死んだら何を書いてもいいわ―母・萩原葉子との百八十六日

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著者 : 萩原朔美
  • 新潮社 (2008年10月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103168119

死んだら何を書いてもいいわ―母・萩原葉子との百八十六日の感想・レビュー・書評

  • 萩原朔太郎の詩が大好きで、大学の時に日本文学の講座の先生から、朔太郎の実態みたいなものを聞かされて大変驚きました。
    なので、いつかは娘さんの本も読まなくてはと思っていましが、ご自身が受けたといわれる虐待等の生々しい描写から読むのを避けていました。
    ならば、孫の方なら大丈夫だろうと思い読みました。

    すごく、読みやすくて面白かったです。幼少期の思い出から介護のために母と同居し、亡くなるところまですんなり読めました。
    やはり、偉大な文学者や芸術家のいる家庭というのはとても大変なのだと感じました。
    例えるなら嵐のようのように周りを引っ掻きまわし、深い爪痕を残してゆく。
    母親の葉子さんの苦悩を一番近くて見ていた朔美さんの苦悩。
    朔太郎の残したものが、こんなにも家族を苦しめていたとは知りませんでした。
    この本を読んで、朔太郎の詩の見方も少し変わってきました。

    また、同居するにあたってお互いの物を大量に捨てるくだりが面白かったです。晩年になり、母の溜め込んだ大量の物をぽいぽいと捨ててゆく描写はコミカルで大変小気味良いです。

    近年、断捨離ブームが高まっているので、興味のある方はぜひご覧下さい。

  • 一人息子から見た萩原葉子像。森茉莉の親しい友人だったことが頷ける人物像だった。
    彼女の死後、作者が感じた思いは、
    「私には、私の身に起こった重大な出来事を知らせる親はもういないのか」
    「身内の出来事を知らせる人は居なくなったのか」。
    同じように一人娘の私。身につまされる。

  • 『劇的な人生こそ真実―私が逢った昭和の異才たち』がおもしろかったので、出た頃には図書館で借りられなかった本をさかのぼって借りてきた。『橋』を読んだあと、こっちもその日のうちに読んでしまった。

    「母親について書こうと思ったのは、やはりあまりに慌ただしい別離だったので、そのプロセスを書き留めないと、なにか終った気がしないからだった。」と、萩原朔美は最初のページで書いている。そして、最後のページで、「書いたことで、私はやっと母親の弔いが終ったような気がしている。」と書く。

    最後の小説になった『朔太郎とおだまきの花』の原稿を編集者に渡したあと、萩原葉子と朔美は次の仕事について話したことがあったという。

    「今の自分のことを書いたら」と朔美は軽く言い、葉子は「じゃあ書いてみる」と、少しは書いたらしかった(葉子の死後、混乱の極みの机の上に書きかけの原稿用紙があったそうだ)。

    喪の作業、という意味もあっただろうけれど、朔美は、母が結局は自分で書けなかった晩年の姿まで、まさに「死んだら何を書いてもいいわ」の言葉どおり書いたんやなあと思った。その作業は当然のことながら、朔美が自分自身を振り返るものでもあって、この本は、母の光をあてながら朔美が自分を書いたものにもなっている。

    思い出して書いてみれば、親のことは本一冊書けるくらい何やかやとあるんかなーと思った。

  • 萩原朔美さんが母親のことを書いた本

    『小綬鶏の家』は2人で書いた本だけど、
    この本も同じ空気感
    それでいてやっぱりひとりだからこっそりちょっと寂しくて
    ちらっと出てくる奥さんの話なんかで安心したりして

    自分のことを書かれるのってきっとしあわせな事なんだろうな
    や、自分のことを書いてくれる人がいるしあわせ

  • 母の言葉がタイトル。
    喪の作業でもある一冊。

    萩原朔太郎の娘が
    母の葉子。
    そんなわけで、
    そういう詩人の妻であることから降りて
    出て行った母と別れて暮し、
    探し出したり、
    (父朔太郎をひきずり)夫とうまくいかず
    離婚して、
    ひとりで執筆で母子家庭をやりとおした。

    その萩原葉子という作家
    を母にした一人息子が
    この本の筆者。

    葉子の書くことに徹したことで
    息子とも独特の距離感を作り、
    また高齢期になってから
    一人になってからダンスを始めて
    いきいき踊り発表し
    ダンスのできる家まで立てた。
    最後の最後息子と暮らした。

    それら思い出や記録を起こして
    この本はできた。

    いい悪いでなく、引きずるものが
    どんなふうに人生に
    子育てに
    反映されるのか、

    そんな母のもとで息子はどう成長したのか
    何を感じて生きてきたのか

    他人様の家庭を覗く感じもしないではないけれども。

    こりゃきついなということも
    あ〜なんかわかるなということも
    受け取れた。

    映像作家の筆者のことは
    知らないけれども、
    たんたんと書かれているけれども、
    結構いっぱいな感じになった。

    「不在ということを感じるのは、
    たぶん何気ない日常の出来事の中に
    急に立ち現れてくるものなのだろう」
    (P228 不在の感覚 より引用)

    「私は、さようなら、という言葉が好きだ。
    もしかすると日本語として一番好きかも知れない。
    さようなら。さようである、ならば。
    別れる時、そうであるなら仕方がない、
    この離別を受け入れよう。
    さようなら、という言葉の中には、
    そういう諦念、諦観が入っているから好きなのだ。
    グッド・バイのように、神とともに、ではないのだ。」
    (p234不在の感覚より引用)

  • どんなに親が元気でも、元気だからこそ、80を過ぎたら油断は禁物です。 そして子供がいるということのありがたさ。

  • (200812)

  • 祖父のことは母の著書でしか知らない。母はファザコン私小説作家として著名だ。中学の頃から母とは別暮らしなのに、悲鳴のような母からの電話で同居を決意し186日を暮らす。60歳を過ぎてからも自宅のスタジオで踊りに励んだ精力的で自立心旺盛な方も加齢と肉体の病にはかなわない。高齢者の一人暮らしは壮絶な様相を呈している。朔美さんは家の中の整理に終われ、母のしまいこんだ秘密を知る。たった2日の入院であっけなく死んでしまう母。
    親一人・子一人異性の親子関係は複雑。芸術一族としての矜持を持つ母親は重圧的存在だ。
    母の死で素直な母、優しい母、大変だったろう母が心に浮かびあがってくる。
    「親はこどもが出来て親になっていく。こどもは親がいなくなって、初めてこどもを自覚する」それは切ない真理だ。

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死んだら何を書いてもいいわ―母・萩原葉子との百八十六日の作品紹介

「朔美へ(葉子の希い)葬式なし、戒名不要、花、香典不要」母から手渡された一枚のメモには、こんな文字が記されていた。萩原朔太郎の長女である母の生と死を「親不孝な息子」が綴る静かで切ない鎮魂のうた。

死んだら何を書いてもいいわ―母・萩原葉子との百八十六日はこんな本です

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