遺体―震災、津波の果てに

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著者 : 石井光太
  • 新潮社 (2011年10月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103054535

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遺体―震災、津波の果てにの感想・レビュー・書評

  • 震災・津波が残したものの凄まじさに言葉を失う。

    つらい本である。登場する人たちの味わったつらさは、おそらくは想像のおよばぬほど大きいであろうことを思うと、ますますつらい。
    筆者は釜石の遺体安置所を定点に据えて、様々な人がどのように災害後の日々を乗り切っていったかを描いていく。

    何しろ途轍もない災害である。想像を絶する数の人々が亡くなり、残された人々もまた被災し、あるいは友を失い、あるいは家族を失い、あるいは家を失い、あるいは仕事を失い、あるいはすべてを失っている。
    そんな中で膨大な数の遺体の身元を判別し、埋葬しなければならない。
    心身共に元気な状態であってさえ、つらい仕事に、極限状態で携わった人々の記録である。

    筆者はプロローグとエピローグ以外、ほとんど顔を出さない。
    複数の人に対する丹念な聞き取り調査を元に、「その日々」を再構成していく。
    民生委員。医師。歯科医。消防団員。市の職員。市長。葬儀社社員。僧侶。
    その多くは、いずれも紙一重で自らは命を落とさなかった人々であり、自らの行く先も見えぬ状態にある。
    自分もまた被災者でありながら、捜索や遺体の管理に奔走しなければならない疲労と苦悩。僧侶ですら「仏の教えなど役に立たないかもしれない」とつぶやくほどの惨状。
    わりきれぬ思い。決してかなわぬ「もし」。

    筆者は黒子に徹している。だがこれだけの聞き取り調査を行うには、深い信頼関係が必要であったろう。
    定点からある視点で記述することが、混乱した状況の把握につながっている。

    涙で何度も読むのを中断した。
    苛烈な状況を記した本だけに、万人に薦めるのは躊躇われるが、紛れもない渾身の良書である。
    亡くなった方の冥福を祈り、遺族にお悔やみを申し上げたい。

    *一番印象に残ったのは民生委員さん。頭が下がる

  • 東日本関連の報道や著作、ネットや週刊誌においては、「ジャーナリスト」とか「ルポライター」を名乗れば何を書いても構わない、といった浅ましさが透けて見える輩もずいぶんいました。
    一方、著者の石井光太氏は過去にも多くの社会問題や宗教に根差した暗部をテーマに著作を重ねているだけのことはあり、きちんとしたつくりになっています。インパクトのあるタイトルにしつつ、野次馬根性はなく、被災者の心情を損ねないような記述に終始しています。舞台は釜石市。著者いわく「市の半分は津波で壊滅し、残り半分は被害を免れたので、市として対応することができた場所」です。

    遺体安置所の惨状を目にして、ボランティアで働くことを決めた葬儀社勤務経験のある男性。
    膨大な数の被災者の死亡診断書を書くことになった釜石市医師会の会長。
    カルテが流出している中、遺体の歯型の記録を取ることにはたして意味があるのかどうか、自問自答しながら働く釜石市歯科医師会の会長。
    突然、遺体の搬送業務を担うことになってしまった市の職員。
    遺体を火葬するために奔走する葬儀社の社員と、県外で火葬をしてもらうために働く消防団員。
    すべての被災者を供養するため、宗派を超えた連帯の体制を一気に実現した住職。

    様々な人の関わりが紹介されていますが、行政や自衛隊といった「公的な立場の人たち」の話は比較的少なく、どちらかというと上記のような「市井の人たち」の動きに主眼が置かれています。大災害では行政がどうしても対応できない部分が出てくる以上、ここに登場する人たちに多くの紙幅が割かれているのはむしろ自然と言えるでしょう。

    エピローグの一番最後、著者は亡くなった方々に向けて「みなさん、釜石に生まれてよかったね」とつぶやいています。この本が出たのが震災の年の10月。まだまだ、被災者の側にもそれ以外の側にも、過剰とも言える「被災していない人から被災した人に向けた言葉や視線」に対するアレルギーがあった時期です。その時期にこの言葉をかけることができ、さらにそれを本に記すことまでできた著者の度胸というか、覚悟に唸らされました。

  • もうすぐ2年が経つのを前に、読んだ1冊。
    後半は泣きながらになったけど、読んで良かったと思う。

    あの日、自分では冷静に冷静にと思って行動していたけど、現実感が持てないまま、時間だけ過ぎてきていた気がする。

    地震直後から停電してたから、情報はラジオと時折繋がる夫との携帯のみ。
    津波が起こって、東北地方沿岸部の方は滅茶苦茶、ということを聞いても、イマイチピンときていなかった。
    ただ、目の前にいる子どもたちを不安がらせないように、怪我させないように必死だった。
    停電が解消されたのは日付がかわる頃で、やっと温かいお茶を飲み、テレビを付けた途端に飛び込んできた津波の映像。
    次々に増えてゆく死者と行方不明者の数。
    現実に起こったこととは思えなかった。

    多分、その時から見ないようにしていたんだと思う。
    数字の裏にいた人々のことを。
    ドキュメンタリーもインタビューもなるべく見ないで、ただ、NHKのニュースと子ども向け番組だけ見ていた。
    それは今もそう。

    数字だけ見れば、そこにあるドラマは見ないで済むから。

    この本を読みながら、昔、阪神・淡路大震災のニュースの時に久米明さんが全壊戸数を読み上げた後に「この数字の下には同じ数だけの家庭があり、家族が住んでいたことを忘れてはいけない」という趣旨の発言をされていたのを思い出した。

    この死者行方不明者の数字の裏には、その数と同じだけの人生があり、暮らしが有り、苦しみや後悔や悲しみもある。

    人間は忘れるのが得意な生き物で、とりわけ辛いこと悲しかったことは早く忘れようとするし、見えなくなって聞こえなくなってしまえば、更に忘れてしまう。

    だけど、悲しいという感情を持つ間もなく、骨身を惜しまず働いていた人々がいた事、一瞬で幸せな生活や街が消えてしまったこと、数字の裏には決してメディアには出てこない沢山のご遺体と別れがあったことだけは、ずっと忘れてはいけないと思う。

    震災から2年。
    まだ終わってなんかいない。
    私もまだ、ドキュメンタリーは見れない。
    けれど、あの日に何が起きていたのかは知りたいと思う。
    現地に行く勇気はまだないけれど、いつか行けたら良いなと思う。

  • 震災に関する報道でも、むしろ避けられていた感のある「遺体の処理」問題に踏みこんだ著者ならではのルポルタージュ。
    大変な事態になっていただろうと想像はしていても、具体的に事実を突きつけられると怯まざるを得ない。

    偶然居合わせた人々の善意というよりひたむきな義務感に支えられて遺体の山は無事火葬されるにいたり、状況が許す限りの尊厳が護られてきたのだ。

    この義務感は多くの日本人が共通してもつ価値観・倫理観であり、誇るべきものだと思う。

  • 津波の何もかもを破壊している恐ろしい映像が甦ってきました。多くの命が失われたことは、ほんとうに悲しくてやりきれません。いま、自然災害で毎年どの位の方が亡くなられているのでしょうか。災害の規模も死傷者の数もどんどん大きくなっていくような印象を持ちます。地震、噴火、竜巻、超大型台風、局地的大雨など異常気象が世界の至る所で発生しています。それらに対して人はなすすべもありません。いかに人は自然に対して、無力であるかを思い知らされます。

  • 是非、読んで下さい。

  • 読もうと思っていて、ずっと読めなかった。

    遺体に話しかけると、死体は遺体になる。

    遺体は媒体となり、心と心を結びつける。

    最後の最後まで死体を遺体として扱おうとする懸命の努力が、
    残った人の救いになり、希望になり、生きる力になる。

    地震、津波の後に遺ったもの。

  • 東日本大震災で被災した、釜石の遺体安置所に関わった人たちの姿が書かれた本です。現場ではどのような状況だったのか、ありありと書かれていました。
    何度も涙しては本を閉じました。

    ずっとテレビと新聞、写真展でしか情報を得られなかった自分がとにかくもどかしかった。募金しつつ、自分の中で空回りしていました。

    あれから2年以上経ち、すこし状況を知ることができ、もどかしさをすこし払拭することができました。

    これは、読んでいる最中にあった話ですが。
    本の終盤…エピローグから読み終わるまで、外から「お鈴」のような音が聞こえていて、リンリン、リン、リンと不定期にずっと鳴っていました。まるで子供がいたずらでもしているようなリズムに、おやおやいたずらしてるのかなーと思いつつ、本を読み終えました。
    涙と鼻水でぐしゃぐしゃです。自分もたくさんのご遺体と関わった気持ちでした。本に手を合わせ、ご冥福を祈らせていただきました。
    顔を上げたとたん、お鈴の音は止まりました。
    それきり、聞こえてきません。
    長年ここに住んでいますが、外からお鈴の音が聞こえるのは初めてなんです。
    あの音、どこから聞こえていたんでしょうね。

    そういう偶然も含めて、記憶に残る本となりました。

  • 重かった。でも読んで良かった。

  • これは、現実に、この日本であったこと。

    「死」そのものとか「遺体」とか、
    日本では目をそらされがちだけど、見ないといけない。

    あの時、あの時期、
    こんなことが起こっていた。
    私には想像力があまりにも欠けていたことに愕然としたし、
    誰も教えてくれないものなんだなって改めてわかった。

    膨大な遺体が出て、それを適正に取り扱うにはあまりにもたくさんの人や物が圧倒的に不足していて、
    だけども時の経過はそこでも変わらないし、
    遺体が遺体である限り腐敗していく。

    自らも被災者でありながらも献身的に尽くした方々は尊敬に値します。
    もっと多くの人に知って欲しいし、知るべきだと思う。

  • 読まなくてはいけない本。
    報道でしか知らなかった被災地の本当の混乱が書かれている。
    ノンフィクション嫌いの自分が小説の様に読めた。
    でもこれは実際に起こったこと。

  • 東日本大震災の気仙沼市の遺体安置所の
    いろいろな人をリポートしている内容。
    途中、読んでいて泣きそうになります。
    この本を寝る前にベッドで寝ながら読んでいると
    ふっとよこにいた息子の寝顔を見て、生きているか確かめたく
    なって。。。

  • 石井さんの本久しぶりに読んだけど、彼がこんなに「自分を消した」文章を読んだのは初めてのような気がする。
    読みにくさはなく(たまに状況説明で入る情感がずれる気がするのは私の感覚の違いかな)、情景が目に浮かぶ。千葉さんが遺族の方とご遺体に語りかけるところは全部ボロボロ泣いた。泣きすぎてあたまいたいわ。

    にんげんの死というのは数字になった瞬間に統計として処理されてしまうけれど、「そのひとたち」は私や私の家族や私の友人知人親戚縁戚だったりしたかもしれない。遺体になったあなたと、まだ生きている私の命の重さに違いはなくて、そこにあるのは生きている/死んでいるという状態の差異だけである。

    とっても月並みだけど、「私が無駄にした今日は、誰かが心から生きたいと願った明日だ」。

  • 自宅ソファーで読了(7/100)
    住んでいる名取でも同様な事はあったのだろう。忘れかけていた当時の虚脱感と思い出しつつ、復旧に携わった全ての人に感謝を。

  •  震災直後から現地に入り、取材された週刊誌のコラムをまとめ、書き下ろしを加え、出版されたものです。FBでこの本の存在を知りました。

     震災後、ニュース映像、WEBなど現在の情報化社会の恩恵を受け、沢山の情報を得る事ができました。

     でもこの活字のチカラと言うか、生々しさ。到底、知りえなかった事実。
    ニュースで、上っ面を撫でただけの報道からは全く予想さえ出来なかった真実が書かれています。この本にしても、その事実の1%にも満たないと思う。

    それでも知ることは出来る。釜石市の死体安置所が取材の舞台です。
    覚悟して多くの人に読んで欲しい。

  • これが現実なんだな。

    自分が同じ状況下に置かれたときに、いったいなにができるだろう。
    と考えさせられました。

  • 岩手県釜石市での震災直後の様子を遺体という生身を焦点にルポルタージュした。震災から1年。被災された方々へ心を寄り添えるせめてもの書だ。

    自身が被災していたり、遺体の中に知人を見つけたりと、遺体を見つけ迎える側も精神的に辛い状況の中で、これだけのことができるのだと感動ともに人間の芯の部分を見た気がする。

    民生委員、歯科医師、市職員、消防団員、陸海自衛隊、僧侶、葬儀社の社員それぞれの立場で遺体と真摯に向き合い、人間の尊厳を重んじ、精いっぱい自分ができることをしていく様が、淡々とした文章で綴られていく。淡々といっても、ひとりひとりの言葉や気持ちの変化は細やかに追われているので、引き込まれてしまうのだ。遺体の変貌の様子もあえてありのままに書かれており、現実を見よと言われた気がした。

    中でも、民生委員の方の話しにはなんど胸を締め付けられたかわからない。あれから1年が経ち復興、復興と言いつつ物の復興は進みつつあるのだろうが、失くしたものを抱えた心の復興は難しい。でも、見つけられた分の遺体が、あの状況下で精いっぱいの心で弔われたことがせめてもの心の復興のきっかけになることはあると思う。

    読んで。

  • より大勢の人に読んで欲しい本。
    直接現地へ行く事や、被災した人と密接にかかわる事が出来なくても、
    実際にどういう事が起きていたのか、理解する事はとても大事なので。

    文章自体はとても読みやすく、余計な感情を差し挟まず、出来事を
    丁寧に積み上げていて、容易に読み進める事が出来るのだが
    自分の場合、当時毎日見ていた映像がフラッシュバックし
    引きずり込まれて消耗した。
    気力体力の整っている時に読んだ方がいいかもしれない…。

    国内(の映像)では、表に出てこなかった部分が書かれている。
    逆に映像ではインパクトがありすぎて、どんなにいい番組だったとしても
    冷静に視聴する事は難しいかとも思う。
    文字表現だからこそ、最後まで読み通し、理解する事が出来る内容。
    あらゆる点で著者の方には感謝します。

  • 震災後、釜石市の死体安置所。深い悲しみと絶望の中で遺体捜索、検歯作業、葬儀などに携わる人々の姿を如実にしたルポ。天災が生む非日常と物事が巧く進まない苛立ちは想像を絶する。被災写真は結果を伝えるが、この書は被災の渦そのものを伝える。

  • 3月の最後の日、現地に行った。
    私が何もわかっていないこと、むしろ、気にかけているふりをしていただけで、実は、目をそらし続けていたことを痛感した。何もなくなってしまった場所を見ても、未だに津波の痕跡が残っている建物を見ても、まったく想像できない自分に失望した。語る言葉がない。語る資格もない。

    だから、せめて本を読もうと思った。
    人が1日で2万人近くも亡くなってしまうということがどういうことなのか・・・やっぱり全然わかっていなかった。

    この本は、絶対にしっかり読むべき1冊。今、言えるのはそれだけ。

  • 3.11後、市の半分が全滅、半分が残った釜石で遺体に関わった様々な人を追ったノンフィクション。

    この本の感想は、「釜石って本当にすごく良いところだったのだ」ということだった。
    最悪の災害を支えるボランティア、職員、お坊さん、医師。
    遺体になったひとたちも一緒に支える皆の繋がりが凄い。

    その中で、「火葬」というものがいかに現代では重要なのか考えさせられた。
    すごく良い本だった。

  • たまたま手にとった雑誌に紹介されており手に取った本。東日本大震災において釜石の遺体安置所に関わる人々を取材したルポである。
    新聞やテレビは「生き残った人々が今後どう生活をしていくのか」ということを集中的に報道しているが、一番の被害である亡くなった人や行方不明の人の話は「2万人」という数値に換算し、あえてその一人ひとりの状況には触れないようにしているように見える。
    本書はその点に真正面から取材し、そのあらゆる意味での「凄まじさ」(遺体の状況、被災した瞬間の状況、人々の感情・・・)をしっかり伝えており、11ケ月が過ぎようとしている今、本書を読んで震災への認識が大きく変わった。
    政治の無力だとか、日本人のモラルの高さだとか、そのような単純な言葉ではない。いろんな人々が、いろんな感情を感じ、そして抑えつつ、自分にできることをなんとか果たしたいという思いが、震災後を支えてきたんだと思う。

    それを可能にしたのは、釜石という地縁、血縁の強い土地柄なのか、それとも日本人、人間の本質なのか・・そこはわからなかったが・・

    読んでいて非常に心理的にきつい本であったが、非常に臨場感があって一息に読んでしまった。

  •  三陸海岸に面した黒い岩場と紺碧の海が広がる港町釜石市。鮎が泳ぐ美しい川が流れ、数多くの海産物が養殖、水揚げされている自然豊かな町。
     その町を2011年3月11日、巨大地震が襲う。そして、津波が通称「マチ」と呼ばれる港側の繁華街に押し寄せ、町を一変させてしまった。
     遺体安置所となった廃校に、次々と運び込まれる被災者たちの亡骸を前に、呆然と立ち尽くす民生委員は、かつて葬儀社に勤めた経験から、現場責任者を買って出る。次に予想される混乱を少しでも、回避するために。
     市の生涯スポーツ課に属する市職員は、突然課長命令で、遺体の搬送をすることに。そこで待っていたのは、変わり果てた町と、想像を絶する人々の最期の姿だった。
     遺体の検歯をすることになった、釜石歯科医師会の会長は、死後硬直の始まった遺体と向き合う。それは、大切な誰かを失った人々の悲しみの中での、むなしさばかりが募る作業で……。
     変わり果てたふるさとと夥しい数の遺体を前に、悲しみに打ちひしがれる暇もなく、真摯に「弔う」作業に取り組んだ人々の記録。

     日常生活が切り取られる。昨日までの景色が一変する。変わり果てた姿の人々は、みな昨日まで笑ったり、挨拶を交わしたりしていたこの町の人たち。
     しかし、悲しみにひたってはいられない。時は立ち止まってくれないのだ。

     この本に出てくる人々は、誰かがやらねばならないことだからと、気の遠くなる作業に携わった人たち。
    一連の作業に携わった方々に敬意を表したいという思いと、どんなにつらい読書であっても、この本を読んでほしいという気持ちでいっぱいです。

  • 読みはじめると眉間に自然としわが寄るような凄惨な状況がありありと感じられ、読んでいて辛くなるが、その現実に立ちすくむことなく遺体に関する自らの仕事を引き受けている登場人物達には敬意を表さざるを得ない。特に民生委員で元葬儀社勤務だった千葉淳の遺体・遺族への関わり方は彼にしか出来ないものであろう。お勧め。

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遺体―震災、津波の果てにの作品紹介

2011年3月11日。40000人が住む三陸の港町釜石を襲った津波は、死者・行方不明者1100人もの犠牲を出した。各施設を瞬く間に埋め尽くす、戦時にもなかった未曾有の遺体数。次々と直面する顔見知りの「体」に立ちすくみつつも、人々はどう弔いを成していったのか?生き延びた者は、膨大な数の死者を前に、立ち止まることすら許されなかった-遺体安置所をめぐる極限状態に迫る、壮絶なるルポルタージュ。

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