- Amazon.co.jp ・本 (157ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103242314
感想・レビュー・書評
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死生観
歳を重ねて別れも多くなり、段々と体力も落ち、病を身近に感じる様になると色々な思いに駆られる。吉村昭氏は、ずいぶんと若くしてご自身の経験から独自の死生観を確立して行かれたのだろうなと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
延命治療を拒否して、自らの身体の管を抜き、死に向かった作者 吉村昭氏。
若い時から、治らぬと言われた肺病に罹り、命いくばくか?と、思われながらも、作家として、長編大作も発表して、歴史小説にも力を注いだ作者。
最初の高名な脳専門の医学者の話。
私は、脳には、箪笥があって、其の引き出しに、思い出やら、経験などの記憶が、入っている。
新しい出来事や記憶は、段々引き出しに入りきらなくなり、溢れてしまう。
又、箪笥を増やしても、今度は、引き出しが、沢山になり、どこに仕舞ったのか、、、と、、、忘れてしまうのだと、、、、そう考えている。
だから、最初にしまい込んだ引き出しには、沢山出し入れしただけに、思い出す部分も多い。
作者も、自分の病気に対して、家族がしてくれた事、そして、自分が思った事、、、、が、凄く思い出しているのだろう。
若き日の秘湯での出来事、トキが、赤ちゃん、を道連れに、男性上位、姑と家の強さに屈し、命を絶ったことに、衝撃が、強かったのだろうし、とても、悲しい思いをしたのだと、思う。
心が痛む。
死に顔について、作者は、病み衰えた顔を目にするのは、失礼だと、、、そして、死者も望んでいないだろうと、記している。
しかし、今は、死に化粧も綺麗して貰えるようになり、最後のお別れをしたいと、願う事もあると、思う。
皆で、花をお棺に入れて、別れを、、、、
今回、京アニメのような放火事件で、最後のお別れも、顔を見る事も出来ない状態もあるのだから。。。。
辛い!
作者の妻 津村節子氏も看病生活と、作者の最後の壮絶な死への覚悟に、並々ならぬ思いがあったと、感じてしまった。
衝撃の強い遺作短編集であった。 -
私が近づいているか否か?誰にも判断のしようがない、しかし歳を重ねつつ、いろいろなことを感じながら生きていく。そのいろいろな事は、様々な作家が書いているように、突然に終焉を迎える。いろいろなことを考えながら
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吉村昭(1927.5.1~2006.7.31)著「死顔」、2006.11発行、5編が収録され最後の「死顔」は著者の遺作となりました。「新潮」2006年(平成18年)10月号に発表されたものです。父の死、次兄の死のことが書かれています。次兄の妻が病院側の延命措置の申出を辞退したことに「それは正しい。そうであるべきだ」と。また、死は安息の刻、自分の死顔は家族のみに限りたいとの思いを吐露されています。
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「二人」「死顔」は次兄の死を目の当たりにした吉村昭さんの死生観について書かれている。
その他の作品も生と死について真摯に向き合う著者の心が伝わってきて、命の儚さや重さについてとても考えさせられた。
津村節子さんのあとがきで吉村氏の遺言や最後の彼の姿を知り、私の中でこの本は完結したように思う。 -
淡々とというんか、お話ではないお話。
どんなふうに『死』に逝くときに向き合えるのか・・・・
そんなことを考えたくって選びました。
あるひとつのむかえ方・・・という感じに読めた本です。