私の息子はサルだった

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著者 : 佐野洋子
  • 新潮社 (2015年5月22日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (124ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103068426

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私の息子はサルだったの感想・レビュー・書評

  • 『「あたり。じゃあぼくがボールをすなばにかくしたか」「かくした」「あたり。ねえ、どうしてわかるの。』

    書き付けて置きたくて書いた文章。その前のめりな愛情が放っておいても勝手に押し寄せてくる。佐野洋子の吐くうそもほんともみんな交ざって白黒の世界に素晴らしく綺麗な彩りを添える。それだけで文句はない。もちろん、当事者は別の感想を抱くのだろうけれど。

    佐野洋子の文章を前にすると、言いたいことがたくさん湧いてくるような気持ちにたちまちなるのだけれど、そのくせ書き始めようとすると一向に言葉が出てこない。もどかしい。けれど実はそれをもどかしいと言ってしまうのは少しばかりお門違いでもある。何故ならば言いたいことというのは、きっと、佐野洋子の書いた文章についてではなくて、佐野洋子の文章を読んであれこれと思い出したことなのだから。思い返してみると、いつもそうだったようにも思えてくる。

    サッシではなく硝子の障子があって、その向こうには濡れ縁があって、そのまた向こうには焚き火のできる土の庭と何本もの果樹があって。砂利道の凸凹や、勝手に遊べる空き地や、そして何よりも近所の遊び友達。友達と言ったって、歳も通う学校もばらばらで名前の知らない友達もたくさんいて、多少の悪さもしたけれど何だか色んなことを学んだ気もする。そう言えば、鳩をもらって育てたこともあったっけ。秘密基地を作る場所にも不自由しなかった。

    そんな書いてあることとは関係のない思い出が次々と浮かんで来て、不思議な感慨に耽る。自分のことではない筈なのに、いつの間にか主人公のケンに自分の思い出を重ねて読んでいる。そして本の中で佐野洋子を通してあの時代の親の気持ちに触れたような気にもなる。もちろん、細かいちぐはぐはあるけれど、そんなことは全く気にもならない。無垢な幸せとでも言ったらよいような心持ちを思い出す。もちろん、楽しい思い出ばかりとは限らない。あの時感じた淋しさや悲しさも同時に溢れ出してくる。そして、佐野洋子に昔自分がやった悪さをずばり指摘されてびくりとする。ねえ、佐野さん、どうしてわかるの?

  • まさにおサルさんのような佐野さんの息子と友人たちの行状に笑いながら読んできて、最後にガツンとやられる。

    「何でもやってくれと思う。子供時代を充分子供として過ごしてくれたらそれでいい。悲しいこともうれしいことも人をうらむことも、意地の悪いことも充分やってほしい。  そして大人になった時、愛する者に、君は何を見ているのだと他者の心に寄りそってやってほしいと思う」

    佐野さんにこんな「遺言」があったのだ。ここに収められているのは、息子の「げんちゃん」がもう自分のことは書くなと怒ってから、発表されることなく原稿用紙に書きためられていたものだそうだ。「あとがきのかわり」として、息子さんがこうして本にしてもいいという気持ちになった心の動きを綴っている。これが実にいい。

    十代の終わりの頃「あら、あなたがげんちゃん?」と知らないおばさんに腕をつかまれて、凄い顔でにらんだことがあったそうだ。自分の知らない人が、自分のことを読んで知っている。しかもそれは「少しの大袈裟と嘘を好き勝手にちりばめ」たもの。不愉快で当たり前だ。

    「もしかしたら僕から見た大袈裟と嘘が、彼女の中ではすべて真実なのかもしれない」「全く同時に違う体験をしていたのかも知れない。そうか。そうかもな」という洞察に至るまでには、かなり時間が流れたことだろう。「そろそろいいか。許してやろう。今だったら知らないおばさんとも仲良くできそうな気がするし」という言葉が胸にしみた。一番いいのが最後の一行。さすが佐野洋子の息子だなあと晴れ晴れとした気持ちになる。

    「僕にはもっともっと楽しくて美しい、佐野洋子が知らない僕だけの『ケン』の思い出がある」

  • 佐野洋子さんの没後に見つかった未発表原稿を中心に、息子の広瀬弦さんが編集したもの。収録作品の主人公は弦さん、つまり幼い頃から思春期くらいまでの息子の日々を描いたもの。
    佐野洋子さんってぶっ飛んでる女性という印象でいたんだけど、読んでみると母らしい母の面もあるんだなと、正直なところ驚き。これでいいのかなと思ったり不安や迷いもあり、また息子を信じ直したり見直したりの連続。何だか、息子だからこういう思いを抱くのだろうなと思ったりも(娘だったら同じように思うだろうか)。
    未発表原稿だったわけだけど、佐野洋子さんはどうして世に出さなかったのだろう。弦さんは、自分のことを書くなと言ったからじゃないかと「あとがきのかわり」に書いているけど……。
    最後に収められている「愛する者」の締めくくりの一文が素敵だ。以下の通り。
     
    何でもやってくれと思う。子供時代を充分子供として過ごしてくれたらそれでいい。悲しいこともうれしいことも人をうらやむことも、意地の悪いことも充分やってほしい。
     そして大人になった時、愛する者に、君は何を見ているのだと他者の心に寄りそってやって欲しいと思う。

  • 直前に読み終わった「ポイズンドーター・ホーリーマザー」へのアンサーか、とも思える部分を引用。
    *
    『何でもやってくれと思う。子供時代を充分子供として過ごしてくれたらそれでいい。悲しいこともうれしいことも人をうらむことも、意地の悪いことも充分にやってほしい。
    そして大人になった時、愛する者に、君は何を見ているのだと他者の心に寄りそってやって欲しいと思う。』

  • 本文からのあとがきが秀逸。

  • 私は疑いもなく子供を愛しているが、その愛が充分で、適切であるかどうか、うろたえる。

    作者のこの言葉は、全ての母親の気持ちなのではないか。
    生き生きと、息子の幼少期を切り取る作者。あなたの作品に登場したくないと、息子は母に言うが、今になって、もっと書かせてやれば良かった、と振り返る。

  • 佐野洋子はいいエッセイを書く。これもいい。けど・・・
    弦くんがあとがきで「書きたいだけ書かせてあげればよかった。かあさん、ごめんね。なんていう訳ない!」って書いてたけど、ほんととうそが取り混ぜて書かれているって。あたりまえだけど。まあ、楽しかったです。

  • 暖かい気持ちで
    読み終えました。

  • 小心者の母親に育てられたうちの息子は可哀想だったのかな・・・と少し思った。

    かっこいい、佐野洋子さん。

  • (ほぼ)未発表の、息子さんに関する原稿をまとめたもの。佐野洋子さんという人間の、母たる部分が垣間見える。

  • 「点滴」はIBM USERS掲載・時期不明、その他は新発見原稿です。と書かれてます。
    佐野洋子氏の著作は全部読んだ気でいたんだけど(ファンなので)、あれ?読み逃していたのがあったのかな?と思ったら、死後発見された未発表原稿だそうです。

    まず、題名がいい!(笑。
    私は男児を産んだことないですが、一人娘だって、小さい頃はサルだったわ。としみじみしたり、ニヤリと笑ったりして読みました。男の子の友情って、いいね。

    失礼ながら、本編よりも「あとがきのかわり」として描かれている広瀬弦氏(佐野洋子氏の息子)の文章、(たった2ページ)が、抜群に良かったです。とても良かったです。こっちが主流といっていいくらい。
    このあとがきが、この本に幾重の深みを与えていると思います。
    引用しまくりたいくらいですが、たった2ページのこの宝物は、ブクログには引用しないことにしました。
    もし本屋でみかけたら、最後の2ページ、この「あとがきにかえて」を読んでみることをオススメします。(もちろん全部読むのがいいんだろうけど)

    小説家じゃなくたって、私も含め、おかあさんだったら、何か感じるものがあると思います。(大人になった息子が読んでも、イイものがあると思う)





    また佐野洋子さんの新刊を読みたいなぁ。
    残念です。

  • これを小説というのか、エッセイというのか、ドキュメンタリなのか、分類に困って佐野洋子というカテゴリを作りました。佐野洋子さんはまだ生なましく存在します。
    奔放に生きたと思われている佐野さんの、お母さんとしての顔が書かれています。きっと、これは事実じゃない、でも、フィクションでもない。息子さんが言うように「大袈裟な嘘」かもしれません。でも、書かれたものの中にだけ真実はあるのです。佐野さんの書くものは、いつもそう感じます。

  • 子供たちの姿がいきいきと書かれている。

    お母さんの顔も佐野洋子の顔の一つ!

  • 佐野洋子が書きためていた息子(広瀬弦)と友人たちの成長記。有名人を親に持つと、子どもは大変でしょうね。広瀬さんも、一時期佐野さんに自分の事は書くな!と言ったらしい。そして、佐野さんは書きたい思いを封印して、自分だけで書きためていたらしい。それがこの本。佐野さんの死後、広瀬さんが自分の意思で出版になったという。

    朝日新聞に大竹しのぶが連載しているエッセイに、イマルちゃんとおにいちゃんの会話が載っていって、両親が有名人のイマルちゃんには良かった事も嫌だった事もイッパイあるでしょ、とおにいちゃんが語りかけているエピソードが載っていた。おにいちゃんだって大竹しのぶの息子と言うだけで充分大変だと思うけど、同じ世界に進んだイマルちゃんは色々あるんでしょうね。
    広瀬さんも佐野さんと同じような世界に職を得たわけで、やっぱり佐野洋子の息子は…的な事は多々あるのだと思う。私もそう思う事は度々あります。
    この親にしてこの子あり的な下世話な興味は誰にでもあります。そこをゴシップネタ的に終わらせないところは、佐野さんの感性と力量でしょうか。

    ケン君と親友同盟の二人のそれぞれの成長を楽しく読ませてもらいました。

  • 2015年5月刊。18編の童話風エッセイ。1編は、商業誌発表。17編は未発表原稿。佐野さんらしく、息子のことを潔い視線で、理解するところが楽しい。

  • 子供たちがなんていきいきと書かれているのだろう!
    なんておバカなんだろう!
    そして、そんなどーしようもないサル君たちを、愛情をもって温かく見つめる母の眼差し。
    すごく心が温まる本でした。

  • 『100万回生きたネコ』の著者が自分の息子との生活を描いたエッセイ。佐野洋子さんが母親として息子とどういう関係で暮らしてきたか、親子関係ほど難しいものはないけれど、子供との接し方に悩む親たちにとっての多くのヒントが描かれているように思った。

  • 2015.8.15
    読了。

    一気読み。

    おもしろーい。
    今はまだ2歳だからかわいいかわいい気持ちが強いけど、男の子ってこんな感じなのかー。男の子の母親ってこんな感じなのかー。おもしろーい。

    大変だろうけど、息子の成長がなんだか楽しみになった。こんな風に付き合える母ちゃんになれたらいいなあ。

    いわゆる育児本よりわたしには響いた。

  • ケンちゃん、ウワヤくん、よっちゃん。保育園の幼なじみの親友たち、父の死、離婚、転居を経て中学生。絵本風に日常の断片を切り取ったエピソード。大袈裟と嘘か、母親にとっての真実か。

    笑い話的なものかと思っていましたが、母親としてのリアルな経験という感じでした。親になるのも悪くないと思えました。

  • 佐野さん、きっと笑ってそうだ。出版するの?みたいなかんじで笑ってそうだ。新刊読めなくなったこと、本当に悲しく思ってたので楽しみでもあったが怖かった。
    佐野さんは、なんだかんだ言いながらも、いつも前進して向かっていく人だった印象なので本人が了承している内容なのだろうかと思って。

    発表用だったのだろうか。少し毒薄めなかんじ。

    広瀬弦さんのあとがき付き。やっぱり佐野さんはもういないのかー。(当たり前)

  • 大好きな佐野洋子さんのこの本は、亡くなった後に見つかった未発表作品。息子さんの幼い頃から反抗期までが彼の友人らも含めて淡々と書かれている。うちにも男の子がいるから「あぁそうそう、男子ってこうだよなぁ」と思う箇所多し。幼い息子さんとの会話を読んでも、反抗期の息子さんの様子を読んでも、胸がキュンとなる。

  • 男の子ってやっぱり可愛いし面白いなと思った。もっと量があるエッセイなら尚良いなと思った。

  • 佐野さんの遺作と言って良いのでしょうか。コツコツと書き溜めた息子さんの成長の記録。母親としての佐野さんは息子さんや、ご近所の方々、息子さんのお友達と丁度良い距離感で良好な関係だったんだなぁ、と。あとがきに息子さんが書かれた内容は実に佐野さんに似ていると思いました。照れ屋だけど、心のある方。息子さんの意向ではお蔵入りだったかも、しれない一冊。佐野さんは思惑通り出版出来た事により、きっと天国で薄く微笑んでいるのではないでしょうか。

  • 産前図書館にて。
    子供を持つ母って、いつまでたっても
    このくらいの幼い時期の姿や発言を
    大事に大事にしていくのかなー…
    著者が亡くなる最後の作品ということもあって
    せつない一冊。

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私の息子はサルだったの作品紹介

サルのようにおたけびを上げている息子は、どんな大人になるのだろうか。私は疑いもなく子供を愛しているが、その愛が充分で、適切であるかどうか、うろたえる。誰が見てもいい子ではない。学校で一日五回も立たされる。ただ、大人になった時、愛する者を見守り、心に寄りそってやって欲しいと思う――。『100万回生きたねこ』『シズコさん』の著者が自らの子供を見つめて描く、心暖まる物語。

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