反哲学入門

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著者 : 木田元
  • 新潮社 (2007年12月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103061311

反哲学入門の感想・レビュー・書評

  • 数年ぶりに再読。ようやく見えてきたものが多い。ただ、それでもハイデガーはまだ遠い。それにしても、帯の裏文章はひどいです。「ソクラテスは極めつきの皮肉屋」「ハイデガーはすごいけれどもいやな男」は内容にも入ってはいるのですが、そこはほとんど主題から外れたどうでもよいところで、本書はそのようなゴシップ雑学本ではありません。新潮社っぽいけどね。

  • この本と、「17歳のための世界と日本の見方」と、「哲学的な何か、あと科学とか」と、「ソフィーの世界」があれば、もう哲学史的基本理解は完璧です。他いらねぇ。(・・・って、あくまでも私基準ですから!(* ̄▽ ̄*)ゞ)
    この本は、哲学の難解さがどこにあったのか溜飲が下がるような思いの一冊です。
    そして、なるほど、科学が産業革命がなぜ「西欧」から発達したのかも超!納得。
    その末路に「ハチはなぜ大量死したのか」が世界で起こってきたのかも超々!納得。
    そうなのよ、こういう「発想」が根っこにあるから科学や産業革命が発達したんですよ。必然。
    途中の説明はちょっと読み進みにくい難しさもあるんですけど、結局「哲学」とは「欧米のもん」であって、日本人には不可解なもんであるという言い切りのところが溜飲下がるんです。
    よくぞ言ってくれました!木田先生!なんです。(^^;)
    「まえがき」から「第1章:哲学は欧米人だけの思考法である」と「第6章:ハイデガーの二十世紀」の後半P225の最後のところから「あとがき」だけという真中飛ばし読みでも溜飲下がります。
    (その間の章はちょっと、いやかなり?読み進みにくい。面白いんだけど。(^^;))

  • 反哲学入門というタイトルの哲学入門

    ギリシア哲学から、カント、ニーチェをへてヘーゲルまで。
    基本的な考え方を平易な言葉で書いてあるので、昔良くわからないまま読み飛ばしていたことを、改めて理解しようという気にしてくれた。
    手元に置いて、再読することにする。

  • 詳しく書かれているカントやハイデガーなどの思想は難しくて理解できなかったが、古代ギリシアに始まり近代哲学に至るまでの哲学史の大まかな流れは掴むことができた。入門書というだけあってこの本をとっかかりにして他の本を読みたくなる。

  • ハイデガーのことを書きたかったのであろうが,それに至るまでの哲学の歴史が本当に分かりやすく書かれていて,読んでいる間はほとんどわかったような気持ちになった.読み終わった後ではまた説明できないような感じではあるが.

  • 西洋人の考え方の基盤をしりたくて読んだ。自分の中に哲学の勘所がないせいか、語り口は平易なのに、さっぱりわからん(笑)

  • 地元の図書館で読む。意外に面白かった。特に、ギリシャ哲学が面白かった。ソクラテスの処刑は、理由がなかったわけではないんですね。この手の本をまとめて読んでみよう。

  • 内容的には、単なる「哲学史」の紹介のようなものであるが、
    本書における視点は「反哲学」であり、軸となる主題が最後に語られているニーチェとハイデガー。

    「哲学」は、つまりソクラテス・プラトン以降のギリシア的な思考方法。
    西洋文明の形の「破壊」(Destorktion)、つまり取り去ることを試みたのがニーチェ、ハイデガーだというのです。

    単なる「哲学史」の紹介ではなく、「反哲学」に至るまでの歴史を若干シニカルな見方で筋を通してその俯瞰図を叙述しているのが非常に面白い。

    まえがきに、死に直面した筆者の体験や、彼の人生が語られているのはなかなか興味深いものでした。

  • 以前に,ざっと西洋哲学の流れを把握したくて購入しました。ちょっと,哲学関連の本を読もうかと思い,復習をかねて再読しました。

  • ギリシャで始まる哲学は大自然そのものではなく、それを上から俯瞰する超自然的原理(存在)を必要とした。それをプラトンはイデアと呼び、アリストテレスは純粋形相、キリスト教神学は神、デカルトは理性、ヘーゲルは精神、と名付けた。
    つまり自然を支配している何らかの理があるということだろう。
    物理学も宗教も芸術ですら同じものを違う角度から探しているといえし、頂上に近づくことがあれば、どこから登り始めようとお互いに紙一重の所まで近づくことになり、無限先の最後には同じ場所に立つことになる。

    ソクラテスは人間が「知」を所有することはできないと否定し、自分にあるのは知へのあこがれだけだと言い切ったのだそうだ。これは他の偉そうにしている先生たちへの牽制球でもあったらしいが、視野を広くすれば答えに永遠にたどり着けないことを考えれば、その普遍性は根本的で実に大きな考えだと言わざるをえない。
    ソクラテスからヘーゲルまでの超自然的立場をとる哲学と、それ以前の思考とそれ以後のニーチェからの哲学は現実の複雑な自然界に即したもので、視点が違う別としてとらえる必要があるという。

    ギリシャ語のソフィアが哲学の言語で、その意味は「知識あるいは知恵を愛すること」なのだそうだ。
    日本でも最初は「希哲学」と名付けられたものの、後に愛の意を取って哲学と呼ばれるようになったようです。ここで意味がだいぶ違ってしまったということです。
    ピタゴラスは曰く、この世では商人のように金銭を愛する人と、軍人やスポーツ選手のように名誉を愛しる人と、学者のように知識を愛する人がいるとのことですが、私はもう一つ真理の探究を愛する人を加えたい。
    前の三つは結果を愛する人たちで、最後に加えた一つはプロセスを愛する人で、この二つに集約して分けることの方がわかりやすいように思える。
    更に結果を愛するということは物欲であって無限である無償の「愛」というよりも、個人的利益を含んだ「情」と呼び分ける方が誤解を招かないと思う。
    例えばドイツの哲学者であるオイゲンヘリゲルが、仙台だったかで出会った弓道も禅も後者の部類であろう。

    江戸では自然界に基づく朱子学の儒教思想から人間中心の徂徠学に移行していく様を、人情に基づく共同体と利益などの目的に基づく作為的な結社や社会との違いを、郷党的統治と官僚制とに区別している。これは西洋の超自然的原理から自然的原理への移行と相似だといえるだろう。
    1914年生まれの丸山真男さん曰く、神話にはユダヤ・キリスト教のように作為的な創造者によって目的をもった社会が「つくられた」というものと、中国や日本のように神々の生殖行為でこの世が「うまれた」というものと、神秘的な霊力の作用で「なった」とする三つのパターンがあると言う。
    この「つくる」「うむ」「なる」のうち、日本はどちらかといえば「なる」という発想に支配されがちな民族だという。

  • 読みやすい本というのはあるけれど、そういうときにこそ自分の理解は陥穽にはまっているのかもしれない。というか、はまったことに気づかない。たとえば、デカルトの「方法序説」(小説でいつも一桁の点数しか取れない国語オンチの僕が言っているのだから)。

    そして、一番グッときたところ。まだ自分のことばとして説明することはできないけれど。

    「ここでハイデガーは人間よりも〈存在〉の方が、そしてその存在の住まいである〈言葉〉の方が先だと主張します。ただ〈存在〉と言われても、雲をつかむような感じですが、『存在と時間』の時代には〈存在了解〉(〈ある〉ということをどう了解するか、〈つくられてある〉と了解するか、〈成りいでてある〉と了解するか)と言われていたものを思い出せばよいと思います。その後ハイデガーは、〈存在〉というものは、現存在(人間)がああ了解したりこう了解したり、現存在に左右することのできるものではなく、むしろ存在自体の方から現存在に、ああ現れてきたりこう現れてきたりするもので、現存在はそれを受け容れるしかないと考えるようになり、それを〈存在の生起〉と呼ぶようになりました。彼の考えでは、その〈存在の生起〉は〈言葉〉のなかで起きるのであり、だからこそ〈人間〉より〈言葉〉の方が先だと言うのです。
     ・・・・・
     しかし、ハイデガーのこうした考えた方が、人間より構造が先だと主張し、やはり反ヒューマニズムを標榜することになる二十世紀後半のフランスの構造主義やポスト構造主義の思想家たち、デリダやラカンやフーコーやドゥルーズといった人たちに大きな影響を与えたことは、ご存じの方も多いと思います。」

  • ・ソクラテス→プラトン→アリストテレス→カント→ヘーゲル→デカルト→ニーチェ→ハイデガーという流れで西洋哲学(”ある”ということ、超自然思考など??)の考え方が平易に書かれていた。
    ・世界史を勉強するような感じで楽しく読めた。
    ・とても分かりやすいかかれ方だけど、哲学は難しい・・・と改めて感じた。
    ・もっとこの人の書いた本を読んでみたいと思った。
    ・禅の本もいろいろ読んだけど。もうちょっと違いや関係を整理してみたい。
    ・例のマイケルサンデル先生の講義も哲学(政治)なはずなので、ちゃんとTVを見て改めて勉強したい。

  • 木田元が哲学を一般の人にも分かり易いように平易に書いた本ということですが、やはり哲学は難しかったです。哲学という日本語自体が誤訳であるというのは新鮮でしたが、それでは何と言えばしっくりくるのかと言うとそんな言葉は見当たらないので、結局”哲学”を使うしかないのでしょう。西洋の思想である哲学を東洋人(日本人)が理解するのは不可能だということだけは理解できました。

  • タイトルとは矛盾するが結果として「哲学入門」の良書となっている。昔哲学書をあれこれと点でかじったがそれらを統合する全体観がこの本で持てました。ギリシャ哲学とキリスト教の関連が分かり易く書かれており、「欧州入門」としても良書。ヨーロッパに赴任するビジネスマンにも読んで欲しい本です。

  • 「誰もが聖書を読むために」で今まで何となく分かっていたつもりのキリスト教に対する西洋人の考え方がわかった。所詮は宗教と思っていたが、この本を読んで考えを再度改めねばならない。哲学は様々な学問を生み出したものであったが、宗教の下地となっているとは。
    ハイデガーも言葉のほうが存在よりも、ヒトよりも先としており、言葉に重きを置いている。言葉があるということを突き詰めていくのが西洋の考え方なのか。

    第1章 哲学は欧米人だけの思考法である
    第2章 古代ギリシアで起こったこと
    第3章 哲学とキリスト教の深い関係
    第4章 近代哲学の展開
    第5章 「反哲学」の誕生
    第6章 ハイデガーの二十世紀

  • 本書は、同郷である木田元先生が書かれた著書である。私は、御存知の通り大学を出ていないため、哲学に対する予備知識は持ち合わせておらず、この著書の前にカントの「純粋理性批判」入門ぐらいしか読んでおらず、哲学者って何を考えているのか分からないという感じではあった。

    ところが、この木田先生の著書では、ソクラテスからハイデガーまでを230p足らずで一足飛びに説明を掛けてくるのである。芦田先生(@HironaoAshida)からは木田先生はハイデガーを分かっていないとか言われそうですけど、、、(苦笑)

    哲学書は原書を読めとよく哲学TL上では語られている理由が良くわかります。なぜかと言うと、この類の要約本では、その原著で使われる単語をそのまま意訳してしまい、本来の意味から逸脱してしまうからです。つまり、英語もまともに話せもしない教師が、間違った解釈で中学生に教えるものだから、大人になっても英語を話せない大人が腐るほどいる状態と同じなわけですね。こんなのが、木田先生も書いていましたが数十年間も続くいていたとあります。

    カントにしても、ア・プリオリが先天的に得たもので、理性的にそれを語ることはできないのかはわかりませんけれども、少なくとも、芦田先生が仰る通り、女性ならば絶対と言っていいほどこの問題には悩まないでしょう。

    なぜならば、この哲学の根本論は「何故自分たちはいまここに存在し、そして、めのまえにあるものはあるのだろうか?」という微分の最果てを見ているからだと思いました。女性からすれば、そんな微分の最果てなどどうでも良いことなのです。それよりも、私はいまここにいて、次にスべきことはこれなのよ、何あなたはぐずぐずしているの!となるわけです。

    カントが生涯独身だったのも理解できますし、プラトンが政治に介入して失敗したのも頷けます。彼等には未来が無い。ご飯をどのように食べればよいかをしらないからです。

    そもそも論として、哲学とは間違った当て字であって、本来は超自然学とすべきだというのは、理解できました。形而上学という小難しい言い方も、もっとシンプルにできたはずだというのです。日本人の矜持にマッチしたんでしょうね。

    ただ、西洋人の感性以外でこのフィロソフィーというものを理解するのは大変かもしれない、それは読んでいて確かに感じました。簡単に言うと、私の中に流れる儒教的な仏教的な教えが哲学を半ば否定というか、それを超越してしまっているわけですから、東洋人には特に哲学は理解し難いのだと思います。

    古代ギリシアの歴史から脈々と受け継がれてきた哲学という学問に終りは無く、永遠をさまようわけですが、銀河ヒッチハイクガイドの様に42という答えが出せれば良いのですけれどね。

    ただ、どの学問を見ても、全ては歴史の上に立っていて、人の営みをなくして学問もまた成り立たないと言うことが分かります。ですから、経済学にしてもあくまで人の積みあげたロールモデルの一つであり、答えではないというベストプラクティス論を常に持ち続けることが、重要なのでしょうね。

  • 中断。思ったより難しい。

  • 池田信夫blog(09,07,18)

  • 哲学を勉強することは勧めない
    作者の姿勢が笑えます。

    哲学の本なのに
    文章が読みやすいのがいいです。

    今まで考えてた哲学の内容が
    ガラガラと崩れていきました。
    目からウロコ本です。

  • 哲学は無意味。
    そんな主張。

  • 途中で返却日がきてしまう。再読しなくてもよし。

  • (まだ書いてない)

  • ニーチェ、ハイデガー、ソクラテス

    ニーチェ以後と、ニーチェ以前を同じ哲学史に並べるのはおかしい

    哲学とは「存在とは何か」を問うことだ
    自分の死をどう考えるかは哲学上の大問題です。

  • やっと読み終わった…というのが正直な感想。前半はどうにかこうにかついていけたが、後半になって近代哲学の紹介の部分に入ってからはきつかった。カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガーなどの思想を紹介しているが、読むのに時間がかかった。内容が難しいのと、いわゆる翻訳調であるのが理由かもしれない。たとえば「〈価値〉という目安は、生成内部での生の相対的持続という複雑な機構にかかわる確保と高揚の条件となる目安である。(ニーチェ)」

    倫理という科目を勉強した時は興味を持てなかったが、本書でやっと西洋思想史を一瞥したつもりになれた。そして、「〈哲学(フィロソフィア)〉という言葉は、ギリシアにしか生まれなかった。……それだけではなく、〈哲学〉が、このギリシア語の響きとそれによって名指される特殊な知の在り方を受け継いだ……西洋=ヨーロッパだけが、その歴史のもっとも内奥の歩みにおいて根源的に〈哲学的〉なのであり」だそうだ。なるほど、そうだったのか。哲学は、「西洋という文化圏には生まれたが、日本には生まれなかった。いや、日本だけではなく、西洋以外の他の文化圏には生まれなかった」「日本に哲学がなかったからといって恥じる必要はないのです。」超自然的な原理を参照にして自然を見るのが哲学だが、自然のなかにすっぽり包まれていると信じきっていた日本人には、哲学は不要だったというのだ。

    反哲学というのは、こうした哲学を基底に据えておこなわれてきた〈西洋〉の文化形成の先行きに絶望し、その「破壊」を主張したハイデガーの思想の営みをフランス人メルロ・ポンティがそう呼んだのだ。著者は反哲学という呼び方を使うことによって、共感してきたハイデガーたちの思想的営為をうまく理解することができたという。著者にとっては、自然に包まれて生き、そのなかで考える思考=自然的思考が反哲学なのだ。

    一つ印象的だったのは、哲学というのはかなりの部分、言葉の学問だということだ。思索するには言葉が必要なのは言うまでもないが、著者によれば、哲学の勉強の初歩は、ギリシア語とラテン語の原典を読むことだという。さらに自分が研究したい先達の著書があれば、その言葉もマスターしなければならないし、研究発表するのに使う言葉も使いこなせなければならない。著者の父が「哲学はちょっと、特殊な才能がないとできない学問だから」と言ったそうだが、語学だけを取ってみてもそうだろうなあと思う。

  • 哲学は欧米人だけの思考法である。
    要素の中にあって、全体を見ることは、神の視点である。
    要素の一部そのものとして考えるのが、日本的思考法である。

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