- Amazon.co.jp ・本 (406ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102294031
感想・レビュー・書評
-
「科学界の良心」こと、カール・セーガン博士の著作。彼の死は本当に早すぎました。
学校での勉強が嫌いだった人、科学と聞くと脳にアレルギーが出る、という人にこそ読んでもらいたい一冊。擬似科学批判の本、というよりは、むしろ勉強=教育が、どれほど大切かということを説いた本です。
「科学とはなんなのか」
「科学で何ができるのか」
「そして、科学には何ができないのか」。
こうした事共が明確に書かれて、説明されています。また同時に「人はなぜ信じてしまうのか」「正しい知識、冷静な判断、批判的思考を欠いてしまうのか」ということも。
第1章「いちばん貴重なもの」だけでも、とりあえず、立ち読みでもいいから読んでおくべき。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まさに啓蒙の書。
ただ、凡人の私には言える。人はなぜエセ科学を信じるのか?それは信じたいからだ。
理論や事実ではなく自分の信じたいものを信じたいから、蝋燭の火に照らされた自分の影を怖がっていたいから、
考えない快楽に身を委ねていたいからだ。 -
ダン・ブラウンにヤバいニセ科学(水からの伝言とか)が出てきてショックを受けた家人が,「カール・セーガンを読まなきゃ」とのことで初セーガン。
翻訳は青木薫さんだったのか…!まず下巻のあとがきを読むがとても読ませる文章でしばし感じ入る。
カール・セーガンもかつてマーチン・ガードナー『奇妙な論理』を読んで「目を開かれた」という。
いささか古すぎる『奇妙な論理』に比べてこちらは地下鉄サリンの直後と比較的最近なこともあって読みやすい。訳者の青木薫さんのおかげも大きいのだろう。
“レーガン大統領は、第二次大戦中ずっとハリウッドで過ごしたにもかかわらず、ナチの強制収容所から人々を解放したときの手柄話をいきいきと語ったものだった。映画の世界に生きたレーガン氏は、自分が見た映画と自分の現実とを混同していたのだろう”260頁
“政治、軍事、科学、宗教の分野で指導的立場にある人が、事実と作り話の区別をつけられないとしたら、大変なことになるのは想像に難くない”261頁
ほんとに危ういなあ,と思う。というか,こんな状態だったのによく人類は全面核戦争で滅びなかったものだ…。
亡くなった両親に語りかける夢の話で始まる第十二章。本書冒頭も両親の話で始まるけど,じんときた。
亡くなった身近な人を懐かしみ個人的に語りかけることと,その気持ちに寄り添うと称して死後の世界等のまやかしを広め,人々から金を搾り取ることとは全然別だよね。 -
科学は絶対ではないが、最善を導く手段である。科学的思考の根幹は批判的精神。示唆に富んでいて、とても勉強になる一冊。
-
長編小説を読む息抜きに、一章ずつ読もうと考えていたが、面白さにつられて、元々読んでいた本の方が脇に回った。十代のうちに出会っていたら進路の指標になり得たかも知れない。
-
上巻
p140
科学的方法という厳しいお目付け役のことがわかってくると、肝心なのは一にも二にも証拠だと思うようになった。重要な問題であればこそ、それこそ水も漏らさぬ証拠が必要なのだ。真実であってほしいと思うなら、その分だけ慎重にならなければならない。目撃者の話だけではだめだ。人はまちがいを犯しもすれば、悪ふざけもやらかす。金銭欲や名誉欲のためには真実を曲げもするし、見たものを勘違いもする。さらには、ありもしないものを見ることさえあるのだ。
p143
レーダーに映った現象のいくつかは「異常伝播」によるものだ。これは、大気温度が逆転したために経路の曲がった電波で、昔からレーダーの「天使」と呼ばれていたものだ――そこにいるように見えながら、実はいないからである。肉眼とレーダーの両方が、存在しないものを捉えることだってありうる。
★チャールズ・マッカイ『群集心理の錯覚と狂気』読みたい
p160
「「あなたはUFOを信じますか?」と尋ねられる。気になるのは、そのきき方だ。どうやら重要なのは信じるかどうかであって、証拠の有無ではないらしい。実際、「UFOが異星から来た宇宙船だという確かな証拠はあるのですか?」と尋ねられることはまずないのである。」
p232
「異端審問所が火あぶりの刑を採用したのは、良き意図で書かれた教会法、「教会は血を流さず」(一一六三年トゥールでの教会会議)に、字句上従うためだったようである。」
p246
「 神々は天から地上に下るものだと誰もが思っている時代には、人は神々の幻覚を見るだろう。身近に悪霊を感じている時代には、男夢魔、女夢魔の幻覚を見る。妖精が広く受け入れられている時代には妖精を目にし、心霊主義の時代には霊に出会う。そして、古い神話が色褪せ、地球以外にも生命が存在するかもしれないという時代ともばれば、寝入りばなに見る幻覚もそうしたものになるということだ。」
p386 科学者が使うトンデモ話検出キット
・裏づけを取れ 事実が出されたら、独立な裏づけをできるだけたくさん取る
・議論する。証拠が出されたら、さまざまな観点の人々に、根拠のある議論をしてもらう
・権威の言うことだからって、当てにしない。「科学に権威はいない。せいぜい専門家がいるだけだ」
・仮説は複数立てろ。仮説をかたっぱしから反証していく。
・自分の仮説を身びいきするな。なぜそのアイデアが好き? ほかのアイデアと公平に比較して、そのアイデアを捨てるべきる遊がないか探す
・定量化する。尺度があれば、数値が出せる
・弱点を叩き出す。論証が鎖のようにつながっているなら、鎖の輪すべてが、前提も含めてきちんと機能していること。
・オッカムのかみそり。「データを同じくらいうまく説明する仮説が二つあるなら、より単純な方の仮説を選べ」
・反証可能性。反証できないような命題にはたいした価値はない→検証できるものでない仮説ではいけない。 -
科学的なものの見方、つまり、「慣れ親しんだ信念であっても、素晴らしいと思えるアイデアであっても、よく検討しなければならない」という考えを推奨しているようだ。それは、科学以外の分野でも応用できる。カール・セーガンの文章力は高く、耳触りが良いので私は大好きなのだが…実行はとても難しい。
-
図書館で借りたのだけど、
ぜひ購入して枕元に常備し気が向いたときに2度・3度と繰り返し読みたい。
1回読んだだけではわしの低性能な頭に入りきらない高度な内容だし、
科学・懐疑主義の重要性を日夜じっくりと考えたい。
しかし、残念ながらこの本は絶版になっているそうだ。
ゆとり教育の弊害なのかどうかわからないが、
日本の子供たちの理数系離れが酷いときく。
最近流行りのあやしいスピリチュアル系、占い本、宗教本などよりも、
こちらのほうがはるかに教育上好ましく価値があると断言できる。
『オー○の○』とか細○数○が出る番組がいかに嘘っぱちかよくわかった。
「トンデモ話検出キット」はとても役に立つ。
相関関係と因果関係を混同したトンデモ話に気をつけなければとハっとさせられた。
自分の学生時代を思い出してみた。
カール・セーガン博士のテレビ番組『コスモス』や彼の著作によって、
科学や天文学に興味をもつようになった。
天文物理学の道に進みたいとさえ思った。
しかし、高校1年のときすでに数学についていけなくなってしまった。
あとは文系街道まっしぐら。
教師は公式や法則を次々と教える(詰め込む)のだが、
それらが、今後の人生や世の中にどう役に立っていくのかを教えてくれた人は皆無だった。
生徒が興味をもつような授業を教師に期待するのは酷なのだろうか?
もし、高校時代の数学や物理の先生がカール・セーガン博士だったら、
目を輝かせてかじりつくように授業を受けることができただろうな。
ないものねだりは充分承知だけれども。
「学校教育は生徒に数学と英語のコンプレックスを植えつけるためにある」
とどこかで読んだことがある。
幸い英語に関しては大丈夫だったけれど、
数学に関してはたっぷりとコンプレックスを植えつけられたなぁ(遠い目)。
こうやって子供たちから理数系に興味を失わせる教育システムは、
日本の将来にとって非常にヤバいのではないかと心配になってくるのである。
こういう世の中だからこそ、
カール・セーガン博士の著作はもっとたくさん読まれて欲しいし、
科学に興味を持つ人がひとりでも増えてくれればと願わずにはいられない。
以上は上下巻とも読んだ感想です。 -
著者の主張はまったくごもっともであり、我々が普段そう思いたいと感じている多くの事実は現実とは厳密には異なるものであり、さらなる科学的思考のもとに精査されるべきものなのだということを教えてくれる。
-
私の生き方に影響を与えた一冊、だと思う。