花森安治伝: 日本の暮しをかえた男

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著者 : 津野海太郎
  • 新潮社 (2013年11月22日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103185321

花森安治伝: 日本の暮しをかえた男の感想・レビュー・書評

  • 大切な言葉がいっぱい!

  • 文献:p302~308 花森安治略年譜・書誌:p309~318
    抄録 敗戦から3年後の1948年、戦後最大の国民雑誌となった『暮しの手帖』はなぜ創刊されたのか? 編集長・花森安治が黙して語らなかった真の理由とは-。希代の出版人と昭和という時代を描く評伝。

  • 『暮しの手帖』 というただ一つの砦に生涯編集長としてたてこもりつづけた人物。
    表紙写真の髪型には絶句。
    http://blogs.yahoo.co.jp/rrqnn187/12639293.html

  • 文句なく面白い人物評伝である。戦後の雑誌を語る上でもっとも重要な雑誌『暮しの手帖』を立ち上げ、活動してきた花森安治の思想と行動(やや奇矯なそれも含む)が活き活きと描かれ、読むものを引き込む。

    また戦時中、「ぜいたくは敵だ」のコピーライターとしてもよく知られている花森の戦時の翼賛会での活動と戦後の活動の連続と断絶についての考察も興味深い。

    ちなみに著者の津野海太郎氏も『本とコンピュータ』などの編集で知られた名物編集者である。名物編集者による名物編集者の評伝。面白くないはずがない。

  •  一人でも始める。一人でも辞める。
     かつて小田実さんの講演会で聞いた言葉を思い出した。

  • 津野海太郎が書いた花森安治の評伝。津野自身が編集者として多くの仕事をしてきた人だ。その津野が花森に関する資料を読みこんで書いている。

    ▼…こんど酒井寛の『花森安治の仕事』をはじめとする関連資料をまとめて読んで、あらためておどろいたのだが、『暮しの手帖』というのは、じつは偶然のきっかけからはじまった雑誌だったのである。最初に思いついたのも花森ではない。たまたま知りあった大橋鎮子という女性で、まだ二十代だった彼女の提案をうけて、女性むけの生活雑誌をだすという計画が花森の頭にはじめて根をおろしたようなのだ。(p.11)

    花森安治は、1911年、神戸にうまれ、敗戦時は33歳だった。私の祖母と一つ違いだ。祖母も、同じ時代にこういう歳だったのだと思いながら読む。大学まで出た花森と、敗戦時には学校にあがる前の子どもが3人いた祖母とは、同世代といっても、だいぶ違うのだろうけれど。

    "東大の美学を専攻せず、美術学校へ進んだならば、ひとかどの画家として大成した人物であろう"という人物評もあった花森は、しかし、その道を選ばなかった。

    ▼おそらく花森にあったのは、少年時代にアヴァンギャルド芸術運動のコラージュ理論などをつうじて身につけた、ゼロからの創造だけが創造ではない、既成のなにかとなにかを組み合わせて別の阿他らしい意味をつくりだすのも創造のうちなのだ、という確信のごときものだったのだろう。好きなモノやカタチやコトバをあつめ、えらび、それらをつないで、これまでだれも気づかなかった新しい美しさや力を浮かびあがらせる。純粋芸術家として「大成」するよりも、じぶんの能力の使い道はそちら側にあるような気がする。だいいち、そっちのほうがずっと面白そうじゃないか。(pp.82-83)

    戦中のことについて花森が語ったものに、『中央公論』の1952年11月号での池島信平、扇谷正造との鼎談「元一等兵の再軍備観」があるという(p.107、『花森安治集(いくさ・台所・まつりゴト篇)』に再録)。そこには、「読みたい本があるならおれが許可の判を押してやる」と花森に言った、ハンパな人間への思いやりのあった老大尉が兵隊あがりだったことが語られている。

    「いま」という時点から「わかったような」つもりで過去を見ると、見まちがうことがある。「いま」は批判されるようなことも、その時代には新鮮なものとして受けとめられていたりする。

    ▼…いま大政翼賛会ときくと、私たちは反射的に、一国一党のナチス型全体主義国家による強力な統制機関を思い浮かべる。つまり暗いイメージ。しかし、かさねていうと、発足時のイメージはかならずしもそうではなかった。1936年の2.26事件、翌37年の盧溝橋事件と、先の見えない閉塞感のうちに閉じ込められていた日本人の多くは、大政翼賛会による「新体制」実現を旗印にかかげた第二次近衛内閣の登場を、どちらかというと熱狂的に迎えたらしい。
     花森安治も例外ではなかった。「清新」とか「颯爽」という煽りことばがジャーナリズムにとびかうなかで、かれのうちにもいつしか、あそこに行けば時代の最先端をその中心にいて体験できそうだという期待が生じていたのだ。その根のところには「とにかく、日本という国を守らんならん」という愛国心があった。いまこの国を守るには軍部や政党や官庁をはじめとする既存のしくみをまるごと変えてしまうしかない。それがやれるのは近衛公爵ひきいる新体制(日本型ニューディール)運動しかないだろう。(pp.144-145)

    大政翼賛会の宣伝部で、花森は、「欲しがりません勝つまでは」とか「ぜいたくは敵だ!」という、「いま」の時代にも伝えられている標語にも関わったらしい。

    そんな過去について、1971年、『週刊朝日』誌上で、花森は... 続きを読む

  • 大政翼賛会から暮らしの手帖へ至る心持ちに、どれだけ深い悔恨と決意があったのかと思う。ワンマンな編集姿勢は、元々の性質だけでなく、戦争へ関わった自分への悔い、脆い世の中への不安があったのだろう。得難い雑誌であったのだなぁ。

  • 神戸と松江の反映
    大政翼賛会宣伝部での仕事=自分は戦争犯罪人で執行猶予中
    p224 縦組みの活版印刷から乱雑な重苦しさが消え、ガチガチの升目空間に明るく軽快な風が流れ始めた。いまになってやっとわかる。かつて、少年の私が受けた「明るい雑誌」という印象は、うたがいようもなく、この花森と『暮らしの手帖』の「アイデンティティ」から生まれたものだったのである。

    1971年 一戔五厘の旗発刊
        新潟水俣病第一次訴訟原告勝利

  • あらためて
    こんな人がいてくれたのだ
    を 感じた

    どんな時代にも
    どんなところにも
    存在するべくして
    存在する人がいる

    その人がいたからこそ
    生まれ出たもの
    その時代だからこそ
    生まれ出たもの
    その人がいなくなって
    無くなっていくもの

    私たちの すぐそばにも
    そんなものが あるはずだ
    それが なにであるのか
    じっくり考えさせてくれる
    一冊です

  • 花森安治伝 - 考える人
    http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/high/high155.html
    小特集 花森安治と戦争 - 考える人
    http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/high/high181.html

    新潮社のPR
    「画期的な編集で戦後最大の《国民雑誌》となった『暮しの手帖』。花森はなぜ、この雑誌を創刊したのか? 希代の出版人の決定版評伝。 」

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花森安治伝: 日本の暮しをかえた男の作品紹介

戦後最大の国民雑誌『暮しの手帖』はなぜ、創刊されたのか!? 「これからは絶対だまされない。だまされない人たちをふやしていく」―― 敗戦から三年後の一九四八年創刊。新しいライフスタイルの提案、徹底した商品テスト、圧倒的にモダンなデザインで、百万部にとどく国民雑誌となった『暮しの手帖』。花森安治が生涯語らなかった、創刊の真の理由とは? 希代の編集者の決定版評伝。

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