ローマ人の物語 (5) ユリウス・カエサル-ルビコン以後

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (492ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103096146

感想・レビュー・書評

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  • クレオパトラの死、シーザーの暗殺あたりまで。
    だいたい面白いところはカバーしている。

    ファッジ→ファシズム
    ローマ式敬礼→ムッソリーニ→ナチス

    小カトーとかキケロも死ぬ
    カエサルの「寛容」の度合い
    ちょっと大久保利通を思わせる

    スッラ式で行けば暗殺もなかっただろうに

    包囲殲滅とか海戦
    クレオパトラに厳しい見方

    カエサルの政治力と武力
    さすが歴史に足跡を残す人だなあ

    法の人、ローマ人
    哲学の人、ギリシャ人
    日本人は情の人?空気に流される人?大衆迎合の人?

    HBOのTV映画ROMEを見始める

  • カエサル編終幕!まさに激アツ、古代ローマが産んだ稀代の天才政治家にして天才司令官にして天才文学者。現代のリーダーが見習うべきマネジメント、戦略思考、グローバルコミュニケーションのエッセンスが山ほど詰まっていたなー。アントニウスとクレオパトラの物語も面白い。そしてここから始まるオクタヴィアヌス、アグリッパ、メチェナスによる帝政ローマ、そしてパクスロマーナ!次官もとても楽しみだ。

  • カエサルはついにルビコン川を渡り、ポンペイウス擁する元老院派との対決に臨む。決意を決めたカエサルとは対照的に、国賊認定をしてカエサルを追い込んだ元老院派はルビコン川を越えたカエサルの行動は予想できていなかった。冬季であったため、軍勢を整えるためにも春まで待つだろうと予想をしていたからであった。準備ができていないポンペイウス陣営は、早々にローマを捨て南伊ブリンディシに向かい、イタリアをも捨てギリシャへと渡る。ポンペイウスは地中海の海賊一掃作戦を通して地中海全域に渡り多数の「クリエンテス」を有しており、イタリア内での決着よりも地中海全域を盤面とした方が有利とみたからであった。カエサルは当然この展開を防ぐべくイタリア内での早期決着を望んでいたが、海軍を持たないカエサルは港を封鎖することができず、ブリンディシ包囲戦でポンペイウスをイタリア内に留めることはできなかった。
    ポンペイウスをギリシャに逃した事で長期戦となった対決だったが、「東」での決着を万全とするには「西」のスペイン・「南」のアフリカを支配下におき、背後の憂いを断つ必要があった。カエサル自身はスペインに赴き、ポンペイウス配下の将を降伏に追い込んだものの、アフリカを任せた若き将クリオは任務を果たすことができずアフリカの地に散ることとなった。
    南への憂いを残す形となったが、カエサルはポンペイウスを追いギリシャへの向かう。決戦の地をギリシャに移した後は、ドゥラキウム攻防戦、ファルサルスの会戦にて決着となり。ポンペイウスは逃亡を強いられる形になる。この時、ポンペイウスには2つの選択肢があった。①クリオを撃破したポンペイウス派の武将と合流し体制を立て直して再度カエサルとの対決に挑む。②エジプトのプトレマイオス朝への「貸し」を頼りに、一時の助力を乞う(プトレマイオス朝を共同統治している姉と弟の父親は過去にポンペイウスに助力を求め、ポンペイウスのお陰で王に返り咲きした過去がある)。ポンペイウスの取った選択は②であったが、これが判断ミスとなる。カエサルの覇権を予知したプトレマイオス朝は、ポンペイウスをだまし討ちしてしまう。エジプトに到着したカエサルはポンペイウスの変わり果てた姿を見て涙を流したと言われている。すぐにローマへ帰ると思われたカエサルだったが、意外に長期滞在をすることになる。弟(プトレマイオス13世)と姉(クレオパトラ)の権力闘争を収める必要性を感じたからであった。この時、有名な逸話として国外逃亡中の身にあったクレオパトラは洗濯籠に隠れてカエサルの居室に侵入し、カエサル目の前に突然現れてその美貌で魅了したというのがある。クレオパトラの鼻がもう少し低ければ歴史は変わっていた、みたいな、どうしようない話も残っている。(クレオパトラに魅了されたか否かはともかく)カエサルの下した裁定は、先王の遺言(弟と姉の共同統治)を守る、という事であった。プトレマイオス13世陣営からすればたまったものではない。カエサルへ反抗しアレクサンドリア戦役が始まる。戦力では劣ってたカエサル陣営は援軍が来るまで耐えるしかないが、援軍が合流した後は即決着となり、プトレマイオス13世は戦死。戦役後もカエサルは姉クレオパトラともう一人の弟プトレマイオス14世との共同統治を裁定するが、プトレマイオス14世はまだ幼いため、実質的にはクレオパトラ単独の王位となる。ポンペイウスの残党が残るアフリカへ赴いたカエサルは、タプソスの会戦にて勝利し、内乱を終えるのであった。
    ローマでの凱旋式を終えたカエサルは、終身独裁官として様々な治世を行うも、カエサルの独裁を警戒した勢力により3月15日に暗殺されてしまう(著者によると、ヨーロッパでは3月15日はカエサルが暗殺された日として皆が認知しているとのこと、本当か?)。カエサル亡き後は、ローマ世界はアントニウスとアクタヴィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)の覇権争いへとステージを変える。オクタヴィアヌスはカエサルの姉の子を母親にもっており、カエサルの遺言状にて後継者に指名されていた。暗殺者のメンバーには、カエサルの元幕僚も名を連ねており、カシウス、マルクス・ブルータス、デキウス・ブルータスが主要なメンバーと言える。デキウス・ブルータスはカエサル配下の軍団長であり、遺言状ではオクタヴィアヌスに相続できない場合の次点に名前を挙げらていたほど信頼されていた人物であった。「ブルータスお前もか」のブルータスは、一般的にはカエサルの愛人セルヴィーリアの息子であるマルクス・ブルータスとされているが、このデキウス・ブルータスの事を指す説もあるとのこと。暗殺直後は騒然となったローマも、次第に英雄カエサルの暗殺者達を恨むムードが醸成されていく。共和制主義者のキケロは暗殺者達を援護する事でローマが共和制に戻る機運を高めようとするが、既に時代はそれを許さなかった。カエサルの死後専横を誇っていたアントニウスを弾劾する演説(フィリッピケ)を行うも、民衆の支持は得られなかったようである。軍事力を得たオクタヴィアヌスは、元老院を脅して暗殺者達を国外追放とする法案を成立させ、北伊属州へと旅立つ(この時、キケロはオクタヴィアヌスがアントニウスを打倒してくれる事を期待していたらしいが、オクタヴィアヌスとアントニウスが組んで第二次三頭政治を表明した事で希望は打ち砕かれた)。三頭政治と言っても、その一角レピドゥスの存在感は薄く、実質的には二人のタッグであった。この二人はカエサルの「寛容(クレメンティア)」の精神は引き継がなかったようで、スッラばりの「処刑者名簿」を作成し、共和制主義者・ポンペイウス派の人物を皆殺しにしてしまう。
    この後は、オクタヴィアヌスとアントニウスの権力闘争の色が濃くなるが、この時点は圧倒的にアントニウスが有利な状況だった。アントニウスはローマを二分し、「西」をオクタヴィアヌスに、裕福なオリエント文化圏を有する「東」を自身の担当とした。エジプト女王のクレオパトラを呼びつけカエサル・ポンペイウス対決の時に協力しなかった事を弾劾しようとしたアントニウスだが、豪華絢爛な登場を演出したクレオパトラに圧倒されると共に、クレオパトラに文字通り骨抜きにされてしまったアントニウスのこの後の運命は悲惨なものとなる。クレオパトラとの間に子供を設け、事あるごとにクレオパトラ寄りの判断を行うようになったアントニウスに対し、ローマの民衆は冷ややかな視線を送る。アントニウスとしては、カエサルも成し遂げられなかったパルティア遠征を成功させれば、カエサルの後継者であるオクタヴィアヌスの正当性も失われるだろうという戦略であった。ローマ防衛線構築のためのパルティア遠征なら兵もついてくるが、クレオパトラの野望に巻き込まれたアントニウスはパルティアの占拠を戦略とするも、これでは兵はついてこない。結局パルティア遠征は失敗に終わり、あまつさえ凱旋式をエジプトにて行うという暴挙に出た事でローマ市民の反感を買ってしまう。オクタヴィアヌスは巧みにプロパガンダを行い、アントニウスをそそのかしたクレオパトラという図式を喧伝し、あくまでもローマ対エジプトという図式の中で、打倒アントニウスに向けて軍を発するのであった(オクタヴィアヌス対アントニウスという図式とでは、兵の士気に差が出るからであった)。
    オクタヴィアヌス対アントニウスの決戦は「アクティウム(ペロポネソス半島より北西の海域)の海戦」に委ねられる。アントニウス側は最初から海戦にて敗北した際はエジプトの陸戦にて決着を行うという戦略を決めていたがこれが裏目に出てしまう。海上に指揮を執っていたクレオパトラが激戦の地獄絵図に折しも吹いた北からの風に乗り早々に離脱してしまったのである。アントニウスもこれを追い南へ逃げるが、主力軍が湾に取り残されオクタヴィアヌス軍に囲まれて降伏してしまう。これを見たアントニウスは絶望することになる。
    ローマ軍が迫る中、残る騎兵を先導し迎え撃とうするものの、味方騎兵の寝返りに遭う中、クレオパトラ自死の報をアントニウスは受け取る。これに絶望したアントニウスは自死を選ぶが即死はできなかった。そこにクレオパトラの自死は誤報であると告げる使者が到着し、アントニウスは自身をクレオパトラの元へ連れていくよう命じ、死後は愛する女クレオパトラの腕の中で死んだ。クレオパトラはローマへ連行される道すがら、忍ばせた毒蛇で自死したと言われている。ここに長きに亘った内乱が終結するこになり、オクタヴィアヌスによる「パクス・ロマーナ」の時代となるのであった。

  • ルビコンを渡って以来のカエサル動きから、暗殺、混乱を経てアウグストゥスが派遣を確立するまでの物語。

    実質20年に満たないが、内容の濃い時代。カエサルの類稀なるリーダーシップ、固定観念に囚われない決断力、人間的魅力、これらが制度疲労を繰り返共和政の中で彼が台頭した原因。しかし、民衆に愛されたカエサルも共和政エリートの中ではそうでは無く、独裁を強めた結果、凶刃に倒れる。

    その後、カエサルの後継者を自認するアントニウスとオクタヴィアヌスが、ブルータスら下手人を討ち果たし、最後は西と東に別れて対決姿勢を強めていくが、ここで光彩を放つのがエジプト女王のクレオパトラ。アントニウスを絡め取るのは良かったが、アントニウスがこれで堕落し、女にうつつを抜かしたダメ男の典型のように部下やローマ人の信頼を失っていく。クレオパトラについては、特に女性の目からか塩野さんの視線は厳しいが、それにしても他の同盟諸国のようにローマ内の主導権争いを静観せず、肩入れしてしまったがためにプトレマイオス朝を滅びに追いやることになる。これに対して、オクタヴィアヌスはアントニウスの失点を冷静に利用して地歩を固めていく。現実の世渡りを考えても示唆に足る二つの対称的な生き方である。

    これによってオクタヴィアヌスが、アウグストゥスとしてパックスロマーナを確立する基盤が整ったことになる。

  • 20210509
    カエサルがルビコン川渡河後にポンペイウスを始めとする共和制派を打ち破り、国政改革を実施して、暗殺される。その後、アントニウスとオクタヴィアヌスがブルータスを始めとした共和派を打ち破り、その後オクタヴィアヌスがアントニウスを倒してマリウスとスッラ以来続いた民衆派と元老院派の長かった内乱は集結する
    ・賽は投げられた、来た、見た、勝ったなどのフレーズを残したカエサルの文章力
    ・軍最高指揮官インペラトール、護民官特権、プリンチエプス、最高神祇官というローマ伝統の職務を兼任することで権威と権力を集め、合法的に元首政へ移行したスキームの確立
    ・オクタヴィアヌスの元老院尊重の建前に比べて、直截的すぎた元首政への移行が暗殺成功の一因
    ・ガリア指導層へのローマ市民権と元老院議席の付与、解放奴隷の役職登用は、ローマの敗者をも同化させ階級間の流動性を確保する、開放的なポリシーの積極的な実践
    ・1年365日、4年に一度の閏月という暦の改革
    ・クレオパトラの野心と、彼女への愛にのめり込むためにローマ市民としての立場を失ったアントニウス

  • 図書館長 井上 敏先生 推薦コメント
    『ヨーロッパの歴史を理解するにはまずローマの歴史。独特な書き方だが、ローマの建国から西ローマ帝国滅亡までの通史を知るにはちょうどいい。研究者からの批判もあるが、理解しやすい。』

    桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPAC↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/book/215025

  • ルビコン以後は カエサルとポンペイウスの内乱、元老院との政治闘争が中心。外国だけでなく、自国をも デザインしようとしたのが、ハンニバルやポンペイウスとの違い

    カエサル50歳以後の 数々の改革は 驚く。ローマの安定成長の基礎を カエサル一人で 築いている

  • 歴史ドキュメンタリー。

  • カエサルってすごい人やったんやねえ…。そして、クレオパトラって歴史にこう絡んでたのねー。次はいよいよ帝政か。

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