ティンブクトゥ (新潮文庫 オ 9-13)

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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102451137

感想・レビュー・書評

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  • ペットと主人の絆を“人語を理解する老犬”の一人称視点で描く著者随一の異色作。延々続くMr.ボーンズの思索と全十五頁にも亘るウィリーの語りが炸裂する前半戦は(私的に)オースター作品屈指の難関で、読み進めるのに苦戦したが、後半戦は一気に拓けた展開へ突入していく。従来の様なストーリーテリングの技巧は形を潜めている印象だが、犬視点で紡がれる現世の苦難は読者を作品世界へ誘う牽引力を持っている。悲愴的…否、悲壮的なラストシーンは正に氏の真骨頂と言えるのでは。約束の地<ティンブクトゥ>で二人が再び出逢えるのを祈って―。

  • 視点が斬新で面白い。終始犬の目線で語られている。犬が主人公と言っても可愛らしく癒されるような話ではなく、人生ならぬ犬生についてかなり考えさせられるものだった。また、著者の想像力には驚かされた。エンディングは少し寂しい。代表作とも言われる「ムーン・パレス」 も読んでみよう。訳者柴田さんのあとがきも良い。

  • 淡々と書いてあるけど、感傷的にならずに読めるわけもなく、この終わり方もまた、私にはきつい。
    犬といつも一緒に行動出来ない人間としては、安閑とは読めないラストシーンだった。
    小説は仕方が無いとは思うけど、当たり前の変哲のない犬の生活語ったものって、無いのかしらん

  • 暖かい,平穏な生活を求める,ミスター・ボーンの様子が,とても痛ましく,哀しい

  • 「ミスター・ボーンズは知っていた。 ウィリーはもう先行き長くない。」
     そんな一文から始まる。犬と人間の物語。

    ホームレスのウィリーと、むく犬の「ミスターボーンズ」。ふたりは、アメリカ、東海岸の街(ワシントンや、ボルチモア が出てくる)で暮らしたり、放浪したりしていた。
    ウィリーはやがて世を去り、ミスターボーンズは、ひとり放浪の旅を続ける。“新らしいパートナーはしっかり選べよ” と言い遺したウィリー。ボーンズは、放浪の先々で、新たな人々と出会う。
    中国料理店の息子ヘンリー少年と出会い(裏庭で親に内緒でこっそり飼われ、やがて追い出される。)。パイロットの妻と子供たちの裕福な白人家庭に保護され、つかのまの穏やかな日々。
    しかし、ボーンズは、そうした日々の合間にも、ウィリーの思い出を回想するのだった。

    優しかったウィリーのことを思い続けるボーンズ。
    生活はきつかったけど、彼との放浪は楽しかったなあ、とか、彼は自分の人格を尊重し、信頼してくれたなあ、と思うのである。
    人と犬の関係なのだが、ペットとして愛でるものとは程遠い。“お前はそんな生き方でいいのか?” とか、“誇りを持って生きろ” と問うような。ふたりは、そんな、哲なる対話をするのである。

    犬とヒトの友情をしっとりと描いて泣かせる小説…。
    そんな期待感を抱いて読み始めたのだが、期待値を上げすぎたかもしれない。

    ただ、終章は、切なさが少しばかり胸に迫った…。 
    ウィリーに会いたいという思いをいよいよ募らせるミスター・ボーンズ。“ウィリーは未知の土地「ティンブクトゥ」に旅立った” そう考えるボーンズは、彼に会いたくて会いたくて、彼のもとへ旅立とうとするのだった。

  • かわいらしいわんちゃん写真の表紙と、興味のあったポール・オースターということで購入。
    猫ブームに押され気味の犬諸君、わたしはわんちゃんも応援しています。

    詩人ウイリーの相棒はミスター・ボーンズ。犬だ。
    ウイリーの死後のミスター・ボーンズを犬目線で描く。

    まとめるとこれだけ。
    とても単純。

    この本は、犬目線の物語で想像されがちな、犬らしい仕草に溢れた犬好き大喜びなかわいらしい物語、ではない。
    ミスター・ボーンズは人間と同じように考え行動している。でも犬だから言葉は話せない。犬としての行動を読ませるのではなく、あくまでミスター・ボーンズは犬の姿をした人間なのだ。そこが犬目線の物語ではあっても、この作品が他と違う点。
    飼い主と犬というより男と男。
    相棒を亡くしたひとりの男の物語という感じがする。

    こう書くと男と犬の友情物語という感じがするがそれだけではない。
    ウイリーが行き倒れになり恩師ミセス・スワンソンと再会するところをミスター・ボーンズはハエとなって見ていたりする。
    こういう不思議なところがポール・オースターらしいのかもしれない。オースター初読みなのでよくわからないけれど。

    ところで、タイトルの意味だが、これは作中できちんと書かれている。
    わたしは最初、犬の名前だと思っていた。

    ミスター・ボーンズが新しいやさしい飼い主の元で幸せに平穏に暮らすというありふれた結末を期待しつつ、そういう終わり方はしないのだろうとわかって読む。
    単純な物語だけに何回か読み重ねると思いも深まってくるように感じた。

  • 使われている言葉や表現が私には汚くて受け入れがたく、なかなか物語に入り込めなかった。。

  • 放浪癖のある主人とその飼い犬の話
    読む前には、主人と犬がどう生きていくのか、或いは主人が死んでしまった後、犬がどう生きていくのか、といったことを描いた犬好きに感動を呼び起こさせるような内容の本なのかと思ったが、実際は違った。
    読み手が予想するような出来事は上手く避けるように書かれていて、したがって読み手の予想はことごとくシカトされ、新たな展開を上書きすることで読ませているように感じた。
    犬に対しての心理描写は上手く書かれていて、多分作者の人は犬が好きなんじゃないだろうかと思った。
    こう書くとそこまで面白そうに見えないかもしれないが、おそらくこれは小説に求めるものの違いからくるものだろうと思う。この小説は、技巧的な、つまり読ませる小説であり、私の求めている読み込む小説ではなかったように感じた。

  • ラテンアメリカの作品ばかり続けて読んだせいか、読み始めにいったんリセットする必要に迫られる。
    オースターさんってば意外とフツーのライターとか思ってしまうんで(笑)
    イヤ、フツーで合ってるよね。P.オースターは技巧派じゃない……ような?

    長年連れ添ったボヘミアンな飼い主を亡くし、明日はどっち!?と途方に暮れながら、放浪の旅を続けるボヘミアン犬ミスター・ボーンズ。
    犬の目線で語られた飼い主との珠玉の物語って、P.オースター犬じゃないしなぁw

    オースター作品すべてを制覇したわけではないので、こういう言及は控えるべきかもしれないが、“意外”な印象。
    ただ、映画『スモーク』や『ブルー・イン・ザ・フェイス』(原作未読)に登場する“はみ出しものたち”が織りなす淡々とした群像劇の犬と飼い主バージョン——群像とは対極のミニマムな関係性で語られる“はみ出しものたち”と考えると、そうでもないのかな?

    単なるほのぼの動物感動モノにならないところが、やっぱ外文やね。

  • 犬の主観で書かれた,主人との交流.犬っていうのは,確かに喋れないんだけど,犬によっては本当にこれぐらい考えているのかもしれない.出来事および犬の思索を綴っているという意味で,ポールオースター版「我が輩は犬である」ともいえるけど,そう書いてしまうと,ラストがわかっちゃうか.とはいっても,決して犬の目線で人間の行動を風刺している訳ではない.いつものポール・オースターのように淡々と話は進んでいく.ドラマチックな展開が待っている訳でもない.でも退屈は決しないし,きっと心に残ります.

ポール・オースターの作品

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