- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103054559
感想・レビュー・書評
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2019/06/20読了図書館
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本土の大空襲、3月10の東京大空襲ではわずか2時間半の間に10万人にのぼる市民が殺された無差別攻撃である。
その結果、幼い子供たちが家や家族を失い、浮浪児となった。戦争が終わるとますます悲惨な状況となり上野駅の地下で満員電車さながらの混雑のなかで暮らすこととなる、
国の施設は職員が支給された食べ物を横領し、浮浪児たちを朝から晩まで労働させたり、ひどい暴力をふるったりが日常茶飯事だったため脱走者があとをたたなかったが、そのなかで私財どころか借金までかかえてそういった子供たちを引き受けた一家もある。
国に認定されると人数を100人から70人に間引きする必要があったりと、国が絡むと上のルールに従わないといけないという難しいところもある。
火垂るの墓のような人生が戦後の日本各地であったという事実を多くの日本人は忘れていくのである。
しかも多くの日本人はそういった被害者をさらに差別する世の中なのである。
現代に生きる我々は戦後のゼロからのスタートをがむしゃらに生き抜いた多くの先人に敬意を払わなければならない。 -
ノンフィクション
戦争 -
著者が(ノンフィクションでは)初めて過去の歴史に挑んだ作品だ。
1945年3月10日の東京大空襲で親と家を失った子どもたちなど、終戦直後の焼け野原にあふれた戦災孤児たち。彼らはどのように生きのび、また死んでいったのか――。
5年を費やして100人近くの当事者・関係者を取材し、膨大な資料を渉猟して、戦災孤児たちが歩んできた道のりをたどった労作である。
《戦後の食べるものさえない極限の状況で、浮浪児たちは生存本能に突き動かされるようにして生きた。物乞いをし、日本各地を流浪し、残飯を食し、犬を殺し、強奪をしながらも生きのびた。(「あとがき」)》
浮浪児たちの過酷な人生が次々と描き出されるのだが、彼らに手を差し伸べた人もたくさんいたことが随所に記されており、読んでいて救われる思いがする。
石井光太のノンフィクションにはいつも、人目を引くドギツイ場面、エグい場面をことさら強調して書くような「癖」が感じられる。一歩間違えるとセンセーショナリズムに堕してしまう危うい「癖」であり、本書もその危うさから自由ではない。
それでも、本書はまぎれもない力作だと思う。
浮浪児だった人たちの大半が70代~80代となり、取材自体が困難となるなか、よく100人近くもの証言者を探し当てたものだ。そして、それらの証言と各種資料の記述を丹念につなぎ合わせ、一つの全体像を構築してみせた力量にも脱帽である。 -
戦後、多くの浮浪児たちがいた事実はうっすらとは知っていたけれど、その実情はあまりにも過酷で醜悪で孤独。にもかかわらず、必死で「がむしゃら」に、ときに笑い、ときに助け合いながら生きぬく姿には、彼らの力強さを感じずにはいられなかった。戦後生まれの私たちは、かれらの苦労のうえで幸せな生活を手にいれたんだってこと、肝に銘じて生きねば、と思う。当時のことを「懐かしい思い出」だと語った筒井の言葉は、重い。
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これは忘れてはいけない!!ずっとずっと覚えていたい。上野駅とアメ横を世界遺産にしてほしい!!
上野の山の影で焼け残った上野駅。地下道が残っていたので東京大空襲のあとから家を失った人たちがどんどん集まった。
空襲のあと何日かぶりで炊き出しの食事にありつき、込み合う地下道でやっと子供1人が座れるくらいの隙間を見つけ、「回りにいる人もそんなに怖そうな人たちではなかったので」そこで眠ることにした、というもと浮浪児の記憶。普通の子供や大人が一夜にして宿無しになった様子が伝わってくる。
道路で生活したり、バラックで共同生活したり、浮浪児も浮浪者も売春婦もみんな戦争に翻弄された。うまく食べ物がもらえなくて飢え死にしたり、ときには人の道に背いて生きること、ことごとく蔑まされることに耐えられず自殺してしまう子もいて、仲間が自殺してもそれほど驚かないくらい死が身近だった。みんな好きでたくましく生きてるわけではなく、平和に心穏やかに過ごせる方がずっと良いと思う。
特に胸が痛むのは女の子たち。笑顔で靴磨きをする女の子の写真はかわいらしいが、多くの子が今の小学生、中学生くらいの年で売春をしていたという。子供らしく育つ日常を奪われたこの子供たち、大人たちのことをずっとずっと覚えていよう。
上野の地下道のトンネルを「実家の壁をさわるように懐かしく手を伸ばし、この辺に寝ていたな…と思い出す」元孤児。
上野のなるほどもたくさん。もと蔵前住民としても興味深く読んだ。
戦後、甘いものに飢えていた人々、一大飴ブームか起こり、アメ横はほんとうに芋などから作った安物のアメ屋が競って露店を並べていた、寛永寺の通りと不忍池あたりと西郷さんの坂あたりの3エリアに売春婦がずらっと並んだ、などなど。 -
現代の若者が 弱い という 一言だけでは終わらせて欲しくない
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東京大空襲始め戦争の様々な要因にから産み出された数多くの浮浪児達のルポルタージュ。悲惨極まりない境遇のなかで生き抜く子どもたち。悲惨な境遇に慄然とするとともにそのなかを生き抜いている強さに驚く。愛児の家の話がなければ辛くて読むのを途中でやめてしまったかもしれない。日本人の中にいると浮浪児として差別されるから外国に行った方が日本人として差別されるだけましという話しは人間の闇を考えさせられる。今の子どもと昔の子どもとでは強さが違う、それは愛情を受けている量によるという現在の愛児の家で働く人の言葉は納得させられた。この本を通じて、悲惨であることには代わりはないのだが、底の方にずっとだまみたいなものがあり、それはなにかというと、人間としての光りだとおもう。必死になにかに執着し、すがり、生きようとする様は決して美しくはないが、人としての光があるように感じる。その光を作ったのは愛情であり、愛情を与える事が当時の多くの大人はできていたのだ。愛は強しというととたんに薄っぺらいが、恐らくそれは真実なのだ。この作者の最新作「鬼畜の住む家」は怖くて読めない。恐らくそこには光のないニンゲンが記録されているのだと思う。
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戦後70年
特攻隊が
原爆が
空襲が 、、、
戦争の凄惨さを現すものや話は多く耳にした。
戦争そのもの(空襲等)で亡くなった人がいる分、
生き残っている人もいる。
そして更にその過酷な環境の中でたくさんの人が命をおとしていったという事実。その中には当然年端もいかない子供も含まれていた事実。今まであまり考えてこなかった、その子供たちがどのように生きてきたのか。
それが史実とインタビューとともに浮き彫りになっている。
さらに過酷な凄惨な事実があったかもしれない。
それでも「がむしゃら」に生きてきた人達の姿がある。
悲しいのが、児童養護施設の子供達の移り変わりの様子。
戦後は震災孤児が大半を占めていた中で、
現在は虐待やネグレクトが理由で入所する子供も多い。
児童養護施設を60年以上運営してきた方の言葉。
「生まれた時からすでに親に存在を否定されて、何年も怒鳴られたり殴られたりして、どうしようもなくなってここへ釣れてこられる。そういう子供は、人間としての根っこの部分が弱いんです、芯が出来ていないんです。愛情がどんなものかわからずに生きてきたから、自分を支える物がない。何かあったら途端にダメになっちゃう」中略「震災孤児は空襲で両親が死ぬまでは普通の家庭で周りに愛され育ってきた。だから、人間としての根っこがしっかりしているんです。
ー中略
家庭の愛情じゃなくたっていいんです、友人や見知らぬ大人からでもいいかた、子供時代に多くの愛情をきちんと受けてきた記憶があるかどうかということが大切なんですよ。」
多くの人に読まれてほしい1冊。
戦後、過酷な環境、時代の大きな変遷の中で確かに生きてきた人達がいるという事実。そして同時にその中で命を落とした人もいるという事実。
20141年8月10日
新潮社 -
「若い人は、がむしゃらっていうのを格好悪いと思っとるのかもしれんね。でも、本当はそうじゃない。人が生きるっていうのはしんどいことなんやわ。しんどいことの連続。次から次に大変なことばかりやってくる。やで、人間はがむしゃらになんなきゃ、それを超えていくことができんの。その時に必要なのは、仲間への信頼や、へこたれない心なの。それが大切なんやわ」
読後、がむしゃらに生きた子供達を感じに、上野駅を歩きたくなる。
東日本大震災後、節電で暗い新宿をひとりで歩きながら、これからはもう、なんでもありだと思って生きなきゃな、と思ったことがある。すっかり忘れていたけど、思い出した。
がむしゃらに生きる。たくましく生き抜く、こととは。