- Amazon.co.jp ・本 (427ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102273036
作品紹介・あらすじ
1939年夏の魔法の一日、ウィン・ベリーは海辺のホテルでメアリー・ベイツと出会い、芸人のフロイトから一頭の熊を買う。こうして、ベリー家の歴史が始まった。ホモのフランク、小人症のリリー、難聴のエッグ、たがいに愛し合うフラニーとジョン、老犬のソロー。それぞれに傷を負った家族は、父親の夢をかなえるため、ホテル・ニューハンプシャーを開業する-現代アメリカ文学の金字塔。
感想・レビュー・書評
-
両親の出会いからはじまって、ホテルを経営するという父さんの夢を、家族が協力して叶えていくお話。家族の歴史。
さまざまな事件が家族を襲う。
ホモ、レイプ、近親相姦…、何でもありだけど、読んでいて決して暗い気持ちにならない。むしろ晴れ晴れしてしまう。何でもありでいいんだ、って納得してしまう。全てがおとぎ話のように、楽しく思える。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
変人と奇想天外な事件ばかりの現代アメリカ小説、わたしはけっこう好き。コスプレ好きのフランク、気の強いフラニー、筋トレ好きのジョン、小人症のリリー、耳の遠いエッグ。十五歳のジョンは、大晦日の夜、自分たちは変人だと気付く。家族以外の人間に自分の家族を紹介する際に「恥ずかしさ」を感じるからだ。また飼い犬ソローは死後、剥製にされる。ソロー(悲しみ)がいる一家には悲しみがつきまとう。ホテルニューハンプシャーの宿泊客はおらず、売ってしまう始末。そんな調子で下巻へ。
p218
フラニーはまた風呂にはいりたいと言った。ぼくはベッドに寝ころがって、バスタブに湯が一杯になっていく音に耳をすませた。それから起き上がって、バスルームのドアのところへ行き、何か要るものがあったら持ってきてあげると言った。
「ありがとう」彼女は低い声で言った。「外へ行って、昨日と、それから今日の大部分を持ってきてちょうだい 」彼女は言った。「それを返してほしいわ」
「それだけかい。昨日と今日だけ?」
「それだけよ」彼女は言った。「恩にきるわ」
「ぼくにできれば、そうするよ、フラニー」ぼくは彼女に言った。
「わかってる」彼女は言った。彼女がゆっくりバスタブに沈むのがわかった。「あたしは大丈夫」彼女は囁いた。「あたしのなかのあたしは誰も取りはしなかった」
「愛してるよ」ぼくは囁いた。
彼女は返事をしなかった、そしてぼくはベッドに戻った。
p251
そしていっかな雨の降る気配はなかった。-ただのひとしずくも。-
羽さんの感想を読んで、『外国の小説は難しそう……』と、食わず嫌いな自分でも、ちょっと読んでみたくなりました(*^^*)羽さんの感想を読んで、『外国の小説は難しそう……』と、食わず嫌いな自分でも、ちょっと読んでみたくなりました(*^^*)2022/11/15
-
-
確か「サラバ!」を読んで、この作品に興味を覚え読みはじめた。
なんとなく作風が「サラバ!」と似ている。
奇想天外なストーリー。下巻も楽しみ。 -
おもしろいかどうかはさておき、
これがアメリカ文学というのならば、この国に生まれなくてよかった、というのが率直な感想。 -
サラバ 中
別格だった
須玖が読んでいる本をはじめて見せてもらった -
楽観が必要な、過酷な出来事が続く。切なすぎる、と何度も嘆息した。下に続くが、物語はどうなるのだろう。ここに帰って来られるのだろうか。
-
我が家の中では家族で、普通で、筋が通っていても、他人に対しては恥ずかしい。
464回。 -
信じられないくらいいろんなことが一家に起こるという触れ込みで読んだけど、想像をはるかに超えてきた。次々起こる事件がもれなく過去最大を更新していき、結果、その前の出来事が何事もなかったかのように思えてしまう。対する一家がとても淡々と全てを受け入れていて、人生の残酷さと人間の不屈さを感じる。これが小説であり、物語体験なのかもしれない。
-
西加奈子のサラバに出てくることから興味を持ち読んでみた。アメリカ文学と言えば、トムソーヤの冒険やグレートギャッツビー、ライ麦畑でつかまえてなどに描かれる古き良きアメリカの印象があったが、この作品の粗野で下品でそれでいて幻想的かつ生き生きとした描写には驚かされた。自分はコネチカットとニューヨークに通算7年住んでいた事があるが、この本に描かれるベリー家の生活の生々しさって本当に当時のアメリカの北東部の雰囲気なんだろうか。むしろ作者が人間の生活を裸にして取り繕うことなくありのままに表現するとこういう作品になるのだろう。
-
先月読んだ西加奈子の『サラバ!』で、主人公とその高校時代の親友が愛読していたのがこの本でした。セリフもいくつか引用されており主人公が立ち直るきっかけにもなる重要アイテム。それでジョン・アーヴィングは随分昔に『サーカスの息子』を読んだきりで、そういや有名な他の作品を読んでいなかったっけと思い、いまさらのようにホテルニューハンプシャー。
父母の出逢いから語り起こされる、基本的にはベリー一家のファミリーヒストリー。語り手は次男のジョン。大柄なのに内向的で友達のいない兄フランク、気が強く個性的だが男にモテる姉のフラニー、大きくならない妹のリリー、まだ幼い末っ子のエッグ。ずっとラブラブな両親と、高校のフットボールコーチをしているマッチョめのお祖父ちゃん(父の父)ボブ、父がフロイトという謎のユダヤ人から譲り受けた熊のアール、おならばかりしている臭い犬のソロー、が一家の構成員。
両親はハイスクール時代にリゾートホテルでの夏休みのアルバイトをきっかけに恋に落ち、それが最終的に父の「ホテル経営」の夢へと繋がる。序盤は熊のアールにまつわるエピソード中心で、何に驚くって熊をふつうにペットとして飼えること。もちろんこの熊は野性ではなくもとはサーカスで芸を仕込まれた賢い熊だけれど。家族の一員のようだったアールの最期は切ない。
そしてなんやかんやでホテルニューハンプシャーを立ち上げた父、しかしハロウィンの夜、その魅力ゆえにフラニーをある悲劇が襲う。個性的なホテル従業員たち、セクシーなメイドとの初体験、悲しみ(ソロー)という名の犬が剥製になってなお巻き起こす騒動など、語り手のジョンが「第一次ホテルニューハンプシャー」と名付けた時代までの悲喜こもごも。
そしてフロイトの招きでウィーンに引っ越すことにした一家を、またしても悲劇が襲う。上巻ラストはその悲劇のあまりのあっけなさに呆然とした。家族はある意味奇人変人だらけだけれど、彼らにとってはそれが家族というものだし、気の合わない相手がいたとしても兄妹たちは結局なんやかんやで仲が良い。『サラバ!』で引用されていた部分など、家族というものにたいする全肯定がさりげなくて良い。 -
ひとりひとりのつらく悲しい健気さが、
家族というフレームを通すことで、
静かな温もりとなって心に沁みてくる。 -
ホモの長男、近親相姦の次男と長女。難聴の三男、小人症の次女。
もう小説というものに含まれるすべてのトピックを含む小説。
なのに、気持ち悪いおなかいっぱいにならない。かなしくおなかいっぱいになる。
*「永久にねじで固定される」
*「もう少しおとなになる必要があるわね。おとなは子どもみたいにすぐにはもどれないのよ、わかる?」
*「結末は見たくないわね。母さんはハッピーエンドがいいわ」すると父さんが言った。「ハッピーエンドなんてものはないんだよ」
*「開いてる窓の前で立ち止まらないことね」
どうも私は本の言語選択を誤りがちだ。
原書で読みたい。これは、原書で読むべきだった。
だけど、中野さんの訳が、訳した本だなあという限界は見えるものの、いい具合の日本語を使ってくださっている。きっと中野さんはアーヴィングの感受性をすきなんだろうなと思った。
*悲しみは物みなを親密にするp34
*ソローは沈まないで漂い続ける。それはぼくたち誰もが知っていた。p87
*「どんなものも愛より安全よ」p171
アーヴィングは、どうもいけない。
悲しさやむなしさと、闘おうとも、受け入れようとも、しない。ただ、ヨコに漂わせる、だけだ。
上巻にペットのワンコがSorrow(ソロー;かなしみ)という名なのだけど、そのワンコのように、ヨコにおいておくだけ、だ。
悲しみはただ、動物と違うのは、どこにもいかないこと、死ぬことがないこと、それだけが違うことだけれど。
悲しみと漂って暮らす、こんな名作を読んだら、
俄然生きる気を失う。
頑張る気を失う。
これでいいんじゃないのって思う。
どうでもいいよって思う。
悲しみはなくならないのねと思う。
だけど、奥さんと子供を亡くしたお父さんが言うことばに救われそうになる。
*「人間というものはすばらしいもんだ。どんなことでも折り合って暮らしていけるようになる。」父さんは僕に言った。「われわれが何かを失ってもそこから立ち直って強くなれないんだったら、そしてまた、なくて淋しく思っているものや、ほしいけれど手に入れるのは不可能なものがあっても、めげずに強くなれないんだったら、」父さんは言う、「だったら、われわれはお世辞にも強くなったとはいえないんにゃあるまいかね?それ以外にわれわれ人間を強くするものがあるかね?」p198
もう、何も言わずに生きようと思える。
おすすめは?って言われたら、迷わずしばらくアーヴィングを勧めます。
村上春樹がすごく影響を受けていると、上の数ページ読むだけでも分かるから、春樹フリークの方に特にオススメ。
あと、悲しみとの生き方が、江国香織にも影響与えていると思うのは、私だけかな?(確か、どれかのエッセイで書いていた気がする・・・「泣かない子供」か「泣く大人」あたりで)
-
めまぐるしくやってくる、良いことと悪いこと。
-
強烈な個性を持った8人の家族、その中の一人であるジョン・ベリーの回顧録という形式で綴られる、父のホテル経営を中心にした一家のヒストリー。
ヒストリーの大半は悲劇よりの出来事が多い。人はあっけなく死ぬし、女性はあっけなく、気分が悪くなるように、こういう言い方は良くないけど実に南部アメリカ的に襲われる。読んでいてちょっと辛くなる。
それでもこの作品がすごいのは、語り部であるジョンの性格を通すことで、その悲喜こもごもの皆の人生が、悲しくもコミカルに、そしてその結果、とても淡々とフラットな感じになり、結果として得も言われぬ、本当に得も言われぬような感情を引き起こす。文章の一つ一つがなんてことない日常の記述なのだが、箴言に満ちている。
すごいなあ、と思いつつ上巻読了。
下巻にも期待。 -
ジョン・アーヴィング。
同時代を生きて、新刊が出ると飛びついていた作家の方の一人です。
いつかお会いしようと決めていたのですが、亡くなられましたね。
ストーリーテリングの名手です。小説というより、物語に近い面白さ。どうなるの?どうなるの? で、分厚い上下本を読破してしまいます。
「ガープの世界」を最高傑作とする方も多いですが、ラストの美しさと世界観の優しさで、私は、こちらに一票入れています。 -
孤独を感じたときに読む本。この世で一番やさしい、どうしても避けられずに深く傷ついたときに帰ってきたくなる小説。
-
登場人物のクセの強さ、内容の過激さが好みではなく、読み進めるのが苦しくなってしまった…
表現の良さというのがどうしても頭に入ってこなくて、残念でした
でもいつか下巻まで通読したいな