浮浪児 1945-: 戦争が生んだ子供たち

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103054559

感想・レビュー・書評

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  • 『新潮45』に2012年5月から13年6月まで連載されたノンフィクションで、当時リアルタイムで読んでいた。主に上野の地下通路を根城にして暮らしていた戦災孤児を扱っている。
    3月10日の東京大空襲で親を亡くした孤児に加え、敗戦後疎開地から東京に戻ってきた学童年齢の子どもたちが、家族や親戚に引き取れた子と、不幸にも身寄りのない子に分けられ、すがる宛も住む家も失った子がたどり着いたのが上野を中心とした溜まり場だった。
    当時、誰もが喰うや食わずの生活で、他人を思いやることなどできなかった。政府もマスコミも子供のことなどかまってはいられない。
    子どもたちが自立しようにも、力もなければ宛もない。却ってパンパンと言われた女性たちが情けをかけて食べ物などを頒けてくれたという話もある。
    寒さや飢えで死ぬものも多かった。そんな極限から生き延びて、施設に入ることができ、生き延びた人の体験も綴られている。
    人生は誰にとっても過酷で、平等ではない。運命と言うにはあまりにも無惨である。
    平和なときにこそ、このような最悪を想定して対策を立てておかねばならないが、誰もがオストリッチポリシーよろしく思考停止している。
    「殷鑑遠からず」。げにウクライナ戦争の真っ最中である。

  • 戦争関係の本をいくつか読んでいたら、浮浪児の事に興味が出てこの本を手にした。とてもよくまとめられており、戦後の上野、闇市、養護施設などよく理解できた。

  • 戦後、多くの浮浪児たちがいた事実はうっすらとは知っていたけれど、その実情はあまりにも過酷で醜悪で孤独。にもかかわらず、必死で「がむしゃら」に、ときに笑い、ときに助け合いながら生きぬく姿には、彼らの力強さを感じずにはいられなかった。戦後生まれの私たちは、かれらの苦労のうえで幸せな生活を手にいれたんだってこと、肝に銘じて生きねば、と思う。当時のことを「懐かしい思い出」だと語った筒井の言葉は、重い。

  • 戦争の大変さが、しみじみ分かる。こういう体験こそ、子供達に伝えたいけど、コードに引っかかりNGなんだろうな。老人が、今の子は…と言っている意味が分かる。

  • 子どものころ、浮浪児が上野動物園にゾウを呼んだ、という童話を愛読していた。「浮浪児」という表紙のワードにそれを思い出して購入。なかみはすごく現実的(といっても今では想像もできない世界だけど)

  • 石井光太『浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち』新潮社、読了。起点の東京大空襲から平成までーー。先の戦争で家族を失い浮浪児となった子供たち。その実像を、記録記録やすでに高齢者となったかつての浮浪児百人以上の聞き取りから迫っていく力作 http://www.shinchosha.co.jp/book/305455/

    「終戦から約七十年、日本の研究者やメディアは膨大な視点から戦争を取り上げてきたはずなのに、戦後間もない頃に闇市やパンパンとともに敗戦の象徴とされていた浮浪児に関する実態だけが、歴史から抹殺されたかのように空白のままだ」から本書は貴重なルポルタージュだ。

    戦災孤児は約12万人、うち浮浪児は推定3万5千人(『朝日年鑑』1948)。上野駅の通路を住処にゴミをあさり闇市で盗んで食いついだ。警察の「刈り込み」による施設収容は、保護とは程遠い強制労働。幾重もの疎外の対象となった浮浪児こそ戦争最大の被害者といってよい。

    45年年末までは、上野の浮浪児は戦災孤児中心で靴磨きや新聞売りが多数を占めたが、以後「ワル」が増加する。メディアの上野界隈に対する治安危惧の報道が、地方の不良少年たちを上野に吸い寄せたのだ。かくして“上野に行くも地獄、施設に行くも地獄”

    46年、上野でパンパンが急増するが、RAA(特殊慰安施設協会)の廃止がその理由の1つという。RAAとは旧内務省が進駐軍のために作った慰安所のこと。エレノア・ルーズベルトの意向と性病率の高さからGHQは解散を要求。失職は上野へ誘うことになった。

    「新日本女性に告ぐ!戦後処理の国家的緊急施設の一端として進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む!」

    浮浪児と同じくパンパンも蔑まれたが、両者共に日本のご都合主義の「棄民」政策が作り出したもの。弱者は決して自己責任などではない。

    極度の飢えと混乱。幼い子供がたった一人で生き抜いていくことは想像を絶する過酷さを伴う。本書は美化するでも蔑むでもなく淡々と描いていく。目の前で命を失う子供、あるいは自殺していく子供。誰もが浮浪児やパンパンを捨て駒としてあつかっていく。

    浮浪児を取り巻く環境の変化は、46年に設立された孤児院「愛児の家」の登場だ。上野で見つけた浮浪児たちを連れ帰り、衣食住を提供し、就学や就労の世話をした。けんかやトラブルはつきないが、誰もが「ママさん」への信頼を今なお隠せない。

    「僕自身が僕のことをわからない」--。
    圧巻は、浮浪児たちの「六十余年の後」を追うくだり。バブルで大成功したあげくその崩壊を一人で引き受けた者、高度経済成長の陰と日向で苦闘した者。しかし、施設育ちは話せても、浮浪児だったことは話せない者が多い。

    経済発展の連動でしばしば行われるのが町の「浄化作戦」。ひとはそのことで、ステージアップを夢想する。しかし社会構造が生み出した「浮浪児」を排除することが「浄化」なのだろうか。棄民で経済発展を錯覚する眼差しそのものを疑うほかない。

    上野の地下道は、ペンキの塗り直しを重ねるが70年前のそのままだという。寝泊まりする人間は今もたえない。あの戦争は終わっていない、むしろその「余塵」と、みずから終わったのだと「ごまかそう」とする中で生きているのではないか、そう考えさせられた。

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    http://astand.asahi.com/magazine/wrculture/special/2014091900008.html

  • 私は大学生活時代、東京中野区の都立家政の街の共同住宅に下宿していたので、ひょっとするとここに掲載されている「愛児の家」の前を通り過ぎていたのかもしれない。戦災孤児の生活は、私たち戦後生まれの人々には想像を絶するものがあるでしょうが、私たちの親の世代も自身の戦争体験を多くを語ろうとしません。子供たちには聞かせたくない辛いものがあるのでしょう。いまの為政者こそ、戦争によって生み出された数々の悲劇に耳を傾けるべきでしょう。

著者プロフィール

1977(昭和52)年、東京生れ。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。ノンフィクション作品に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『こどもホスピスの奇跡』など多数。また、小説や児童書も手掛けている。

「2022年 『ルポ 自助2020-』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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