が通じないという思いの繰り返しで、多分、ぼくたちは、自分の言葉、自分の物語の中でしか人を理解できない。
    彼女が彼女の物語の中で、人を理解しているように。

    だから、この物語は感動的であるけれど、ものすごく一方的な物語でもある。
    この物語で糾弾された人たちに対して、外から、

    「そんなことは、許されない!!」

    と言うことは可能だけれど、それだけではすまない問題をぼくたちは宿題として抱えている。
    もちろん、「彼女」がどう感じたかという感じ方、考え方は、大切にしながら。

    もし、自閉症の人の言い分に耳をかたむけることができれば、論理が通っていると感じることはできるかもしれない。でも、それを理解することは、基本出来ない。

    だから、ぼくたちにできることは、自分が受け入れることが出来るキャパシティを出来るだけ大きくしていくことだけです。それも、膨大な、試行錯誤から出てくる経験知(しかも、その中のわずかな例外を参考にしないといけない)で。
    100人の中にたった1人しかいない人の言葉を理解しようというのだから。

    自分の感傷に浸ってる暇なんてない。
    なにか、理解できないこと、理解できない人に出会ったとき、その人の言葉と自分の言葉が違っているのではないかと想像し、省みること。
    これは、実はかなり難しいのではないかと思います。
    でも、これから、していかなければならないことです。

    大切な何かを、切り捨ててしまう前に。

    どこまでの彼女を守ることができるだろう?
    でも、信じていることは、理解し合うことができれば、おそらく、反社会的であったり、非社会的であったりすることはなくなるのではないかということ。
    その「反社会」、「非社会」という概念そのものが、文化の中でわかっていくものだとしても。

    祈りのように。

  • 自閉症の人々の住む世界について知ることが出来ます。
    小説としてはもちろん、専門書としても読むことが出来ます。

  • 「大人の発達障害」より、発達障害の人の気持ちが分かるようになるかも知れない本。
    読了。理解されない苦しみのようなものは分かるんだけども、どういうものの見方をしているかは、書いてはあるもののなかなか理解することは難しい。相手を受け入れる気持ちが大事なのかなと思った。

  • 著者のドナ・ウィリアムズが自身の幼い頃からの記憶をまとめた本。
    彼女は26歳になるまで自分が自閉症だということがわからず、家族や周囲の人たちからずっときちがい、異常、ばかなどと呼ばれてきた。母親に虐待され、兄からもいじめられ、学校でも馴染むことができずに苦しんできた。
    彼女の中には明るく社交的な“キャロル”と合理的で努力家な“ウィリー”という2つの人格が存在していて、本当の自分である“ドナ”を世の中の様々な恐怖から守ってきた。キャロルというのはドナが小さい頃に公園で出会った社交的な女の子で、「彼女のように笑えば周りの人も笑ってくれる」という思いから、ドナは“キャロル”になった。読んでいると、ドナが寝ているときに見た夢の話やそれぞれの人格の感情の移り変わりなど共感しづらい場面も多々あり、彼女の世界を理解するのが難しく感じられた。だが、ドナがキャロルの真似をするという行為は、他の多くの人も、人格を生み出すほどではないけれど、やっていることのように思う。自分が素敵だなと思った人を見習って行動したり、同じようになりたいと努力したりすることに似ているのと感じた。
    ドナの壁にぶつかっても立ち向かっていく力は心からすごいと思った。自分の恐怖心から逃げずに客観的に自身や周囲の人間と向き合うことはなかなかできないと思う。
    ドナは自閉症の人たちには自閉症の人たちの言葉があると書いている。普通の人たちの言葉や行動を押し付けるのではなく、彼らの言葉を理解しようと耳を傾けることが大切。

  • 最近はマンガでこの手の本もあるが、自閉系の当事者本の走り。

  •  邦訳のタイトルが微妙。
     彼女が自閉症化否かについては、この本では説明されていない。
     だが、彼女が幼い頃、「社会との付き合い方を知らない」子供であったが、大人になって「社会との付き合い方の試行錯誤を始めた」女性になったとは思う。
     だが、今も自閉症ではある筈だ。
     邦題について、わかりやすさや、訴求力はあれど、自閉症は治るものであると取りかねなものは避けたほうが良かったのではないだろうか。

     一人の女性が、親からも兄弟からも、学校からも傷つけられ、それでもなお、自尊心を失わずきちんと前を向くという、非常に胸を打たれる作品である。
     彼女の感受性の高さゆえ、わかりにくい個所はあれど、それでもなお先を読ませる何かがあると思う。

  • 途中まで読んだ。どうも自閉症当事者が書いているにしては文章がしっかりしているし、長すぎると感じる。
    訳者あとがきを読んだら、原文をかなり意訳しているようだ。そんなことしないほうが面白いと思うのだけど…

  • 私は自閉症ではないけど、読んでいて共感できる部分がたくさんあって、心が揺さぶられた。感性の豊かさと、知性に驚かされる。多重人格的な現象は、ここまではっきりと現れなくてももしかすると人間にとってさほど珍しくないものなのかもしれないと思った。適応するために。でもこれほど客観的に自己を観察し、それを表現豊かに表せる才能がすごいと思う。筆者は幼少時に虐待を受けていたけれど、その暴力そのものは自分を脅かすものではなかったと書いている。ここに書かれているのは、社会や周りの人と戦う姿というより、そこに溶け込むために、自分自身と戦う姿。印象的だったのは、ここから出たい、という表現。自由になりたい、ということが何度も書かれている。

  • 物語としておもしろい。教育的視点から勉強になる。芸術的視点から感性の豊かさに驚かされる。

  • 自閉症の人が書いた本ということで、「私」がドナだったり内なる人格のキャロルであったり、ウィリーであったりと多少バラバラな印象で読みにくい。
    だが、そのバラバラさも含め、彼女のこだわりやその他の特異な性質を折り合いをつけていく姿は引き込まれる。

  • 自閉症ということがなかなかわからずに、変な子として家族からも周りからも扱われてきた女性の手記。詳細なので、彼女の目からみた世界や、感じ方の違いがとても良くわかって興味深い。違うことを怖がったり排除したりしなくてもいいと分かるだけでも読んでよかったと思える本。

  • 川上弘美だったり村上春樹だったり最近は津村記久子だったり、いろいろな自己の在り方を描いた作品、すなわち私語りの作品を読んできたけど、これもそういった揺れる自己像を描いた優れた小説であると思った。自閉症の理解のために読み始めたのだけど、物語として共感し、読めてしまう。
    いかん、いかん、と思ってドナのおかれてきた状況に視点を当てるとそれはもう凄まじい…。よくこんなところで生きて来れたな、という感じ。

    自分の思いを表現したい、認められたい、という思いは、誰にでもあるということ。

    そして、生きるって、すごい。

    2013/08/16読了。

  •  
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4102156119
    ── ドナ・ウィリアムズ/河野 万里子・訳《自閉症だったわたしへ 20000628 新潮文庫》
     

  • 感情移入しすぎて泣きそうになりました
    普通じゃない人は排除されるか偉大な事をして尊敬されるかのどっちかです
    私も昔人との関わり方が下手で変人で、その時の辛い感情が蘇ってきました
    あの時の私を周りの人は、気にかけて優しくしてくれました
    私もあの時の優しい人達のようにドナのような普通じゃない人の立場に立って一緒に考え、理解したいです

  • ドナさんの写真の、彼女の目を見ると、本当に彼女が「自分の世界」の中にいたことが分かる。

    「自分だけしか分からない世界」があって、それをすべての周りの人から理解してもらえず、「不思議ちゃん」「空気が読めない」なんて、笑われたり、馬鹿にされたりして、
    とても寂しかったり悔しくて悲しい思いをしたことってみなさんにもきっとあるでしょう。

    それに、こんな人が自分の周りにいたら?
    どうしても集団の規律を重んじるあまり「厄介もの」にして知らず知らずのうちに排除したりしないだろうか?


    出来る限り詳しく、すべてのことを記そうとした、彼女の豊かな世界観が綴られた文章であるが、
    僕からしても、「読みづらい」ものだった。
    けれども、それ以上の周りとの世界の接点の難しさを自閉症者の人たちは感じているのかもしれない。

    ドナさんは、自分の中に3つの別の人格を作り出して、それを演じていたという。
    そのままの自分が認められないほど辛いことはない。

    内面の告白が綴られた本書を読みつつ、自閉症者の感じ方をなんとなく「理解しよう」と努力することはできたかもしれない。

    ドナさんの周りに優しく「理解しよう」という支援者が多からず確かにいたから、彼女は前に進んでいくことができたのかもしれない。


    それにしても本書がわずか4週間で書き上げられたことは驚嘆に値する。

    世界を捉える「秩序」は人によって違っていて当然だし、
    マジョリティである自分達の世界で「いい」と信じて疑わないことが、自閉症者にとって迷惑極まりない暴力だったりすることだってあるかもしれない。

    本当の「愛」とは、まず「理解」から始まる。


    「自閉症」という単語が登場するのは物語の本当に後の方の部分。
    知的に問題がない場合がある時など、本当に、周りに理解されにくい「障害」で、サポートも受けづらいものなんだなということを知りました。
    今では、少しは社会の理解も深まって来ているようですが・・・。

  • 自分の子ども時代もなぜだか振り返ってしまった。たくさんの苦悩と周囲との葛藤が描かれていた。自閉症のドナの世界の見え方は、彼女自身は普通と述べるが、豊かな感性と思考がみられて魅力的だった。

  • 私が精神関連の本を読み漁るきっかけになった1冊。
    文章が何の飾りもなく、それなのにキラキラしている感覚。

  • ああ、自閉症ってむずかしいんだなあ、というのが感想。
    この本の画期的なところは、今まで外からの観察者の眼という視点しかなかったところに、本人が実体験として「自分の」感じたことを、今までとうていたどり着けなかった「真実」を語ってくれたという点にある。けれどその「自分」はあくまでこの本の著者であり、自閉症の人一般に敷衍できるかといえば100%ではない。だから「真実」はあくまで括弧つきになる。それは他の事物だって同じではあるけれど、自閉症である上に一般の世界に通じる言葉で語りいだしてくれる人は少ないから、たくさんの声を集めて普遍を抽出するという作業がしにくい。それらを念頭においた上でこの本の内容を受け止める必要がある。

    とてもいいレビューを見つけて、そうそうこれこれ!と思ったのでリンク貼ります。りんさんのレビュー。
    http://booklog.jp/users/rinshan/archives/1/4102156119
    レビューの内容で特にそうそうこれ!と思った点を要約させてもらうと、「この物語は感動的だが、すごく一方的でもある。彼女に共感し、彼女を理解できなかった周囲を糾弾するだけでは済まない問題を、我々は抱えている。自閉症の人を本当に理解することは基本的にはできない。できるのは、自分が受け容れることのできるキャパシティを、試行錯誤しつつ広げていくことだ」という。

    彼女がどれだけ大変だったか、本を読んで想像するだけでもすさまじいものがあるけれど、それは決して彼女の生の苦しみにはたどりつかないだろう。だからといって想像するのをやめていいわけではない。想像が害に堕さないためには、最低限、想像であることをわきまえていることが必要だろう。

  • 豊かな内面世界。

    長い文章の合間に切れ切れに、自分の子ども時代の記憶と重なる情景が浮かぶ。

    普段は社会の中で生きるため、内面と外面を切り離しながら生きているけど、それって私の心を騙しながら生きているってことなのかな。と思った。

    苦悩を重ねに重ねながら、それでも自分の心と向き合い続けてきた筆者に感銘を受ける。

  • 012056.

    これってまるで自分のこと…?~ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』

    一読して「ああ、まさにこの人の症状って自分とおんなじ。やっぱりオレって自閉症だったんだ!」

    と、おのれの運命を嘆いた私でしたが、

    似たような感想を抱いた人はきっと少なくないことでしょう。

    だからこそ本書が話題を呼びベストセラーとなったのでしょうから。日本でも現在新潮文庫でパートⅢまで出ているようです。

    この本が多数の読者に受け入れられた理由、それは著者が告白する自閉症者の世界(あえて自閉症“患者”とは言わない)が、

    まだ社会と上手にコミュニケーションがとれる以前の幼児が体験する世界と同質のものだからでしょう。

    僕たちはドナのいる世界をあとにして、この社会にどうにか適応したのかもしれません。

    ドナの世界、そこはある意味エデンの園のようにも思えます。パーフェクトに自己の中で完結し、十分に満たされきっている世界。

    でも他者と折り合うためにはその楽園を出なければなりません。それは苦痛に満ちた体験でした。とくにドナのような自閉症者には。

    彼女は自分の内面の動きを驚くほど正確に、客観的に観察する。それだけ自分に対し他人行儀になれるのも、あるいはこの症状の特長かもしれませんが。

    幼少時の記憶も鮮明で、ある種「つくられた記憶」かと勘ぐってしまったりもするが、

    彼女には体験したものを脳内にまるごとコピーできる「サヴァン症候群」のような一面もあるのかもしれない。

    また状況に対処するため複数の人格を使い分けているところは多重人格障害にも通じるように思う。

    異常で悲惨な体験がこれでもかとばかりに綴られますが、

    反面、幼ないころのエピソードのひとつである、心を許せる親友との出会いのくだりなどは素晴らしく、万人に訴える普遍性を感じます。無二の親友が他の人のところへ去ってしまった時の嫉妬や悲しみの感情も、少女時代を過ごした人なら誰しもおぼえがあるでしょう。

    とはいえ学校では級友から疎外され、中途退学や再入学を繰り返し、転職につぐ転職のあげく不誠実な男たちに翻弄される行き当たりばったりの彼女の人生は、

    まさに転がる石そのもので悲惨さは否めません。やはり自閉症に生まれついた人間は不幸なのだと結論せざるをえないでしょう。

    彼女の症状の場合、家庭環境や成育歴の影響も疑えませんが(当人は本書の中で否定していますけれど)。

    もっとも不幸なのは、これだけの感性を持ちながら、この症状ゆえにそれを外側へ訴えるすべが限られている点でしょう。

    同時にそれは、多くの自閉症者が自分を表現することもできず、陰に日なたに「馬鹿」だの「キ××イ」だのと嘲笑される過酷な生を送っていることを想起させます。表現力に恵まれたドナのような例は、まさに幸運なケースといえるでしょう。

    全編をとおし、その筆致は冷静に自分の置かれた状況を綴り、かつ卓抜な表現に満ちていますが

    これはひとえに訳文の適切さによるもの。訳者の河野万里子氏の功績でしょう。おもわず自分の身に重ね合わせて読んでしまいます。

    ドナはあとがきで「直接誰かと対話するよりも、紙に書くとかタイプライターを打つなど無機物を介したほうが自分の気持ちを伝えやすい」と語っています。話し下手でネット弁慶の気もある自分はこんなところも、この人とよく似ているような気がします。

    やべえ、この文章、ドナになりきって書いてしまったなあ…。

    http://rcnbt698.blogspot.jp/2012/07/blog-post_25.html

  • 自閉症の筆者が過去を振り返り、いかにしてそのような自分と向き合い、「世の中」との折り合いをつけてきたかを描く。日本語訳では原文と違って章立てがされているのでかえって時間の行き来に混乱させられた。自閉症でない人たちは観察することでしか自閉症の人たちの世界に近づけない。それなのに理解したふりをして、「治療」しようとする。「当たり前」や「普通」なんて相対的なものでしかない。この本は自閉症の世界により近づくための助けになると思う。

  • 仕事で処方箋を受けているあいち小児保健医療総合センターのセンター
     長の杉山先生が書かれた「アスペルガー症候群と高機能自閉症」の中
     で杉山先生が「自閉症の医療に携わる人ならこの本は読むべき」と紹介
     されていた本。
     買ったままずっと積んでおいたが、ようやく読み終えることが出来た。
     一週間以上かかってしまったが・・。
     著者のドナは、小さいときから「変な子」「きちがい」と言われ、周囲と
     コミニュケーションを取ることが出来ない子供だった。
     母親から虐待されていたこともあったが、本人はそれよりも他人から触ら
     れたりやさしい態度で干渉されたりの方がずっと辛く、痛みを感じて逃げ
     出したくなるのだった。自分どうして自分がほかの人と違うのか・・・。
     精神科医のメアリーとの出会いによってドナは大学にまで通うようになり
     自分が自閉症であることも知る。
     そして「ただ一度でいい。なぜ私がこういうふうなのか、客観的な意見を
     聞いてみたい」と自分の心のうちを書いたものを児童精神科医に見せた
     のだった。

     この本の英語の原作はものすごく読みにくいものらしい。
     でもそれを日本語に訳すときに、綺麗にわかりやすく訳されたため、
     かえって自閉症じゃない人が書いたようになってしまった(とほかの本に
     書いてあった)。
     だからこの本を読んで「自閉症の人ってこんなふうなんだ」って早合点し
     てはいけないと思う。
     それでもこの本を読んで良かったと思った。
     自閉症の人、特に高機能の人は本当に行き辛い人生を生きているんだ
     なあとあらためて感じた。
     最近、高機能自閉症(アスペルガー)の青少年が起こす殺人事件が
     新聞の載ることが多い。
     自閉症の人たちのことをもっともっと多くの人が理解して小さいときから
     正しいフォローが出来れば、刑事事件を起こしたりすることもなくなるの
     ではないだろうかと思う。

  • 鮮烈です。著者が言う「世の中」にいる私たちを「普通の人」と表現すること、自分にとってよいと思っている接し方も相手によっては恐怖の源になったりもする、本人の言葉で語られるだけに、深い。

  • 自閉症である著者の半生を綴ったエッセイ。本書は20年近く前に出版されたが、自閉症の人の内面を描いたその内容は全く色あせていない。
    自閉症に限らず、何らかの精神障害やその他のマイノリティに対してどのように接すれば良いのかのヒントが詰まっていると思う。400ページ近くある半生の後の「終わりに」「エピローグ」は、心を激しく揺さぶる。

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わたしってそんなに「変でおかしな子」なの?幼い頃から、周囲の誰ともうまくつきあうことができず、いじめられ、傷つき苦しみ続けた少女-。家族にも、友達にも、学校にも背を向け、たった一人で自分の居場所を求めて旅立った彼女が、ついに心を通い合わせることができる人にめぐりあい、自らの「生きる力」を取り戻すまでを率直に綴った、鮮烈にきらめく、魂の軌跡の記録。

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)の単行本

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