「赤」の誘惑: フィクション論序説

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103043515

作品紹介・あらすじ

漱石、子規、鴎外、ポー、ドイル、ハメットなど多くの名作の中にひっそりと生れ、作者と読者を静かに誘い、やがて炎の如く世界を染め上げる色=「赤」。この魔性の色と「フィクション」との、驚きに満ちた関係性が徹底的に考察され、ギリシャ的な図式や多くの理論家の呪縛から読者を解放する。フィクション論の決定版。

感想・レビュー・書評

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  • 「『ボヴァリー夫人』論」を読んだ勢いで、その「序説」みたいな位置にあるらしい「『赤』の誘惑」を読んでみる。

    なるほど、「『ボヴァリー夫人』論」で実践されているのは、まさにここで提示されている「フィクション論」なんだな〜、と納得。

    いくつかの議論は、「『ボヴァリー夫人』論」でもでてくるので、なるほど、原点はここにあるのだな、と理解が深まった。

    フィクション論を論じようとするとなぜかでてくる「赤」という言葉に注目しつつ、そこから論をすすめていくアクロバティクな議論はやはり刺激的だな〜。

    とは言っても、議論の対象になっている本はほとんど読んでないので、「そ〜くるか」の驚きはそこまではない。森鴎外の「かのように」とか、夏目漱石の「それから」が面白かったかな?

    著者が一貫して批判しているのが、「フィクションのテキストをしっかり読まずに一般論とか、自分の理論につごうのいいように解釈するな」みたいなことだとすると、ここで取り上げられている本をあまり読んでないので、なにかここで感想を書くことは難しい。

    とはいえ、「テキスト的な現実」をしっかりみよう、という主張は、ある意味、著者がずっと言ってきて、かつ実践してきたことで、その「理論」が、ついに「体系」だてられたな、という印象かな?

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著者プロフィール

蓮實重彦(はすみ・しげひこ):1936年東京生まれ。60年東京大学文学部仏文学科卒業。同大学大学院人文研究科仏文学専攻修了。65年パリ大学大学院より博士号取得。東京大学教養学部教授(表象文化論)、東京大学総長を歴任。東京大学名誉教授。仏文学にとどまらず、映画、現代思想、日本文学など多方面で精力的な評論活動を展開し続けている。著書に『表層批評宣言』『凡庸な芸術家の肖像』『映画の神話学』『シネマの記憶装置』『映画はいかにして死ぬか』『映画 誘惑のエクリチュール』『ハリウッド映画史講義』『齟齬の誘惑』『映像の詩学』『『ボヴァリー夫人』論』『伯爵夫人』『ジョン・フォード論』ほか多数。

「2023年 『ゴダール革命〔増補決定版〕』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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