思い出のマーニー (新潮文庫)

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制作 : Joan G. Robinson  高見 浩 
  • 新潮社 (2014年6月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (362ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102185513

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思い出のマーニー (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 岩波少年文庫ではなく、新潮社文庫から別訳が出ていましたので読んでみました。

    入江に建つ古い屋敷を通じて、マーニーとアンナだけに交錯する過去と今の時間。心を閉ざしたアンナがマーニーと過ごす間に、自分と同じ孤立した存在を鏡のように映し出す。

    そしてマーニーと分かれた後、その記憶が薄らいでいくと共にアンナの心が周囲との関わりを保てるようになっていく。

    ”自分の物語が描けるようになる”これは、心理療法家、河合先生の言う統合と安定の過程。岩波の特装版には河合先生の書評も付いているようで、これも是非読んでみたい。

  • 気になるなぁ、面白そうだなぁ、と10代の頃から読みたいと思い続けていたこの作品。躊躇していたのは、岩波少年文庫版が上下巻だったこと。それだけで尻込みしちゃって、読破できるか何だか自信がなかったのだ。
    ようやく読んでみようと思い至ったのは、今回新訳が発刊されたこと(1冊にまとまったことでお財布的に嬉しい)、そのあとがきで、大好きなタイムファンタジーの金字塔、「トムは真夜中の庭で」と比較されていたこと。大人向けの新訳にも興味が湧き、手に取ってみた。
    家族を亡くし、養父母と暮らすアンナは、ひと夏を自然豊かなノーフォークで過ごすこととなる。孤独な心を抱えるアンナは滞在先の近所の子供ともぎくしゃくし、ますます心を閉ざすのだが、そんな矢先、マーニーという不思議な少女と出会う。
    マーニーと出会うきっかけとなる「湿地の館」周辺の描写にはそそられる。謎に包まれているけど、風格のある佇まい。潮の満ち引きで、周辺を水で満たされる館は独特の存在感だ。ボートの漕ぎ方を教わったり、あるときは館のパーティーに物乞いの少女として参入したり…マーニーとの交流により、頑なだったアンナの心は少しずつほぐれていく。
    だけどやっぱり、マーニーって何者?という疑問は膨らんでいく。お金持ちの娘っぽいことは確かだが、二人の会話や感覚の微妙なずれから、どうやら時間軸もずれてはいないか?と、タイムファンタジー好きの読者なら気付くだろう。
    とある事件を境に、マーニーと会えなくなるアンナ。心にぽっかり穴を抱えた彼女にまた新たな出会いがあるのだが、まさかその出会いがマーニーの謎を解き明かすきっかけとなるとは…。
    全てが明らかとなるハイライトは圧巻。まさかまさかの連続である。全体的に見れば、冗長な部分もあり、登場人物の心情の変化の描写がもう少し欲しい部分もありだけど、そういったところを差し引いても十分読み応えのある作品に仕上がっている。神秘的かつ幻想的な「湿地の館」がイギリス児童文学っぽいなと。後半でアンナと出会う5人きょうだいは、ロビンソンの絵本作品を彷彿とさせました。末っ子のロリーポーリーがとてもかわいい!
    そして訳者あとがきも興味深く読んだ。「トムは真夜中の庭で」に設定が若干似てるなと感じたのだが、「ロビンソンは古き皮袋に新しき酒を盛ることで、イギリス児童文学の伝統にまた一つかぐわしい花を添えた」には納得。似てはいても物語の方向性とかキャラクターの性格等は異なっており、その違いによるそれぞれの作品の個性も素晴らしく、勿論どちらもとても好きな作品であることは間違いない。
    元祖である岩波少年文庫版、後発の新訳角川文庫版(こちらは表紙が素敵)と、本屋の店頭でちょこちょこ比べてみました。(表現の微妙な違いを見つけるのが楽しい。)そうなると、原書も気になるというもの。読破する気力も英語力もないので、チラ見するだけでも、原文の雰囲気を味わってみたい。
    ひと夏の少女の心の成長物語としても秀逸なこの作品、何となく生きにくさを感じる少年少女は勿論、大人たちの心にも響くこと間違いなし。自分の存在を肯定することの大切さを、本書は教えてくれる。

  •  ひと夏の間ノーフォークで過ごすことになった孤独な少女アンナ、そこでアンナはマーニーと名のる不思議な少女と出会い仲を深めていくのだが…

     入り江の様子、海の近くの大きな館、そして風車小屋など情景が非常に豊か。そしてアンナの心理描写もしっかりと描かれています。
    訳者あとがきによるとこの描写は著者自身の体験が投影されているらしく、そのためか風景描写も心理描写も非常に鮮やかに自分の中で想像できました。

     アンナとマーニーは友情を深めていきながらも、ある日唐突な別れを迎えます。そして話は徐々にマーニーとは何者だったのか、という謎に話が移っていきます。

     話としてはファンタジーの部類に入るのかな、と思いますが、マーニーの正体に徐々に迫っていく様子はミステリ的でもあります。そしてすべての謎が解けたとき、アンナが今まで抱いていた思いが鮮やかにひっくり返されます。

     アンナとマーニーが友情を深めていく様子、マーニーの正体が明らかになるとともに感じる暖かさ、そしてアンナの変化は児童文学と言えども読みごたえは十分! 
    そして何より読み終えた後、心の中に暖かな風が吹いたかのように、爽やかで少し幸せな気持ちになれた一冊でした。

  • 映画を見てから読んだので、映画版と原作の違いがくっきり浮かび上がってきた。
    もちろん、どちらも、思春期の入り口にいる女の子の繊細な感情を見事に描いているのだが、原作はイギリスの女の子、映画は日本の女の子、ということで、そのメンタリティの違いがとても興味深かった。
    映画の杏奈は、「自分は普通じゃない」というヒリヒリした気持ちにとらわれていて、だから誰からも好かれていないのだと思っている。それは傍から見ると被害妄想のようにも見えるし、なぜそこまで頑なになってしまうんだろうと、痛々しく感じられるのだが、原作のアンナはもう少し積極的な感じがした。自分の方から他人を拒否しているのだ、という強い気持ちがあるようなのだ。だから、「あえて」一人でいる。
    物語のクライマックスとも言える「マーニーがアンナ(杏奈)を置き去りにした(ように見える)事件」での、杏奈(アンナ)の反応は、似ているようで、でも少し違う。原作のアンナは「私を置き去りにした、という裏切りが許せない」と怒るのだが、映画の杏奈は「ひどいよ」と嘆くのだ。
    後半のプリシラとの出会い編は、いかにも外国の児童文学という感じで、遊び方や付き合い方が、「赤毛のアン」を思い出させる。日本の子はあんなふうな付き合い方はまずしないだろうなあ。
    小説は、幻想的で、かつ微笑ましい少女の成長物語である。先に読んでいたら、映画の印象もまた変わったかもしれないが、舞台を日本に移したことで、とても良く似ているんだけど、微妙に違う「日本の少女」の物語になっていて、ヒリヒリ感は映画の方が強かった。
    いちばん大きな謎も、小説の方だとわりとあっさり扱われているし。映画ではとても重大なこととして描かれていたので、そういうイメージで読んでいたら肩透かしだった。
    ああ、でも、これは、12才くらいのときに読みたかったなと思う。リアルタイムで疎外感を味わっている時に読んだら、どんなふうに感じただろう。

  • 中盤まではダラダラと読み進めていたが、マーニーが出てきた場面からは引き込まれて一気に読破してしまった。そして感想が書きたくなった。

    〝魔法の輪〟の〝内側〟と〝外側〟という表現が興味深い。主人公アンナは、パーティーや親友やお茶に招かれることを素晴らしいと感じるのは〝内側〟の人間であり、自分自身はそれらとは関係のない〝外側〟の人間だと認識している。
    彼女が常に〝つまらなさそうな顔〟を装っているのは、自らの孤独感(という一言では表しきれない気がするが)を必死で隠そうとしているからであるように見える。

    しかし、様々な経験をし、様々な人々と関わった後のアンナは、次のように考える。
    【〝内側〟と〝外側〟という考え方、なんて不思議なんだろう。それは他の人と一緒にいるかどうかとか、〝一人っ子〟か大家族の一員かとか、そんなこととは関係がない――(中略)だから、問題は自分の心の中でどう感じているか、なのだ。】

    この結論に至ったアンナがリンゼイ夫人となす次のやりとりは、胸にぐっと来るものがある。
    【「まあ、どうしたの、その格好!」夫人は叫んだ。「ずぶ濡れじゃないの!いったい何をしていたの?こんなお天気なのに、外にいたの?」
    「ええ」アンナは笑った。でも、いまは『内側』にいます!】

    こうしたアンナの変容・成長をもたらした一人であるリンゼイ夫人にも注目したい。
    夫人は、家を訪ねてきたアンナに対し、「ちょうどよかったわ、これをたたんでくれない」と毛布を投げてよこす。「用事をたのまれたのが嬉しくて」、アンナは「いそいそと」その毛布をたたむ。
    「あなたの存在は私の中ですでに自然のものとなっている」「あなたを必要としている」というメッセージをさりげなく送ることの大切さが。この場面には表れているように思う。

  • 子供の頃、自分が孤立してると感じる時は、自分が「内側」で周囲の人間が「外側」だと思ってたな、ってことを思い出しました。
    なので、疎外される自分が「外側」にいて、他の人たちを「内側」に一括りにまとめるアンナの心象が私とは正反対なのが面白かったなあ。
    自分を中心にして考えてたって意味では、私の方が子供らしい可愛げあったんじゃないの~(笑)。

    他人にどう見えるかを意識して表情を取り繕うところとか、大人の些細な言動を一つ一つ論うところとか、「ああ、こういうことが自分にもあったなあ」とノスタルジックな感傷に浸りながら読んでいくと、来ました、謎の金髪美少女、マーニー。

    映画は見ていないのですが、予告版で見た映像と原作の世界観がかなりマッチしていたような気がしました。最初にあのビジュアルイメージが前提にあったからそう感じたのかな。そりゃそうなるか。
    マーニーとアンナの脈絡のない会話や唐突な場面転換を、映画ではどう表現してるんだろう。と、ちょっと見たくなりました、映画。

    ですが、不幸なのは私が既にネタバレを見てしまったことです。
    ミステリアスなマーニーとの交流が描かれる前半と、
    マーニーがいなくなった後で彼女とアンナの意外な接点が語られる後半という、
    ファンタジーっていうよりこれ最早ミステリじゃないの~!というような作品のネタが既に割れていたという不幸…(ToT)うおー

    ジャンル的にはミッシングリンクものかなあ。「何故、マーニーはアンナだけに見えていたのか?」という謎が、この秘められた繋がりの真相に辿り着いた途端に理解できるミステリです。
    ジブリの宣伝にもあるように、「彼女」は「あの入江で、待ってい」たんですね…。

    そして、アンナが亡き家族に対して抱いていた殺伐とした思いが、一気に氷解する謎解きのラスト。どうして私を置いていったの、という幼い頃からアンナが抱いていた悲しみが昇華していく様が心を震わせます。
    アンナが最後に手に入れた未来への希望と、マーニーの辿った人生のコントラストに、悲しくも深い家族の愛を感じました。



    親代わりのプレストン夫妻のはからいで、田舎で夏を過ごすことになったアンナ。そこで出会った少女マーニーと親友になったアンナは、ミステリアスでチャーミングな彼女に魅了されるが、やがて嵐の夜に2人の関係が一変する事件が起こり…。

  • 主人公アンナの揺れ動く心情が繊細に描かれていて、しっとりと読めた本でした。
    静かな風景にひっそりとした洋館のある風景が素敵でした。
    アンナの、思春期に誰しもが抱える疎外感の描写にはとても共感。
    マーニーの無邪気で掴み所のない、魅力的な振る舞いが脳裏に焼き付いて、印象的な本でした。
    また読み返したい一冊です。

  • 読み終わった後、不思議な感覚に襲われる。
    「あぁ、そうか。そういうことだったのか」と直ぐに結びつく部分と、まだまだ理解し切れてない部分とがある。(これは私の読解力の問題)

    ともかく、マーニーとアンナの不思議な繋がりに感動させられるし、登場人物達の他者を想う気持ちに心が温められる。

    アンナの目線で描かれていた“外側”と“内側”の世界。きっと誰しもが感じたことのある感覚であって、いまだって感じている人もいるかもしれない。けど、これを読んだ後は、くっきり分かれていたこの二つの世界を、違った視点で見ることができるんじゃないかな。

    世界は、思っているよりも、優しい気持ちで溢れている。そう思えた一冊でした。

  • 英語でのタイトルは"When Marnie Was There"。

    これを『思い出のマーニー』と訳すのって、すごいと思った。私だったら『マーニーがいたとき』だな(笑)

    マリアンナという名前もよく考えられていると感じた。

    ※映画では違うけど・・・。映画版はアンナが日本人で場所は北海道の設定。

    「スペイン風の響きもあって・・・」と書かれていたが、marine(海の)という意味もあるのだろう。Marnieはmarineのアナグラムだし。

    みんなは「内側」にて楽しんでいるが、アンナは「外側」にいる・・・そうだ。「内側」「外側」というのはよくわからないけれど、すぐにグループ化する女子たちについていけず、常に独りでいるような状態はよくわかる。私もそうだった。特に小学生のときは・・・。

    アンナはリンゼイ一家と仲良くなり、「内側」にも入れるようになるが、これまで関わってきた周りの人たちの何がいけなかったんだろう。プレストン夫人は心配性すぎて、なんか嫌なのはわかるけど(笑)ペグおばさん・サムおじさんは割とほったらかしにしておいてくれたはずだ。

    「じゃあ、結局だれがいけなかったの?」眉をひそめて絨毯を見おろしながら、ジェインが訊いた。「だれとも言えないわね、それは。」ギリーは答えた。「あなたもわたしくらいの歳になると、これはだれそれの責任、あれはだれそれの責任、って言えなくなると思う。長い目で見ると、責任のありかはそうはっきりしなくなるから。責任はどこにでも押しつけられるだろうし、どこにも押しつけられないかもしれない。どこから不幸がはじまるか、なんてだれにも言えないんじゃない?」
    p335・336より

    ・・・こういうことなのだろうか。

    初めて会う子にも関わらず、すぐに「内側」に入れてくれるようなおおらかさ、寛大さ。私もリンゼイ夫人のようなお母さんになりたい(*´∀`*)

  • 子供の時に読んでいたらどう感じたのか、もう知り得ないけれど、大人になった今、感じることが沢山ある作品でした。翻訳の方の言葉の選び方も素敵ですね。
    私はとても好きです。
    切なく悲しいこともありながらも、これは幸せな物語。素晴らしい作品だと思います。女の子の子供ができたら子供のうちに、読ませてあげたいです。

  • 映画見てきて、その後に本を読みました。
    本は、複数の出版社から出ています。ハードカバーの青い本が気になったけど、文庫本があるので断念。
    こういう翻訳文学で、児童文学なら、新潮文庫が堅いかなということで、新潮文庫版をチョイスしました。
    岩波版の「です・ます」調の翻訳にも、ちょっと引かれたのですが。

    まずは、映画の感想ですが、すぐに原作本を購入して読んでいるのからわかるように、かなり気にいりました。

    映画を見にいく数日前に、多分この映画のプロモーションとしてテレビで同じ監督の「借りぐらしのアリエッティ」をやっていて、そっちは、ものすごく「なにか足りない」感が多くて、これは、「マーニー」見にいくのやめた方がよいかもしれないなぁと思ったりしていたのですが。
    「マーニー」は、「アリエッティ」とは、比べものにならない位の完成度でした。

    「トトロ」は、びっくりするぐらい事件がほとんど何も起こっていないにもかかわらず、見入ってしまう映画でした。
    「アリエッティ」は、逆に、いろんなことが起こっているわりに、感想が「それで?」みたいな感じの映画でした。人間関係や物語のなにかもかもが宙ぶらりんのまま、でも、アリエッティは引っ越しして終わりってどういうことよという思いが。まあ、それがリアルと言っちゃあリアルなのかもしれないし、あの小人がでてくるファンタジーでリアルさを感じるというのはある意味、すごいことなのかもしれませんが、なんか、もっとちゃんとしたお話に出来るだろう感が強かったのです。
    で、「マーニー」ですが、動きだけでいったら、その「アリエッティ」よりも動かない映画です。でも、ドラマは、「アリエッティ」よりもあるのです。

    まあそれは、こっちのストーリーが、わたしにとって好みのだというだけかもしれませんが。
    基本、わたしの物語を読むって、感情移入なんだけど、それが、いきすぎちゃった感じ、引きずられすぎるぐらい引きずられる感じがあります。
    映画を見ていて、あの画面に映っているのが、杏奈か自分かの見分けがつかなくなっちゃってる感じになりました。
    だから、本当は、いい映画かどうかなんてわかんないんですよ。
    でも、いい映画かどうかなんでどうでもいいぐらいに、自分の深いところに刺さったのは事実です。
    だから、映画が、あのいい感じのところに、無難なところに着地してくれなかったら、今頃、うつになっているんじゃないかとすら思います。

    魔法の輪の外側にいるって、わたしの中では、みんなの周りに輪があってそこに自分が入れていないイメージではなくて、自分の周りに輪があって、そこに自分しかいないイメージなんですよねぇ。
    輪の中には自分しかいない。そして、ここが外側だ。意味わかんないかもしれないけれど。

    まあでも、その輪の外側にいる感覚というのは、けっこう誰もが感じている普通の感覚という気もするんですけどね。

    そして、輪の中に入るっていうのは、誰かの輪に入れてもらうことではなくて、実は、この自分に向かって閉じている自分の輪を少しだけ広くして、少しだけだれかを入れるっていう事なんですよねぇ。
    それが、わたしらにはどんだけ抵抗のあることかを思い知らせてくれる映画でもあります。
    だから、最初は、そのわたしのいる(杏奈のいる)「外側」に入ってくるのは、たった1人だし、マーニーのような「秘密の友だち」であるのです。

    その存在が事実や、生身の人間であったかどうかは問題ではないのです。
    その時に、自分の全身全霊をかけて、「信頼にたる人と出会うことが出来た」という経験は、事実であろうとなかろうと、るその人のなかの真実なのですから。

    まあ、いつ杏奈が、廃墟になった湿っ地屋敷で、白骨化したマーニーに出会うんだろうかとか、映画みて... 続きを読む

  • 映画に感動して、すぐ原作を読み比べてみた。
    時空を超えてマーニーと出会い、友情をこえた愛情を確かめながら成長していくアンナ。マーニーは、空想の人物なのか、それとも実在する人物なのか?いったい何者なんだろう、という謎が、物語の後半で、しだいに明らかになっていく。すべての謎が、アンナの出生の秘密とともに解けたとき、安堵感とともに不思議な感動を覚えた。映画とセットで読むと二度感動できて、おすすめ。

  • 世界には円の内側と外側に分かれている。主人公のアンナは外側でうまく周りの愛情に反応できずにいた。そんな彼女を自分の親戚であるペグ夫婦のもとへ夏休みを前倒しして向かわせることにした夫人と、列車の扉の前で分かれるところから物語は始まる。心配性の夫人に素直に別れを惜しめなかったことにどこか罪悪感を抱きながら遠くの海辺の町への旅を“つまらなそうな顔”を浮かべコミックを読み耽り揺られて進む。
    アンナはこの夏休みに一人の不思議な少女マーニーと出会い、心を開いていく。夜の海で浮かべたボート、早朝のキノコ狩り、パーティーでの花売りの一幕、浜辺での二人の想像の家造り、そして風車小屋での嵐と、その時のマーニーの裏切りとそれでも消えなかった彼女との友情。別れ。
    彼女を失って知っていくマーニーの秘密、孤独、そして伝えられる唯一の愛情の繋がりと、そこから広がっていくアンナの人生の光。
    一人の少女の成長といつかの少女の救済の物語。

    映画を見てからすぐ読み出し、最初は海外もの、しかも少女小説なんて久しぶり過ぎて時間かかりそうだなと思っていたのが、読みだして、小学低学年の時に夢中になった赤毛のアンの読みやすさを思い出した。
    穏やかで瑞瑞しい文章と、少女たちの無理のない心の揺れ動き。読んでよかった。映画とはまた違うあたたかさ。

  • 子どものときに読んで非常に印象深かった本の一冊である。ジブリで映画化されたので再読。子どものときはそのゴシックホラー的な要素に惹かれたが、〇十年経過しての再読では、周囲に心を閉ざし攻撃的になる主人公のアンナが心をひらいていく様、馴染もうとしないアンナに振り回される大人たちの心の痛みがデリケートに描かれているところに、惹かれ、涙。良書である。あとがきを読んで、同じく子どものときの愛読書で雰囲気の違う「くまのパディントン」の同じ著者だと知ってビックリ。

  • 誰かに愛して欲しい気持ちと、愛されてはいないという思い込みがこじれて世を拗ねてしまった少女アンナ。
    療養先の田舎で出会った少女マーニーと、夢か現か境がはっきりしない日々を過ごすうち、アンナはマーニーを愛することで成長していく…その様子を読んでいくことは、過去の自分の細かな傷を癒すような体験でした。
    子供時代を取り戻すなんて不可能だと思っていた私ですが、最近は様々な形で昔の自分をもう一度育て直すことが出来るのではないかと実感しています。
    この物語も、そんな中のひとつの導きでした。

  • いつもつまらない顔をして頑張ろうとしないアンナは夏のバケーションをイギリスの田舎町で過ごす。そこでマーニーという金髪の美しい少女と出会い、入り江でボートに乗ったり一緒に砂浜で砂の家を作ったりしながら本当に求めていた友達はこういうものだと感じる。
    ある日マーニーの怖がっていた風車にいくとマーニーが先にいて怖がっており、一緒に降りようとするが恐怖のあまりマーニーは降りられず2人とも眠ってしまう。アンナが気がつくとマーニーはいとこのエドワードと風車を出て行き、アンナは置いていかれてしまう。そのあとマーニーの部屋の下に入り江からいくと、マーニーはその家を離れなければならないと言う。怒っていたアンナだが、マーニーを許し、マーニーはアンナが熱を出していた間にいなくなってしまう。
    その家に別の家族が越してくることになったが、その前は誰も住んでいなかったという。その家の子供達も仲良くなり遊んでいると、そこの家のプリシアがマーニーの日記がはっけんしたと言った。その家の叔母さんにきくと、マーニーとは友達でよく遊んだが、孤独な少女時代を過ごしたために自分が子供を産んでも愛し方が分からず、娘は事故で死んでしまう。娘の残した孫娘を育てるが、マーニーも途中で死んでしまう。それを聞いてその家の母親がアンナはマーニーの孫であったときづく。

    田舎町の風景が神秘的な雰囲気にぴったりで、吸い込まれた。
    アンナの不器用さにあきれつつでも小さい頃の自分を思い出した。

  • イギリスの入り江のある村が舞台。自分の内にこもっていた主人公、アンナは不思議な少女と出逢い心を開いていく。
    散らばっていた人間関係や過去の出来事が最後に一気につながります。とても良いファンタジーだと思う。

    一昨年、スタジオジブリが映画を作ったんですね。知らなかった!

  • 文体が合わなかった

  • あとがきにもあるように、本作の佳境は夢とこちら側との境を越えるときである。「内側」「外側」とアンナがひとりごちる中で示されるように、彼女は越境に対して機敏な感性を示していた。そのなかで彼女だけにみえた「まぼろし」。そこへたどり着くのは、湖畔(海)を越える航海という方法によるのであった。

    磯鴫の特徴的な鳴き声、アンナに語りかける、現と夢の境に響く声は、『古老の船乗り』のあほうどりにも、イェイツのファンタスマゴリアが描き出す鐘の音にも増す存在感。物語の随所にあって読者に「そうだ、これは物語なんだ」と思い起こさせる、気付けのようであった。

  • 大人たちが、みんなで子どもを見守って、あたたかく育てていることが素敵だった。自分も、彼彼女らのように、子どもに寄り添える大人でありたい。

  • ストーリーの結末があっけない。

  • 本当に子ども向け物語であるのかは、甚だ疑問。
    それにしては少し長すぎるような気もする。
    マーニーが何者であるかは、SFやファンタジーではよく見るので、
    それほど意外性はないかも。
    『ドラえもん』程度のSFの知識があれば、先が読めてしまう。
    物語は手堅くまとめられているし、訳も読みやすい。
    全体としては良書だと思う。

  • これだけ映画やら新訳やらで巷の話題になっていると多少のネタバレも耳に入って来てしまったけれど、後味よろしい児童書らしく良かったと思います。リンゼイ一家と仲良くなれた下りは気持ち良いものでした。アンナの方には全てが分かってスッキリと明るい未来に踏み出せるけれど、マーニーの人生は?母の人生は?と思いを馳せると、どうだったのでしょう…。本と映画どちらが良いかは、さて置いて、映画も観てみたくなります。

  • ジブリ映画原作、アンナは療養のためロンドンから自然豊かなノーフォークへ、みんなは“内側”私は“外側”、湿地の館、マーニー、物乞いの少女、「あたしを探して」、キノコ狩り、風車小屋が怖い、置き去り、リンゼイ一家、プリシラの秘密、マーニーの日記、ウィンターマン、おばさま招待、ギルのお話…映画はまだ観てない。

  • 【内側】と【外側】の人間。
    自分は外側の人間だから内側の人たちがどうしていようとどう思っていようと関係ないという、孤独なアンナ。そんな彼女は保養先で不思議な少女マーニーと出会う。
    マーニーと過ごした日々は結局現実だったのか夢だったのか。とても不思議な話である。アンナが小さい頃にマーニーの話を聞いていたから、こういうことが起きたのか、孤独なアンナになにか共鳴して起きたのか、そんなことを突き止めるのは野暮であろう。
    ともあれ、自分は孤独な人間で何においても卑屈な考え方のアンナがリンゼイ家との出会いで素敵な女の子になってよかったと思う。巡るべくしてリンゼイ家、ギリーさんと出会ったのだろうなあ。
    これを読んで、湿地の館がどのように映画で描かれているのかがすごく気になるところ!
    個人的にリンゼイ家のご夫人が魔女宅でいうオソノさんのような素敵な人でお気に入りです。

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思い出のマーニー (新潮文庫)の作品紹介

みんなは“内側”の人間だけれど、自分は“外側”の人間だから――心を閉ざすアンナ。親代わりのプレストン夫妻のはからいで、自然豊かなノーフォークでひと夏を過ごすことになり、不思議な少女マーニーに出会う。初めての親友を得たアンナだったが、マーニーは突然姿を消してしまい……。やがて、一冊の古いノートが、過去と未来を結び奇跡を呼び起こす。イギリス児童文学の名作。

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