- Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103054535
感想・レビュー・書評
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震災に関する報道でも、むしろ避けられていた感のある「遺体の処理」問題に踏みこんだ著者ならではのルポルタージュ。
大変な事態になっていただろうと想像はしていても、具体的に事実を突きつけられると怯まざるを得ない。
偶然居合わせた人々の善意というよりひたむきな義務感に支えられて遺体の山は無事火葬されるにいたり、状況が許す限りの尊厳が護られてきたのだ。
この義務感は多くの日本人が共通してもつ価値観・倫理観であり、誇るべきものだと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
是非、読んで下さい。
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読もうと思っていて、ずっと読めなかった。
遺体に話しかけると、死体は遺体になる。
遺体は媒体となり、心と心を結びつける。
最後の最後まで死体を遺体として扱おうとする懸命の努力が、
残った人の救いになり、希望になり、生きる力になる。
地震、津波の後に遺ったもの。 -
自宅ソファーで読了(7/100)
住んでいる名取でも同様な事はあったのだろう。忘れかけていた当時の虚脱感と思い出しつつ、復旧に携わった全ての人に感謝を。 -
これが現実なんだな。
自分が同じ状況下に置かれたときに、いったいなにができるだろう。
と考えさせられました。-
2013/06/28
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震災後、釜石市の死体安置所。深い悲しみと絶望の中で遺体捜索、検歯作業、葬儀などに携わる人々の姿を如実にしたルポ。天災が生む非日常と物事が巧く進まない苛立ちは想像を絶する。被災写真は結果を伝えるが、この書は被災の渦そのものを伝える。
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2012/01/05読了
手に取るのを一瞬ためらった。衝撃的なタイトル
本のタイトルから解るように、三月十一日、あの日の震災で壊滅的な被害を受けた釜石の光景。
遺体を救い、運び、安置し、記録をとった人たちのレポートである。
あの日の一つの町と、多くの人が消えたレポートだ。
亡くなった人を運ぶ人がいて、遺族へと会わせる人がいる。
それはもうこれだと決めた仕事ではない。だが、本当にこの人たちがいなくては町の再生が始まらない。
辛い、言葉に出来ない惨状を、何とかしようとしている人の上に「復興」があるのだろう。
文章だけでは解らないし、正直に言って解りたくもないその現場に彼らはいた。
その現場の存在は知っていても、内側のことは良く知らないままで、私たちは震災を嘆いている。
三月十一日
この日を境に、色々なことが変わってしまった。
多くの人の思いを与える人、受け取る人
多くの人の亡骸を、救う人、煙にする人
多くの人の心を、支える人、一人じっと耐える人
いろんなことがあって、表ではどうにかプラスの方向「復興」へと向かっているようには見える。しかし、その間には仲介人がいる。なくてはならない存在が、支援するひとの何倍も苦しみながら、働いていることを忘れてはならない。
遺体だった人々がいた。
笑顔があった、生活があった。消えてしまったそれらを記録する人がいた。
私は知らなかった。そのことを。知らなくてはならないのだ。
真実を知ってこその「復興」なのだ。
口だけでとやかく言う前に、この惨状を知らなければならない。
メディアはこういうことをもっと広めるべきだ。そうでなければ、真の「復興」など、いつまでたっても到来しないのではなかろうか。
読まなければならない一冊。-
コメントありがとうございました。この本を読んで震災のニュースや話の受けとめ方ががらっと変わりました。そしてhitmeさんのレビューにとても共...コメントありがとうございました。この本を読んで震災のニュースや話の受けとめ方ががらっと変わりました。そしてhitmeさんのレビューにとても共感できました。2012/02/08
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東日本大震災発生後、瞬間に大量の遺体が発生するという未曾有の事態に人々はいかに『遺体』と向き合ったかという凄まじいルポ。
当事者たちへの綿密な取材に基づいた淡々とした描写に、否が応でも当時の状況が想起されて迫ってきます。
震災後の状況がいかに凄惨であったか。そして、そのような状況の中でも人々は人間らしい心を失わず、いかに『遺体』に向き合い送りだしていったか。
著者あとがきに、「復興とは家屋や道路や防波堤を修復して済む話ではない。人間がそこで起きた悲劇を受け入れ、それを一生涯十字架のように背負って生きていく決意を固めてはじめて進むものなのだ。」とある。まさにその通りで、人間は悲しみを引き受けて初めて前へ進めるものなのだと思う。 -
読み始めたらやめられなくなってしまった。
圧倒的な事実の重みに言葉を失う。
私の五感の記憶のすべてを総動員し、想像力を駆使して、必死で文章を追い続けた。
著者は震災後ほどなく、岩手県釜石市に入る。
本書はそこで、遺体をめぐって黙々と動き続けた人たちに焦点をあて、
それぞれの視点から語られた記録である。
遺体の探索、運搬、安置、検視、読経…・・・
これら人が死に、遺体となってから関わる一連の流れに、ほとんど多くの人が無償で関わっている。
それは気の遠くなるような膨大な作業であり、重い任務である。
新聞やテレビ、メディアが報道してきたレベルではない。
釜石は街の半分が残ったことにより、遺体に関わる一連の流れを地元の人間の手によって取り仕切ることができた。
それは、友人、知人、顔見知りの誰彼の死を自分が受けとめねばならない辛い作業だ。
でも、たとえば陸前高田では、この一連の作業にあたるのは、土地の文化も言葉すら、よくわからないよその土地の人間だったという。
陸前高田は全壊してしまったから、土地の人間が携わりようもないのだ。
そう考えれば、地元の人間によって、人としての最期の時を扱われた「遺体」は幸せだったはずだ。
少なくとも、ここに登場する、ごく普通の市井の人々の見せる行動は、そう思わせてくれる。
今、あの日の記憶が、私の中では急速に薄れている、
だって、私自身の生活は何ら変わっていないのだから。
だからこそ、あの日の現実をちゃんと知りたい。
「頑張れ、日本」や「絆」など、耳に心地よい言葉で済ませるのではなく、
どんなにむごたらしかろうと、現実を直視する機会を私たちは持たねばならないはずだ。
あの日から、私たちは何をやってきたんだろう・・・・・・