思い出のマーニー (新潮文庫)

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制作 : Joan G. Robinson  高見 浩 
  • 新潮社 (2014年6月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (362ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102185513

思い出のマーニー (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 岩波少年文庫ではなく、新潮社文庫から別訳が出ていましたので読んでみました。

    入江に建つ古い屋敷を通じて、マーニーとアンナだけに交錯する過去と今の時間。心を閉ざしたアンナがマーニーと過ごす間に、自分と同じ孤立した存在を鏡のように映し出す。

    そしてマーニーと分かれた後、その記憶が薄らいでいくと共にアンナの心が周囲との関わりを保てるようになっていく。

    ”自分の物語が描けるようになる”これは、心理療法家、河合先生の言う統合と安定の過程。岩波の特装版には河合先生の書評も付いているようで、これも是非読んでみたい。

  • 気になるなぁ、面白そうだなぁ、と10代の頃から読みたいと思い続けていたこの作品。躊躇していたのは、岩波少年文庫版が上下巻だったこと。それだけで尻込みしちゃって、読破できるか何だか自信がなかったのだ。
    ようやく読んでみようと思い至ったのは、今回新訳が発刊されたこと(1冊にまとまったことでお財布的に嬉しい)、そのあとがきで、大好きなタイムファンタジーの金字塔、「トムは真夜中の庭で」と比較されていたこと。大人向けの新訳にも興味が湧き、手に取ってみた。
    家族を亡くし、養父母と暮らすアンナは、ひと夏を自然豊かなノーフォークで過ごすこととなる。孤独な心を抱えるアンナは滞在先の近所の子供ともぎくしゃくし、ますます心を閉ざすのだが、そんな矢先、マーニーという不思議な少女と出会う。
    マーニーと出会うきっかけとなる「湿地の館」周辺の描写にはそそられる。謎に包まれているけど、風格のある佇まい。潮の満ち引きで、周辺を水で満たされる館は独特の存在感だ。ボートの漕ぎ方を教わったり、あるときは館のパーティーに物乞いの少女として参入したり…マーニーとの交流により、頑なだったアンナの心は少しずつほぐれていく。
    だけどやっぱり、マーニーって何者?という疑問は膨らんでいく。お金持ちの娘っぽいことは確かだが、二人の会話や感覚の微妙なずれから、どうやら時間軸もずれてはいないか?と、タイムファンタジー好きの読者なら気付くだろう。
    とある事件を境に、マーニーと会えなくなるアンナ。心にぽっかり穴を抱えた彼女にまた新たな出会いがあるのだが、まさかその出会いがマーニーの謎を解き明かすきっかけとなるとは…。
    全てが明らかとなるハイライトは圧巻。まさかまさかの連続である。全体的に見れば、冗長な部分もあり、登場人物の心情の変化の描写がもう少し欲しい部分もありだけど、そういったところを差し引いても十分読み応えのある作品に仕上がっている。神秘的かつ幻想的な「湿地の館」がイギリス児童文学っぽいなと。後半でアンナと出会う5人きょうだいは、ロビンソンの絵本作品を彷彿とさせました。末っ子のロリーポーリーがとてもかわいい!
    そして訳者あとがきも興味深く読んだ。「トムは真夜中の庭で」に設定が若干似てるなと感じたのだが、「ロビンソンは古き皮袋に新しき酒を盛ることで、イギリス児童文学の伝統にまた一つかぐわしい花を添えた」には納得。似てはいても物語の方向性とかキャラクターの性格等は異なっており、その違いによるそれぞれの作品の個性も素晴らしく、勿論どちらもとても好きな作品であることは間違いない。
    元祖である岩波少年文庫版、後発の新訳角川文庫版(こちらは表紙が素敵)と、本屋の店頭でちょこちょこ比べてみました。(表現の微妙な違いを見つけるのが楽しい。)そうなると、原書も気になるというもの。読破する気力も英語力もないので、チラ見するだけでも、原文の雰囲気を味わってみたい。
    ひと夏の少女の心の成長物語としても秀逸なこの作品、何となく生きにくさを感じる少年少女は勿論、大人たちの心にも響くこと間違いなし。自分の存在を肯定することの大切さを、本書は教えてくれる。

  •  ひと夏の間ノーフォークで過ごすことになった孤独な少女アンナ、そこでアンナはマーニーと名のる不思議な少女と出会い仲を深めていくのだが…

     入り江の様子、海の近くの大きな館、そして風車小屋など情景が非常に豊か。そしてアンナの心理描写もしっかりと描かれています。
    訳者あとがきによるとこの描写は著者自身の体験が投影されているらしく、そのためか風景描写も心理描写も非常に鮮やかに自分の中で想像できました。

     アンナとマーニーは友情を深めていきながらも、ある日唐突な別れを迎えます。そして話は徐々にマーニーとは何者だったのか、という謎に話が移っていきます。

     話としてはファンタジーの部類に入るのかな、と思いますが、マーニーの正体に徐々に迫っていく様子はミステリ的でもあります。そしてすべての謎が解けたとき、アンナが今まで抱いていた思いが鮮やかにひっくり返されます。

     アンナとマーニーが友情を深めていく様子、マーニーの正体が明らかになるとともに感じる暖かさ、そしてアンナの変化は児童文学と言えども読みごたえは十分! 
    そして何より読み終えた後、心の中に暖かな風が吹いたかのように、爽やかで少し幸せな気持ちになれた一冊でした。

  • 映画を見てから読んだので、映画版と原作の違いがくっきり浮かび上がってきた。
    もちろん、どちらも、思春期の入り口にいる女の子の繊細な感情を見事に描いているのだが、原作はイギリスの女の子、映画は日本の女の子、ということで、そのメンタリティの違いがとても興味深かった。
    映画の杏奈は、「自分は普通じゃない」というヒリヒリした気持ちにとらわれていて、だから誰からも好かれていないのだと思っている。それは傍から見ると被害妄想のようにも見えるし、なぜそこまで頑なになってしまうんだろうと、痛々しく感じられるのだが、原作のアンナはもう少し積極的な感じがした。自分の方から他人を拒否しているのだ、という強い気持ちがあるようなのだ。だから、「あえて」一人でいる。
    物語のクライマックスとも言える「マーニーがアンナ(杏奈)を置き去りにした(ように見える)事件」での、杏奈(アンナ)の反応は、似ているようで、でも少し違う。原作のアンナは「私を置き去りにした、という裏切りが許せない」と怒るのだが、映画の杏奈は「ひどいよ」と嘆くのだ。
    後半のプリシラとの出会い編は、いかにも外国の児童文学という感じで、遊び方や付き合い方が、「赤毛のアン」を思い出させる。日本の子はあんなふうな付き合い方はまずしないだろうなあ。
    小説は、幻想的で、かつ微笑ましい少女の成長物語である。先に読んでいたら、映画の印象もまた変わったかもしれないが、舞台を日本に移したことで、とても良く似ているんだけど、微妙に違う「日本の少女」の物語になっていて、ヒリヒリ感は映画の方が強かった。
    いちばん大きな謎も、小説の方だとわりとあっさり扱われているし。映画ではとても重大なこととして描かれていたので、そういうイメージで読んでいたら肩透かしだった。
    ああ、でも、これは、12才くらいのときに読みたかったなと思う。リアルタイムで疎外感を味わっている時に読んだら、どんなふうに感じただろう。

  • 中盤まではダラダラと読み進めていたが、マーニーが出てきた場面からは引き込まれて一気に読破してしまった。そして感想が書きたくなった。

    〝魔法の輪〟の〝内側〟と〝外側〟という表現が興味深い。主人公アンナは、パーティーや親友やお茶に招かれることを素晴らしいと感じるのは〝内側〟の人間であり、自分自身はそれらとは関係のない〝外側〟の人間だと認識している。
    彼女が常に〝つまらなさそうな顔〟を装っているのは、自らの孤独感(という一言では表しきれない気がするが)を必死で隠そうとしているからであるように見える。

    しかし、様々な経験をし、様々な人々と関わった後のアンナは、次のように考える。
    【〝内側〟と〝外側〟という考え方、なんて不思議なんだろう。それは他の人と一緒にいるかどうかとか、〝一人っ子〟か大家族の一員かとか、そんなこととは関係がない――(中略)だから、問題は自分の心の中でどう感じているか、なのだ。】

    この結論に至ったアンナがリンゼイ夫人となす次のやりとりは、胸にぐっと来るものがある。
    【「まあ、どうしたの、その格好!」夫人は叫んだ。「ずぶ濡れじゃないの!いったい何をしていたの?こんなお天気なのに、外にいたの?」
    「ええ」アンナは笑った。でも、いまは『内側』にいます!】

    こうしたアンナの変容・成長をもたらした一人であるリンゼイ夫人にも注目したい。
    夫人は、家を訪ねてきたアンナに対し、「ちょうどよかったわ、これをたたんでくれない」と毛布を投げてよこす。「用事をたのまれたのが嬉しくて」、アンナは「いそいそと」その毛布をたたむ。
    「あなたの存在は私の中ですでに自然のものとなっている」「あなたを必要としている」というメッセージをさりげなく送ることの大切さが。この場面には表れているように思う。

  • 子供の頃、自分が孤立してると感じる時は、自分が「内側」で周囲の人間が「外側」だと思ってたな、ってことを思い出しました。
    なので、疎外される自分が「外側」にいて、他の人たちを「内側」に一括りにまとめるアンナの心象が私とは正反対なのが面白かったなあ。
    自分を中心にして考えてたって意味では、私の方が子供らしい可愛げあったんじゃないの~(笑)。

    他人にどう見えるかを意識して表情を取り繕うところとか、大人の些細な言動を一つ一つ論うところとか、「ああ、こういうことが自分にもあったなあ」とノスタルジックな感傷に浸りながら読んでいくと、来ました、謎の金髪美少女、マーニー。

    映画は見ていないのですが、予告版で見た映像と原作の世界観がかなりマッチしていたような気がしました。最初にあのビジュアルイメージが前提にあったからそう感じたのかな。そりゃそうなるか。
    マーニーとアンナの脈絡のない会話や唐突な場面転換を、映画ではどう表現してるんだろう。と、ちょっと見たくなりました、映画。

    ですが、不幸なのは私が既にネタバレを見てしまったことです。
    ミステリアスなマーニーとの交流が描かれる前半と、
    マーニーがいなくなった後で彼女とアンナの意外な接点が語られる後半という、
    ファンタジーっていうよりこれ最早ミステリじゃないの~!というような作品のネタが既に割れていたという不幸…(ToT)うおー

    ジャンル的にはミッシングリンクものかなあ。「何故、マーニーはアンナだけに見えていたのか?」という謎が、この秘められた繋がりの真相に辿り着いた途端に理解できるミステリです。
    ジブリの宣伝にもあるように、「彼女」は「あの入江で、待ってい」たんですね…。

    そして、アンナが亡き家族に対して抱いていた殺伐とした思いが、一気に氷解する謎解きのラスト。どうして私を置いていったの、という幼い頃からアンナが抱いていた悲しみが昇華していく様が心を震わせます。
    アンナが最後に手に入れた未来への希望と、マーニーの辿った人生のコントラストに、悲しくも深い家族の愛を感じました。



    親代わりのプレストン夫妻のはからいで、田舎で夏を過ごすことになったアンナ。そこで出会った少女マーニーと親友になったアンナは、ミステリアスでチャーミングな彼女に魅了されるが、やがて嵐の夜に2人の関係が一変する事件が起こり…。

  • 主人公アンナの揺れ動く心情が繊細に描かれていて、しっとりと読めた本でした。
    静かな風景にひっそりとした洋館のある風景が素敵でした。
    アンナの、思春期に誰しもが抱える疎外感の描写にはとても共感。
    マーニーの無邪気で掴み所のない、魅力的な振る舞いが脳裏に焼き付いて、印象的な本でした。
    また読み返したい一冊です。

  • 読み終わった後、不思議な感覚に襲われる。
    「あぁ、そうか。そういうことだったのか」と直ぐに結びつく部分と、まだまだ理解し切れてない部分とがある。(これは私の読解力の問題)

    ともかく、マーニーとアンナの不思議な繋がりに感動させられるし、登場人物達の他者を想う気持ちに心が温められる。

    アンナの目線で描かれていた“外側”と“内側”の世界。きっと誰しもが感じたことのある感覚であって、いまだって感じている人もいるかもしれない。けど、これを読んだ後は、くっきり分かれていたこの二つの世界を、違った視点で見ることができるんじゃないかな。

    世界は、思っているよりも、優しい気持ちで溢れている。そう思えた一冊でした。

  • 英語でのタイトルは"When Marnie Was There"。

    これを『思い出のマーニー』と訳すのって、すごいと思った。私だったら『マーニーがいたとき』だな(笑)

    マリアンナという名前もよく考えられていると感じた。

    ※映画では違うけど・・・。映画版はアンナが日本人で場所は北海道の設定。

    「スペイン風の響きもあって・・・」と書かれていたが、marine(海の)という意味もあるのだろう。Marnieはmarineのアナグラムだし。

    みんなは「内側」にて楽しんでいるが、アンナは「外側」にいる・・・そうだ。「内側」「外側」というのはよくわからないけれど、すぐにグループ化する女子たちについていけず、常に独りでいるような状態はよくわかる。私もそうだった。特に小学生のときは・・・。

    アンナはリンゼイ一家と仲良くなり、「内側」にも入れるようになるが、これまで関わってきた周りの人たちの何がいけなかったんだろう。プレストン夫人は心配性すぎて、なんか嫌なのはわかるけど(笑)ペグおばさん・サムおじさんは割とほったらかしにしておいてくれたはずだ。

    「じゃあ、結局だれがいけなかったの?」眉をひそめて絨毯を見おろしながら、ジェインが訊いた。「だれとも言えないわね、それは。」ギリーは答えた。「あなたもわたしくらいの歳になると、これはだれそれの責任、あれはだれそれの責任、って言えなくなると思う。長い目で見ると、責任のありかはそうはっきりしなくなるから。責任はどこにでも押しつけられるだろうし、どこにも押しつけられないかもしれない。どこから不幸がはじまるか、なんてだれにも言えないんじゃない?」
    p335・336より

    ・・・こういうことなのだろうか。

    初めて会う子にも関わらず、すぐに「内側」に入れてくれるようなおおらかさ、寛大さ。私もリンゼイ夫人のようなお母さんになりたい(*´∀`*)

  • 子供の時に読んでいたらどう感じたのか、もう知り得ないけれど、大人になった今、感じることが沢山ある作品でした。翻訳の方の言葉の選び方も素敵ですね。
    私はとても好きです。
    切なく悲しいこともありながらも、これは幸せな物語。素晴らしい作品だと思います。女の子の子供ができたら子供のうちに、読ませてあげたいです。

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思い出のマーニー (新潮文庫)の作品紹介

みんなは“内側”の人間だけれど、自分は“外側”の人間だから――心を閉ざすアンナ。親代わりのプレストン夫妻のはからいで、自然豊かなノーフォークでひと夏を過ごすことになり、不思議な少女マーニーに出会う。初めての親友を得たアンナだったが、マーニーは突然姿を消してしまい……。やがて、一冊の古いノートが、過去と未来を結び奇跡を呼び起こす。イギリス児童文学の名作。

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