いまなぜ青山二郎なのか

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著者 : 白洲正子
  • 新潮社 (1991年7月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103107071

いまなぜ青山二郎なのかの感想・レビュー・書評

  • 青山二郎。小林秀雄をはじめ、著名な文士との関わりとの文脈で語られる人物の命を白洲正子が切り取る傑作。ありきたりの言葉で感想はかけない。

  • 白州正子さんの本は大学の図書館で偶然手に取って以来、殆どの著書を読んでいますが、すべて読みつくしてしまうのが勿体無くて、手を付けていない本を何冊か残しています。
    その残しておいた本の1冊。
    青山二郎さんの人生を事細かく知ることは出来ないけれど、彼の思想や美意識について白州正子さんが感じたことを読むことが出来ます。
    小気味よい語り口が魅力です。

  • 難解。
    書いた端から違う人となってしまう。
    変幻自在な形のない人。だからこそ、魂の宿る形を求めたのかな。

  • 日常の中の退屈…。退屈の中の日常だったかな。晩年、志賀高原の側のホテルで部屋の床いっぱいに買い溜めた贋作の壺を並べて「承知」と張り紙をしていた下りが好き。今風にいうとハイパーニートな青山二郎

  • 2010/4/18
    濃密な人間関係があると味わいがある文章が書ける。
    親友の小林秀雄との仲たがいは自分の過去と
    引き比べてなんとなく共感。
    美に生きると言うのは本当に厳しい。
    ホンの中にあるやきものの写真群はどれもこれも
    美しく味わいがあり、手元でじっくり見てみたい代物ばかり。
    奇人・変人。「二郎で」ジィちゃん。
    小林秀雄による評「ジィ公は何一つとりえのない奴だが、
    正直で打ち込みの深いバカヤロウなんだ」

  • 透明な眼で何かを見る 
    人は誰しも言語をもってしまうので それはあたりまえのようでいてとても難しいことだ
    一級品であること もしくは一級品になり得るもの あるいは精神の表出をなしているもの
    知識や技術だけではない しかし精神“的”なものでもない
    それらを見出す時は 眼になるのだと彼は言う

    透明な眼で何かを見る ということは
    ある種 尖鋭な槍を肌身離さず懐に携える覚悟にも似ているし
    自分を囲う壁を死ぬまで 透明に近しくするよう
    たとえ摩滅してかろうじて立っていられる薄さになってしまおうとも 磨き続ける そんな覚悟にも似ている
    その鍛錬の方法は人に寄りけりであろうが、この人の在り方もまた難儀なものだな と思う
    彼が仕事としてあらわす輝きは、本当に反射の一瞬のみだ
    けれどそれは最上の光だ
    その反射を手伝う小林秀雄のような人がいたのはどんなにか救いであったろう
    ここにはその絶妙な乱反射の軌跡が生々しく描かれていて まるで私も今、其処にいるかのような高揚感を味わう
    【早く尼になって、白いきものを着てすらりと立ってみせてごらん】
    そんなふうに言われた白洲正子がもうすこし【尼になって】いたら、この書物はきっとこうまで生き生きとはしていない

    青山さんが亡くなった翌年に私はこの世に生を受けた
    このブランクはささやかなようでいて実に大きく、現代に生まれた私達はどれだけ忠実に彼の精神をなぞらっても、彼の高潔な精神を受け継ぐことは出来ない
    あらゆる便利さや経済的・物質的な恩恵に与って生きている私達はどこかしら、あらかじめスポイルされていて、似せたところでスカスカのハリボテになるのが落ちなのだ

    【たましいがあるのなら形に出るはずだ】

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