若き日の友情―辻邦生・北杜夫往復書簡

  • 58人登録
  • 4.25評価
    • (4)
    • (2)
    • (2)
    • (0)
    • (0)
  • 9レビュー
著者 : 辻邦生 北杜夫
  • 新潮社 (2010年7月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (319ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103142218

若き日の友情―辻邦生・北杜夫往復書簡の感想・レビュー・書評

  • 辻邦生が亡くなって久しい。若き日の辻と北杜夫、それに辻佐保子さんの書簡を読むことができ、また丁寧に読み返したくなった。

  • 2人の作家が20歳、22歳のときから始まった往復書簡の数々。あまりにも頻繁なやりとりに驚きです。1948年から61年までの160通を超える往復に親密さを感じ、驚きです。そして途中からは辻の奥さん、佐保子が加わったりして。文学論が出てきたり。私の好きな北の作品が「幽霊」ですが、辻夫妻がこの本を大変高く評価していて、度々言及されるのは嬉しい限りでした。辻によれば「幽霊」は「抒情的気分と一種の形而上学的な瞑想的な調子のところは流石にマンの息子らしく気品があり、何度も読み返しました。」【54年5月7日】とのこと。小説でも「詩」性があるものが、本当の文学との主張には全くその通りだと思います。

  • 辻邦生と北杜夫の往復書簡集。出だしが「僕のリーベ」で始まる書簡集。
    互いに相手の才能を本人以上に信じ、敬愛しあった様子がみてとれる。
    一足早く作家として成功した北の試行錯誤や煩悶に、辻はこまめで真摯な批評をし、遠い異国の地で何者にもなれないと焦燥する辻に、北は根気良く熱心に文筆活動をするようかき口説く。

    1948年から辻がパリ留学を終えて帰国する1961年までの書簡だが、黎明期互いに相手の信頼に応えるように切磋琢磨した二人の信頼関係は帰国後も変わらず、その稀有な友情は晩年まで続いた。再読。

  • (2010.11.15読了)(2010.11.09借入)
    1948年3月から1961年5月までの間に辻邦生と斎藤宗吉(作家・北杜夫)の間で交わされた手紙・はがきをまとめたものです。年齢は、辻さんの方が2年上なのですが、留年等のために、大学に入ったのは、斎藤さんより1年遅れたようです。
    一緒に過ごした高校生時代は、手紙のやり取りは必要なかったのでしょうが、離れて過ごすようになって、手紙のやり取りが始まったようです。
    斎藤さんは、「幽霊」で一足先に作家デビューし、1960年には、「どくとるマンボウ航海記」がベストセラーとなり、『夜と霧の隅で』が芥川賞を受賞し、文壇に確固たる地位を築いてゆきます。
    辻さんは、1953年に結婚し、評論や翻訳の仕事を始めています。1957年には、妻の佐保子さんとパリに渡ります。パリから小説に関する評論を送り、斎藤さんを仲介にして、掲載する雑誌の出版社を探してもらっています。1961年に辻さんがパリから日本に戻ったところで終っています。
    斎藤さんと辻さんの間の信頼関係が実によく伝わってくる手紙・はがきです。手紙・はがきだけなので、実際のあった時にどんな様子なのかは、わかりません。
    文面に添えてあった、辻さんの挿絵が掲載されていますが、実に上手です。辻さんは、トーマス・マンを高く買っているようです。(トーマス・マンは、一冊しか読んでないな。)

    ●辻さんの恩恵(7頁)
    辻に恩恵を受けたことは多々あるが、一つはトーマス・マンの墓を見に行ったこと。もう一つはチロル地方にまで旅したことである。
    ●僕は晩咲き・1956年・辻(126頁)
    僕は、近頃、自分が雪国の晩咲きの花かもしれないと思うことで、あまり自分を痛めつけないようにしています。長い冬が過ぎ去っても、まだ雪が解けない。太陽が暖めて、暖めて、やっととかしたと思ったら、草の芽は、なかなか頭を持ち上げない。それでもある日、土くれのおかげで、小さいけれど、綺麗な花が、笑っていることもないじゃありません。
    ●へたばっている・1959年・斎藤(193頁)
    今、へたばっているので、写真など見返す余裕もなく、マンガ本ばかり見てごろごろしているが、パリなんかにいた時はまだ元気で楽しかった。このところ、こんなに老いぼれては、もう嫁さんでももらってお茶でもわかしてもらいたい心境になって困る。
    (斎藤さんは、マンガが好きだったようです。)
    ●世界はひとつ・1959年・辻(196頁)
    日本の文学は日本に居なければ書けないということはないし、日本のものだけを書くのが日本文学だとも思えない。もう現実として、日本という国籍は影の薄いものになりつつあり、それはフランスにもアメリカにも当てはまることだ。つまり「世界」という現実が我々の前にあるのだし、我々は日本語によってこの唯一の「世界」という現実を表現するにすぎないのだと思う。
    ●夢想が芸術になる・1960年・辻(225頁)
    小説が夢想を人物なり行動なりに翻訳するものであることを最近は痛切に感じている。僕の小説論もその点に論旨が集中されている。ルポルタージュ式のや、事実小説の類はもちろん、意識の中に、何かを伝えようという気持ちがあったら、小説は絶対に、芸術作品とはならない。プルーストの小説の偉大さは、この自然主義小説の写真のような写実を突き破って、自由な人間の感受性を発見したところに、作家の使命を見出した点にある。
    ●書きたくて書きたくて・1960年・辻(242頁)
    今は、書きたくて書きたくて、気が遠くなりそうだ。書いているときは、本当に仕合せな感じだ。そのうえ、活字になって人に読んでもらえるのなら、こんな仕合せはない。

    著者 辻 邦生
    1925年 東京生まれ
    東京大学仏文科卒業
    1957年より三年... 続きを読む

  • 辻邦生と北杜夫の魂の結びつきは稀有なものだと思う。手紙の文面からも互いに存在の支えになり、お互いを高め合っているのがよく分かる。

  • 共に著名な文学者として名を馳せた二人が、若き日に同じ高校の同級生として親交を深めていた事実に驚く。入学年次も専攻も違ったものの、二人は旧制松本高校の同級生であった。この本には、1948年3月10日から61年5月15日までの、ふたりの間で交わされた161通が収録されてる。日本アルプスのふもと、風光明媚な松本の町で、愛好するドイツ文学をきっかけに、類まれな友情をはぐくんだ二人は、大学進学後も交流を続ける。家業の助けのために医学の道へ進んだ北杜夫は仙台の東北大学へ。一方、卒業年次でも後れを取った辻邦生は、松本にとどまり一年後に東大仏文科へと進む。最初の手紙は、辻さんが22歳、北さんが20歳の時のものだ。共に文学を志しながら、お互いの作品を批評し合う二人は、遠隔地での交流を手紙と葉書に託す。やがて数年後、いよいよ北が小説誌に作品を発表し、辻は妻と共にパリへ留学を果たす。二人の交流は、北が「どくとるマンボウ」としてパリに遊んだ頃をピークに、長い手紙によるやり取りを盛んに行うものとなる。電子メールもそれこそ電話も使えない、手紙の時代らしい人間同士のスローな付き合い方が何とも奥ゆかしく懐かしい。

  • 口絵の写真が微笑ましい。
    手紙も著書と同じような文体なのがおもしろい。

  • 作家の書簡集とかにはほとんど興味はないのですが、北杜夫さんと辻邦生さんは、お二方ともぼくにとってはちょっと特別な存在ですので。

全9件中 1 - 9件を表示

若き日の友情―辻邦生・北杜夫往復書簡を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

若き日の友情―辻邦生・北杜夫往復書簡を本棚に「積読」で登録しているひと

若き日の友情―辻邦生・北杜夫往復書簡の作品紹介

旧制高校で出会った二人は、終生の友として励ましあい、文学と人生について語り合った-。大学の下宿先から、滞在先のパリから、そして「どくとるマンボウ航海記」の船上から-。昭和23年より36年までの、160通を超える手紙が伝える、熱い友情のドラマ。

若き日の友情―辻邦生・北杜夫往復書簡はこんな本です

若き日の友情―辻邦生・北杜夫往復書簡の文庫

ツイートする