浮浪児1945‐: 戦争が生んだ子供たち

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著者 : 石井光太
  • 新潮社 (2014年8月12日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103054559

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浮浪児1945‐: 戦争が生んだ子供たちの感想・レビュー・書評

  • 終戦後、戦災孤児の数は12万人、うち3割近くが浮浪児、その多くが14歳以下の小中学生だったという調査があるそうだ(おそらく実数よりは少ないと思われる)。
    中でも最も多く浮浪児が集まっていたとされる上野駅付近を調査の対象とし、5年ほどかけて丁寧に元浮浪児や施設関係者の取材を行い、『新潮45』に連載されたものを加筆修正してまとめたのが本書である。

    前半は過酷な浮浪児たちの暮らしぶりが描かれている。終戦直後ということもあり、現代とはあまりに状況が違っていて今ひとつ現実の日本の話としてピンと来ず、そうだったんだな、という感じにしか思えなかったのだが、後半、現在の彼らや、実際に彼らを保護した孤児院の職員が登場すると、今この時代に実在する人物として一足飛びに過去と現在が結びつき、彼らの生き様が鮮やかに現実のものとして立ち現れて一気に引き込まれた。

    戦争の悲惨さ云々といった当然の帰結よりもむしろ強く感じたのは、彼らの生き抜く強さ、人間としての強さだ。昭和の話とはおよそ信じられないほどの悲惨で過酷な状況を生きた子どもが、個々の事情こそ違えど、人として今も力強く生をつないでいる。
    現在問題になっている被虐待児などは、生の安全が脅かされる環境で生きてきた。そういう意味で、当時の浮浪児たちと環境は似ていたはずだ。今の被虐待児が示す深刻な状況を思うと、なぜ浮浪児たちはそうならなかったのかと不思議でならなかった。

    その思いに答えをくれたのが、当時私財をなげうって孤児たちを保護した石綿家の、現在80歳を超える三女、石綿裕さんだ。彼女がいみじくも語っていたのが、自分を支える人間の芯があった、ということだった。
    親または周囲の大人などから愛情をかけられて幼少期を過ごしたうえでの浮浪だったから、彼らには自分を支える芯が出来上がっており、だからこそ極限の状態になりながらも、必死に命をつなぎ強く生きて行くことができたのだ、というものだ。

    そう考えるとやはり、子どもを適切な時期に適切な環境で育てることがいかに大切かということに立ち戻っていく。
    現代の児童福祉の面でも、非常に多くの示唆に富んでおり、反戦の思いのみならず、子どもの育ちというものを改めて考えさせられた著作であった。

  • 今から65年前、浮浪児と呼ばれていた15歳の少年が、
    路上で自殺を図った際に遺した遺書から、この本は始まる…

    「母、母を求めて死んでいく。
    現在の私には死よりほか、苦しみを救ってくれるものはございません。(中略)

    悲しんで死んでいくのではありません。
    母を求めて私の人間らしくなかった過去の生活と立派に縁を切って、
    人間らしい心になる事が出来て死ねると言うことを、幸福におもって私は死んでいきます。
    社会のみなさまどうか私の過去を許してください」


    終戦直後、戦争孤児は約十二万人以上…
    そのうち浮浪児の数は推定三万五千人、
    多くが十四歳以下の小中学生を主とした子供とされている。

    家を、家族を失い、一人になった子供たちは
    這いつくばって生きなければならなかった。
    スリ、物乞い、物売り、売春など…
    それぞれのやり方で、彼らは生きた。

    疲れ果て、心を病み、自ら死んでいく者もいれば、
    垢まみれ、糞まみれになりながら生き続けた者もいた。

    浮浪児だった者達の証言を通して、
    壮絶な生と死の臭い、
    差別や暴力の痛みが、
    この本を閉じた後もなお、骨の中に沁みこんでくる。

    今を生きる者として、
    この事実を知るという意味と共に
    再び歩きだしてゆきたいと思う。

    必読。

  • <あの頃、上野の地下道にあふれかえっていた子どもたちはどこへ行ってしまったのか? >

    1945年3月10日未明。東京大空襲が人々を襲った。家を焼かれ、家族とはぐれ、多くの子どもたちが街をさまよい歩いた。やがて敗戦。親を失い、浮浪児となった子どもたちは、上野駅に集まり、懸命に生き延びようとした。
    これはそうした子どもたちの記録である。

    著者は発展途上国のスラム街でストリートチルドレンを追っていたこともあり、戦後、浮浪児と呼ばれた子どもたちに関心を持っていた。
    浮浪児たちはどういった経緯で例えば上野を住処とし、どのように生きる糧を得て、そしてどのようにその場を立ち去っていったのか。
    伝手を辿り、100人近い証人から、5年の歳月を掛けて聞き取り、まとめたのが本書になる。雑誌『新潮45』の連載に加筆したものである。

    太平洋戦争で生まれた戦争孤児は約12万人、浮浪児の数は推定3万5千人に上る。
    浮浪児の実態についてはほとんど記録が残っておらず、まるで歴史から抹殺されたかのように、その暮らしぶりや行方については知られていなかった。
    著者は丹念に証言を集めているが、戦後70年という歳月が経ったことを思えば、ほとんどぎりぎりの作業であっただろう。まずはその労力に敬意を表したい。

    子どもたちが上野に集まったのにはいくつか理由がある。空襲直後に焼け残った主要駅は上野くらいしかなかったこと。地下道では雨風をよけることができ、たき火をする人もいて暖かかったこと。子どもに限らず、多くの人々が集まっていたため、何やかにやと食べ物や仕事にありつくことが可能であったこと。
    不衛生ではあり、危険もあったが、子どもたちにとっては人の情けを受けることもあり、長じて「懐かしい」と感じるような場所ともなっていた。
    上野駅の近くには、戦後、ヤミ市ができる。現在のアメ横の原型である。子どもたちはそうした店の手伝いをしたり、よそで仕入れた新聞を売ったり、靴磨きをしたりと、「したたか」に「がむしゃら」に生きていく。
    もちろん、裏稼業に染まっていく子もいる。女の子(そもそも浮浪児の中で占める割合は低かったが)の場合は、手っ取り早く稼げる売春に手を染めた子も少なくない。
    時には警察の「狩り込み」が行われ、浮浪児たちは根こそぎ連れて行かれて施設に送り込まれる。ところがこうした施設の多くは、虐待があったり、満足な食事もなく働かされたりと子どもたちにとっては決して暮らしやすい場所ではなかった。施設にうんざりして逃亡し、また上野に舞い戻った子も少なくない。

    浮浪児たちの暮らしぶりに加え、アメ横成立の歴史や、当時の上野の森のいかがわしさ、また児童福祉法の施行、「篤志家」と言えるような善意の市民による養護施設の設立なども興味深い。

    騒々しくて、不衛生で、猥雑で、しかしどこか懐かしい上野の喧噪。
    戦後が遠くなるにつれ、上野から浮浪児たちの姿は消えてゆく。地下道から人々が追い出され、ヤミ市が取り締まられ、パンパンたちが検挙されるとともに、浮浪児たちは居場所を失った。
    表の歴史にはほとんど記録も残されず、あるいは感化院に送られ、あるいは孤児院に入所し、あるいは個人的伝手で商店等に住み込みで働くようになる。

    大人にとっても苛酷であっただろう終戦後の日々。親や家族の後ろ盾をなくした子どもたちは、懸命にがむしゃらに生きるしかなかった。ときには人の人情に助けられ、ときには人の汚さを直視し、ときには狡猾さも持ち、ときには仲間の子どもたちと助け合い。
    努力して会社を興した者もいる。結婚して、配偶者にも過去を知らせぬままの者もいる。殺人犯となってしまった者もいる。闇に消え、どこにいったかわからぬ者もいる。

    巻末の子どもたちの食事風景には胸を打たれる。
    ひ... 続きを読む

  • 戦後、多くの浮浪児たちがいた事実はうっすらとは知っていたけれど、その実情はあまりにも過酷で醜悪で孤独。にもかかわらず、必死で「がむしゃら」に、ときに笑い、ときに助け合いながら生きぬく姿には、彼らの力強さを感じずにはいられなかった。戦後生まれの私たちは、かれらの苦労のうえで幸せな生活を手にいれたんだってこと、肝に銘じて生きねば、と思う。当時のことを「懐かしい思い出」だと語った筒井の言葉は、重い。

  •  元浮浪児が当時のヤクザたちについてこう述べているのがとても印象的だった。
    「あの人たちはかっこよかった。町中の人から頼りにされていて、テキヤやヤクザが肩で風を切って歩けば、そこらじゅうの人たちが頭を下げて、『おはようございます、兄貴』なんて挨拶をする。それでいて彼らは俺のような汚れた子どもの面倒もしっかりと見てくれた。
     俺が彼らといて嬉しかったのは、仕事をくれたり、ほめてくれたりすることだった。彼らは俺みたいなガキもちゃんと信頼して『おまえならコレできるから』って仕事をくれて、ちゃんと稼いだらごほうびもくれた。それで俺ももっとがんばろうって思うようになるんだ」
     ヤクザは所詮ヤクザであって、ダフ屋行為や偽造金券その他の違法物の販売で儲けていたし、この浮浪児が与えてもらった仕事もいわゆる出し子のような、警察の手入れがあれば一番に捕まる鉄砲玉であるし、その儲けも大半が中抜きされてしまう。それでも浮浪児たちはヤクザに憧憬を抱くのである。
     一方現在ではどうか。「モンスタークレーマー」まで行かずとも、お客様は神様という言葉を曲解し、客は金を出すのだから店員は無限に傅けという態度を隠さない大人達に囲まれた子供は、働くということをどうとらえるだろうか。そんなことをふと思った。たとえばニートになってしまう人たちには、働く人たちを尊敬する習慣がないから、働くことに意欲が持てないのだろうか。
     当時の道徳観念を持たない不良少年達に人気があったのがスリで、暴力や他人に頼らず、自分の指先の技一つであっという間に大金をつかむという点で「ワルの花形」であったという。現代の概念からすれば紛れもない悪事であるが、つまりはそれが道徳観念というものである。だがそうでもしなければ生きていけないという現実もあった。

     もう一つ印象的な証言がある。浮浪児たちを迎え入れた孤児院の職員女性(創業者の娘であり、終戦当時中学生だった)の言葉である。
    「今施設で暮らしている子供って大半が家庭内暴力の犠牲者なんです。生まれた時からすでに親に存在を否定されて、何年も怒鳴られたり殴られたりして、どうしようもなくなってここへ連れて来られる。そういう子供は、人間としての根っこの部分が弱いんです。芯ができていないんですよ。愛情がどんなものかわからずに生きてきたから、自分を支えるものがない。何かあった途端にダメになっちゃう」
     戦災孤児の大半は、幼い頃には家庭で愛情をたっぷり受けて育った。浮浪児として上野に来てからも、そこで知り合った浮浪児や露天商、ヤクザ、パンパン(街娼)たちと助け合って生きてきた。一方的に助けられたのではなく、時に浮浪児たちが周囲の誰かを助けていたのである。それは愛情を、その心地よさを知っているから、周囲の見知らぬ、しかし似た境遇の人々へ愛情を向けることができたのだろう。
     もちろんただすべてを美化することはできない。窃盗や暴力は犯罪であるし、そういった行為を(やむをえないとはいえ)当たり前として生き抜いたことが、その後の人生に暗い影を落としたこともあるだろう。良心の呵責もあれば、周囲から白い目で見られることもあれば、問題の解決方法を暴力に頼ってしまうということもあるかもしれない。本書では現在の元孤児達を数人追跡調査しているが、配偶者への暴力などで離婚し、子供からも絶縁されている元孤児もいた。
    「僕は自分のことをうまく説明できないんだなぁ。思いとかをつたえられない。だからつい酒に走ったり、手を上げちゃったりするんだな」
     家庭内暴力で離婚することになった元孤児はそう語った。やはりここに重要なポイントがあると、私は改めて思った。

     ある程度稼げる浮浪児は、うまく稼げない路上の傷痍軍人に施しをして、代わりに勉強などを教えてもらったのだという。
     とあるパンパンに拾われてしばらく同居... 続きを読む

  • これは忘れてはいけない!!ずっとずっと覚えていたい。上野駅とアメ横を世界遺産にしてほしい!!
    上野の山の影で焼け残った上野駅。地下道が残っていたので東京大空襲のあとから家を失った人たちがどんどん集まった。
    空襲のあと何日かぶりで炊き出しの食事にありつき、込み合う地下道でやっと子供1人が座れるくらいの隙間を見つけ、「回りにいる人もそんなに怖そうな人たちではなかったので」そこで眠ることにした、というもと浮浪児の記憶。普通の子供や大人が一夜にして宿無しになった様子が伝わってくる。
    道路で生活したり、バラックで共同生活したり、浮浪児も浮浪者も売春婦もみんな戦争に翻弄された。うまく食べ物がもらえなくて飢え死にしたり、ときには人の道に背いて生きること、ことごとく蔑まされることに耐えられず自殺してしまう子もいて、仲間が自殺してもそれほど驚かないくらい死が身近だった。みんな好きでたくましく生きてるわけではなく、平和に心穏やかに過ごせる方がずっと良いと思う。
    特に胸が痛むのは女の子たち。笑顔で靴磨きをする女の子の写真はかわいらしいが、多くの子が今の小学生、中学生くらいの年で売春をしていたという。子供らしく育つ日常を奪われたこの子供たち、大人たちのことをずっとずっと覚えていよう。
    上野の地下道のトンネルを「実家の壁をさわるように懐かしく手を伸ばし、この辺に寝ていたな…と思い出す」元孤児。
    上野のなるほどもたくさん。もと蔵前住民としても興味深く読んだ。
    戦後、甘いものに飢えていた人々、一大飴ブームか起こり、アメ横はほんとうに芋などから作った安物のアメ屋が競って露店を並べていた、寛永寺の通りと不忍池あたりと西郷さんの坂あたりの3エリアに売春婦がずらっと並んだ、などなど。

  • 現代の若者が 弱い という 一言だけでは終わらせて欲しくない

  • 割と面白く頑張って最後まで読んだのに「今の若者はガッツがない」的な終わり方で、ええ…

  • 東京大空襲始め戦争の様々な要因にから産み出された数多くの浮浪児達のルポルタージュ。悲惨極まりない境遇のなかで生き抜く子どもたち。悲惨な境遇に慄然とするとともにそのなかを生き抜いている強さに驚く。愛児の家の話がなければ辛くて読むのを途中でやめてしまったかもしれない。日本人の中にいると浮浪児として差別されるから外国に行った方が日本人として差別されるだけましという話しは人間の闇を考えさせられる。今の子どもと昔の子どもとでは強さが違う、それは愛情を受けている量によるという現在の愛児の家で働く人の言葉は納得させられた。この本を通じて、悲惨であることには代わりはないのだが、底の方にずっとだまみたいなものがあり、それはなにかというと、人間としての光りだとおもう。必死になにかに執着し、すがり、生きようとする様は決して美しくはないが、人としての光があるように感じる。その光を作ったのは愛情であり、愛情を与える事が当時の多くの大人はできていたのだ。愛は強しというととたんに薄っぺらいが、恐らくそれは真実なのだ。この作者の最新作「鬼畜の住む家」は怖くて読めない。恐らくそこには光のないニンゲンが記録されているのだと思う。

  • 戦後70年
    特攻隊が
    原爆が
    空襲が 、、、
    戦争の凄惨さを現すものや話は多く耳にした。
    戦争そのもの(空襲等)で亡くなった人がいる分、
    生き残っている人もいる。
    そして更にその過酷な環境の中でたくさんの人が命をおとしていったという事実。その中には当然年端もいかない子供も含まれていた事実。今まであまり考えてこなかった、その子供たちがどのように生きてきたのか。
    それが史実とインタビューとともに浮き彫りになっている。
    さらに過酷な凄惨な事実があったかもしれない。
    それでも「がむしゃら」に生きてきた人達の姿がある。

    悲しいのが、児童養護施設の子供達の移り変わりの様子。
    戦後は震災孤児が大半を占めていた中で、
    現在は虐待やネグレクトが理由で入所する子供も多い。
    児童養護施設を60年以上運営してきた方の言葉。

    「生まれた時からすでに親に存在を否定されて、何年も怒鳴られたり殴られたりして、どうしようもなくなってここへ釣れてこられる。そういう子供は、人間としての根っこの部分が弱いんです、芯が出来ていないんです。愛情がどんなものかわからずに生きてきたから、自分を支える物がない。何かあったら途端にダメになっちゃう」中略「震災孤児は空襲で両親が死ぬまでは普通の家庭で周りに愛され育ってきた。だから、人間としての根っこがしっかりしているんです。
    ー中略
    家庭の愛情じゃなくたっていいんです、友人や見知らぬ大人からでもいいかた、子供時代に多くの愛情をきちんと受けてきた記憶があるかどうかということが大切なんですよ。」

    多くの人に読まれてほしい1冊。
    戦後、過酷な環境、時代の大きな変遷の中で確かに生きてきた人達がいるという事実。そして同時にその中で命を落とした人もいるという事実。

    20141年8月10日
    新潮社

  • 太平洋戦争後、日本に数多く生まれた浮浪児の証言を基にしたルポルタージュ。

    当時の人生を切り取って、読ませる内容になっている。今まで視界に入ってこなかった彼ら彼女ら。気持ちが重くなる。

  • 「若い人は、がむしゃらっていうのを格好悪いと思っとるのかもしれんね。でも、本当はそうじゃない。人が生きるっていうのはしんどいことなんやわ。しんどいことの連続。次から次に大変なことばかりやってくる。やで、人間はがむしゃらになんなきゃ、それを超えていくことができんの。その時に必要なのは、仲間への信頼や、へこたれない心なの。それが大切なんやわ」

    読後、がむしゃらに生きた子供達を感じに、上野駅を歩きたくなる。

    東日本大震災後、節電で暗い新宿をひとりで歩きながら、これからはもう、なんでもありだと思って生きなきゃな、と思ったことがある。すっかり忘れていたけど、思い出した。

    がむしゃらに生きる。たくましく生き抜く、こととは。

  • 壮絶な生存を生き延びた戦後の孤児たちの来し方から現代の生きづらさ閉塞感にカツを入れられた感じがした。生きるか死ぬかの時代、便利なだけで生きていることを漫然と当たり前になってしまった現代を比較し、私たちがこの時代に生き抜いた少年に支えられた時代を生きていることへの甘えを感じて力づけられた。そしてもともとそういうことを感じたくてこの本を手に取った自分が居た気がする。あとがきもやはりそういう力づけを読者に与えるために献じられた一書であるとの内容だった。

  • 戦争が終わって70年、浮浪児の収容施設だった養護施設が今は虐待児童で溢れている。子供にとってはどの時代も生きるのに過酷な環境であることにはかわりないのですかね。上野駅がどんなに頑張ってオシャレで明るい雰囲気にしようとしても今一つあか抜けないのは、70年前にここで死んでいった人々の浮かばれない魂が残っているからかなぁ、などと邪推。

  • 4.4。今多くの戦後生まれが読むべき一冊だと思う。

  • 戦後70年、知らないことがたくさんある。
    戦争を生き延びた人々の高齢化、急がなくては…。
    日本という国の礎、それは、たくさんの人の犠牲のもとに作られている。何もできなくても、知ることは大切

  • (上野の)浮浪児というと、東京(周辺)で空襲に遭い、親を亡くした戦災孤児をイメージしていた(確かに終戦直後まではその通りだったようだが)、数年すると、”地方に暮す不良少年たちはニュースを通して、「闇黒街・上野」に憧憬を抱くようになった。(略)彼らは「ノガミに行って一旗揚げよう」と故郷を離れて続々と上野にやってきたのである。”

    以下引用
    ●不良少年たちは親に代わって自分を必要としてくれる大人を求めていた。その心の隙間をヤクザが埋めたということなのだろう。
    ●「子供たちは、ボスに頭をなでられて、『上手になったな』なんて褒められるのが嬉しかったんじゃないかな。みんな親の愛情をろくに知らない子供たちだろ。家庭内暴力を受けて逃げてきたり、戦争で親が死んでしまっていたり。そんな子供たちにとっては自分を褒めてくれる親代わりの大人が必要だったんだと思う。ボスも子供を利用するだけの極悪人というわけではなく、スリをやらせる一方で、小学校や中学校で習うはずの勉強も教えていたんだ。(略)子供たちも親のように慕っているボスにそう言われれば勉強するだろ。そこで基本的な教養を身に着けた子供たちも多かったはずだよ。そういう点では、まさに『学校』だったんだ。」
    ●だが、当時の日本社会は元浮浪児に対する偏見に満ち溢れていた。前にも述べたが、多くの一般の人々にとって浮浪児は黒澤明の映画「野良犬」に出てくるような暴力や窃盗を平気で繰り返すイメージだった。子供たちがいくら過去を隠そうとしても、家族がいないとか、身元引受人が養護施設になっていれば、簡単に露見してしまう。雇い主は何か悪いことが起きればすべて彼らのせいにしたり、どれだけ頑張っても信用せずに昇進を認めなかったりした。子どもたちはその都度自らの境遇を恨み、落胆しなければならなかった。

  • 戦争が終わって70年くらい。
    戦後すぐは東京は焼け野はらで上野駅には戦争孤児や傷痍軍人や娼婦らで溢れていたという。今では実感として感じることはとてもできない惨状がつい70年前にあり、その頃生きてた人もわずかだけど今もまだ生きている。

    飛行機で海外を飛び回ったり、スマホやタブレットでクールにビジネスをこなし、英語を話すのも多いに結構だし自分もかくありたいとは思うが、日本がついこの間経験したことをなかったようにはしたくないと思える一冊でした。

  • 東京大空襲で家族を失い、浮浪児となった子供たちの生き様を綴ったノンフィクション。平和となった現代では信じられないが、子供たちが一人で生き抜くためヤクザの手先となり闇市で荒稼ぎするなど、生き抜くために手段を選ばない逞しさに心を打たれました。
    うちの子供にももう少しがむしゃらな逞しさが欲しいと願ってしまいます。

  • 何もしなければリアルに死んでしまう時代と状況。余計なことを考える余地はなく、比喩ではなく「生きるために努力する」ことを余儀なくされた子どもたち。闇市や、ヤクザや、テキ屋といった混沌の中でも息づいていた思いやり。
    みんながそうなのかわからないが、人生のはじめに浮浪児という過酷な経験をした人々が、人生の黄昏に差し掛かって、幸せとは言いがたい老境を過ごしているのが気になる。生きるのも大変な仕事だな。
    とってつけたように、浮浪児のがむしゃらさや、当時の人の絆に学べ、という文脈が出てくるけれど、無理にそういう起承転結をつける必要はないだろうと思う。人生に起承転結を付ける必要がないのと同じように。

  •  終戦直後、上野駅周辺は空襲で焼け出されて身寄りがなくなった「浮浪児」が溢れていた。全国では12万人以上の戦災孤児が生まれたらしい。
     いつの間にか彼らはいなくなり、そして「居なかったこと」になっていないか? 人々の記憶にも、歴史の記録としても残っていないのではないか。 戦後70年が経ち、当時の浮浪児の多くが鬼籍に入ろうとしている現在、いま記録しておかなければ永遠に「居なかったことになる」との危機感を持った著者は5年の歳月をかけ、元浮浪児や彼らを「保護」した施設の関係者などに取材を重ねる。
     彼らは悲惨で、一方で逞しかった。しかし、戦争さえなかったら、せめてもっと早く終わっていたら、彼らはもっと別の人生、多分少しはマシな人生があったんたろうと思うと、切なすぎる。
     世界を眺めると、今でも子供たちが戦争や紛争のもっとも悲惨な犠牲者になっている。

  • ぼくは、上野は比較的よく歩いている。この本に出てくる場所が現在のどのあたりのことなのか知りたくて、何度かGoogleMapを開いた。

    上野駅周辺もずいぶんきれいになったのだと思うけど、地下道はやはりいまいちだし、上野広小路、松坂屋の地下あたりから京成上野までの地下道は、相変わらず浮浪者が多い。

    このあたりの、ルノアールやベローチェでお茶を飲んでいると、いい年したおじいさんが2、3人で話しているのを見かけることが多い。ほかの町ではあまりない光景だ。
    話している内容は、意外に仕事的なのことが多い。近くの中小企業の社長さん、またはご隠居さんなんだろう。

    この本を読んで、そういうことが腑に落ちた気がする。


    この本を読んで、その理由が少しわかったような気がした。

  • 栗原図書館。

    海外に出かける際に必ずと言っていいほど通りがかる、京成上野駅近くの路上。この場所を思い出しながら本書を読んだ。
    著者が書いていたように、「今」書かなければ、「今」耳を傾けなければ、そして、人によっては「今」知らなければならない、そんな内容だと思った。

    生きていくために「がむしゃら」になること。

  • 戦争の大変さが、しみじみ分かる。こういう体験こそ、子供達に伝えたいけど、コードに引っかかりNGなんだろうな。老人が、今の子は…と言っている意味が分かる。

  • 面白かったのに、最後の現代の若者との対比がステレオタイプだったのがとても残念。

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浮浪児1945‐: 戦争が生んだ子供たちの作品紹介

終戦直後、焼け跡に取り残された多くの戦災孤児たちは、どこへ消えのか? 1945年の終戦直後、焼け跡となった東京は、身寄りのない子供たちで溢れていた――全国では、12万人以上。復興と共に街が浄化され、居場所を失い歴史から〝消え去った〞彼らを、残された資料と当事者の証言から上野を中心に現在まで追う。戦後裏面史に切り込む問題作にして、戦争が生み出したものを見つめなおす必読の書。

浮浪児1945‐: 戦争が生んだ子供たちのKindle版

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