- Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102174012
感想・レビュー・書評
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何処へ行けるというわけではないけれど
確かな存在の手触りを胸に
彼のこころはパリから歩き出す
ランボーと違ってすごく真面目なひとだと思う。ランボーがロケットか何かのように一気に宇宙へ飛んで行ってしまうのに対して、ボードレールは階段を一段一段確かめながら、自分の立っている場所を確認しながら昇っていく感じ。
そして、カミュのごとき不屈の反逆児。あえて背徳的な行いに身を浸すことで、光り輝く美しさを取り出して見せる。どんなにあがいても、死すべき者には変わりないこの命を、確かに生きてみせ、実現する。
散文詩とは言うけれど、彼の目に映るものの正確なスケッチ。彼がまなざしを注ぐのは虐げられて暮す人々。聖書の「貧しい人々は幸いである」をどこか髣髴させる。
退廃的とか背徳的というのは、極めて一面的な判断のように思える。だって彼は何にも背いていないのだから。というよりかは、背けなかった。どちらを向いても世界の中に生きてしまっていたから。いながらにして世界なのだから、旅行などできるわけない。
さて、その彼は「貧民を撲殺しよう」でソクラテスの生ぬるさを述べたあとで次のように述べる。
「他人と同等であることを証明する者のみが他人と同等であり、よく自由を征服する者のみが自由に値するのだ」
そして、これを学理(セオリー)として、貧者と殺す気で殴り合い、その生を回復させたところで、同等であると宣言する。
ソクラテスならこう言うだろう。
君はまだ若いね。証明だの制服だのやってみたところでもうすでに実現しているんだよ。それに気づいたからああいう対話というやり方をとったんだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
愚人と女神
酔え -
正に、巴里の憂鬱。
喜ばしいことや微笑ましいことがあったかと思えば、やはり憂鬱に沈んでいくのは、巴里だからなのか、それとも彼の燻らせる煙のせいなのか… -
ブックオフ高松新屋島、¥250.
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鬱々とした散文詩集。いまとなってはかなり読みづらい単語や表現か散見されるかもですが、それもふまえて文章の美しさは素晴らしい。
ただ、ボードレールとは友達になりたくないなと思う(笑) -
ボードレールの散文詩集。彼の生前は単行本化されなかった散文詩50篇を収録したもの。やはり翻訳が古いのか、ちょっと読みにくい。まぁ、そういうのも含めて楽しむんですと言われてしまえば、それまでですが。個人的には悪の華の退廃的な美意識の方が好きかもでした。あっちは量が多いので、ボードレールに触れてみたいって人にはコッチのほうがオススメかも。個人的に、この詩集の中では、『どこへでも此世の外へ』、『貧民を撲殺しよう』等が気になった作品です。
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散文詩。おもろい。
三好達治きになる。 -
いちばん耽美的で美しい詩集
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憂鬱な気分のときには、更なる憂鬱を。「どこでもいい、どこでもいい……、ただ、この世界の外でさえあるならば!」「時計」もいい。三好達治の訳が、やっぱりいい。私には、ひたすら美しい散文詩に見える、さほど憂鬱ではなくなってきた。